八月⑥ 表裏一体の存在
依然八月一日。目覚めたのが夜中の三時だから、一日がとても長く感じる。
有耶の家を後にした僕が次に取った行動は、朱ちゃんに連絡を取り、会うこと。
今度は空門刃月としてではなく──エッジとしてだ。
僕は学校の屋上でエッジの姿になり、朱ちゃんが来るのを待っていた。
グラウンドでは野球部が大声を出しながら練習に励んでいる。それに比べて屋上は静かなものだ。
空は雲一つ無い、まさに晴天。夕方だというのにまだまだ日差しが強烈だ。この日差しが今の僕にはきつい。主に左目が。
校舎の時計が五時を告げると同時に、背後から声が聞こえた。
「エッジ君、おまたせ!」
振り向くと、祠で出会った時と同じ黒い忍装束に身を包んだ朱ちゃんが立っていた。
「名前は教えてくれたのに、顔は見せてくれないんだ?」
「見せてもよかったんだけど、きょ、今日はちょっと事情があるの……」
その事情は、おそらく刃月としての僕が原因だろう。少し胸が痛む。
「それで、どうしたの? 何か困り事?」
「お願いがある」
「お願い?」
「君の持つ刀──神葬りを……一週間ほど貸してもらえないだろうか?」
僕は単刀直入に言う。ボロを出したくないから、出来れば早く終わらせたいというのが本音だ。
「いいわよ」
思いのほかあっさりと了承され、逆に不安になる。
「え、そんなあっさり……ホントにいいの?」
「あっさりもなにも、あの日約束したことだもの。さすがに『僕のために死んでくれ』とか言われたら、ちょっとそれは……ってなるけど、刀を貸すくらいなんでもないわ。それであなたが助かるというのなら、むしろ喜んで貸すわよ」
「そ、そっか……助かる」
「もし差し支えなければ、神葬りが必要な理由くらいは聞きたいところだけど……」
差し支えか……無いと言えば、無い。信じてくれるかどうかの問題だけだ。とはいえ、朱ちゃんは隠世のことを誰よりもよく知っている子だ。信じてくれるだろう。
「悪魔を倒す為に必要なんだ」
「悪魔?」
黒い布で素顔を隠している朱ちゃんは、首を大きく傾げる。
あれ……? 想像していたリアクションと違うぞ。隠世に精通してる朱ちゃんがまさか悪魔を知らないなんてこと……ないよな?
「えっと……隠世にいる悪魔を倒すには、君の刀が必要かと思って……さ」
「ふーん……。ちょっと私にはどういう事かよく分からないけど……」
「悪魔とかに心当たり無い?」
「うん」
朱ちゃんは即答する。
「だって、あそこは──神の住む世界だよ?」
神の住む……世界? そういえば、我勇さんも言っていたか。神が住む世界だと。
「君はその神ってのに会ったことはあるのか?」
「んー、なんて言えばいいのかな……」
朱ちゃんは腕を組んで考え出す。
「実体があるわけじゃないし、魂のようにはっきり見えるものでもない。しいて言えば、あの世界そのものが神の肉体とも言える、そんな場所よ」
どういう事だ? 実体がない……? 隠世そのものが神の肉体?
「まあ……悪魔っていう認識も有りなのかもしれないけどね」
「有りっていうのは、どういう意味? もうちょっと詳しく教えてくれないか?」
「詳しくって言われると、難しなぁ……。たとえば、いろんな宗教であったり、神話であったり、伝承であったり、世界規模で見てみると本当に沢山あるじゃない?」
「うん」
「日本ではスサノオとして知られる神様も、北欧に行けばオーディンとして認知されている。いろんな名前というか、呼ばれ方をしてるけど、本当の名前は誰も知らない。だから、場所によってはサタンという悪魔として認知されている事もある、そういう事じゃないかな?」
いろんな名前……? 呼ばれ方?
『複数の名を持つ。または、名を持たぬとも言えるか』
奴は……悪魔はそう──言っていた。
スーツのおかげで体温は快適な状態で維持されているはずなのに、冷や汗が額から流れ落ちる。鼓動が早くなるのを自覚し、微かに胸が痛み出す。
それはつまり……。
奴は……悪魔などではなく、神だと……?
召喚時、僕が最初に感じた直感は、正解だった……?
「まさかとは思うけど……神葬りで神殺しでもするつもりなの?」
「…………」
神殺しという言葉が僕の心に大きくのしかかる。まさか、我勇さんは、それが理由で静の依頼を断ったのか?
「もし……そうだとしたら……君は僕を止めるかい?」
僕の問いに、朱ちゃんは首を振る。
「それなら、なおさら持って行くべきね。いくらあなたが強くても、素手でどうこうできる相手じゃないと思うわ。隠世に行かずに会うということは、降神の儀で呼び出すのだろうしね」
降神の儀という言葉も聞き覚えがある。言われてみれば、静が行った召喚の儀式は、我勇さんが説明してくれた生け贄云々の儀式そのものじゃないか。
しかし、僕の行おうとしている事に対し、朱ちゃんがいたって冷静なままなのが気になる。
「神ってのに喧嘩を売ろうとする僕を止めないのは、何故だい?」
「さっきも言ったけど、人それぞれの価値観に依存する事だもの。神として崇める人もいれば、悪魔として恐れ、憎む人もいる。私は別に崇めもしなければ、憎みもしない。だから止める理由が無い、それだけよ」
価値観……理由……。
僕にとっての戦う理由はただひとつ。静が悪魔を殺してくれと願うから。
静の望み……呪いから解放されたいから。
その呪いがどんな物なのか僕は知らない。
本当に……知らないままでいいのだろうか。
「今日は持ってきてないから取ってくるね。ちょっとだけ待ってて」
その言葉通り、朱ちゃんは姿を消し、本当にちょっとだけの時間を使って神葬りを持って戻ってきた。
「はい」
朱ちゃんが差し出す神葬りを僕は無言で受け取る。
「ちなみに……勝算はあるの?」
「…………」
僕は一瞬言葉に詰まる。
「聞くまでもないか。最終手段のエッジ君が負けるはず無いよね」
「……うん。僕は……負けないよ」
「そっか。がんばってね」
「ありがとう。朱ちゃん」
「………えっ?」
「必ず返しに来るよ。それじゃ!」
僕は朱ちゃんに背を向け、校舎の屋上から近くのビルに跳躍する。出力はまだ元に戻してもらっていないから、低めのビルを選んでラストリゾートのビルを目指す。
途中でステルス迷彩モードにしながら、僕は朱ちゃんとの会話を思い出す。
神と悪魔……人によって捉え方の異なる存在。
…………。
やはり──確認しておかないといけない。
我勇さんの知る、静の全てを。




