八月⑦ 識る者と知らない者
「病み上がりだってのに、精力的に動くなぁ」
事務所の奥にあるデスクに座る我勇さんが、少し呆れ気味に言う。
「時間がありませんから」
「次の満月は四日後だ。リベンジしたいってのなら、一度飛ばして次の新月でもいいんじゃねぇのか?」
「もちろん、そのへんは臨機応変にするつもりです。でも、出来る事はやっておきたいんです」
「そうかい」
我勇さんは背もたれに身を預け、リラックスした体勢で僕を見る。
「それで? 俺になんの用だ?」
「えっと、その前に……静は……?」
「家に戻ってるよ」
ここにはいないか。では遠慮なく──
「質問があります。静が言う悪魔とは──神でもある。この認識はあっていますか?」
僕の問いを聞いた瞬間、我勇さんの表情が少し険しくなる。
「僕は価値観の問題……そう認識しました。崇めたい人からすればそれは神だろうし、憎みたい人からすればそれは悪魔と思えるのかな、と」
「それは、全てのことに対して言えることだろう。お前が正義と信じる行動だって、違う国にいけば正義では無くなることだってある。国ごとに倫理は違い、そして個々の人によってもその捉え方、感じ方は違う。世の中にたった一つだと断言できる答えなんざ有りはしないさ」
「そう……ですね。その通りだと思います。だから僕は、相手が何者であるかは気にしないつもりです」
「だったら、俺に聞くまでもあるまい」
「僕は、我勇さんの考えが知りたい。あなたは……相手が神だから、静の依頼を断ったのですか?」
「ククッ」
突然我勇さんは笑う。僕の疑問が浅はかすぎるとでも言いたげに。
「一応言っておくか。俺はどんな依頼であっても断りはしない。たとえ──神を殺してくれなんて常軌を逸した依頼でもな」
それが……僕にも分かってしまうから、なおさら疑問が大きくなってしまう。
「だったらなぜ静だけが例外なんですか?」
僕は心の中にずっと燻っている不安をぶつける。何故かは分からないけれど、嫌な予感がしてならない。今頃になって、静の言葉ひとつひとつが疑わしく思えてしまう。
「なぜ神でもあるという部分を隠していたのか。呪いに関してなぜ隠し続けるのか……。なにか、大きな過ちを犯してしまいそうで、怖いんです」
「なぜ神でもあると隠していたかの答えは簡単だ。知らぬが仏というだろう?」
「…………?」
「お前みたいな正義バカにとって、神を殺して──そんな罰当たりな願いよりも、悪魔を成敗してという言葉のほうが受け入れやすいだろう? お前が行動しやすいようにという配慮だよ」
それが真相であるならば、納得はできる。信じる信じない以前の問題として、神を殺してと言われると、その時点で心理的な抵抗が生じてしまう。
「呪いに関しては──お前の為だ。いや、違うか……それは自身の目的遂行のためだな」
「目的?」
「呪いを解くためには、お前は知っちゃ駄目なのさ」
悪魔との対戦時、僕の問いに静はこう答えた。
『……知れば、きっとあなたも私への協力を止めるでしょう。我勇のように』
「我勇さんには、話してしまったから断られた。だから頑なに口を閉ざしている、と……?」
「別に俺は本人から説明をされた訳じゃねぇぜ? ただの推測だ。俺は何も──識らない」
知らない……? 本当だろうか。
「でも、我勇さんが断ったのなら、その推測がすごく重要な理由になるんですよね?」
「たいした理由じゃないさ。別の選択肢のほうがいいなっていう、ただの気まぐれだ」
「そうですか。でも……僕を止めなくていいんですか? その気まぐれを僕は邪魔してしまうことになりますよ?」
「次は勝てるってか。自身満々だなぁ」
「……もちろん、百%勝てる確信がある訳じゃないです」
僕の弱気な言葉に、我勇さんは笑う。
「フフッ。心配するな。お前の推測は間違ってはいない」
ん? なぜこの段階で断言できるんだろう? 有耶の家に行く前に静には僕の作戦を話したが……。
「えっと……まだ静にしか話してないはずなんですけど……」
「クックック。世の中には盗聴器ってのがあってだな」
「なっ……!?」
この人、なにしれっと犯罪まがいのことを公言してるんだ。まあ……自分の家なんだから仕掛けるのは自由……なのか?
「ちなみに、胡蝶寺の祠にも仕掛けておいたから、お前に聞くまでもなく全て知っていた。備えあれば憂い無しってな」
我勇さんはそう言いながらニヤリと笑った。
ま、まあ……その件は今は置いておこう。初仕事だった僕を気遣っての事だろうし……。うん、きっとそうだ。
今聞かなければいけないこと、それは──
「前に約束してくれましたよね? 僕が間違った事をしたら、止めてくれるって」
「ああ」
「……僕がこれからしようとしている事は──正しいですか?」
静に関する事が話せないのなら、もっと広い意味で聞くしかない。
静どうこうではなく、僕の行動は正しいのか、正しくないのか。
そんな僕の問いに、我勇さんは笑みを浮かべながら答える。
「間違ってはいない」
我勇さんはそう断言した。
この時の僕は、その返事に背中を押された気がして、安心しきってしまった。
結果論で言えば、僕の選択は確かに間違ってはいなかった。
正しいかどうかは、別として──
誰にとって正しくて、誰にとって間違っているのか。
人によって異なる価値観。無数にある答え。
それこそが一番重要だったのに、僕の行動に限定して聞いてしまった──それこそが、最も大きな僕の罪なのだろう。




