六月⑤ 人間じゃないの
我勇さんの後を追い、寺務所を出てから裏の細道を通って墓地に入る。
場所が場所だけに、エッジの姿でこういう場所を歩くというのは、なにか罰当たり的な負い目を感じてしまう。誰ともすれ違わなかったのがせめてもの救いだろうか。
墓地を黙々と進み、突き当たりにあった階段を登ると大きな祠があった。我勇さんは入口を塞いでいる木の柵を持ち上げ、通れるようにしてくれた。
「先に入れ」
「……はい」
言われるまま、木造の祠の中に入る。狭い廊下は蝋燭が明かりを灯しているのみで、まだ日は昇っている時間なのに薄暗い。木の軋む音を鳴らしながら奥に進むと、左手に扉が見えた。他に道がある訳でもないので、今にも壊れてしまいそうな扉を慎重にスライドさせて開ける。
中は十畳ほどの広さで、中央には正座して目を閉じている女性がひとりいた。女性の向かいに目を向けると、金と赤の綺麗な法衣を纏った即身仏が一体鎮座していた。
初めて間近で見る本物のミイラというものに僕は少し怖じ気づく。失礼を承知のうえで正直な感想を述べるならば、不気味で薄気味悪いという以外に言葉が出てこない。即身仏なんていうちょっと神秘的な名前をつけられてはいても、法衣から覗くその顔は骸骨そのものだ。不気味に思わないほうがおかしいだろと思ってしまう。
そして、そんな率直な感想を気軽に口にできない場の雰囲気が、さらに僕の心を恐怖心で埋め尽くす。蝋燭数本だけの灯りしかないのも不気味さを増す要因だろうか。
そんな雰囲気に飲まれてしまっている僕とは対照的に、背後から我勇さんが陽気な声をあげる。それは僕に向けた言葉ではなかった。
「急に呼び出してすまなかったな、かすみ。助かったよ」
中央に座るツインテールの女性が目を開き、僕達の方に顔を向ける。
「いえ。ナナ様のお役に立てて光栄ですわ」
微かな灯りの中で見える女性の表情は、満面の笑みをたたえていた。
というか。
ナナ様?
「シキナの起きる夜まで待ってもよかったんだがな。ま、見ての通り、まだ夕方だってのにうちの新入りはこのビビりようだ。来てもらって正解だった」
「その子が今噂のエッジ君ですね?」
女性が突然僕に視線を向ける。目があった瞬間、突然脳が警戒を発する。即身仏とはまた違う種類の恐怖が僕の全身を一瞬震わせた。
「フフッ。いい感性をもっているわね。ちゃんと殺気を恐怖として感じ取っている」
「試すのはいいが、中身の詮索はしないでくれよ」
「はい」
「とりあえず説明は一通り済んだ。こっからは俺とこいつで引き継ぐ。今回の報酬は……希望が無ければ適当に金を振り込んでおくが」
「報酬はなんでもいいのですか?」
「ああ」
「じゃあ……今度デートしてください!」
「そんなんでいいのか? 兄が怒るぞ?」
「もうシスコンにはうんざりです」
「はははっ、そうかい。わかった、報酬はデート一回な」
交渉が成立したのか、かすみと呼ばれた女性と我勇さんの会話が終わり、女性が立ち上がる。ビジネススーツに身を包んでいるその女性は、優雅な足取りで僕達の方に歩み寄る。
「どいてくださる? そこからしか出入り出来ないの」
「あっ……すみません!」
あわてて道を開ける。
すれ違う瞬間、微かに香水の香りがした。大人の女性らしさを感じて一瞬ドキッとする。
女性が立ち去ったあともしばらく立ち尽くしていると、我勇さんが口を開いた。
「古い知り合いでな。お前への説明時にここがお留守になっちまうから、少しばかり手伝ってもらった」
「知り合い……ですか」
「ククッ、あいつも俺並みに強いぞ」
「……そんな気はしました」
静に貸してもらっているこのスーツの力で、最強の人間にでもなった気でいたが、井の中の蛙だと思い知らされる。ほんと、この人の周りはどうなっているんだろう。類は友を呼ぶというやつだろうか。スーツの力のおかげでその流れに僕も混ざることができたのかもしれないが……素直には喜べない。
今は無理だと分かっているけれど、いつかスーツに頼らない素の自分で同じ土俵に立ってみたいものだと思う。
「さあて、それじゃあ仕事を始めるか。護衛対象をしっかり目に焼き付けろ。ガキじゃねぇんだからこの程度でびびんな」
当然のように見透かされている。
信仰心といったものは持ち合わせていないけれど、無意識に畏まってしまう。我勇さんの話を聞いたせいもあるのかもしれない。魂は生きている──そんな話を聞かされれば、怖じ気づきもする。なにより、僕自身が声を聞いたのだから、否定も出来ない。
僕はさっきまで女性が座っていた場所に行き、手に持っていたリュックを下に置いて、改めて真正面から壇上の即身仏を直視する。
「座ってていいぜ。いつ、なにが来るかも分からないんだ。気長に待とうぜ」
そう言うと我勇さんは部屋の隅のほうで寝転がってしまった。
「寝るのはさすがにまずくないですか……」
「誰も来やしないよ。壊そうと思っている奴以外は、な」
「いや、でも……」
「罰なんて迷信を信じてるのか? こっちの世界じゃただの抜け殻だ」
割り切り方が桁違いだ。とても真似は出来ない。
僕は背筋を伸ばし、即身仏の真正面で正座する。何が来ても即座に反応できるように、意識を研ぎ澄ます。
「言い忘れていた。シフトな。俺は朝四時から夕方五時まで。五時から十時までがお前だ。十時から朝四時までシキナ。五時間ずっとその調子じゃあ、いざって時に動けないぞ」
「…………」
「交代の時間になったらシキナから携帯に連絡がくる。それまでに何かくればそれは敵だ」
「はい」
「それじゃあ後はまかせた。俺は寝る。何かあった時だけ起こせ」
我勇さんはそう宣言すると、一分もしないうちに寝息が聞こえてきた。こんな所ですぐに眠れるとか、どんな強心臓なんだ。
眠いのなら家に戻ればいいのに、わざわざこんな場所で寝るというのは、なんだかんだ言って初仕事の僕をフォローしてくれているのかもしれない。嘘寝だと思っておこう。
とはいえ、頼ってばかりもいられないので、仕事に集中する。
我勇さんの強心臓を目の当たりにしたことや時間の経過のせいか、さっきまでの恐怖心はいつのまにか感じなくなっていた。あっさりと順応してしまっている自分に少し驚く。
多少残る負い目としては、エッジの格好のまま正座という妙な絵面になってしまっていることだが、こればかりは勘弁してもらいたい。
対面に座ってからは特に何事もなく、時間だけが刻々と過ぎていく。
いつ、誰が来るのかも分からない、ただ漠然とした「敵」を警戒し続けるというのは、想像していたよりも精神的にきつかった。もし、気のゆるんだ一瞬を狙われたら──そう思うと、少しのよそ見も出来ない。
いざって時に動けないぞ──そんな我勇さんの言葉が身に染みる。
今何時か確認するために右手のブレスレットに一瞬だけ目を向ける。まだ一時間しか経過していない。あまりの時間経過の遅さに、見るんじゃなかったと少し後悔した。シキナさんからの連絡が来るまでは、もう時間の確認はしないでおこうと心の中で誓う。
「せめて足だけでも崩せ。そんな気張ったって何も良いことなんざねぇよ。肩の力も抜いてよ、少しはリラックスしろ。スーツは集中力までは補ってくれないんだぞ」
突然の声に驚き、思わず後ろを振り返る。我勇さんがいたのを完全に忘れていた。
「でも……」
「…………」
再び規則正しい寝息が聞こえてくる。寝言だったのかと疑いたくなる。
そうだ。今日は我勇さんがいるんだ。今日のうちに集中力とかのペース配分を理解しなくちゃいけない。明日からは一人なのだから。
僕は一度立ち上がり、即身仏に軽く頭を下げた後に軽くストレッチをする。
体を動かすのがこんなにも気持ちの良いものだとは思わなかった。精神と共に、体にもかなりの緊張を強いていたようだ。
今度は我勇さんのほうに一礼し、再び座る。今度は正座をしない。
その後の数時間は、不思議なほどに早く感じた。我勇さんの携帯から音楽が流れるのとほぼ同時くらいに扉が開き、シキナさんが現れる。
「おいすー! 元気してた?」
場所を全く考慮しない、いきなりのハイテンションに僕はドン引きしつつ、無難に「こんばんは」とだけ返した。
背後の我勇さんが起き上がり、出入り口の方に歩きながら眠そうな声で僕に言う。
「エッジ、明日ここに来たら今みたいに俺の携帯にワンコールだけして入ってこい。帰りは事務所に寄る必要無いから直接帰れ。あと、敷地内のマップを頭に入れとけ。以上だ。おつかれ」
我勇さんはシキナさんの隣を通り過ぎる一瞬、シキナさんの頭を軽く撫でてから部屋を出て行った。子供扱いされたのが気に入らないのか、シキナさんは軽く頬を膨らませながら我勇さんを見送る。
「まったく、失礼しちゃうよね。いつまでも子供扱いして!」
今日のシキナさんはポニーテール姿だった。髪型のせいかは分からないけれど、前に見た時よりも幼く見える。
少し大きめの白のタンクトップにチェック柄のミニスカートがよく似合っている。似合ってはいる……が、この場にはあまりにも不釣り合いに感じた。僕も人のことを言える格好ではないけれど。その点、我勇さんの格好は僕達の中では一番まともだった気がする。白のシャツに上下黒の細身のスーツ。というか、この格好以外の我勇さんを見たことがない。
ふと視線を下に向けると、シキナさんは右手に大きな荷物を持っていた。なんだろうと目を凝らすと、どうやらそれは折りたたみ式の椅子のようだ。
僕の視線に気づいたのか、シキナさんが自慢げに椅子を持ち上げる。
「あ、見てみて! 椅子持ってきたよ! 本当はソファーを持ってきたかったんだけど、入らないからって却下されちゃった。テレビも持ってくるつもりだったんだけど、電気が通ってないからそれもダメだって。携帯で見るしかないね」
寛ぐ気まんまんのようだ。本当にこの二人、自由すぎる。
「あとね、おやつ!」
ポケットからスナック菓子を取り出す。
「シキナさん! お菓子は我慢しましょう!」
さすがにここでの飲食は止めずにはいられなかった。
「美味しいよ?」
「いや、そういう問題では……」
「も〜、真面目だね〜。あ、そうだ。私には敬語とかやめてね。普通におしゃべりしよ? 生きている時間は同じくらいだって我勇も言ってたし、仲良くしようよ」
敬語はあまり得意ではない、というか人付き合い自体が苦手な僕としては、シキナさんの提案はありがたいものなので素直に聞き入れることにした。名前にさん付けするのも静同様、嫌がりそうだ。
「じゃあ、遠慮なく……シ、シキナ」
「なにかね、ハツキ」
なぜか腕を組んでえらそうな態度になる。
というか……ん? 今名前を呼ばれた?
「あ、今の姿の時は名前も変わってるんだっけ。もう、面倒ね」
「面倒でもエッジと呼んでもらわないと困る……」
「じゃあさ、普段の格好の時もエッジでいい?」
「そっちでもバレるから」
さっそく遠慮のないつっこみをいれさせてもらう。
「ん〜、困ったなぁ」
腕を組んだまま首を傾げ、真剣に悩み出す。
「誰にでもうっかりってあるじゃない? そのへんを無くすにはどうすればいいかなーと」
「まあ、その時はその時で諦めるしかないんじゃないかな」
「そんなんでいいの?」
「よくはないけど、中身が同じだって知っている人を、見た目の違いで呼び分けろっていうのも変な押しつけだしね。適当にごまかす方法を考えるさ」
「秘密って、変に抱えこんじゃうとめんどくさいよね」
「気を遣うことは多くなった……かな。ポジティブに考えれば、視野が少し広がった気はするけど。今まで気にしなかった事を気にするようになって、いろいろと気づくこともあるよ」
「たとえば?」
「たとえば……変身の解除時に人目が無いか見渡すんだけど、先日家の二階で洗濯物を干している人を見かけてさ。今まで自分の視界の上なんて意識して見たことが無くて、道に誰もいなかったら僕ひとりだって思ってた。でも、見渡せば周りには家がたくさんあって、マンションもあって……改めて家の中で生活している人が沢山いるんだなって実感したんだ」
「当たり前すぎてコメントしづらいわ……」
軽く引かれてしまった。
「でも、私も昔はそんな感じだったかも。人の視線とか気にしたこと無かったし」
「どれくらい昔?」
「二年くらい前。突然おじいさまに我勇のところで働けって言われて、その時に初めてお屋敷の外に出たの。最初は沢山の人の目が怖かった」
「初めて……?」
「そう。私はずっとお屋敷の中だけで生きてきたの。そうする必要があったから」
「…………」
「私の存在を絶対に知られてはいけなかったからね」
「誰に?」
「ヴァンピールブラッド」
「…………?」
人の名前なのか、なにかの団体名なのか、判断が付かなくて首を傾げてしまう。
「ふふふ。私ね。人間じゃないの」
シキナは笑顔のまま人間であることを否定した。
「人間じゃ……ない?」
「そう。でも、人として育てられた。変な感じよね」
シキナは一度言葉を切り、両手を目元にもっていく。目を瞑ったまま、手のひらを僕に見せる。その手には、コンタクトレンズが乗っていた。シキナはゆっくりと目を開く。
その目は──瞳は、赤く紅く、宝石のように輝いていた。