八月⑬ 慟哭
僕は泣いていた。
近代建築の家々が立ち並ぶ深夜の住宅街にあって、ひときわ異彩を放つモダンな和風住宅。その一室でひとり──僕は泣いていた。
空門刃月様へ──そう書かれた僕宛の封筒と、その中に入っていた数枚の手紙を握りしめ、畳に膝をつき、嗚咽混じりにただただ泣いていた。
泣くことしか出来なかった。
あまりにも悲しくて──残酷で。
僕はこんな結末なんて望んではいなかった。こんな結末の為に力を欲した訳ではなかった。
助けたい──ただそれだけを望んでいただけなのに。
「あいつの長年の願いは叶った。お前が叶えたんだ」
突然、背後から男の声が聞こえた。振り返ると、閉じられた障子にうっすらと人影が見える。僕はあわてて涙を拭った。
「なにも責任を感じる必要はない。誇ればいい。お前は確かに──あいつを救ったんだ」
しばしの沈黙の後、男は静かな口調で続けた。
「今は好きなだけ泣けばいいさ。落ち着いたら事務所に顔を出せ。俺に言いたい事もあるだろ?」
それだけを言い残し、男は僕の返事も聞かないまま立ち去る気配がした。
僕しか入れないはずのこの家に、どうやって入ってきたのだろうと一瞬考えたが、あの人なら不思議でもなんでもないと思い至る。
──あいつを救った。
その言葉が頭の中にこだまする。
確かにこれは、彼女の願い、望みの結果だ。
この手紙に書いてあったことが本当であるのならば、僕は彼女を救ったと言えるのかもしれない。ただその救いが、僕の望む結果では無かったというだけのこと。
それでも──それでも僕は、こんな結果を受け入れたくはない。
もっと別の方法で救えたんじゃないかと思えてならない。
こんなひどい方法でしか救えなかった自分が憎くて──情けなくて。
拭ったはずの涙がまたあふれ出す。
なぜ僕は彼女の事をもっと知ろうとしなかったのだろう。少し仲良くなったくらいで、知った気でいたのだろう。知ろうとしていれば──先に知っていたら──疑っていれば。
そんな後悔をしたところで、いまさらどうにもならないと分かっている。それでも頭の中で「たら」「れば」が繰り返される。何度も何度も繰り返されて、無知がいかに罪な事かを思い知る。
そして思い至る。
あの人がなぜ彼女の依頼を断ったのか。救う事を拒んだのか。
全てを知っていた……から。
知っていたのに、僕を止めなかった。平気な顔でとぼけて、知らない振りをして──そういうことが普通に出来てしまうから、大人はずるいと思ってしまう。
僕はもう一度涙を拭い、少しふらつきながら立ち上がる。
望み通り、文句を言いに行ってやる。
僕は手紙を手に持ったまま、障子を開けて彼女の部屋を出る。部屋の明かりが自動で消え、代わりに廊下が照らされた。
部屋の前から玄関に目を向けると、今度は小さな白い人影が見えた。その人影は長い髪を揺らし、微かに憂いのある笑みを浮かべながら、ゆっくりと消えていく。
それは、僕が一生背負っていく罪という名の影。
僕が殺した少女の──面影。