六月⑦ ラストリゾートのエッジだ!
先に外に出ることを約束した僕は、祠から少し離れた敷地内にある駐車場で女忍者が来るのを待っていた。
頭に入れた地図をもとに熟慮した結果、この時間に人気が無く、もし仮に戦闘になったとしても被害を最小限に抑えるのに最適な場所は駐車場だと判断した。
駐車場にとまっている数台の車なら弁償することも出来るが(僕の借金は増えてしまうが)、古い建物や歴史的建造物はお金の問題では済みそうにないという単純な理由だ。
「おまたせ」
祠の中と同じように、なんの気配もなく背後から突然声をかけられた。駐車場に着いて一分も経過していない。僕は塀を飛び越えるなどのショートカットをしてここに来た。普通に歩いてくれば二、三分はかかりそうなものだから不思議で仕方がない。
照明のおかげで、先ほどよりも細部までその容姿を確認することができる。胸元に鎖帷子のような網目が見える。手甲や装飾の施された脚絆を着け、僕以上に本格的な忍者コスプレが様になっている。
しかも、僕が手に持っている刀──かむはぶりと言ったか──この刃は本物だった。ここに来る途中にあった葉っぱを試しに一枚切ってみたが、それはそれは見事な切れ味だった。もしスーツを着ずに掴んでいたらと思うと、ぞっとする。
シキナが来るまであと二十分弱。それまでに終わらせたい。持ち場を離れた事がばれたら──怒られるだけじゃ済まなそうだ。
「一応確認だけど、即身仏には手を出していないよね?」
「ええ。証明できるものはないけれど、見てくる?」
祠内でのやり取りだけではあったが、悪い人間ではないと思った。信じても大丈夫だと思えた。なぜそう思えたのか自分でも正直なところ分からない。そんな根拠のない直感で仕事をしてはいけないと分かってはいても、やっぱり大事なところでは自分自身の感覚を、直感を信じたい。そして自分が信じると決めた以上、その相手を最後まで信じたい。
「わかった。信じるよ。さっそく本題に入ってもいいかな?」
「……どうぞ」
「まず、君は何者だ?」
「話はするけれど、全てを話すとは言ってないわよ。あなたも正体を隠しているように、こちらも明かせない事情があるわ」
「いや、別に名前を教えろとかそういう話じゃない。その、なんていうか……君は忍者とか、そういうのなのかい?」
個人的な感覚ではあるが、この現代社会において忍者であるかどうかを確認するという行為には少し抵抗がある。しかし、どう見てもそれ以外に見えないから困る。だからそこをはっきりさせておきたかった。
「否定はしないわ。忍の家系であることは間違いないしね」
そのへんの事を隠したいのなら、こんなあからさまな格好なんてしないか。僕は次の質問を投げかける。
「さっき、君は即身仏を成仏させるために来たと言ったよね? それは、君とどんな関係がある?」
「どんな関係……?」
「あー……変な聞き方だったか。なぜ君が成仏をさせに来たのかってこと。なにか使命的なものでもあるのかい?」
「そうね。代々受け継がれてきた役目のひとつ、かしらね」
「その役目というのは具体的にどういうもの?」
「成仏しきれず土地に縛られている魂を救済する、それが私達の役目」
「それは具体的にどうやってするんだ?」
「……秘密」
言える範囲はここまで……か。
「こちらも聞いて良いかしら?」
「ああ」
「あそこにいた理由。お仕事? それとも、個人的な理由?」
微妙に答えにくい質問をされてしまった。ラストリゾートのことを伏せておくべきかどうかが悩ましい。
「数日前、声が聞こえたんだ。助けてって。このお寺の人も同じ声を聞いたらしくて、警護することになった」
嘘にならない範囲で細部を隠して言ってみた。詳細は聞かれた時に改めて答えればいい。
「私以外にも隠世の声が聞こえる人がいるなんてね……驚きだわ。即身仏に危害を加えようとする私から守ってほしい──そういう意味だったと、あなたは理解したわけね?」
「実際に危害を加えようとしたじゃないか」
「助けようとしただけよ」
悪びれることもなく言う。殺る気まんまんだったじゃないか。
「なぜそれが助けになるんだ?」
「あなたは即身仏になる方法を知っている?」
質問に質問で返すなと言っていたくせに、自分もしているじゃないか。理不尽さを感じつつも、正直に答える。
「詳しくは……知らない」
「では、即身仏になったあとでもいいわ……同じ場所で四百年以上、ただ居続けるだけの苦しみを想像できる? 何もない、なにもできない。ただそこに在るだけ。それがこれからもずっと続いていく。永遠に──」
四百年以上あの場所に……か。五時間ほどあの場所にいるだけで精神的な疲労を感じる僕だ。四百年という長い年月に耐えられるとは到底思えない。正気でいられる気がしない。
正気でいられなくなったら……どうする? 救いを求める……か? 誰に?
「耐えられなくなったから、助けを求めてきたというのか?」
「そう。その苦しみを理解できれば、分かるはずよ」
「理解はできないけど、苦しみというか、辛さみたいなものはなんとなく分かる。ただ……僕が聞いた話だと、神隠しを無くすために自ら即身仏になったはずだ。他人のためにそこまで出来る人が、音を上げるものだろうか……って疑問に思ったんだ」
「それなら、他にどんな意味のある助けの声だというの?」
「それは……」
意味。助けを求める意味、意図とは何か。
神隠しがどういうものか詳しくは知らないけれど、神による誘拐みたいなものだと我勇さんは言っていた。当時の僧侶が嘆き悲しみ、阻止するために自らの命を差し出した。そこまでの覚悟をもった人がギブアップするものだろうか?
とはいえ、四百年もすれば心変わりしてもおかしくはない……か?
んー……どうにも腑に落ちない
「君が今日来た事が無関係だという確証はあるかい? 君が即身仏に危害を加えようとした事実は変わらないだろ? もし君が来なければ、あの声は発せられなかった……かもしれない」
「残念。いくら隠世に在る魂といっても、未来に起こりうる事態に対して助けを求めるなんて事はありえないわ」
ああ……未来予測とかそういう話になってしまうのか。
未来に起こりうる危機への救助要請……それは確かに難しそうだ。
しかし、今現在起こっている事に対しての救助要請というのであれば、女忍者の言う事はまだ納得出来る。
「少し質問を変える。祠の中で言っていた、即身仏の代わりになるってのはどういう意味なんだ?」
「そのままの意味よ。即身仏の魂が成仏して消滅すれば閉じていた道が開いてしまう。神隠しを防ぐためには、誰かが代わりに道を塞ぐための魂だけの存在になる必要がある。だから私がその役目を引き継ぐと言っているの。それなら問題ないでしょう?」
「修行とかしなくても道の番人になれるとかも言ってたっけ。しかし、ここの即身仏は百人規模の魂の集合体だと聞いた。君一人でその代わりになれると?」
「なれるわ」
「でもそれって、君はこの世界からいなくなる──あの即身仏のように、この世界では死に等しい状態になるって事じゃないのか?」
「……それが何か問題でも?」
やはりそういうことか。誰かが犠牲になる──
「問題だ。そんなの駄目だ」
僕の即答に、女忍者は首を傾げる。
「なにが駄目なのよ」
「誰かが犠牲になるとか、そんなのは駄目だって言ってるんだ」
「…………」
しばしの静寂が駐車場に訪れる。
僕の言葉の真意でも測っているのだろうか。
僕は僕で、考える。
否定するのは簡単だ。無責任に駄目だと言うだけなのだから。
しかし、否定するならば代替案が必要だ。否定だけじゃなにも解決しない。
道を塞ぐ方法は他に無いのだろうか。これだけ科学が発展しても、四百年前の出来事を解決できないのか。静が作ったこの力では、何も解決できないのだろうか。
セメントで道を塞ぐとか?
祠ごと破壊するとかは?
自分の考えの浅さに嫌気が差す。
どれだけ強い力を得ても、神隠しだの隠世だの、そういったオカルトの類にはあまりにも無力で、知識が圧倒的に足りない。こんな状態で静の言う悪魔に勝てるのだろうか。悪魔なんて、オカルトの最たる物じゃないのか。
「話にならないわね。綺麗事はたくさん。他に方法なんて無いのよ」
沈黙を破ったのは女忍者のほうだった。他の方法を思いつけなかった僕にとっては最後通告に等しい。
本当に女忍者が犠牲になるしか即身仏を救う術はないのか?
誰かが犠牲になるなんて……誰かの犠牲で助かったって、そんなの素直に喜べるはずがない。僕は母に生きていてほしかった。英雄になるのではなく──立ち向かうのではなく……一緒に逃げてほしかった。あんな悲しい思いは──僕だけでたくさんだ。
それなのに、僕はまた何も出来ず、ただ見てるだけで終わるのか?
本当にどうしようもないのか?
どうしようもない──どうしようもなくなった人間が最後にすがる場所。我勇さんの言葉を思い出す。
あるじゃないか。そんな場所が。その場所を僕は知っている。なにより、今は僕自身がその場所の一部だ。
「時間がほしい」
僕は言った。往生際が悪いと言われようと、出来る事がまだあるのならあきらめない。最後にすがる場所がある以上、あきらめるものか。
「一週間……一週間だけ待ってくれないか」
「…………」
「僕には四百年という時間がどれほどのものか、はっきりとはイメージできない。だから考え無しに、失礼を承知で無責任に言う。あの即身仏は四百年も道を塞いでくれていたんだろ? だったら、あと一週間だけがんばってもらおう。その間に、僕がなんとかする。だから、一週間だけ猶予がほしい」
「……待っても駄目だったら?」
「その時に考える」
「…………」
女忍者はあきれたといわんばかりに首を振る。
「さっき初めて会ったばかりよね? なぜそんな私の事まで面倒みたがるの? 私がこの世界からいなくなったくらいで、あなたは何も困らないでしょ? あなたの周りは何も変わらないわよね?」
「確かに変わらないし困らない。でも、君の友達とか家族とか……そういう人達は困るし、悲しむはずだ」
「…………」
女忍者は突然肩を震わせ、息を大きく吸い込む。そして貯め込んだ言葉を全身で吐き出して僕にぶつける。
「知った風なこと言わないで! 私が……どれだけの覚悟でここに来たかも知らないくせに! そんなの、言われなくても分かっているわよ! 分かったうえで……悩み抜いた上で、私は決めたのよ! 平気な訳ないじゃない!! でも……他に方法が無いんだから、仕方ないじゃない……!」
自らの肩を抱き、最後は嗚咽混じりに叫ぶ。微かに見える目元から、光るものが見えた。
ようやく女忍者の本当の声を聞くことが出来た気がした。
その激しい言霊に、僕は自らがすべきことを確信する。
今がもし満月か新月であったなら、僕はあの声が聞こえたはずだ。
助けて──と。
だから僕は高らかに宣言する。
全力でヒーローを演じるために。
「まだ諦めるな! 僕は最後の手段として存在するラストリゾートのエッジだ!」
何も確信がある訳じゃない。それでも、助けを求める者がいるかぎり、絶対にあきらめない。
「そんな僕を通さず勝手に終わるなんて、許さない!」
あきらめたら、そこで終わってしまうんだ。死んでもあきらめてやるものか。僕の命でよければいくらでもくれてやる。
「僕に任せて。絶対に君を救う。即身仏も救ってみせる。だから、一週間だけ……あと少しだけ、即身仏にはがんばってもらおう」
最後は、出来る限りの優しい声で諭す。
「…………」
再び訪れる静寂。女忍者が落ち着くのを無言のまま待つ。数分後、僕は女忍者に歩み寄って手に持っていた刀を差し出す。
「返すよ。疑って悪かったね」
女忍者は無言で受け取り、慣れた手つきで背中の鞘に戻しながら言う。
「一週間たって、結局駄目でしたってなったら、また私は覚悟を新たにしないといけない。二度もこんな思いはしたくない……」
「うん。だから僕を信じて。絶対になんとかする。約束だ」
フードの奥の瞳が僕の真意を探るように見上げる。
少しの沈黙のあと、女忍者が口を開く。
「わかった……」
もっと抵抗されるかと思っていたけれど、意外とあっさり僕の言葉を聞き入れてくれた。
女忍者は目をそむけるように俯き、つぶやく。
「そっか……ラストリゾートってそっちの意味だったんだ」
「そっちの意味って?」
「たいていの人は『最後の行楽地』って直訳気味に思うものじゃない?」
「ああ……まあ、そうかな。君は知っていたの?」
「最終手段とか切り札的な意味があるのは知っていたわ。でもそういう意味で使っていたとは思わなかった」
「僕は英語が苦手だから、教えてもらうまでは知らなかったよ」
「ふふっ」
「…………?」
「さっきの言葉。ちょっとだけ格好よかったよ。心に響いた。信じてもいいんだって思えた。友達でもないのにこんな風に思えたの、あなたで二人目だわ」
「二人目とは光栄だ」
あれだけがんばって格好つけて言ったのに、ちょっとだけしか格好いいと思ってもらえなかったことが少し残念だ。もっと精進しよう。
さて、落ち着いたようだし、今後の連絡の仕方とかを相談しよう、そう思った時だった。ズボンのポケットに入っている携帯が振動で着信を知らせてくる。変身を解除しないと誰からのコールなのか分からないが、これは間違いなくシキナからのものだろう。ブレスレットを見ると丁度十時になったところだった。
タイムオーバーである。
「どうしたの? 急にそわそわして」
「い、いや、なんでもない」
そう言いつつも、動揺を隠しきれない僕であった。連絡手段とかをゆっくり話す暇もなくなってしまった。
「君の名前や連絡先は教えてもらえないかな?」
「ごめんなさい……教えることは出来ないわ」
顔を隠しているということは、向こうにも僕と同じような事情があるのだろう。
「僕のこと、知ってたよね? 使い捨てのメアドでもいいから作ってホームページからエッジ宛にメールを送っておいてくれないか? 何か聞きたいことがでてきた時用に知っておきたい」
「それはいいけど……名前を伏せている状況で私だと分かる方法ある? 詳細書けばいいのかな」
名前が分からないというのは、こんなにも不便なものか。なんと呼べばいいのかも分からないし。しょうがない、なにか暗号的なものを名前にしてもらうか。
「君の刀──かむはぶり、だっけ。その名前で送信してくれないかな?」
「ん……、わかった」
「それじゃあ、ちょっと怒られてくる」
「…………?」
それだけを言うと僕は一目散に祠に向かった。ワンコールから少し後、携帯がずっと震えっぱなしだ。
「今向かってますって!」
変身を解除しないと電話を取り出せない不便さを痛感し、ミニポーチでも買うべきか思案しながら祠に急いだ。




