五月⑪ 我勇という男
「時間ピッタリね、我勇」
「ビジネスに時間厳守はあたりまえだろう?」
「そんな常識があなたにあったことに心底驚いているわ」
「はっはっ、相変わらず厳しい嬢ちゃんだなぁ」
「子供扱いはやめなさいと言ったはずよ」
「そいつは失礼。静姫のほうが良かったかな?」
「…………」
突然始まった会話。なにやら険悪な雰囲気が二人を包む。
我勇と呼ばれた男は口元に笑みをたたえ、両手をポケットに入れたままゆっくり近づいてくる。
僕達の立っている場所まであと1メートルの距離で立ち止まり、僕を見る。
「お前が空門刃月、か」
「えっと……」
「俺は七──っと、名前で呼ぶ奴ばっかりだったな。仕切り直し。俺はラストリゾートの代表、我勇だ」
「ラスト……リゾート……?」
「コスチュームのデザインを発注した所の社名よ。そして目の前にいる男が、あなたが抱える三百万円の借金を返す相手」
静が説明してくれたおかげでようやく状況が把握できた。
「あ、そ、空門です。はじめまして!」
僕は頭を下げる。
「そう畏まるなよ。静嬢の紹介なんだ、悪いようにはしないさ」
「今回の騒動は我勇のアイデアでね。アフターサービスだそうよ」
静がフォローしてくれる。
しかしそれは素直に喜んで良い物なのだろうか。こんな命懸けで、しかも嘘の騒動での知名度アップなんて僕は望んでいない。
「心配しなさんな。万が一なんて起こりえない。百%安全だと確信があっての演出なんだからよ」
「百%……その根拠はどこにあるのですか?」
思わず聞き返してしまった。初対面の人に失礼だとは思いつつ、聞かずにはいられなかった。
「それを言うと静嬢に怒られてしまうんでな。本人も言いたくないだろうし。そういうのは察して、引いておくのが賢明な判断だと思うぜ」
「…………」
「ウチで働きたいんだろ? それなら広告塔にもなってもらわないとなぁ。そのための処置だ。これはお前のためだけじゃない。会社のためでもある。勘違いするな」
我勇さんの顔から笑みは消え、真顔で諭される。
「一応言っておくが、ビル内に凶悪犯がいたってのは本当だ。捕まえたのはステルスモードの静嬢だがな」
「え……」
「信じられないなら、明日の新聞でも見ればいい。ネットならそろそろ一報があがってるだろう」
どういう事だ? あの場に事件が起こると分かっていて、このシナリオを組んだというのか?
「予定調和すぎて不愉快だと言ったでしょう?」
静が不快感を隠さずに言う。我勇さんは気にする風でもなく続ける。
「テストも兼ねてたしな。お前がどこまで出来るのか。どんな仕事が出来る人間なのか。それを見極める必要があった。さて、じゃあ最後のテストだ」
我勇さんは再び口元に笑みを浮かべ、静に視線を戻す。
「いいよな? 少しばかり遊んでもよ」
「それが一番の目的だったのでしょうに。お好きになさいな」
静は即答する。
「よーし、了承を得たことだし、遠慮無くやらせてもらおうか」
最後のテスト? 今度は何が始まるんだ?
「空門刃月、変身してみな」
「……え?」
「仕事の適正テストだ。俺とケンカしろ」
「……でも、スーツの力なんて使ったらケンカにもならないんじゃ……」
静に助け船を求めるも、帰ってきた答えは意味不明だった。
「大丈夫よ。我勇なら手加減してくれるでしょう」
スーツを使った僕相手に手加減? 静まで何を言い出すんだ。手加減をしないといけないのは僕の方じゃないのか。
「俺は手を使わない。ポケットに入れたままだ。寸止めもいらない。本気でかかってきな」
さっきの騒動の発案者がこの人だったというのなら、六十階の建物から落ちても平気な事を知っているはずなのに、この余裕はなんだ? もしかしてこの人も同じ力を静から受け取っているのだろうか。
そんな僕の疑問に気づいたのか、静が僕に言う。
「我勇は生身の状態よ。でも心配はいらないわ。もし殺してしまっても、何も問題ありません」
「いや、おおありだろ!」
「私が無いと言っているのです。信じなさい」
静も我勇さんも、いったい何を考えているんだ。まったく理解できない。
寸止めもいらないと言っていたが、さすがにそれは従うことは出来ない。本気っぽく見せればいいんだ。力がどんなものかを分かってもらう程度にやればいい。僕が本気かどうかなんて、相手に分かるはずがないのだから。
「わかりました」
僕はそう言いながらブレスレットを操作し、変身を完了させる。
「いい子だ。いいぜ、先手をやろう。どこからでも来な」
我勇さんは依然、余裕を見せている。そんな余裕、一瞬で無くしてやる。
僕は一メートルしか離れていない近距離から、我勇さんの顔の真横に拳を突き出す。我勇さんの耳元の髪が風圧でなびく。
我勇さん自身はピクリとも動かない。やはり反応出来ないじゃないか。
当然だ。僕はスーツの力を使っているのだから。
「おいおい。俺の耳元にハエでも飛んでたのか? 俺の顔はそこじゃないぜ?」
我勇さんの不敵な笑みを見た瞬間、全身に悪寒が走る。
まさか外すと分かっていてわざと避けなかった……?
「相手の力量を正確に把握することも実戦には必要だ。……油断大敵ってな」
そう言い終えた瞬間、僕の顎に強烈な衝撃が襲う。我勇さんの右のつま先が僕の顎を捕らえ、僕の体は浮いた。
「……っな……!」
核にも耐えられると言った静の言葉を否定するかのように、僕の体はあっけなく浮かされ、少しの滞空時間の後、地面に尻餅をつく。
「俺をガッカリさせるなよ。こんなもんじゃあ無いんだろ?」
我勇さんはポケットに両手を突っ込んだまま僕を見下ろし、言った。
この人は……やばい。
僕の本能が警告を発する。
僕は素早く立ち上がり、数歩下がって間合いを調整する。
手を使わないと言った。ならば、足を狙って攻撃手段を無くせば僕の勝ちだ。足の怪我くらいならブレスレットの力ですぐに回復出来るだろう。今度は本気で行く。
二、三歩下がった距離から一気に間合いを詰め、我勇さんに足払いを仕掛ける。しかし僕の右足は何も捕らえることは出来ず、空振ってしまった。気がつくと、我勇さんの膝が眼前に迫っていた。避ける暇もなく僕は後ろに吹っ飛ぶ。
僕の足払いをジャンプで躱し、避けながら膝で攻撃をしてきたようだ。
「ルールを変えようか。空門刃月。いや、今はエッジと呼んだほうがいいか。お前は俺に触るだけでいい。体のどこでもいいし、服の一部でもいい。触ることができさえすればお前の勝ちだ。あ、俺からの攻撃で当たるのはノーカンな。もちろんガードに成功すればお前の勝ちだ」
完全になめられている。子供扱いもいいとこだ。
あまりのくやしさに一瞬頭に血が上ったが、ひとつ深呼吸をして冷静さを取り戻す。我を失って勝てる相手じゃない。
「へぇ……」
我勇さんがまた不敵に笑う。
「たしかに服なら遠慮はいらないですね」
僕はそう返し、再び間合いを計る。相手には二、三歩要し、僕には一歩でいい距離。そこから再び距離を詰める。
僕は右手で我勇さんの胸ぐらを掴みにいく。我勇さんは左半身を後ろに半回転させて躱し、その回転を利用して右膝を僕の脇腹に決める。
「ほぅ……」
我勇さんが感嘆の声を上げる。
この人の行動には一切の無駄が無い。躱しながら攻撃を仕掛けてくる。避けるのと攻撃がワンセットだ。それが分かれば、相手の反撃の予想は容易い。手を封印しているのだから、なおさらだ。
「ははっ、この俺がこんなにあっさり負けるとはなぁ。やるじゃねぇか」
そう。
僕は勝った。
我勇さんが左半身を引いて躱せば、攻撃は右足を使ってくる……はず。そんな曖昧な賭けではあったが、その予想通り、我勇さんは右の膝で僕の脇腹を狙ってきた。予想していたのだから、僕は我勇さんの右足が脇腹に来るのを左手で待ちかまえていた。多少の位置のズレはあったものの、僕は即座に位置を修正して我勇さんの右膝を掴んだ。
我勇さんがあっさり負けを認めてしまったので、少し拍子抜けしつつ掴んでいた右膝を解放する。
「情けないわね、我勇。あれだけ大口を叩いておきながら、あっさり負けるなんて」
「うっせぇ、なんとでも言え」
静の挑発じみた言葉に、我勇さんは軽く返す。そりゃそうだ。ハンデが大きすぎる。僕は全然勝った気がしない。むしろ……もし生身でやりあっていたら、僕は死んでいる。最後の膝蹴りだって、生身だったなら腕ごと砕かれていただろう。それほどの衝撃がスーツ越しに感じられた。
次元が違いすぎる。本当に人間なのかと疑いたくなるレベルだ。
「なんだ、元気が無ぇな。勝った気がしないってか?」
呆然と立ち尽くしている僕に我勇さんが声をかけてくる。
「これでも俺は心底感心してんだぜ? あの一瞬で俺の行動パターンを読み、対抗手段を見いだしてそれを実行した。いい闘争本能を持っている」
「それでも……このスーツが無かったら、そのパターンを知る前に殺されていましたよ」
「それが今のお前だろ? どれだけの攻撃をくらっても決して沈まない。その中で活路を見いだす。トータルでお前の力だ。使いこなす事ができない奴なら、負ける事は無くとも、勝つことも永遠に出来ない」
慰められているのだろうか。真意が分からない。
そういえばこの勝負はテストと言っていたが、合格できたという事なのだろうか。
「あの……これで僕は仕事をもらえるのでしょうか?」
「もちろんだ。たっぷりこき使ってやる」
我勇さんの即答に、ようやく安堵する。
「まあ仕事もいいが、その前にもう少し体を動かさないか? 最近運動不足で体がなまってんだよ」
「……はい?」
「今度は手加減無しだ。本物の戦い方をたたきこんでやる。スーツなんざ無くても、八人程度なら余裕で病院送りに出来るようにな」
僕と静が出会った先日の件を知っているかのような物言いに苦笑いする。しかしその申し出はとてもありがたかった。
「よろしくお願いします!」
僕の即答の横で静の溜息が聞こえた。




