六月③ 毎日メールを送りなさい
翌日の火曜日、教室に入った瞬間、有耶が僕を呼ぶ。席が隣なんだから呼ばれなくても行きますって。
「なに?」
「大変なの!」
「だから何が?」
「朱ちゃんが風邪で休みなの!」
「へぇ、めずらしいな、あの健康優良児が」
「でしょ! 朝起きたらメールが入っててさ」
「でもまあ朱ちゃんも人間なんだし、風邪もひくだろうさ。だから落ち着け、そんなに一大事じゃない」
「落ち着いてるわよ?」
「だったら扉開けた瞬間に呼ぶなよ……」
「あんたに急いでしてほしい事があるのよ!」
「してほしい事?」
「そっ」
有耶が満面の笑みを浮かべる。ろくな用件じゃないな、これは。
「メールを打ちなさい」
「……はい?」
「お見舞いメール! よっ!」
「なにそれ?」
素で聞き返してしまった。そもそも僕はメールが苦手で、返信以外では滅多にメールを使うことはない。よほどの用事でもない限り僕の方から誰かにメールを送ることもない。そんな僕が「お見舞いメール」なるものを知っているはずがないじゃないか。
「病気で弱ってる時はね、ちょっとした励ましでもうれしいものなのよ」
「だったら有耶が送ってあげればいいじゃないか」
「ちゃんと返信はしたわよ。友達なんだから、あんたも送りなさいって言ってるの」
友達……か。自分から友達を作ろうとしたことがない身としては、女の子の友達が二人もいる現状は奇跡に近いのかもしれない。もっとも、他に友達などいないのだけど。
そういえば静は……友達になるのだろうか? どういう関係が友達と呼べるものなのか、いまいち分からない。
「わかった。がんばってメール送るよ」
「がんばらないといけないようなこと?」
有耶があきれ顔で溜息をつく。
「そういうの初めてなんだ、仕方ないだろ」
「しょうがないわね。手伝ってあげよっか? 送る前にチェックする?」
「いらない」
意地を張って即答で断ってはみたものの、素直に手伝ってもらうべきだった。全ての休み時間を使い、書き上がったのは終礼の始まるチャイムが鳴った瞬間だった。放課後、どんなメールを送ったのかと確認にきた有耶にあきれられる。
「まだだったの!? どんな力作よ! 作文でも書いてたの?」
「うっさいな……何書いたらいいのか分からなかったんだから」
「うわぁ……なんか嫌な予感するから、送る前にチェックさせて!」
「断る!」
「あんたに断る権利はない!」
「ないのかよ!」
無理矢理携帯を取り上げられ、有耶先生の添削が始まった。プライバシーの侵害も甚だしい。
「う〜ん……」
有耶が僕の携帯とにらめっこしながら難しい顔をしている。
「文句があるなら、もう送らないぞ」
「いや、いいんだけどさ。たったこれだけでなんでそんなに時間がかかったのかなぁと思ってねぇ」
「ほっといてくれ」
「よし、しばらくの間私と朱ちゃんに毎日メールを送りなさい」
突然とんでもない発案をする。
「は?」
「コミュニケーション能力を育むといいますか……前々から思ってはいたけど、あんた、こういう事に関して自主性無さすぎ。ちょっとこれはやばいレベルよ!」
「や……やばいのか」
「やばいわ。このまま悪化していくと、とんでもないことになるわよ!」
「んー……でも僕は特に困ってはいないけどなぁ」
そう言った瞬間、頭をはたかれる。痛い。
「困るのは周りなの! あんたじゃないの!」
確かに今も困っているのは有耶のほうだろう。困らせるつもりは無いのに困らせてしまう。たしかに重症かもしれない。とはいえ、毎日メールというのはさすがに気が重たくなる。
「せめて一週間に一度くらいで勘弁してくれないか?」
僕の妥協案に、有耶はしぶしぶうなずく。
「いいわ。そのかわり……忘れたら承知しないわよ」
物凄い形相でにらまれ、仕方なくうなずく。やっかいなノルマができてしまった。とはいえ、有耶も僕のためを思っての事だろうし、有耶無耶には出来ない。メールくらい簡単に送れるようになるまでがんばろう。
「はい、じゃあこれ、今すぐ送る!」
携帯がようやく戻ってきた。とくに修正点は指摘されていないから内容的には合格だったのだろう。
『ハイロー九尾店の地下においしそうなパフェ屋さんを見つけたんだ。元気になったら有耶と三人で食べに行こう』
そんな一文のメールを送信し、一仕事終えた気分になる。たったこれだけの一文ではあるが、授業よりも疲れた気がする。
「でもまあ、朱ちゃんの好みをちゃんと把握した良いメールじゃないかな。時間かかりすぎだけど。なので九十点!」
有耶からお褒めの言葉を頂いた。
誰かの事を想い、考え、そしてメッセージを送るなんて初めてのことかも知れない。不思議と心地の良い充実感に満たされる。こういう感覚が友達というものなのだろうか。
失うのが怖くてずっと避けてきたもの。
失うのが怖い──本当にそれだけの理由だろうか。自問自答をするが、答えは返ってこない。
「あ、空門」
僕が席を立つと、有耶がまた声をかけてくる。
「まだ何かあるのか? そろそろ帰りたいんだけど」
「お見舞いがてら、私と一緒に朱ちゃんの部屋に突撃しない?」
「女子寮だろ? 僕を犯罪者にするつもりか」
さすがにそんな無茶な誘いには乗らない。なかなか諦めようとしない有耶をおいて僕は教室を後にした。
廊下に出た瞬間、携帯のバイブが着信を知らせる。朱ちゃんからの返信だろうかと画面を見ると、我勇さんからの電話だった。あわてて出る。
「はい!」
「よう。おまちかねの仕事だ。地図データを送るから、それを見て現地に来い」
我勇さんはそれだけを僕に伝えると、返事も待たずに切ってしまった。そしてメールが届く。貼り付けてあるアドレスを開くと、地図が表示された。
目的の場所は──胡蝶寺。
電車で向かうとすれば一時間ほどかかりそうな場所だ。しかし、メールには二十分で来いと書かれている。
これは……またあれか。
跳んでこい、そういうことなのだろう。