七月⑦ ヴァンパイアとネクロマンサー
「説明してください!」
翌日の放課後、ラストリゾートの事務所に着いて開口一番、僕は我勇さんに詰め寄った。
「なんであんなタイミングよくシキナが声をかけてきたんですか? 我勇さんもあとで来ましたよね?」
「来たそうそうなんだよ、落ち着きのねぇ奴だな。とりあえず座れよ。アイスコーヒーでいいか?」
「えっ、あ、はい」
冷静に返され、拍子抜けした僕は素直にソファに腰掛ける。しばらくすると、アイスコーヒーを片手に我勇さんがキッチンから戻ってきた。
我勇さんも向かいのソファに座り、テーブルに置かれていた新聞を手にする。
「載ってるぞ、昨日の」
そう言うと、僕がトラックを止めた瞬間を捉えた写真が載っているページを見せてくれる。
「今の時代、ほとんどの人間がカメラを持っているようなもんだからなぁ。いいプロモーションになったじゃないか」
「先に質問に答えてください。昨日の事、いろいろと聞きたいんです」
「お前には関係の無い仕事の後始末、それだけだ」
我勇さんはぶっきらぼうに言う。
「仕事だから僕には話せない、ですか?」
「そういうことだ」
「でも、僕は今ラストリゾートの人間ですよね?」
「知らない方がいい事も世の中にはある」
「…………」
「知らなければ素通り出来た事も、知ってしまう事で目にとまってしまう。無視できなくなる。係わらざるを得なくなる。それでもなお知りたい、知って後悔するほうがいいというのなら、答えてやろう」
諦めかけていた矢先の譲歩の言葉に一瞬思考が止まる。
「し、知りたい……です!」
「……で? 何が聞きたいんだ?」
「えっと……まず、昨日のシキナの事。僕の友達をあの場から遠ざけてくれたのは偶然じゃないですよね?」
「ああ。お前のいる位置なんざ携帯もってりゃいつでも調べられるしな」
「位置とかはまあ、そうでしょうけど……て、なんで僕のいる場所をいちいち調べてるんです!?」
「満月だったから、念の為に調べただけだ。誰が好き好んでお前のストーカーなんざするか。お前が近くにいれば、なにかしら絡んでくるだろうなって事くらいは予想できるだろ?」
「はあ、まあ……」
「あとはまあ、ちょっとしたイレギュラーな偶然が重なってな。探していたターゲットが何かをやらかしそうな事を情報として得ていた」
「探していたターゲットってなんです?」
「さっき、仕事の後始末っつったよな? 俺とシキナはトラックを暴走させた金髪の男──こいつを探していたんだ」
我勇さんは新聞に載っている男の顔写真を指で弾きながら言う。
「なぜ探していたのですか?」
「人工的に創り出されたヴァンパイアがいてな──そいつが偽物を大量に作ってくれたわけさ。偽物……つまり、血を吸われた元人間のヴァンパイア、その最後の一人だったんだよ、そいつは」
……っえ? ヴァンパイア……? レプリカ?
「漫画とかでよく見る吸血鬼的なやつの……事ですか?」
我勇さんはニヤリと笑う。
「そうだ。フィクションだと思っていたか? そりゃそうだろうさ。それが普通だ。世間の常識だ」
「…………」
「だが、意図的にフィクションにされているものはいくつもある。ヴァンパイアはその中のひとつってだけのことだ」
「その……僕は自分の目で見たものしか信じない質なので……」
「昨日見ただろうがよ。お前の中の普通の人間ってのはトラックの上に飛び乗れるのか? ロープで縛られても簡単に抜け出せるのか?」
確かにその辺の違和感は、ヴァンパイアという物を肯定すれば納得はしやすい。しかし、そもそもヴァンパイアがどういったものかをよく知らない僕としては、いまいち納得しかねるものがある。漫画などでよくある、血を吸ったり太陽が苦手という事くらいしか知らない。怪力設定なんてあったのだろうか。
「さっきの話だと、血を吸われたら……その、ヴァンパイア……になるっていうんですか……?」
「すぐになる訳じゃないがな。三日ほどミイラ状態で放置すれば出来上がりだ」
「ミイラ状態? 即身仏と関係あるんです?」
「ねぇよ。人間の体の六十%は水だ。そして体重の八%が血。血や水分を吸い尽くされたら干からびるだろ? その状態のことであって、即身仏は関係ない」
「えっと、あの男は血を吸われた元人間だったって事……ですよね? それはそれで無理矢理納得するとして、どうやってあそこにいるのが分かったんですか?」
「シキナ曰く、本物はある程度の距離なら偽物を含む同族の位置を把握できるんだとよ」
ここでなぜシキナの名前がでるのだろう。その疑問を口にする前に我勇さんが続ける。
「さらに昨日はやっかいな偶然が重なっちまった」
「偶然?」
「あの男は裏社会で死霊使いと呼ばれている殺し屋の標的になっていたんだ。同じ業界の仕事の邪魔はしないって暗黙のルールがあるから後始末は警察に任せるつもりだったんだがよ」
また知らない単語が出てきた。しかもまた無駄に中二っぽい。
「ネクロマンサーってなんですか……?」
「隠世に残る魂を意図的に悪霊化させて操り、標的に憑依させて人の中にある悪意を刺激し、犯罪を犯させる。命自体を狙うのではなく社会的に殺すことを専門にしている質の悪い殺し屋のコードネームさ」
「犯罪を犯させる……」
そんな奴を野放しにしてていいのか? 意図的に犯罪を作り出すなんて……とても許せる事じゃないぞ。
「今回はお前が奴の仕事を邪魔したことになるが、だからといって報復をしてくるような奴じゃない。だから放っておけ。へんに首を突っ込むなよ」
「僕が止めなかったら大惨事になっていたんですよ!? そんな奴を放っておけな──」
「もう一度だけ言うぞ」
我勇さんは表情を変えずに僕の言葉を遮る。
「放っておけ。裏社会をなめるな。死ぬぞ」
無表情なまま放たれた言葉。反抗を許さない絶対的な命令。刃向かえば今この瞬間にも殺されてしまいそうな強烈な殺気を向けられる。
僕の体は一瞬震え、無意識にうなずく。
「……わかりました」
「いい子だ。言ったろ? 知らない方がいい事も世の中にはあるってよ」
我勇さんはククっと笑う。
殺し屋なんてものが本当に存在することも衝撃ではあったが、それに輪を掛けてヴァンパイアまで実在する? 無茶苦茶だ。もし、静の言っている悪魔というものまで実在したら……なんでもありすぎる。僕が今まで見てきた現実はなんだったんだ。
「でも……もしまた昨日みたいに視えたら、僕は全力で止めますよ」
「お前から意図的に首を突っ込むのでなければ問題ない。好きにしろ」
我勇さんは突き放すように言う。
「そうだ、ひとつ確認しておきたいんだが、昨日あそこで何かが起こるってなぜ分かった?」
「あっ、その事も聞きたかったんですが、やっぱり我勇さんも知らないですよね……」
「状況を話してみろよ」
「えっと……静にスーツを借りてから、いろいろとおかしいんです」
「ほう?」
「たとえば、今までは走って数分で着く程度の距離の声しか拾うことができませんでした。でも、最近はまるでスーツでの移動距離を考慮されているかのように聞こえる範囲が広がっているんです」
「他には?」
「あとは、昨日の……です。いつもなら、すでに何かしらの事態がおこっている状況の声だったのに、昨日は未来のというか、まだ起こっていない声を拾ったんです。そして僕が介入することで、その未来は無くなった……」
「ほぅ……。そいつは興味深いな」
僕は祠の中での朱ちゃんとの会話を思い出す。
「神葬り……彼女が言っていたんです。未来に起こりうる事態に対して助けを求めるなんて事はありえないと」
「お前自身は声の事をどう認識しているんだ?」
「隠世を経由した魂の声だと思っていました。でも、こんな未来予測的な事が出来てしまうと、また別なのかな……と」
「夜凪の嬢ちゃんの言っていたのは、あくまでも現世に縛られている即身仏や、生きている人間の魂の声に限った話じゃないのか」
現世に縛られている即身仏と生きている人間……? 縛られていないもの……? 他に何があるというのだろうか。
「たとえば──死者の魂なら、完全に現世からは切り離されているわけだから、時間の概念が無いわけだ。未来、過去。そういった声を拾うことが出来るのかもしれない」
「死者とかそういうのは……よく……分かりません」
「フフン。ま、今はその程度の曖昧な認識でいいんじゃないか。分かったところでコントロールできる訳でも無し。そもそも、いままでだって都合がよすぎたろ?」
「都合……ですか」
「ああ。満月新月という縛りはあれ、走って数分、たとえギリギリでも間に合う距離にそうタイミング良くいられるものじゃない。ならば、なにか別の意思によって間に合う距離に誘導されていたとは思わないか?」
誘導……。昨日あの場所に行く事が僕の意思ではなく、誰かの意思だったとでもいうのだろうか。
「ま、今のところお前にとってその能力は役に立っているのだろう? だったらそれでいいじゃないか」
「いや、でもさっきの、えっと、ネクロマンサーでしたっけ? そういった悪意を操るみたいな話を聞いたら、操られてるような事って怖いじゃないですか」
「心配するな。お前の場合は、そういう悪いもんじゃねぇよ」
「なぜそう言い切れるんですか?」
「なんとなく察しがついたからだよ」
「えっ、本当ですか! じゃあ教えてください!」
「嫌だ」
まさかの拒絶。なんでここで拒否られるのだろう……。
「あの、我勇さん……?」
「ククッ。いずれ分かる事だ。急いて知る必要は無いさ」
そう言うと我勇さんは立ち上がり、空になったコップを持ってキッチンの方に歩いていった。
「晩飯食っていくか? シキナの奴はまだ寝てるし、文句のひとつも言いたいだろ?」
「いえ、別にもう……」
いいです、と言いかけたところで、昨日のカフェで我勇さんが一万円札を置いていってくれたことを思い出した。
「あっ、そうだ! 昨日のお金、お返ししますね」
「あん? いらねぇよ。昨日の仕事代だ、とっとけ」
「仕事?」
「言ったろ? あの男を探していたと。捕まえた報酬だ」
報酬って言われてもな……仕事をしたとは思っていないから素直に受け取って良いのか迷ってしまう。
「あの……昨日、百貨店の上にいませんでした?」
「ほう、よく気づいたな」
やっぱりあの影は我勇さんだったのか。
「あんなところで何をしてたんです?」
「誰かさんが困ってたみたいだからよ。ライフルで男の頭にお土産をくれてやった」
「……え?」
ライフル……? あの遠い距離から?
「高い弾だったんだぜ。まったく……油断してんじゃねーよ」
「…………」
冗談を言っている感じはない。この人、本当に銃を持っているのか……。
ちゃんと許可はとっていると信じたいけれど、それでも銃という物をふつうに持っているという事を聞くと、住んでいる世界の違いを改めて思い知らされる。
「スーツの力で無敵にでもなった気でいるのかもしれないが、お前には致命的な弱点があるんだ。気をつけな」
「弱点って……なんですか?」
「もし昨日のあの場面でよ。消えろ、ではなく、変身を解けって言われたらどうしてた?」
「それは……」
従わざるを得なかっただろう。人質にとられた女性を無傷で助ける術があの時の僕には無かった。
「人質をとられたらお前は無力なんだからよ。頑丈なロープを静嬢に作ってもらえ」
「……はい」
確かに僕にとって人質というのは致命的な弱点だ。気をつけなければいけない。
「あの、さっき言ってた、高い弾ってなんですか……?」
「ん? 対ヴァンパイア用の特注品さ」
「特注品……」
「ククッ。俺が壊滅させたヴァンピールブラッド保守派の残党が作った、呪いのこもったいわば遺品だな」
我勇さんが凄惨な笑みを浮かべる。
ヴァンピールブラッド……どこかで聞いた言葉だ。どこで聞いた?
必死に思い出そうとするが、思い出せない。
「で? 飯どうする?」
我勇さんはキッチンの奥で冷蔵庫を開けながらもう一度僕に問う。食べて帰りたいところではあるが、今日は先約が入っている。
「すみません。今日は静と約束があって……ハンバーグを作ってくれるんです」
我勇さんは一瞬動きを止める。
「へぇ。そいつは驚いた」
そう言いながらニヤリと笑い、キッチンの奥から出てきた。
「あの静嬢がねぇ……。夜凪の嬢ちゃんにご執心なのかと思ったが、静嬢ともうまくやってんだな。関心関心」
「変な言い方、やめて下さい……」
僕の言葉に我勇さんは大きく笑う。
「はっはっは。照れるな照れるな。そこが心配の種だったから、安心したよ」
「どういう意味ですか?」
「もしかしたら──お前になら静嬢は心を開くんじゃないかって期待していたんだ。その点で夜凪の嬢ちゃんはイレギュラーだったが、杞憂だったようだ」
「はあ……」
我勇さんが何を言いたいのか、さっぱり分からない。心を開くとは、どういう意味だろう。
たしかに静は無表情で、感情を表に出すことは滅多に無い。
いや──無かった、と言うべきか。
昨日のように突発的な用事でも出来ない限り、ほとんど毎日学校帰りに静の家に寄ってスーツの性能について話し合ってきた。そんな毎日を続けていくうち、静は少しずつではあるが感情を表に出すようになっていった。
時には怒ったり、拗ねたり……微かに笑ったり。
そういう部分が心を開くという事なら、もう十分に開いてくれている気がする。
今日に至っては、静が初めて手料理を振る舞ってくれるというのだ。
「あ、そうだ。我勇さんとシキナも一緒に行きませんか? 多い方が楽しいだろうし──」
僕の提案に、我勇さんは首を横に振る。
「二人分の材料で四人分作れるわけねぇだろ。二人で楽しんでこい」
ああ、そうか。約束が明日だったら間に合ったかもしれないけど、あと数時間後というこの状況で急に人数が増えても対応なんて出来るはずがない……か。
我勇さんは事務デスクのほうに歩いていき、引き出しから何かを取り出すと、僕の所に戻ってくる。
「ほら、持ってけ」
そう言いながら差し出されたのは、大型テーマパークのチケット二枚だった。
「…………?」
「食事のお礼だって言って、今度の日曜にでも連れてってやれ」
「でも、こういうのってけっこう高かったような……」
「もらい物だから遠慮すんな。俺なんかが行く柄じゃねぇだろ? シキナも昼間は外出られねぇし、代わりに行ってこい。静嬢がジェットコースターでどんな反応をするか気にならないか?」
静がどんな反応をしてくれるのか、興味が無いと言えば嘘になる。
「では、遠慮なく……頂きます!」
僕は頭を下げ、チケットを受け取った。
その時、突然インターホンが吹き抜けのフロアに鳴り響く。
我勇さんは何もない場所で手を横にスライドさせる。すると突然そこに玄関の映像が現れた。
「なんの用だ?」
我勇さんがめんどくさそうに言うと、女性の声が返ってくる。
「こんにちは、ナナ先輩! 近くに来たので、コーヒーをご馳走になろうかと寄ってみました!」
「うちは茶店じゃねぇぞ、バカ野郎が」
玄関のロックを外したのか、空中に映し出されているモニターから女性の姿が消える。
我勇さんが手をグーの形にすると同時に映像が消えた。
「すまんな、今日はもうお開きだ。まだ聞きたいことがあるなら、日を改めて来い。静嬢によろしくな」
「あ、はい、お邪魔しました!」
僕はソファーに置いていたリュックを背負い、玄関に向かった。
廊下の途中でスーツ姿の若い女性とすれ違う。僕は立ち止まり、女性の後ろ姿を目で追う。
はて、どこかで見たような……。
祠にいたツインテールの女性では無い。
だったら、何処で見た?
立ち止まったまま考えていると、突然女性が立ち止まり、振り向いた。目が合うと、ニッコリと僕に微笑み、再びリビングに向かって歩き出す。
目があった瞬間、思い出した。
昨日の夜、僕がエッジの姿で男を地面に押さえつけていた時、歪な形の手錠を持ってきた女性の警察官だ。
なぜ警察の人間がここに……?




