七月② ブレスレット
「あ、電車来てる! 急ごっ!」
駅のホームに着くなり、朱ちゃんは電車に向かって走り出そうとした。
「急がなくても次の準急のが先着だから大丈夫だよ」
朱ちゃんは走るのをやめ、振り返る。
「先着?」
「今の各停を途中の駅で抜くから、九尾駅には後の準急が先に着くんだよ」
「おぉ、なるほど!」
そんなに関心するほどの事だろうか……。
「朱ちゃんは寮から学校まで歩きだし、めったに乗らないんだっけ?」
「うん。だからいまだに路線図が理解できてないし。ここの駅周辺はショッピングモールとかカラオケとか映画館とか、なんでも揃ってるから遠出しなくても困らないしね」
「中学の時はわりと田舎に住んでたんだっけ?」
「わりとどころか、実家はすっごい田舎だったから、最寄り駅まで行くだけでも徒歩一時間とかだったんだよ。バスも一時間に一本しかないし」
朱ちゃんの場合、隠世を経由しての瞬間移動があるから乗り物に乗る必要なんてない気もするんだけどな。
「小学生時代はアメリカだったんだっけ?」
「そうだよ。ニューヨークだよ! 大都会だよ! 見事な都落ちだったのよ!」
「都落ち言うな、住んでる人に失礼だろ」
「うぅ、ごめんなさい」
「素直でよろしい」
僕は隣で歩く朱ちゃんの頭をかるく撫でる。
「同じ学年なのに私ってすごく子供扱いされてない? 有耶にもだけどさ」
「なんだろうな、背が低いし童顔だしで、中学生くらいにしか見えないから?」
「えっ、私ってそこまで幼く見えるの!?」
「見えるな」
「oh……」
僕の断言に軽くショックを受ける朱ちゃん。
「もしかしてそういうの、嫌だった? それなら今度から気をつけるよ。有耶にも言──」
「い、嫌じゃない、よ!」
朱ちゃんは両手に拳を握り、僕の言葉を遮って力説する。
「……それならいいけど」
そんな会話をしながら、比較的人の少ないホームの一番後ろにたどり着く。各停が発車して数分後に準急がやってきた。扉が開き、僕達は電車に乗り込む。
「あぁ、冷房って素敵!」
冷房のありがたみをかみしめる朱ちゃんだった。
僕はリュックを降ろし、一番端の座席に座った。
朱ちゃんは少しだけ僕との間隔を開けて右隣に座る。
こういう距離感って、パーソナルスペースとか言うんだっけ……四十五センチ以内は恋人の距離だとか、最近そんな記事を見た気がする。
間隔を見た感じ、三十センチも開いてはいない。二十センチくらいだろうか。一応は同じ目的地に向かっている友達同士なのだから、開きすぎているのも変だし、こんなものか。
…………。
んー……?
僕は何を考えているんだ?
どうも最近の僕はおかしい。
距離感であったり、空気であったり、そういうものを変に意識してしまっている。鈍感であろうと生きてきた反動だろうか。
電車が動き出すと同時に朱ちゃんは少し腰を浮かせ、スカートに皺がつかないように座り直す。
その際、距離が一気に十センチほどまで近づいたのは気のせいだろうか。
「よくよく考えてみたら、二人でどこかにお出かけするのって初めてだよね」
「そうだっけ?」
「そうだよ。どこか行こうって誘ってくれるのはいつも有耶だし。そもそも空門くんから誘ってくれること自体初めてかも知れないくらいレアケースだよ」
「言われてみれば、そうか……」
「うん、そうだよ〜」
「…………」
あっさりと途切れる会話。
携帯を触るわけでもなく、互いに視線を宙に漂わせる。
二人の時はいつもこうだ。話の起点はいつも有耶なわけで、その有耶がいない時は、どうしても会話が途切れがちになる。
僕は無言のままでも全然平気な質だけど。
二つほど駅を通過したところで朱ちゃんが話題を提供してくれる。
「そうだ、空門くん」
「なに?」
「少し前から腕時計を右手につけてるよね?」
「ん?」
時計?
僕は静に借りている白いブレスレットが巻かれている自分の右手を見る。
このブレスレットには時計の機能が付いていたから、今まで使っていた腕時計はつけなくなった。
見た目こそ最初と変わっていないが、このブレスレットは一月前よりもさらに進化している。
ラストリゾート専用にもらった携帯電話の機能をブレスレットに付けてもらったのだ。
スーツ着用時は携帯に着信があっても変身を解除しないと出ることが出来ないという不便さを解消するべく静と話し合った。
スーツ着用時に限り、ラストリゾート専用携帯に着信があった場合、その信号をブレスレットが強制的にジャックし、ブレスレットの液晶画面に表示される応答という文字をタッチするだけで携帯を手に持たずに通話が出来るようにしてもらった。
その他にも、手の操作がいらない望遠機能が追加されている。右目だけを瞬きすると、その回数に応じてズーム、左目だけを瞬きするとリセットという、相変わらずの謎技術ではあるが。
欲しいと思った機能をその都度静に相談すると、大抵の事は数日で実装してくれる。
ありがたい限りである。
「ちょっと見せてもらっていい? その時計」
朱ちゃんは僕の右手をまじまじと見つめながら言う。見た目はいたってシンプルなので、機能面以外で興味を引かれるようなものは無いと思うのだが、どうしたのだろう。
「はずしたほうがいい?」
「あっ、そのままでもいいよ。じゃあ……右手、貸してっ」
拒否する理由もないので僕は右手を朱ちゃんの顔付近にもっていく。朱ちゃんは一瞬だけ躊躇する素振りをしたあと、両手で僕の手を握り、ブレスレットを観察し始める。
「細いんだね。ぶつけたりしたら折れちゃうそう」
「そう見えるけど、意外と頑丈なんだ」
「へぇ、そうなんだ?」
朱ちゃんはおもむろに僕の手を自分の膝元に誘導すると、そのままじっと僕の手を見つめたまま動かなくなった。
「朱ちゃん?」
「えっ!? あ、ごめんなさい!」
朱ちゃんは顔を赤らめながら慌てて僕の手を離す。
「や、あの、なんかどこかで見覚えがあるような、無いような……って最近気になってて、どこのメーカーなのかなーとか……えへへ」
照れ隠しの笑みを浮かべながら、足元に置いていたリュックを膝の上に載せて抱え込む仕草をする。その表情は、何かを思い出そうとしているようにも見える。
このブレスレットはメイドイン静だから、他の場所で見覚えがあるというのは考えにくい。
──他の場所……どこかで見覚え?
そこで僕はようやく思い出す。
胡蝶寺の祠の中で、隠世に行くために一度変身を解除し、扉の奥から右手だけを女忍者に差し出したことを。
いや……しかしあそこは蝋燭の明かりだけの暗い場所だった。細かな形までちゃんと確認できたとは思えない。
とりあえず無難に会話を続け、徐々に話をそらしていこう。
「これは知り合いに譲ってもらったものなんだ。だから僕もメーカーとかは知らないんだ」
「もらいものなんだ……。前までは左につけていたのに、新しいのに変えてからなんで右手なのかなーって思って」
なぜ右手につけているのか自分でも深く考えたことが無かった。
というか、考えるまでもないほどに理由は単純だ。
「前にこれをつけていた子が右手につけてたから、そういうものだと思って右につけるようになっただけかな。深い意味は無いよ」
「ふーん……そっか」
朱ちゃんは納得顔になる。そろそろ別の話題を振って完全にこの話は終わらせよう。
「そいや、食べるパフェはもう決めてる?」
「ん? んー……いちごかマンゴーか……まだ天秤が揺れてる!」
「だったら二個食べちゃいなよ。有耶の分だとおもえばもう一個増えても問題ない」
「えっ、いいの! ホントに食べちゃうよ!? 遠慮しないよ??」
「僕は構わないけど、太っても知らないからな」
「その分運動すればいいだけだし、No problem!」
「お腹壊しても責任もたないぞ」
「私のお腹はパフェ専用なのよ? 壊れる訳ないじゃない」
朱ちゃんは笑いながらそんなことを言う。どこのシャ○専用だよ、三倍速く消化でもしてくれるのかよと心の中でつっこみつつ、ブレスレットの事は忘れてくれたようでほっと一安心する僕だった。




