五月⑬ 真逆の関係
「さっきの子は誰なんだ?」
「我勇のフォロー役とでもいうのかしら。彼女は主に夜中を活動時間にしていて、この時間に起きる。逆に我勇は日の昇っている時間に活動する。そんな感じで二十四時間体勢を二人でとっているようね」
シキナと呼ばれていた少女と我勇さんが屋上に向かった後、部屋に取り残された僕と静はソファーに座り、ふたりが戻るのを待っていた。もちろん静には先ほどの洗面所での出来事を正直に話し、擁護してくれるように頼み込んだ。
なかなか戻ってこないので今のうちに色々と聞いておこうと思う。
「僕と近い歳に見えたけど……」
「あの子がここに来たのは二年前。当時十四歳だと聞いたから、今は十六歳かしら」
誕生月次第では学年が変わってくるが、とりあえず同い年と思っておこう。しかし、我勇さんとの関係性がいまいち見えない。
「まさか、我勇さんの子供……って訳じゃないよな?」
「本当にまさか、ね。我勇とシキナは十も離れていないはずよ」
「そっか」
「興味津々な様子ね」
「いや、興味っていうか……変わった子だなと思ってさ」
「どういうところがかしら?」
「なんて言うのかな……なんかこう、芸術作品を見た時の感動に近い感覚っていうか……現実味がないっていうか。んー、うまく言葉が出てこないな」
「言いたいことは分かるわよ。その直感は正解ですもの」
「正解?」
「気になるなら直接本人に聞きなさい。私が言えるのはそこまで」
「あー、影でコソコソ聞くってのもあれか。でも、口きいてくれるかな?」
「我勇の悪ふざけだって分かっているから、気にしていないわよ」
本当にそうであってくれと切に願う。
ふたりが屋上に行ってから十分ほど経過した頃、ようやく戻ってきた。ふたり共服がボロボロになっている。赤子のように軽くあしらわれた身からすると、我勇さんの服をここまでボロボロにした彼女の力がどんなものだったのか気になって仕方がない。
「この服、気に入ってたのよ! 新しいの買ってよね!」
部屋に入って来るなり、少女が我勇さんに文句を言う。
「知るか。そのくらい自分の小遣いで買え」
「だったら時給上げてよ!」
「それは無理だなぁ」
「なんで!」
「お前のじいさんと二人で決めたことだからな。俺の一存では変えられねぇな。それとも、じいさんに泣きつくか?」
「ぬぅ……」
「クックッ。いい子だ。そんじゃあ少し仕事の話するぞ」
「仕事?」
少女は首を傾げ、静に目を向ける。静は立ち上がり、ふたりの元に歩み寄った。僕もあわてて後を追う。
「静嬢の横にいるのを紹介しとく。空門刃月だ。本気でじゃれあっても壊れない貴重な人間だ。仲良くな」
我勇さんの意味不明な紹介に、静がフォローを入れてくれる。
「私の『お願い』を聞いてくれる人よ。しばらくあなたの所でお仕事をさせてもらう事になったの。仲良くしてあげてね、シキナ」
「お願い……かぁ……。そっか。じゃあ私達とは真逆の関係だね」
「そうね。あなたたちからの協力はもうあきらめているけれど、その代わり邪魔はしないで……ね」
何かを念押しするかのように静が言う。
「うん。邪魔はしないよ。もちろん──応援もしないけどね」
「十分よ。ありがとう、シキナ」
邪魔とか応援とか、何の話しをしているのだろう。いまいち話についていけてない僕は、自己紹介をする機会を完全に失っていた。そんな僕に、少女が突然声をかけてきた。
「君──名前は……ハツキ、でいいのね?」
「あ、はい、はつきです。よ、よろしく」
いきなり直視されて目が合い、動揺してしまう。しかし、その瞳は──先ほど洗面所で見かけた時は赤く見えたのに今は普通の黒色だ。照明のせいだったのか、それとも気のせいだったのだろうか。
「私はシキナ。漢字とかは無いし、そのままシキナって呼んでね」
満面の笑みで微笑みかけられ、一瞬ドキっとしてしまう。改めて、人間離れした美しい容姿の持ち主だと思った。
さっきの事を謝るならここしかないと思い、スルーされている案件に対し、意を決して自らほじくりかえす。
「あの、さっきはごめん、覗くつもりは無かったんだけど──」
「ああ、いいのよ。我勇のバカが悪いんだし、一発殴れたからスッキリ」
軽い口調で言っているが、その内容にはさすがに驚かずにはいられない。あの我勇さんを殴ったというのだから。
「それよりも、服がだいなしになっちゃったのが痛いわ……この時期って、バーゲンセールあるのかなぁ……お財布の中身が寒いのにぃ」
腕を組んで真剣に考え出すシキナさん。キッチンに戻っていった我勇さんを恨めしそうに睨んでいる。そんなシキナさんを見かねたのか、静が声をかける。
「シキナ。今日の夜は空いていて?」
「ん? なになに! お泊まり? お泊まり?」
シキナさんの表情が一気に明るくなる。静のやつ、すごい慕われようだ。
「もしよければ、今日のお詫びに服をプレゼントするわ。刃月に不注意があったのも事実ですしね。今からでよければ一緒に買いにいきましょう」
「え! ほんと! いいの! やったー! あ、でも、静に買ってもらったりしたら、もったいなくて着ることが出来ないなぁ……困ったわ」
「服は誰かに着られるために生まれてくるのですから、ちゃんと着てあげなさい。古くなって着られなくなったらまた買ってあげるわ」
「ほんと! 約束だよ!」
「……ええ」
「よーし、じゃあちょっと着替えてくるね!」
シキナさんは軽い足取りで奥の通路に消えていった。
「では、刃月。そういう訳だから、食事は我勇とふたりでね」
「……え?」
「私はもともと食べるつもりは無かったの。我勇も私の分は用意していないでしょう?」
静はキッチンで調理中の我勇さんに話を振った。
「ああ。シキナの分は用意してたがな。あいつの分は俺がまとめて食っちまうから適当に弁当でも買ってやってくれ」
「そうするわ」
「シキナが食い損ねた今日の晩飯がステーキだったってのは内緒にな。またバトルになっちまう」
「運動不足だったのでしょう? 丁度いいのではなくて」
「さすがに今日は余力が無ぇよ」
我勇さんが弱音を吐く。よほど、シキナさんとのバトルが堪えたようだ。
ほどなくして、シキナさんがさっきまで着ていたワンピースとは全く異なる服装で戻ってくる。白いTシャツに黒のパーカー、ジーンズにブーツ、黒縁眼鏡に黒いキャップを被り、かなりボーイッシュに見える。
「お待たせ! あ、我勇」
「あん?」
「今日のご飯な〜に?」
「お前の嫌いな魚だ」
「じゃあ、パ〜ス。お弁当買ってくるよ」
「好き嫌いしてんじゃねーよ。じいさんに報告するぞ」
「ベ〜!」
平然と嘘を突き通す我勇さん。それに対し、舌を出すシキナさん。仲がいいのか悪いのか、よく分からない。
静とシキナさんが買い物に出かけたところで、ようやくお肉の美味しそうな香りが部屋に満ち始めた。お腹が早く食わせろと音を鳴らす。ステーキを食べるのなんて、いつ以来だろう。
「こっちのテーブル席に座っとけ。飯食ったあとで仕事の正式な書類に目を通してもらうぞ。軽く説明もしてやる」
「はい、お願いします」
ソファーからキッチンの手前にあるテーブルに移動しようと立ち上がった瞬間、玄関に続く通路の扉が勢いよく開く。
「忘れ物! ……した……よ? クンクン……ん〜?」
シキナさんが戻ってきた。そして、部屋に満ちる魚とは似てもにつかない肉の香りに気づかないはずもなく。
「おい、七草我勇」
「てめぇ、普段言わねぇくせにわざと苗字も言ったな?」
「文句あるなら、もう一回屋上いこっか〜」
「おう、上等だ」
再びバトルが始まったのは言うまでもない。




