六月⑧ 依頼
時刻は夜の十一時前。
僕は今、我勇さんの事務所で正座をしている。
目の前には足を組んでソファーに座る我勇さん。
「ふむ。なるほどなるほど」
約二十分ほどをかけてお寺での出来事を話し終えたところだった。
「事情は分かった。だが、勝手に持ち場を離れた件は報酬面で責任をとってもらうぞ」
「はい」
「これは仕事なんだ。ビジネスだ。お前が今までしてきた正義ごっこじゃねぇんだ。対価をもらう、金をもらうってのがどういうことか、よーく考えるんだな」
「はい……」
正直なところ、もっと怒られるかと思っていたけれど、諭される形で締めくくられた。余計に申し訳ない気持ちになる。
「それで? 大見得切ったエッジ君は、どうしたいのかな?」
我勇さんは茶化すように笑みを浮かべ、僕に問いかける。
「僕から……依頼をしてもいいですか?」
「ほう。どんな依頼かな?」
「誰も犠牲にならずに済む方法を教えて下さい」
「そんな都合の良いもんがあるかよ」
あっさりと拒否されてしまった。あのー……ここって最後にすがる場所なんじゃ……。
「なーんて、な。まあ金次第だ」
「お金、ですか……」
「全てを俺に丸投げするなら、相応の対価を払え。慈善事業じゃねぇんだからよ。ある程度のヒントだけで、あとは自分でなんとかするってのならそこそこ安くしてやる。どっちがいい?」
「それって、解決方法があるってことですか?」
「今の話を聞くに、おそらくこれだろうなって目星程度だがな」
「……では参考までに、丸投げした時の金額を教えてもらえますか?」
「三億ってところかな。人間一人の命と、百人ほどの魂がかかっているんだ、これでも安いほうだ」
ああ、やっぱりそういう金額か……。
相場とかはよく分からないけど、無理な数字だろうなという予想はしていただけに、落胆はない。
「では、ヒントならどれくらいですか?」
「そうだなぁ……七百万くらいか」
コスチュームのデザイン料と合わせて一千万の借金になるのか……。しかし、三億という数字よりかはまだ現実味がある。
「あの、それも仕事で払うというのは可能ですか?」
「ああ、いいぜ」
「では、早速教えて下さい」
「そう慌てんな。目星だって言ったろうが。現段階ではいくつかの可能性というか、心当たりがあるってだけだ。その辺を整理して明確な答えにする必要がある。一日くらいは俺にも時間をよこせ」
それでも一日でいいというのは、何から手を付けて良いのかすら分かっていない僕からすれば驚愕ものだ。
我勇さんが上を向きながら、誰に言うでもなくつぶやく。
「しかし……なるほどな。これは意外な収穫だ。くノ一……しかも神葬りを持っているとなると、あの家系……。だが本家は……声が届く距離とは思えない。となると、考えられるのは……それなら対話も可能……一方からしか物事を見ることが出来ないってのは若さか。しかし、おかげで答えが見えてきたな……くっくっく」
最後の笑いが何かを企んでそうでなんだか怖い。
「もう足崩していいぞ。ああ、そういや、件のくノ一からメール来てたぜ。返信でもしてやりな」
我勇さんがおもむろに携帯を放り投げる。僕はあわてて立ち上がり、携帯を受け取った。スーツなしの正座のせいで足が痺れて痛い。
「この携帯、我勇さんのですか?」
「お前用に新しく契約したやつだ。仕事に関して何かあったら今度からそれを使え」
「ありがとうございます!」
人の好意は素直に受けるのが信条の僕は、遠慮などせず頭を下げてお礼を述べる。
さっそく携帯を見てみると、見慣れないアイコンがひとつあった。起動させてみると、どうやらそれはラストリゾートのサイトに直接アクセスできるアプリのようだ。
「サイトの情報とか、僕が見てもいいんですか?」
「当面はお前もラストリゾートの一部なんだ。遠慮なく見ろ」
当面というのは、借金返済が済むまでということだろうか。
サイトのメール一覧を見ると、未読のメールが一件あった。
差出人欄に「神葬り」と書かれている。なるほど、神葬りというのはこういう字を書くのか。
『さきほどの件、取り急ぎメールを送らせていただきます。』
メール本文にはそれだけが書かれていた。さて、これにどんな返事をすればいいのか考える。最近もこんな事を経験したような。しかし、今回は相手の素性が全く分からないから余計に難易度が高い。
しばらく悩んでいると、我勇さんが痺れを切らす。
「そんな悩むことかよ……? いいや、先に授業始めるぞ」
授業? 授業とはなんの事だろう。
「立ち話もあれだ、適当に座れ」
促されるまま我勇さんの斜め向かいのソファーの角に座る。
「ヒントの前に、もう少し基本的な知識がいるかと思ってな。いろいろと補足してやる」
なるほど、そういう授業か。
「助かります。あ、そのまえに先にひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「さっき我勇さんも言ってましたが、女性の忍者をよく『くノ一』って言いますよね? それってどういう意味なんでしょうか?」
「そんなことも知らないのかよ……」
我勇さんはこめかみに手をあて、あきれ果てる。そんな常識的な事だったのか……。
「まずは頭の中でひらがなの『く』を書いてみろ。次にカタカナの『ノ』を重ねるように書く。最後に漢数字の『一』を重ねてみろ」
言われるまま、空を指でなぞっていく。
ひらがなの『く』に『ノ』を重ね、最後に漢数字の『一』っと……。
「あ……」
なぞなぞでも解けたような感覚を味わい、思わず声が出てしまった。
「『女』って漢字になるんですね!?」
「ま、言葉遊びだがな。実際にそう呼ばれていたかどうかは怪しいもんだ」
「なるほど。スッキリしました」
「そうかい。その調子でどんどん情報を頭にたたき込めよ。まずは隠世の事をもう少し詳しく教えてやる」
「はい」
「現世との違いのひとつは、肉体という概念が無いという事だ。現世、俺たちが今いるこの世界において人は魂の入れ物である肉体を失うと死んだとみなされる。魂は隠世に残り、やがて消滅する。その消滅のスピードは様々だ。たとえばアインシュタイン、ナポレオン、徳川家康など歴史にその名を残すような人物は魂が大きくなり、なかなか消滅しない。逆に言えば、ごく一般的な人生を歩んだ無名の人間の魂はすぐに消滅する。これがいわゆる成仏ってやつだ」
いきなりの宗教的な話で理解できない状況になってしまったが、とりあえず最後まで聞こう。
「成仏の先がどうなっているのかは知らない。新しい命として生まれるという輪廻転生説もあれば、無になるという説もある。そこいらは証明のしようが無いからなぁ」
「…………」
「要は、人間は本来死ぬことでしか隠世に行く方法がないってことだ。例外を除いて、な」
「例外があるんですか?」
「ある。お前が会ったくノ一がそうだ。彼女は肉体ごと隠世に行くことが出来る、希少な血を受け継いでいる」
まるで知人のことを話すかのように女忍者の事を語る我勇さん。
「だから自分が即身仏の代わりになるというのは、あながち嘘ってわけじゃないのさ。神葬りもあるなら、なおさらだ」
「あの刀に何か秘密でもあるのですか?」
「そのへんは明日にでも彼女に直接会って聞いてみな」
「会って、ですか……」
「せっかくだから親睦を深めてこい」
我勇さんは笑みを浮かべながら言う。
「次だ。もうひとつ大きな違いがある。それは、時間の概念がないってことだ」
「肉体の概念がなく、時間の概念もない……ですか」
「そうだ。厳密に言えば、自らは時間という概念を持たず、こちらの世界の時間に合わせている、というべきか」
「すみません、やっぱりよく分かりません……」
「そのへんも明日聞いてこい。直に見ないと理解できないだろうからな」
「はあ……」
「では、隠世という世界は何のためにあるのか。簡単にいえば、神が住む場所だ」
「僕は神とかそういったものは信じてないんですが……」
「信じる信じないは個人の価値観の問題だし、押しつけるつもりもない。神という存在を信じたくないというお前の気持ちも理解できるしな。神様なんてものが本当にいるのなら、善人が死ぬはずないものな」
「…………」
「なんなら似た名前に言い換えてやろうか? たとえば──」
我勇さんはそこでいったん言葉を切り、意味深な笑みを浮かべて言う。
「──悪魔、とでも呼ぼうか」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか静の顔が脳裏をよぎった。静の願いは確か──悪魔を殺してほしい、ではなかったか。
「ククッ。まあ、名前なんざどうでもいいさ。重要なのはそこじゃない。とりあえず人間以外の奴が住む場所って認識していればいい」
「……はい」
「次に、神隠しだ。これも前に言ったな。神による誘拐。人を神に作り替える儀式。満月もしくは新月の夜、隠世と現世がひとつになる。世界の時間は停止し、奴等だけが動き回ることができる世界になる。そりゃあ誘拐もし放題だわな。胡蝶寺の僧侶はそれを阻止するために自らが道を塞ぐ大岩となった」
「その道っていうのは実際に一本の道みたいな物なのですか?」
「いや。あの寺を中心に、世界全てを覆う壁みたいなものだな。二つの世界のリンク自体を起こらなくしたんだ。ま、そのへんもよく分からないだろうから、以下略だ」
女忍者に直接聞け、ということのようだ。女忍者は我勇さん以上に詳しい専門家か何かなのだろうか?
「とにかく、四百年前からこの世界は隠世から切り離された状態になった。だが、隠世にいる奴等と干渉できないのかと言われればそうでもない。こちら側から呼ぶ方法があるからだ」
「呼ぶ方法?」
「ああ。それが降神の儀だ」
初めて聞く言葉だ。折り紙……では無いだろうな。
「降りる神と書いて降神。今風に言えば召喚だな」
「…………」
「生け贄って言葉くらいは聞いたことがあるだろ?」
「はい」
「さっき言ったように、隠世にいる奴等には肉体が無い。だから世界がリンクする満月新月時しか現世で実体化する事は出来ず、自由に活動することも出来なかった。しかも四百年前からは、即身仏によって道を塞がれたことで満月新月時も奴等はこちら側に干渉することも出来なくなった。だから奴等をこちら側に呼び出すには、特別な道を作り、入れ物となる肉体を用意しないといけない。生け贄を捧げるというのはそのへんから来ているわけさ」
「生け贄、ですか。物騒な言葉ですね……」
「なーに、人間を生け贄にする必要はない。血肉のあるものならなんでもいいのさ。死んだ鳥や豚、牛でもいい。魚は知らん」
「その生け贄はどうなるのですか?」
「なかなかにグロい光景を見ることができるぜ。動物の死体が人の形を模した何かに変わっていくんだからな」
一瞬だけ想像を試みたが、気分が悪くなったのですぐに止めた。
「とまあ、基礎知識はそのくらいか。その辺を知っていれば、彼女ともう少し真っ当な会話が出来るんじゃないか」
どうやら難解な授業は終了したようだ。内容はあとで整理するとして、別の疑問が沸いてくる。
「あの、なぜそんなにも僕に彼女と話をさせたいのですか?」
「自分で考えるんだろ? 答えじゃなくヒントでいいんだろ? だったら詳しい奴と話し合い、相談するしかねぇだろ。それとも、お前には他にアテがあるのか? 一人で答えを導き出せるのか?」
「それは……」
分からない。分からないから二人で答えを見つけろということか。
「明日以降、寺には行かなくていい。そっちは俺とシキナだけで面倒見るから好きなだけ調べる事に時間を使え」
「え、でも原因が分かったのならもう護衛は必要ないんじゃ……」
「ポーズだよ、ポーズ」
「ポーズ?」
「寺に対する仕事してますアピールだ」
我勇さんはそう言いながら笑う。
「明日から一日一回、ヒントをメールで送ってやる。せいぜいがんばりな」
そう言うと、我勇さんは奥の部屋に消えていった。
広いリビングにひとり取り残された僕は、我勇さんの話を整理する。理解できる事、理解できない事……そして理解したくない事。いろいろだ。
神葬りという名前を思い出したところで女忍者にメールの返事をしていないことを思い出した。会うという目的が出来た今、悩むことなく神葬り宛にメールを送信することができた。