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ヒーローの作り方  作者: 広森千林
第一章 日常からの脱し方
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五月③ 悪魔を殺してほしいとお願いしたら……

 どれだけ僕が強くなろうとも、その強さはあくまでも一対一の指標であって、一対多の場合、強さは意味を成さない。自警団、もしくはヒ―ロ―気取りで過ごしてきた約四年間で、僕は大小様々な怪我をしてきた。その理由はいたって簡単である。

 被害者はたいてい一人で、加害者側は対照的に複数だからだ。

 高校生になり、肉体的にもかなり強くなったと思える今でさえも、無傷で事態を収めることが出来るのは、相手が一人か二人の時だ。三人以上になると、被害者を逃がす事だけを考える。人数という大きな壁は、どうにもできないのだ。

 今回の相手は八人。助けに入るのを一瞬躊躇してしまいそうになった。それでも、恐喝されていた男性をなんとか逃がすことには成功し、あとは僕自身がどうやってこの場をしのごうかという状態になった訳だが、どうにも見逃してくれそうにない。

 もっとも、金づると思っていた男に変わって、金を持って無さそうな学生が来たのだから、向こうの怒りが収まるはずもないか。

 場所は人目の付かない、少し奥まった所にあるシャッタ―式の小さな駐車場。奥は行き止まりで退路はない。さて、どうしたものか。

「お前さ、カ―ドとか持ってねぇの?」

 リ―ダ―格と思われる男が僕に近づきながら声をかけてくる。

「残念ながら、ないね」

 僕は正直に答える。見栄を張るような状況でもない。

「ふっざけんなよ! だったら、どうしてくれんだよ!」

「どうもしない。する理由もない」

「おいおい。貧しくて困っている俺たちに飢え死にしろっていうのか? ひどい奴だなぁ、お前は」

 とても飢え死にするとは思えないガタイの良い男がそんな事を言っても、何の説得力も無い。そのごつい体を活かし、力仕事でもすればいいのに。

「まぁいいや。お前さ、親いんだろ? 持ってこさせろよ」

「嫌だ」

「分かってねぇなぁ。お前に選択肢は無ぇんだよ!」

 そう言いながら男は、僕の顔をめがけて殴りにかかる。僕に向かってくる相手の拳に右手を添えて軌道をそらし、殴りかかってきた勢いを利用して右肘を男の顔面にいれる。男の鼻の骨が折れる音が狭い駐車場に反響する。これでしばらくは動けないだろう。

 まずは一人。

 一対一の状況なら、どうとでも出来る。このまま一人ずつ来てくれれば……なんて甘い期待は最初からしていない。最初に仕留めるのは、相手のリ―ダ―からというのは、常套手段だ。これで何人かだけでも戦意が消失してくれればいいのだが、それもまた甘い考えなのも分かっている。現実は決して甘くなく、激辛なのだ。

 男が倒れると同時に、残りの七人が血相を変えて一斉に僕に向かってきた。僕は一歩だけ下がって間合いを調整し、一番先頭の男の顔を目掛けて蹴りを繰り出した。見事にヒットし、後ろの男共々、倒れ込む。

 一気に二人減り、残り五人。

 僕に蹴られた男の左手にいた一番若そうな男が、僕の動きを封じようと僕の腰に目掛けてタックルを仕掛ける。重心を低くしてくる分、顔も低い位置にある。僕はそこに左膝をあわせ、相手の顔面にヒットさせる。勝手に自滅してくれた。追い打ちとばかりに、後頭部に肘を打ち下ろす。

 あと四人。

 四人を倒している間に二人が僕の後ろに回り込んだ。さすがに対応できず、羽交い絞めにされてしまう。前に残っていた二人が攻撃を仕掛けてくる。咄嗟に頭を後ろに強く振り、僕の上半身を羽交い締めにしていた男の顔に後頭部を叩きつけた。男が呻き声を漏らしながら後ろに倒れていき、上半身が自由になる。

 残り三人。

 前に二人見える。もう一人を見失ってしまった。そういえば、二人が後ろに回っていたかと思い至る。前から来る男に蹴りを出そうと足に力を入れた所で、両足を後ろから抱きついて押さえ込まれている事に気がついた。後ろに二人回り込まれた時点で、もう一人の行動を予測し、下にも注意を払うべきだった。僕はバランスを崩し、地面に膝をついてしまう。そんな僕の顔めがけて、蹴りがやってくる。なんとか腕でガ―ドするが、勢いを殺しきることは出来ず、倒れこんでしまった。

 万事休す。

 こうなってしまっては、あとはなされるがまま。僕は生きるサンドバックと化した。顔を殴られ、あばらの骨を折られ、腹を蹴られ、汚物をまき散らしながら、命を削られていく。そのあまりの手加減の無さに、死という言葉が脳裏をよぎる。

『──タスケテ』

 それは、僕の声では無い。僕は誰にも助けを求めてはいない。誰かを助けようとして、そしてその結果死ぬのなら、それはそれでいいと思っている。母がそうしたように。

 しかし、頭に響くこの救いを求める声、思いが、諦めかけていた自身の心をもう一度奮い立たせる。

 救いを求める人がいる。今この瞬間にも。少女の泣き叫ぶ声が頭に鳴り響く。

 ならば──まだ死ねない。この声の主を助けるまでは、死ねるものか!

 死んでたまるか! どけ! 僕の邪魔を……するな!

「ぐっ……があああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!」

 僕は雄叫びを上げながら、目の前の男を睨み付ける。

「その目がうざいんだよ!」

 男の渾身のパンチが僕の顔の形を歪ませる。それでも僕は睨み続ける。男が一瞬怯むも、もう一度僕に殴りかかろうとしたその時――

「もう、おやめなさいな」

 それは、とても静かで澄んだ女性の声だった。あまりにもこの場に相応しくない──似つかわしくない、穏やかで、それでいて感情のこもっていない、無機質な声。

 僕への暴力は止まり、男達の怒りの矛先は、突如として現れた女性に向けられた。

「はっはははぁ、なんだ、今日はこんなご褒美まであんのかよぉ、たまんねぇな」

 僕を殴り続けていた男が欲情をむき出しにした声をあげる。背後から僕を抑えていた男がようやく僕を解放した。僕はそのままうつぶせに倒れ込む。八人いた男達のうち三人はまだ意識を失ったままだ。残りの五人が女性にゆっくり歩み寄る。

 痛みで力が入らないが、なんとか顔だけを動かし、目を凝らして見てみる。駐車場の角に現れた女性は、中学生くらいの子供に見えた。微かな灯りから見えるその外見は異質だった。着物の上にぶかぶかの白衣を羽織る、なんとも奇抜な格好をしていた。黒くて長い髪を風になびかせ、怖じ気づくこともなく、悠然と立っている。

「に……げ……ろ」

 僕は必死で声をしぼりだすが、はたして少女に届いたかどうか。

「私に近づけば、おそらく怪我をします……覚悟はおありですか?」

「へぇ、そいつは楽しみだなぁ」

 男は理性という言葉を知らないかのように、好色さを全く隠そうともせず少女の肩を乱暴に掴んだ。少女はめんどくさそうに、その手を邪険に払いのける。そしてその瞬間、男の悲鳴にならない呻き声が聞こえてきた。連続して呻き声が続いたかとおもうと、一転して静けさがやってきた。

 ずっと見ていたのに、何が起きたのか理解できなかった。少女が一歩前に踏み出した瞬間、男達が次々に妙な体勢になって地面に突っ伏していく。それは苦悶の声をあげるのも許されないような、一瞬の出来事だった。

 少女は僕の元にゆっくりと歩み寄り、僕を見下ろしながら口を開く。

「──弱いのね」

 あまりにも痛烈な哀れみの言葉に、返す言葉も出てこない。実際、もう口を動かす気力も残ってはいなかった。

「弱いのに、どうしてあの男性を助けようなんて思ったのかしら? 知人だったのか、それとも赤の他人か……」

「…………」

「あの人数を相手に勝てると思ったのかしら?」

 どれだけ聞かれても、うまく口が動いてくれないから答えることが出来ない。意識を保つのがやっとの状態だ。

「ひどい怪我ね。それでは喋ることも出来ないでしょうね。いいわ、先に治してあげる」

 そう言うと、着物の上に白衣を羽織った少女は、俯せで倒れている僕の右手をとり、何かを僕の手首に巻いた。体が言うことを聞いてくれないから、なされるがままだ。

 少女が僕の手元で何かをしている。なんだろう? と思っていると突然視界が真っ暗になり、すぐに視界は元に戻った。それから数分、何事もなく時間だけが経過した。

「どうかしら? そろそろ喋ることができて?」

 少女の問いに答えるために口を開こうとした時、痛みがなくなっている事に気付く。

「えっと……あ…あ―あ―……」

 口が思い通りに動いてくれる。口だけではなく、体の痛みも……無い。

「いったい何を……?」

「まだ動かないでね。返してもらうから」

 少女は僕の手に巻いていたらしいブレスレット状の白い輪っかをはずし、自らの手首に巻き付ける。

「いいわよ、立ち上がっても」

 僕はおそるおそる立ち上がる。制服は血に染まり、ボロボロのままだけど、目に見える範囲での体の外傷は何一つ残ってはいなかった。口元に手を当てて、折れた歯も元通りになっていることに気づく。

「何がどうなってるんだ……?」

 僕の問いかけを少女は聞き流し、少し視線を宙に漂わせる。

「場所を変えましょう。直に警察が来るでしょうから、ゆっくり話せなくなってしまう」

 少女は僕の返事も待たずに歩き出したので、あわてて後を追う。倒れている男達の横を通りすぎる時、ちゃんと息をしているのだけは確認出来た。胸をなで下ろす。

「心配しなくても、殺してはいないわ。後々めんどうですしね」

 僕の考えなどお見通しとばかりに、少女は僕に言う。しばらく無言のまま暗い夜道を進む。微かにサイレンの音が聞こえてきた。助けた男性が呼んでくれたのだろうか。

 ほどなくして少女は小さな公園の中に入っていった。ベンチに腰を下ろし、僕にも座るように促す。少し間を開けて僕も座り、ようやく話しが出来るようになった。

「あの、さっきはありがとう」

 詳細は分からないまでも、助けてもらった事は間違えようのない事実だから、まずはお礼を言う。

「別に助けたつもりは無いわ。聞きたいことがあっただけですから」

 腰まである黒くて長い髪、和人形のような見た目の少女は、感情のこもっていない声でそう言った。

「聞きたいこと……?」

「さっきも聞いたと思うけど……あなたはどうしてあの男性を助けたの? 勝てる見込みも無いのに」

 男性を助けた──その部分を知っているということは、かなり前からどこかで見ていたのだろうか。

「どうしてと言われてもな……警察を待っている暇も無さそうだったし、とにかく先に逃がさないと、と思って」

「答えになっていないわ。なぜ逃がそうと思ったのか、知人なのか他人なのか、その部分を聞いているの」

「知らない人だ。でも、知らなくても困っている人がいたら、助けるもんだろ?」

「…………」

 少女は口を閉ざしてしまった。なにか気に障ることでも言ってしまっただろうか。

「そう。そういう人なのね、あなたは」

 少女は納得したようにひとりごちる。

「参考になったわ。こちらこそありがとう。気をつけてお帰りなさい」

 少女は立ち上がり、歩き出そうとする。僕が聞きたかった事が何一つ聞けていないので、あわてて声をかける。

「まって! さっき、君は何をしたんだ? 僕の怪我は何故治っている? 折れた歯まで治ってるなんて、ありえない……」

「知らなくていい事よ」

「いやまあ、そうかもしれないけど……」

 僕に背を向け、少女は歩き出す。その背中に向かって僕は再度、問いかける。もうひとつ、どうしても答えて欲しい事を。

「じゃあ……ひとつだけ聞かせてくれ。君はとても強かった。なのに、なぜ君はあんな悲痛な叫びを──助けを求めていたんだ?」

 少女は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

「私が助けを……求めた?」

 無表情だったその顔に初めて変化があった。微かではあるが、驚きをその目に宿している。

 僕がサンドバック状態になっていた時に聞こえた、助けを求める声。それは、この少女から発せられたものだった。近くにいると分かっていたから、せめてその少女だけは助けたいと思った。それなのに、何故かその少女のほうからやってきて、逆に助けられてしまった。自分でも訳が分からない。この少女は何に怯えていたのか、何から救われたかったのか。

「今も……微かにだけど、まだ聞こえる。君の声が。助けて、助けてと泣いているように感じる。だから、僕は君を助けたい。力になりたいんだ」

 それは、助けてくれた事への感謝であったり、同情や哀れみではなく、僕の中にある助けたいという本能がそうさせる。見て見ぬふりは出来ない。知った以上は、知らないふりは出来ない。

 もっとも──助けられた方が何を言っているんだという話だが。

「──そう。あなたは隠世かくりよの声が聞こえるのね」

「かくり……よ?」

 初めて聞く言葉に困惑する。そんな僕を見つめながら、白衣の少女は続ける。

「あなたに、どれほどの覚悟があるのかしら」

「覚悟?」

「そう。相手が何者であったとしても、戦う覚悟。愚問だったかしら。自らの身の安全も考えず、見ず知らずの人間を助けようとするような人ですものね」

「…………」

 そして少女は、他人事のように言った。

「もし私が──悪魔を殺してほしいとお願いしたら……あなたは聞き入れてくれるのかしら」

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