八月③ 着信履歴
「気づいたことはひとつ。おそらく、時間を止められているのだと思います」
「なんだ、そのディオみたいな能力……」
「時間が飛んだような錯覚を何度か感じました。それに、時間が止まっているなら、スーツの防御性能が機能しなかったのもうなずけます。止まっている時間の中では、スーツを構成する粒子の制御も出来なくなりますからね」
その辺の科学的な理屈は僕にはよく分からないけど、静がそれで納得できるのなら、きっとそうなのだろう。
「前回、私が一人で召喚した時は、気づかぬうちにブレスレットが破壊されていました。だから今回はブレスレット自体の強度を上げました。しかし、今思えばそういう問題ではなかったのですね……。気づかぬうちに……このこと自体が重要だった」
「…………」
「時間を止めることが出来る……勝てる相手ではないでしょう?」
「そうだよな……こっちはそんな超常現象なんて起こせないわけだし……」
「あきらめがつきましたか?」
時間を止める、か……。そんな相手なら、こちらが攻撃を仕掛けたところで、全て躱されるのがオチか。
「我勇さんは僕達をどうやってあの場から救ってくれたんだろ?」
「さあ……詳しくは教えてはくれなかったわ。私もあなたの救命処置に頭がいっぱいで、あまり覚えていないし……」
僕自身も、殺されたという漠然とした記憶があるだけで、どうやって殺されたのか、詳細な記憶は無い。
しかし……我勇さんは静の事に関して、なぜここまで頑なに協力を拒むのか。テーマパークのチケットをくれたりと、わりと気を遣っている風にも見えたのにな……。
「我勇にも同じような能力があるのかもしれないわね。悪魔が我勇を相手に動揺している風だったわ」
悪魔を動揺させるとか、どこまで規格外の人なんだ、あの人は。
「ま、ラストリゾートとしては協力しないってはっきり明言されてるし、仕方ない……か」
時間が止まる……そんなとんでも現象、少し前の僕なら簡単に受け入れることなどできなかっただろう。しかし、僕は実際に見た。異形の存在を。人ではない、朱い世界の住人を。
だからこそ、納得できてしまう。受け入れることが出来てしまう。
超常の力を。
それは決して悪いことではなく。
ポジティブに考えれば、逆に対策を立てやすいという事だ。半信半疑ではなく、確信のもとに考えることが出来るのだから。
もし、だ。
仮に、僕にそんな能力があったとするならば、どういう戦い方ができるだろうか。
能力に制限がないのであれば、相対した時に使えばその時点で勝ったも同然だ。相手が何か行動を起こす前に時間を止めてから仕掛ければいいだけなのだから。
逆に、その能力を使う上でなにか困ることは無いだろうか。
困ること……嫌なこと……。
そもそも、どうやって時間なんてものを止めるんだ?
原理は分からなくとも、もしそんな芸当が可能だったと仮定して、僕ならどう使う……?
そりゃあもちろん、止めたいと思った時に止めるよな。
でもそれって、逆に言えば……。
…………。
「あ……」
「刃月……?」
いける……いけるぞ。
我勇さんがどう対処したのかは謎のままだけど、僕と静にはスーツの力がある。このスーツの力を使えば、なんとかなるのではないだろうか。
ただ、懸念材料が一つある。エッジの右手の刃が通じるのか。
「静。あいつは……悪魔はさ。隠世と関係がある……で合っているのかな?」
朱ちゃんに連れて行ってもらった朱い世界──隠世。悪魔を召喚した時の風景は隠世と同じだと感じた。それを確信に変えるための確認だ。
「そう……ね」
──それならば。
神葬りを借りることが出来れば、攻撃が通じるかどうかの懸念も無くなるのではないだろうか。
だってあの刀は──隠世の存在を斬るために造られたのだから。
「いけるかもしれない」
「…………?」
「一人じゃ無理だけど、二人なら……いけるかもしれない」
よし、そうと決まれば、さっそく準備をしよう。まずは神葬りを貸してもらえるかの確認だ。
「静。僕の携帯って無事かな?」
「ええ。充電もしているけれど、今は深夜よ?」
「あ、そうか……」
「でも……見ておいた方が良いわね。持ってくるわ」
静が部屋を出る。
ん? 見ておいた方が良い?
……なんだろう、何か重大なことを忘れている気がする。なんだっけ。何かの話の途中で今の話の流れになって……。
いまいち思考がまとまらないので、おとなしく静が戻るのを待つことにした。
ほどなくして静が僕の携帯を持って戻ってきた。受け取って画面を見た瞬間、全身の血の気が引いていく。
画面に表示されている着信履歴、六十五件。メール、五十七通。
まずい! 色んな意味でまずい!
どうやら僕は、約十日ほど眠り続けていたらしい。つまり……朱ちゃんと有耶との約束を全てすっぽかしたことになる。恐る恐る履歴を見てみると、一目瞭然だった。朱ちゃんと有耶の名前で埋め尽くされている。そして合間に見える親父の名前。これが一番まずい。警察に捜索願とかを出されていたら大問題だ。
「どうしたのですか? 顔色が悪くなったわよ」
「ちょっと……電話する……」
「こんな真夜中に、よいのですか?」
「うん……とりあえず親父にだけでも連絡しないとまずい」
僕は親父の携帯に発信した。静が空気を読んで席を外してくれる。
四度ほどコールが鳴ったところで、反応があった。
「私だ」
「あ、お、親父……あの……」
「なんだ、生きていたか。夏休みに入ったとたん家出とはいい度胸だな」
寝起きの声でそっけなく返される。
「えっと、詳しい話は帰ってから……します。もし捜索願とかだしてたら、取り下げてもらおうと思って……」
「そんなもの、だしてはいない。高校生になってまで心配してもらえると思うな。いつまで子供でいるつもりだ」
その時、なぜか親父の泣き顔が脳裏に浮かんだ。泣き疲れて泣いている僕の横で母に向かってむせび泣く親父……。だれの記憶だ? 僕が知っているはずないのに……。
「ごめん。ありがとう」
僕は素直に謝罪の言葉を口にした。なぜこんな素直な気持ちになれたのだろう。
「……どういう風の吹き回しだ。まあいい。私よりも連絡を待っている友達がいるんじゃないのか? メールくらい入れておいてやれ。お前の事を心配して毎日家に来ていたぞ」
「あ……うん……」
「いい子達じゃないか」
「うん」
僕は迷わず即答する。
「切るぞ。明日……もう今日か。今日も仕事なんでな」
「うん。起こしてごめん」
通話が終わり、僕は大きく息を吐き出す。
こんな風に会話をしたのはいつ以来だろうかと考える。どこの高校に行くのか、その話をした時以来かもしれない。それほどまでに、僕の中にあったわだかまりは大きかったのだろう。なのに今は、会話への抵抗が全く無い。
僕は自分の心の変化に戸惑いつつも、頭を一度振って考えるのを止めた。次にやらないといけない事がある。
時間も時間だし、親父の言うとおり、メールを入れておくのが無難だろう。
『約束すっぽかしてごめん。無事です。お昼にでもまた電話します。』
そんなメールを朱ちゃんと有耶の二人に送る。
神葬りの件は、少し落ち着いてからのほうがよさそうだ。
そんな事を考えていると、携帯が振動で着信を知らせてくる。画面に表示されているのは、夜凪朱姫──朱ちゃんの名前だった。僕はあわてて電話に出る。
「もしも──」
「そ、空門くん!?」
「えっと、うん。ごめん、起こしちゃったかな……」
「…………」
「朱ちゃん?」
返事がない。耳を澄ましていると、微かに泣き声のようなものが聞こえてきた。何度か声をかけても返事は返ってこない。
「朱ちゃん。今は寮かな?」
「……う……うん……」
微かではあるが、ようやく返事らしきものが聞こえた。
「僕のせいだけろうけど……大丈夫?」
「…………」
また泣き声しか聞こえなくなった。ここは失礼を承知で、強行しよう。
「今からそっちに行くからさ……って、この時間は寮だと外に出られないか……。と、とにかく、ちゃんと元気だってところ見せにいくから、窓からでも下を見て、それで落ち着いてくれ」
さすがにここまで大泣きされたら、放っておくわけにもいかない。
「数分で行く! 着いたら電話するよ」
「……えっ、でも──」
僕は無理矢理に通話を終わらせ、静を呼ぶ。
「静!」
部屋の外で待っていてくれたのか、静がすぐに部屋に戻ってきた。
「用は済みましたか?」
「ここはどこだ?」
「ここ? えっと……ラストリゾートの事務所よ。もっと正確に言うならシキナの部屋」
もし静の家だったら、寮まで五分もかからないと思っていたが、事務所からだと十分ちょっとはかかってしまうか。急がないと。
「ちょっと出掛けてくる。服を貸して欲しいんだけど、我勇さんはもう寝たかな?」
「なにをバカな事を言っているのですか……。テストが必要と言いましたわよね? この時期の日の出は五時前……二時間も無いというのに、どこに行こうというのですか?」
「友達の所だ」
「連絡をしたのではなくて?」
「行く必要があるんだ。五時までには必ず戻る」
「駄目と言っても、無駄なのでしょうね……」
「大切な友達を……泣かせちゃったんだ。だから……直接謝りたいんだ」
静は溜息をひとつつくと、部屋を出て行った。しばらくして、下着とジーンズ、Tシャツを持って戻ってきた。
「新品よ。我勇からのプレゼントですって。あとでお礼を言っておきなさい」
「分かった。助かるよ」
静が背を向けてくれた隙に急いで服を着る。
「心臓の状態がまだ不安定ですから、スーツは治療優先にしています。出力はいつもの約半分です。注意してください」
「了解」
よし、準備完了。
僕は静の元に歩み寄り、頭を軽くなでる。
「あとで、作戦を練ろう。きっと大丈夫」
「……はい。信じます」
「うん。じゃあ、ちょっと行ってくる」
静がうなずくのを確認し、僕は駆けだした。




