六月⑬ 約束
静に諭され、我勇さんに協力をお願いしてから三日後の日曜日。
即身仏が安置されている祠の中で僕は女忍者と一緒にいる。
女忍者は一瞬だけ目を閉じ、すぐに開いた。
「どうだった?」
僕は問う。
分かっている答をあえて問う。
我勇さんに全てを聞き、その解決方法を間近で見た僕にとって、これはただの確認作業でしかない。
あくまでも女忍者を納得、安心させるための手段にすぎないのだ。
今回の件の解決には、僕のこの非常識ともいえる力は何の役にも立っていない。
力とは対極ともいえる非常に現実的な方法で解決に至った。
とてもあっさりとした、地味な解決。
僕はそれでいいと思うのだ。
静に借りているこの力を使わないといけないような事態なんて、起こらないほうがいいに決まっているのだから。
「静かなものよ。助けを求める声どころか、他の一切の言葉も聞こえない。安定しているというのかしら」
僕の問いに、隠世から戻った女忍者はそう答えた。
「そっか。ということは、うまくいったとみていいのかな」
「そうみたいね……いったい何をしたの?」
「単純なことだよ。即身仏について詳しく説明する広告を作って今日の新聞の朝刊に折り込んだ。ネット上でも有名どころのサイト何箇所かに胡蝶寺のHPに飛ぶ広告を載せた。目的は信仰心の回復と知名度の拡大。それだけだ」
「…………?」
女忍者は首を傾げる。
「即身仏の助けを求める声は、信仰心や記憶の薄れ、関心が別の物に向かうこと等からくる魂の消滅への危惧だったんだ」
「成仏をしたい、ではなく、成仏したくないという声だったと……?」
「うん。だから、ここの即身仏がどういう理由で即身仏になったのか、どんな方法で即身仏になるのか、そういった正しい知識や歴史を紹介する広告を作ったんだ。魂は忘れられることで徐々に小さくなっていき、やがて消滅する。だから、もう一度みんなに思い出してもらうために……ね」
「みんなの記憶というか……知らない人が増えてきたとか、そういうこと?」
「そういうこともあるけど、今回は別のモノに強い関心が集まりすぎてしまったというのが正解かな」
「別のモノってなに?」
「僕だ」
「…………?」
「今回の件は僕の存在に関心が集まりすぎてしまったのが直接の原因なんだ。もちろんそれだけじゃないんだけどね。たとえば六年前にこの街で起きた通り魔事件も関係している」
「六年前……」
僕が間近で見た事実を他人事のように言わないといけない。今の僕は空門刃月ではないのだから。
「その事件の際に、ひとりの女性がマスコミによって沢山の命を救った英雄と祭り上げられた。即身仏は神隠しから人々を守るために犠牲になり、神として崇められた。似て非なるものだが、近い認識のものは、より近い時代のものに強い関心がいってしまう。その際に、即身仏の魂がすこし小さくなってしまった」
「…………」
「そして先日僕の動画が出回った件。六年前と同じ街だ。ひとりの少女を救った、新たな英雄の登場か、本物のヒーローか。そんな話題がネットの影響で一気に世界に広まってしまった。まあ、最大瞬間風速みたいなものだけどね」
「あなたを隠世に連れて行った時に即身仏があなたに敵意を向けたように見えたのは、もしかしてそれが原因?」
「かもしれない。でも、僕の場合は何十人と救うようなものではなかったから、風化するのも早い。放っておいても数週間もすれば即身仏の魂の大きさは元に近い状態に戻ったんだ」
「何もしなくてもよかった……と?」
「うん。でも、もともと信仰心の薄れは危惧としてあって、徐々にではあるけど魂の存在できる時間は確実に短くなっていた。時代の流れみたいなものもあるのだろうけれど、むしろ四百年間もなにもしないでよくもったほうだと思う」
「…………」
「それで、そんな状態を放っておけば、またなにかあった時に今回のような事が起こりかねない。だから、知名度を上げて魂の大きさを四百年前に近い状態に戻してしまおうと思ったんだ。そのために紙媒体とデジタル媒体の二つを使った」
「広告ってそんなすぐに配れるものなんだ?」
「いろいろな所に無理を聞いてもらったんだ。作るのにも時間を要するしね。原稿作りから紙面作成、そして印刷。それらを一日で無理やりしたから大変だった……と思う」
「思うって……他人事みたいね」
「実際、僕はそのへんに関与していないんだ。原稿も即身仏に詳しい人に依頼して、紙面作りも印刷会社にまかせて。僕に出来ることは、出来上がってきたものをチェックするくらいのものだ」
「その格好でデスクワークしている姿はあまり想像したくないわね……。あと、広告作りってけっこうなお金もかかるんじゃないの?」
「まあ……そのへんはコメントを控えさせてくれ」
金銭的なものは胡蝶寺が負担をしたから問題は無いのだけど、そういう話はヒーロー像を壊すから言うなと我勇さんに釘を刺されている。
当然ながら、僕が今説明している事も全て我勇さんからの受け売りなのは言うまでもない。
今の僕は、我勇さんの言葉を再生しているスピーカーにすぎない。
「あと、胡蝶寺の人にも協力してもらって、即身仏を拝観できる日を設けてもらうことになった。道の整備とかをしないといけないから、そのへんはまだ先の話になるけどね」
「あ、そういうの、いいわね。直接見ると、また感じ方も変わるだろうし」
「うん。そう思う。信仰心の無い僕でも、あそこにいると身の引き締まる思いがするしね」
あの場で寝たり、おかしを食べようとしたあのふたりは例外だと信じたい。
「そんなわけで、君はここの心配をする必要はもう無い。代わりになる必要も無い。これでいいんだよね?」
女忍者は小さくうなずき、下を向く。
「なんだか……申し訳ないといいますか……。これって、私が話をややこしくしてしまっただけだよね……」
「気にすることはないよ」
「でも……」
「僕も君も、そしてこのお寺の人もみんな、助けようという共通した想いだった。それぞれが別の捉え方をして、そのせいで君と僕は敵対したりもしたけれど……でもそこにあるのは確かに善意でさ。そういうのは誰も責めやしないさ」
「優しいね……でも、こういう時は責められたほうが楽かも」
「だったら、責めてやろうか?」
僕は少し意地悪気味に言う。
「そ、そう言われると、抵抗があるわね……」
女忍者が一歩後ずさって身構える。
「だろ? だからもうこの件はこれで終わりだ。そもそもの原因というか、責任は僕にあるわけだしね」
「…………」
「結局僕はいろんな人に助けてもらっただけだ。それに、君の話のおかげでもある。自分の無力さを痛感したよ」
「私は……あなたに助けてもらったよ。即身仏を斬ろうとした私を止めてくれた。そして私の命をこの世界に引き止めてくれた」
「…………」
「だから……ありがとう。なにかお返しできる事があったらいいのだけど……」
「その言葉だけ、ありがたく受け取っておくよ」
「そ、それだと、借りが残ったままになっちゃうし……ちゃんと返したい!」
そう言われても、こっちも困ってしまう。べつに貸しだとも思っていないし……。
仕方がない、こういう場合の切り札を使おう。
「だったら、こうしよう。誰か困っている人を見かけたら、僕の代わりにその人を助けてあげてほしい。もちろん、無理の無い範囲でね」
「…………」
女忍者は僕の言葉を聞いた瞬間、固まってしまった。
どうしたのだろうとしばらく様子を窺っていると、少しして口を開く。
「その約束は……出来ないわ」
出来ないならしょうがない。
何か別案を考えようと思案を始めたところで女忍者が言葉を続けた。
「その約束は、もう別の人としているの。だから、あなたとはその約束は出来ない。ごめんなさい」
「別の人……?」
「うん。こんな偶然もあるんだって私もびっくり。プライベートな話だけど、一年ほど前に学校でちょっとした問題を抱え込んじゃって困っていたの。その問題を、まだ喋ったこともなかった同級生の男の子が解決してくれて……。その時になにかお礼をしたいって言ったら、同じような事を言われたの。困っている人がいたら、助けてあげてって」
すごい偶然があるものだ。
この言葉は、僕が昔お世話になった刑事さんに言われた言葉でもある。
「その言葉──約束はその子との大切な……とても大切で、唯一の繋がりだから……」
女忍者は両手を胸の前で握り、照れた口調で言う。
「とても大切……か。もしかして彼氏とか?」
「えっ!? ち、違うわよ! いや、違うというのは、えっと、違うけど、でも、えっと……そうならうれしいんだけど、いや、でもそういうの関心なさそうだし……って、あれ、私何言ってるんだろ……」
女忍者は急に動揺をはじめる。聞いてはいけない事だっただろうか。
「ごめん、余計なこと言ったかもしれない。忘れてくれ」
「あ……う、うん。ありがと。そ、そういうわけだから、その約束は出来ないけれど……その代わりといってはなんだけど、あなたが何か困った時、いつでも声をかけて。いつ、どんな場所にでもすぐに駆けつけるわ。こんなのじゃ駄目かな……?」
「その気持ちだけでも十分にありがたいよ。確かに君なら一瞬で来ることが出来るだろうし、頼もしい限りだ」
「でしょ?」
女忍者は得意げに言うと、ポケットから手帳のようなものを取り出してなにやら書き始める。書き込んだページを破り、折りたたんで僕に手渡した。
「私の携帯番号とアドレス。ついでに名前付き。これで名前の分からない不便さは無くなるはずよ」
「いいのか? 素性は秘密なんじゃないの?」
「恩人に隠すほどの素性なんて私には無いわ」
「そっか。……君がいいのなら、ありがたく頂いておくよ」
「それじゃ、またね。本当に……ありがとう」
そう言うと、女忍者は一瞬で姿を消した。
ひとり取り残された僕は、もらった紙を見つめる。
雑に折りたたまれた紙の隙間から夜という文字が見えた。名前だろうか。どんな名前なのか少し興味が沸き、折りたたまれた紙を開いてみる。
「……え?」
そこに書かれていた名前を見た瞬間、思わず声を出してしまう。
僕は自分の目を信じることができなかった。
何かの間違いだと思いたかった。
なぜなら──そこには見覚えのある名前が書かれていたから。
──夜凪朱姫と。




