六月⑪ 魂の残滓
「憶ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬り行して あさもよし 城上の宮を 常宮と 定め奉りて 神ながら 鎮まり座しぬ しかれども 我が大王の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども──」
「それは……?」
「万葉集、柿本朝臣人麻呂の歌の一節よ。神葬りという言葉がでてきたでしょ?」
「万葉集は知ってるけど、歌までよく覚えてるな」
「小さい頃から頭にたたき込まれて育ったからね」
「それで、その刀と歌にどんな関係があるんだ?」
「神葬り。その言葉だけを見ると、神を葬る的な意味を連想しない?」
「そうだな……違うの?」
「この歌では『死んだ者を神として葬り奉る』という意味で使われているの」
死んだ者を神として……か。それって──
「なにか即身仏の在り方に似てる気がするな」
「そうね。では、なぜこの刀にその名がつけられたのか」
女忍者は一度言葉を切り、手に持っていた刀を背中の鞘に戻す。
「数百年前、私達のご先祖様のひとりが隠世に行く能力に目覚めたの。残っている書物も古すぎて解読が難しくてね。どういう方法でそんな能力を得たのか、そういった詳細は分からないの。分かっていることは、ご先祖様はその能力を忍の道に利用する事を思いついたという事。どこにでも忍び込めるのだから、これほど諜報活動に適した能力も無いじゃない?」
「ふむ……」
「実際、忍の主な役割は暗殺や諜報活動。戦などの表舞台とは無縁だったしね」
「何処にでも忍び込めるから暗殺にもってこい、か」
「誤解されたくないから一応言っておくけど、あくまでもそれは昔の話であって、近年はそんなこと誰もしてないからね」
「それを聞けて安心したよ」
「話を戻すわね。江戸時代末期、その血を色濃く受け継いでいた女性がある日、隠世で泣いている魂と出会ってしまった」
「泣いている?」
「そう。泣いていたの。成仏したい、消えてしまいたいと願う魂に出会ってしまった」
「…………」
「女性はその魂の願いを聞き入れるための方法を探すため旅に出た。鉄砲の産地として有名な国友──今の滋賀県なんだけど、そこでひとりの鍛冶職人に出会ったの。その鍛冶職人は隠世の事を知っていて、魂に直接影響を与える事が出来る刀の製造法も知っていた」
「へぇ……」
「でも、その方法はなかなか教えてもらえなかった。毎日通い、教えを請うた。五年間通い続けたらしいわ」
「それはそれですごい執念だな……」
「うん。さすがに鍛冶職人も根負けしたみたいで、ようやく製造法を教えてもらうことが出来たの」
「それで無事完成したのか」
「私が持っているのだから結果的にはそうなんだけど……ね」
女忍者は微妙に言葉を濁す。
「鍛冶職人がなぜ教えることを拒み続けたのか。それは、製造方法に大きな問題があったからなの」
「問題?」
「そう。刀の製造法……それは隠世に行く事が出来る人間の魂を刃の材料に混ぜるというものだった」
人間の魂を……刃の材料に? 嫌な予感が脳裏をよぎる。
「それって、まさか……」
「そうよ……溶炉の中に飛び込んで自害するというものだった」
「…………」
「当然のことだけど、いろいろと葛藤があったみたいよ。自分が死ねば、誰があの魂を成仏させるのか。ひとつの魂のために死ぬことにどんな意味があるのか。そこまでして成すべき事なのか。家族はどう思うだろうか。そんな葛藤が女性の残した手記に記されていたわ」
「でも……君が持っているその刀がそれだっていうのなら……」
「ええ。魂の成仏は自分の娘に託し、自らは刀の一部となる事を選んだ」
言葉が出てこない。
もし僕がそんな選択を迫られたら、どんな答えを出すだろうか。
「完成した刀は残された家族の元に届けられた。犠牲となった女性の魂を神として葬り奉る、そんな意味を込めて神葬りと名付けられた」
「…………」
「とまあ、そんなわけで神葬りは隠世に直接的な関与ができ、魂を斬ることで消滅させる事が出来るの。その際、魂の残滓が刀に宿る。消滅させた魂の残滓は蓄積され、今では百近くの残滓の依り代となっている。だからここの即身仏の代わりになれるの。この神葬りがあれば可能なのよ」
女忍者は全てを語り終えたようで、口を閉ざす。
静寂の中、僕は頭の中を整理する。
女忍者が今語ったように、即身仏の代わりになることが本当に可能であったとしても、やっぱりそんな方法は駄目だと思う。
刀にまつわる悲劇を繰り返すことになるじゃないか。そんなの……あまりにも悲しすぎる。
解決の糸口を探るために、僕は問う。
「昨日、君は即身仏に斬りかかっていたよね?」
「ええ」
「魂の消滅というのかな……成仏? それって、こっちの世界から斬って効果があるの?」
「魂だけなら隠世で直接斬ればいいのだけど、ここの即身仏みたいにこちら側に繋がりがあるものを正しく成仏させる為には、こちら側から一緒に斬る必要があるの」
「正しくとは?」
「悪霊化させずに、かな。無理矢理生きている状態を再現しているのが即身仏なの。世の理を無視し、法則を歪めている……そんな状態が長く続いている即身仏を先に破壊してしまったら、その魂は急速に理の中に戻されて混乱してしまう」
「…………」
「何が起きたのか理解できないまま歪みを正され、居場所を見失い、自らが何者かも見失う。そして、いずれは悪霊化してしまうの。百もの魂が一斉に堕ちてしまう……もしそんなことになったら、私だけでは処理しきれないわ」
また難しい話になってしまった。頭の中で整理しながら疑問を口にする。
「悪霊ってやつになったら、どうなるんだ?」
「人の悪意や敵意を増強させると言われているの。だから戦争や犯罪が増えるんじゃないかしら」
「なるほどね……」
全部を理解できたかといえば、決してそういう訳ではないが、疑問に思う部分は解消された。
だからといって、解決方法が見つかった訳ではない。今の話になにかヒントになるようなものがあっただろうか。
我勇さんがくれたヒントは先入観。先入観とは、何を指してるのだろう。
「えっと、この件に詳しい人から解決方法に関してヒントてきなものをもらったんだ。それが先入観って言葉なんだけど、なにか心当たりはないかな?」
「いきなり心当たりと言われてもね……そもそもなぜヒントなの?」
「いや、そのへんはいろいろと事情があってね……聞かないでもらえると助かるんだけど」
さすがに金額の問題とは言えない。
「ふーん……。まあ、いいけど。先入観ねぇ……」
女忍者は正座の姿勢のまま腕を組んで考え込む。
先入観。その言葉の意味は──前もって抱いている固定的な観念。それによって思考が妨げられる……。前もって……たとえば、助けて欲しいという願いに対してもつ先入観とはどんなものがあるだろうか。
僕の場合は、単純に誰かからの物理的な攻撃から守って欲しいと認識した。ああいった声が聞こえた時に駆けつけた場合、そのほとんどが暴力に関するものだったから。
「君にも助けを求める声が聞こえたんだよね?」
「ええ。でも……隠世ではよく耳にするけど、現世で聞こえたのは初めてだったわ」
「ここの即身仏の声を聞いた時どう思った?」
「どう、とは?」
「聞いた瞬間、どういう意味の声だと思った?」
「それは……『また』成仏を求めているのかなって。あなたは?」
「怯えていたように感じた。だから、『また』誰かが危害を加えられているのかと思った」
『また』──その言葉自体が先入観そのものではないだろうか。
同じ声に対して、思ったことが全く違う。
僕は暴力的なもの、女忍者は成仏が最初に頭に浮かんだ。
どちらも先入観といえる。どちらかの先入観が間違っているのか、それとも両方……か。
「先入観……ヒントという以上、何かあるのだろうしもう少し考えてはみるけど、あまり期待しないでね」
「助かるよ」
やはりまだ情報が足りない。明日のヒントを待つしかない……か。
「もう一つ、聞いてもいいかな?」
「なに?」
「隠世と現世のリンクについて。あの即身仏はどういう原理で道を塞いでいるんだ?」
「んーと……さっき隠世に行った時、気づかなかった? 即身仏の下あたりに魔法陣みたいな紋様があったと思うんだけど」
魔法陣……? 襲われそうになった記憶しか残っていない。
「分からなかったな。こっちの世界からでも見えるのかな?」
「祠の下だから、潜り込むことができれば見えるかもしれないわね」
「それはそれで大変そうだな……。隠世からなら普通に見えるのか」
「うん。もう一度行ってみる? って思ったけど、さっきの例があるから危険だね。簡単に言うと、この場所に降神の儀で道を作って、そこに人の魂で無理矢理蓋をしている感じかな。道は複数同時に開くことは出来ないの。こちらから別の道をつくらない限りね。だからここで開き続けている道があるかぎり、ふたつの世界のリンクは起こらない」
身振り手振りを交えて説明してくれるが、いまいちピンとこない。
降神の儀──今風に言えば召喚だと、昨日我勇さんが言っていたか。
正直なところ、理屈はよく分からないけど、道をつくって蓋をしているという表現はイメージしやすい。
「道がそうやって蓋をされているというのなら、たとえば死んだ人の魂も隠世に行けなくなるってことはないのか?」
「それは自然の摂理にのっとった自然現象だから問題ないの。あくまでも不自然に、無理矢理通ろうとする事が出来ないだけ」
「なるほど……そういうことか。参考になったよ。ありがとう」
「別に……あなたのためじゃないし、お礼なんて言わないで。あなたの言うとおり……家族と友達を悲しませたくないだけだから」
照れくさそうに横を向く仕草が子供じみて見えた。意外と近い年齢なのかもしれない。
「それじゃあ、またなにか分かったら連絡するよ」
「うん」
「あっ、そうだ。今の話は誰にも言わないほうがいいのかな? 瞬間移動の事とか」
今日は静に相談してみようと思っているから、そのための確認だ。我勇さんはすでに知ってそうだけど。
「あなたが信頼できると思える人になら、かまわないわ。あくまでも、その情報が必要ならの話だけど」
「そっか。分かった」
「……それじゃ、さようなら」
女忍者は立ち上がると、すぐに姿を消した。
僕は我勇さんに話し合いが終わったことを連絡し、入れ替わる形で祠をあとにした。
次に向かう場所は静の家だ。