六月④ 即身仏の護衛
リュックだけが空を飛ぶ怪現象を二日続けて起こしつつ、僕は指定されたお寺近くのアパートの屋上に降り立つ。人気が無いのを確認して一階に飛び降りる。変身を解除し、そこからは普通に走って胡蝶寺に向かう。正面入口の仁王門にスーツ姿の我勇さんが見えた。
「こんにちは」
「時間通りに来るとは偉いじゃないか」
「もう罰ゲームはこりごりなんで」
「はははっ。良い心がけだ。行くぞ」
お寺の中に入っていく我勇さんの後をあわてて追う。仁王像に挟まれた大きな仁王門をくぐり、真っ直ぐ本殿に繋がる道を歩く。途中の分かれ道で右に折れ、寺務所と書かれた建物の中に入り、十畳ほどの和室に通される。
我勇さんと向かい合う形で正座し、何がはじまるのかと待っていると、お寺の人がお茶をだしてくれた。
再び二人きりになったところで我勇さんが口を開く。
「さて、と。刃月。即身仏って知っているか?」
あまりに唐突な質問に、咄嗟に答えが出てこない。少し考え、思いついた答えを口にする。
「えっと、ミイラ的なやつ……ですか?」
「そうだ。死ぬことを前提とした最も過酷といわれる修行の末、ミイラ化したものを即身仏と呼んでいる。いわゆる入定って観念だ」
「入定?」
「悟りを得ることだ」
「はあ」
宗教的な事には詳しくないので、専門用語を言われても分からない。そもそも、宗教用語に詳しい高校生というほうがレアではないのだろうか。
「ま、その辺は適当でいいか。簡単に言うと、今回の仕事は即身仏の護衛だ」
「護衛……ですか。なにか特別な事でもあったのですか?」
「昨日、お前は聞こえたんじゃないのか? 救いを求める思念……声が」
昨日の声……。
「昨日の声を拾ったのは、お前だけじゃ無い。ここの住職の娘も同じ時刻に聞いたんだ」
「…………」
「娘が言うには、即身仏が助けを求めている、ってよ」
「あの……ちょっとよくわからないので、質問してもいいですか?」
「おう」
「助けを求めているといいますけど、その、即身仏って死んでる状態ですよね?」
「そうだな」
「死んでいるのに、助けを求める事ができるのですか?」
「死んでいるというのは、あくまでもこの世界においての話だからな」
「この世界?」
「現世とでもいうのか。ここの即身仏は他の即身仏と少し違ってな。悟りを得るためになった訳じゃなく、隠世と現世を繋ぐ道を塞ぐために即身仏になったんだ」
「ごめんなさい、用語がさっぱり分かりません」
正直に答える。かくりよ? うつしよ? 何の話かも分からない。
「ああもう、めんどくさい奴だな……そっから説明しないといけないのかよ」
「だから簡単な仕事でと言ったじゃないですか……」
「簡単に言うぞ。詳しく知りたきゃ自分で調べろ。隠世は肉体の無い精神世界で、神が住む世界と言われている。ちょっとばかり特殊な方法で即身仏になることで、その隠世に魂を定着させることができる。俺たちが住むこの世界にある本体──即身仏が破壊されない限り、永遠にその魂は隠世に残る」
何を言っているんだ、この人は。神の住む世界……? そんなものが実在することを前提に話をしているのか?
静の言う悪魔とやらも、実際にこの目で見るまでは信じることなど出来ない。ましてや、神など……いるはずがないじゃないか。もしいるのなら、何も悪いことをしていない母があんな死に方をするはずが無い。
「約四百年前、この周辺に神隠しが多発した。当時ここの僧侶の一人がその事態に嘆き悲しみ、解決策を模索した。そしてたどり着いた答えは、神が通る道を塞ぐというものだった」
「神隠し……?」
「今風に言えば、神による誘拐だな。寿命という概念が無く自ら種を作らない奴等は、人間を無理矢理神に作り替える方法をとっている。その当時に神隠しが多発したってのは、おそらくなにかしら種を増やす必要のある事態が起きたんだろうな」
「…………」
「話が逸れたな。僧侶は自ら即身仏となり、それ以来この地に神隠しは無くなった。めでたしめでたし。ところが、だ。昨日、その即身仏がこっちの世界に助けを求めた。お前は確かに聞いたはずだ。魂の悲鳴を」
悲鳴……確かに聞こえた。場所が視えなかった理由としても、今の話を前提にすれば納得できる。この世界からの声ではなかったから。しかし──
「我勇さんも聞いたのですか?」
「いいや。ただ、世界が一瞬震えたようには感じたな」
「そうですか。僕がそういう声を拾えるというのは静から聞いたのですか?」
「ああ」
「……では昨日の事、お話しします。おかしかったんです。一人のようには思えなかった。沢山の人が同時に叫んだような、何て言うか……とにかく変な感じでした」
「そりゃあそうだろうさ。さっき言った即身仏になるための特殊な方法な。百人規模の弟子達も同じ苦行を同時に行い、そして皆死んでいった。ひとつの肉体に百人もの魂を強制的に結びつけたんだ。それくらいしなきゃ道を塞ぐことなど出来ないからな」
その言葉を聞いた瞬間、即身仏になるための苦行がどんなものかを想像し、目眩がした。そして、納得できてしまった。百人もの想いを受け取ったのだから、声を重く感じたのもうなずける。
「どうやらここの娘もお前と同じような能力があるようでな。こんな事は初めてらしいから、誰の声でも拾えるお前と違って血のつながりが影響したんだろうが。それで俺の所に護衛依頼が来たってわけさ。誰かに狙われているかもしれない。だから守って下さいってな」
「かもしれない……ですか」
「ああ。その辺は俺も気にはなっているがな。何から守るのか、本当に守られたい救難信号だったのか、明確じゃない。直接聞いたお前はどう感じた?」
昨日の声を思い出してみる。複数の混ざり合った声。雑音のないとても澄んだ声達。だからだろうか、命の危機に直面している切迫感は無かった。それでも、その声には確かに恐怖が感じられた。
「何かに……怯えていたようには感じました」
「何か、ねぇ。さて、何から守ったらいいのやら」
我勇さんはうっすらと笑みを浮かべる。よく分からない事態を楽しんでいるかのように。
「いきなり神だの隠世だの言われてもすんなり受け入れる事なんて出来ないだろうけどよ。あまり深く考えずに、護衛の仕事がきたってだけ分かっていればいい。詳細は不明なんだ。シンプルに守るという仕事をすればいい。どうだ、やるか?」
「はい。やらせてください」
僕は迷い無くうなずく。たとえ相手が誰であれ、何者であれ、助けを求めている声を無視することはできない。仕事としてではなく、僕自身の信念のためにも、断るなんてありえない。
そしてなにより、この件をもっと調べていけば僕のこの能力が何なのか分かるかもしれない。月齢縛りのある現状を打破し、いつでも声を拾える方法を見つけることが出来るかもしれない。そんな期待もある。
「それじゃあ早速コスプレ……じゃなかった、変身しろ」
くっ……この人、わざと言い間違えたな!
ちゃんとしたニュース記事を見ればエッジという名前が浸透しているように見えるが、匿名掲示板を少し覗いてみればコスプレ野郎のほうで定着しつつある。困った事態である。
我勇さんの指示に従い、エッジのコスチュームを身に纏う。
いざ、初めての仕事へ。




