第十七話 操受世界2
先ほどの基地を見下ろせる要地としては、北東に10キロの丘、そして南西に6キロの場所にも丘がある。南西の丘は、基地まで適度の距離で標高も数百メートルと高いので最適かと思うかもしれないが、それゆえ警戒が厳しい可能性がある。
それに対して北東の丘は標高が百メートル以下と低いのだが、基地内の様子を探るだけならそれで十分だ。気が利く隊長クラスなら迷わずこちらを選ぶだろう。
100メートル程の登山でも、浮遊装置を使えば三分かからない。俺は木々を抜けてあっという間に頂上に着いた。
俺は双眼鏡を使い、基地の様子を探った。少ない窓には誰の影も無く、基地から出てくる人間もいない。
やはり、親父の言う通り敵はとっくに逃げてしまったのだろうか? 基地内に隠れていたなら、俺を簡単に逃がすとは思えない。
ここで張り込んでみるか? 戦闘服のエネルギー残量は十分で、真冬のこの時期でも毛布なしで眠る事が出来る。だが、女軍に攻められ続けている今、隊長の俺がいなければ正人達は困るだろう。
「……? なんだ?」
俺はすぐそばにあった立派な木の幹の影に、銀色の金属物が覗いているのに気がついた。回り込み、それを地面から引き抜く。
「なぜこれがこんなところに?」
柄の部分がやけに長く、鞘の根元に銃の引き金そっくりの物が付いている大剣。男軍主力武器、刀銃だ。
誰かの墓標としては、木の影に目立たないように墓を作るなんてありえないだろう。なら、昔ここで戦闘があり、死んだ兵士の持ち物……いや、違う。刀銃の側面に、細やかな幾何学模様の装飾がある。
これは、中隊長以上の専用刀銃だ。
もちろん性能は同一なのだが、高官は刀銃に多少のデザイン変更の注文が出来る。俺ならば一般兵と同じ物で良いけどな、見た目など意味がない。
しかし、高官が最後の最後で護身用に持つ刀銃が、このような場所に転がっているのは明らかにおかしい。
「……まさか、魚住中隊長の?」
なぜだ? どうして中隊長はこんな所に刀銃を置いていった?
今から不審な基地に踏み込むと言うのに、武器である刀銃を置いていくはずがない。
俺は、中隊長の足跡を想像で辿る。
今回時間が無いと俺は基地にそのまま突っ込んだが、通常の手順では目標対象をまずは観察するはずだ。もちろん、南西ではなく北東のこの丘で中隊長も今の俺のように基地を眺めただろう。
そして、刀銃をここに置いて敵基地に踏み込む……なんてありえない。なぜ武器を捨てる必要が……? 武器を、捨てる?
「そうかっ! あの基地に……刀銃兵士の姿を見たなら……。男軍基地だと確信出来れば武器は当然必要ない……」
中隊長は、仲間の基地に安心して向かったのだろう。だから……いや、刀銃は普通に携えて行けば良いのではないか?
違う。
中隊長はあの基地で男軍兵士を見た。だが、全てを信じなかったんだ。
本当に仲間の男軍兵士ならば、刀銃は必要ない。そして、仲間に偽装した敵ならば、基地内で囲まれれば一本の刀銃など役に立たない。だから……ここに刀銃を置いていった。万が一の後、自分を追ってくる者のために、ヒントとして……。
決まりだ。男軍の中に裏切り者がいる。最低でも基地ひとつ、一個中隊100人の数だ。
俺は刀銃を強く握り、小型出力装置を起動させる。調子は良好、戦闘準備OKだ。
あの基地の司令室にあった躯は、中隊長のほんの一部でしか無かった。彼は、この場所に置いていった物があった。
「中隊長、あなたの魂はここにある。遺志は俺が継いだ。今より、俺は一介の兵士じゃない」
俺はオレンジに輝く刀銃を振った。流れる光は、旗のように見えた。
「……出て来い。浮遊装置を使わず来たのは及第点だが、殺気をもう少し抑える訓練が必要だな」
木々の陰から出てきた奴らは三人。俺と同じ黒一色の戦闘服を着ている。ただ、警戒していた俺にこれほどまで近寄るなんてかなりの腕だ。
「俺は第五大隊所属、第八中隊、第十五小隊隊長、神志名法次。敵は女軍のはずだ。それでも…」
俺は、飛び上がって振り下ろしてくる敵のオレンジの刃を受け止めた。問答無用って奴だな。
俺の足元から強烈な空気が噴き出し、周囲の枯葉が舞い散る。
三人は、刀銃を構える俺を三方向から取り囲んだ。それは正三角形を描き、隙が無い。
間髪入れずに、正面の一人が突っ込んできた。
……速い
喉元寸前で敵の刃を受ける。焦がされた前髪の匂いが漂う中、後ろの二人が斬りかかって来た。すかさず正面の敵と体を入れ替えた俺は、敵の刃で後方二人の斬撃を受け止める。そのまま距離をとると、また三人は俺を取り囲むように三角形を作る。
速い、速すぎる。見たことも無いスピードだ。恐らく裕也よりも、正人よりも、全小隊でトップクラスの動きをする畑山よりも速い。敵は、どこの大隊に所属する奴らだ?
……しかし、こと戦闘に関してこいつらは正人達に遠く及ばないだろう。
例えば、一人の強者を相手にする際に使用される三角陣だが、教科書そのままでなんの捻りも無い。これならば、一点突破で楽に打破出来るだろう。俺の小隊員達なら、必ずどこかに隙を作り、そこにわざと誘い込んで仕留めるはずだ。それに、こいつらの攻撃は直線的過ぎて、三手先まで俺なら予測出来る。
罠なのか? 何か別に意図があるのだろうか?
膠着状態は、またしても一瞬だった。先ほどと同じく、正面の奴が斬りかかって来る。
[ブワンッ!]
俺は、浮遊装置を吹かして土ぼこりを巻き上げた。目の前の敵は、木の葉と土に包まれ足を止める。
[ザザンッ]
俺の後ろで二人が倒れた。正面に向き直ると、慌ててそいつは刀銃を振り上げて向かってくる。
[ズシャッ]
袈裟型に斬られた男は倒れる。
あっけない。上官が有能であれば、この素晴らしい素質を持つ兵士達は多大な戦果を上げただろうに。
俺は倒れた敵に近づき、そのマスクに手をかける。
僅かにだが、敵のうめき声に聞き覚えがあったからだ。確かに、どこかで聞いた事が……
「なっ……!? 何だとっ!? こ……こいつは……」
俺は三人分のマスクを手にしたまま愕然としていた。
すぐに丘を下り、急いで基地へと向かう。
先ほどの敵のマスクを剥いだ時、俺は見慣れた顔を見た。同時に、敵の正体が分かる。やはりそうだったのか。
俺が基地のメインゲート前に付いた時、遠くから聞こえる浮遊装置の音があった。それは俺に向かって一直線に近づいてくる。
戦闘服姿の三人は、俺と十分な間合いを取って止まった。そして、様子を伺いながら俺に聞いてきた。
「法次……君ですよね?」
俺は耳を疑った。正人達がなぜここに辿り着けたんだ……。
「正人、畑山、木部、どうしてこの場所が分かった?」
俺がマスクを取ると、正人もすかさずマスクを脱いだ。中から現れた笑顔のまま近寄ってくる。
「あれ法次君でしょ? 中隊長室のドアを切っちゃった犯人! それが基地内で結構な騒ぎになったんですよ!」
扉はぴたりとはめて置いたつもりだったが、急いでいたので仕事が雑だったかもしれない。あの後、はずれてしまったのか。下半分の無い扉はそりゃ目立つ……。
「だが、この場所とその件はつながらないはずだが?」
「訳があったとしても、あんな事を実行できる人間は法次君くらいです! それで、夢想世界から帰った後に中隊長室を調べたんですよ!」
確かに、中隊長の端末の中には俺が見つけたこの基地のデータがあるはずだが、膨大な量の基地データからどうしてここを特定したんだ? 俺が端末を使用した痕跡は綺麗に消去しておいたはずだが……。
怪訝な顔をしていただろう俺を見て、木部が珍しく唇を緩めた。
「隊長、あの程度では消したと言えません。それに、法次隊長と同じく中隊長もこの基地を閲覧していました。それで決まりです。お二人はここに向かった。しかも、あの端末には今も中隊長が基地内にいるように錯覚させるシステムが組み込まれていた。これは…」
「ありえないくらい怪しいだろうよ。で、俺達も急いでここへ来たって訳」
木部の横で、畑山が呆れた顔で肩をすくめた。
今の時間は午前六時半だ。夢想世界が終わるのが午前四時で、ここまでは二時間かかる。こいつらは、今言った作業を……たった三十分? いや、武装する時間を引けば十五分程でやったのか?
心なしか、木部がドヤ顔をしているように見える。
「法次君、実はここにいる木部さん、専門は高度機械分野なんですよっ! 驚いたでしょ!」
何……? 裕也と同じ高度機械学? 木部が? こ…この……見た目で?
さらに心なしか、木部の鼻の穴が膨らんだ気がした。
「畑山の心理療法士も驚いたが、木部の専門もまた意外だな……」
「法次君、それで、この基地に一体何が……何が……っていうか……」
正人の視線が俺の後ろで固定された。その隣の畑山は、背中の刀銃を抜きながら言う。
「何かありまくりだな。こりゃぁ……よぉ」
俺も振り返りながら刀銃を構えた。正面のゲートから、戦闘服に身を包んだ刀銃兵が五人出てきている。もちろん、すでに刀銃はオレンジ色に輝き、やる気十分らしい。
俺の後ろで木部も刀銃を抜きながら声を出す。
「隊長、説明を」
「奴らは中隊長を殺った」
「理解しました」
正人、畑山、木部の刀銃が熱剣モードで起動した。後ろから三人分の熱気が伝わってくる。
「気をつけろ。奴らの反応速度は常人離れしている。だが、経験が圧倒的に不足している。フェイントを多用しろ」
「奴らとは? 全員が全員、スピードが軒並み高いと言う事かよ?」
畑山の声に、俺は前を向きながら頷いて見せる。
「そうだ。普段の俺とほぼ同じと思え」
「……そりゃぁ、大変だ」
畑山以外に、合計三人分のため息が聞こえた。
「大丈夫だ。俺が勝負を一瞬でつける」
俺の頭が冴え渡ってくる。瞬きをすると、俺の頭で声が響いた。
[Unlock]
体が燃える。少し地面を蹴れば、体が火の玉のように飛んで行きそうだ。
……だが、目の前の五人の敵が、驚く言葉を口にした。
「Unlock」
「何っ?!」
五人が前傾姿勢になり、殺気が矢のように飛んでくる。
「前言撤回。全力で手伝ってくれ」
「了解!」
刀銃兵四人と、刀銃兵五人の火花が散った。
数分後、地面に伏す黒い兵士が五人いた。
どうやら俺の部隊員は誰も負傷しなかったようだ。
敵の兵士は反応速度こそ速いが、経験不足から相手の攻撃を予測出来ない。つまり、いくら良い目と体があっても、敵が動き出すのを見てから動いていては、物理的に間に合わないのだ。
「さすがだなお前達。助かった」
「よく言うよなぁ。法次の動きは完全に異次元だよな。お前、何を食ってんの?」
「畑山副隊長に同意です。法次隊長は根本的に何か違う。我々を犬と例えるなら、法次隊長は狼です。進化の過程で遺伝子が別れてしまったとしか思えない。他にも例えが許されるなら、北極熊と月輪熊、更にはミツバチとスズメバチ、もう一つ言うならば…」
「ちょっ…ちょちょちょちょ、これっ!」
破れかかった敵兵士のマスクを何の気なしに剥いだ正人は、震える声を出した。畑山と木部もそちらを見る。
「にゃっ! にゃにぃ!」
「これは……法次隊長に似て……いや、そのもの……?」
地面には、目をつぶった俺がいる。正人が次々と敵のマスクを剥がしていくと、俺の死体が増え続ける。
「説明を!」
木部の大きな顔が俺のすぐ目の前に来た。俺は両手で奴の体を押しのけて答える。
「こいつらは、俺の複製……いや違うな。俺と同じ過程で作られた人間だ。ただ、その後急速培養されているって点だけが異なる」
「同じ過程??」
三人は声を合わせてそう言うと、次に一様に首を傾けた。
「そうだ。試験管内で作られたのは正人達も同じだろうが、俺はどうやら量産されているらしい。同じ遺伝子を使って、何体も何十体も作り続けられている……ようだ。俺も今日知ったんだがな」
「そっ……それは……道徳的に違反しているのでは?」
正人が言うのは当然の倫理で、この時代では普通、同一のDNAを持つ人間は作られない。
「奴らはそんなもの持ち合わせていない。なんせ、男と女を戦わせているのも奴らだ」
「はぁ? 戦争の糸を引いているって言いたいのか?」
畑山は口をあんぐりと開けたが、ゆっくりと閉じて何かを考えながら二度三度頷いた。
「確かに、法次みたいな強い奴を工場製品みたいに増やす奴らだしな……」
畑山がそう言いながら木部を見ると、木部も大きく頷く。
「愚鈍な私には正直信じ難いですが、法次隊長の聡明さは誰もが認める所。そして、法次隊長以外にも、魚住中隊長も動いていた」
三人は刀銃を握りなおし、その切っ先をゲートに向けた。
「行きましょう法次君!」
「灸をすえに行くなら付き合うぞ」
「お供します、隊長」
しかし、そんな俺達の前で、ゲートの隔壁がゆっくり降りて行く。急いで向かうが、俺達の目の前でゲートは強固な鋼鉄の扉に閉ざされた。
まずい……。基地が防衛に入れば、俺達歩兵になす術が無い。
正人達は「卑怯だ」「出て来い」と罵倒しているが効果があるはずが無い。もはや今の俺達の装備では手が無いが、時間を食えば敵が広範囲殲滅兵器の用意を整えるかもしれない。
「とりあえず後退だ。悪いが畑山と正人には対要塞兵器を基地に取りに戻ってもらい、俺と木部で敵の監視を……」
[ゴォォォ……」
航空機に似たエンジン音がした。それは基地からでは無く、西の空から聞こえてくる。俺を含む隊員全員が空を見上げて構える。
「法次っ! 機械兵だ!」
畑山が刀銃を狙撃モードにして狙いをつける。
空に見える黒点は五つ。飛行装置を背中につけており、赤い火を背中から吐きながら弾丸のように頭を前にして突っ込んでくる。
「待て! 撃つな畑山!」
「えぇっ! どうしてだよっ!」
同じように機械兵を狙っていた正人と木部も戸惑った様子で俺を見る。
機械兵の装備は重装攻撃型だ。両手に迫撃砲と対艦長距離ライフルを持っている。上空から狙われれば、俺達は壊滅的被害を受けるだろう。……敵だったならな。