第十五話 別消世界2
眠りから覚めた俺達は、日が昇る前に風穴を出た。
駆動系が損傷し、ただの重い鎧となった機動装甲は放棄した。俺は、ジャケットを羽織った花音を両手で担いで浮遊装置で走る。もちろん、裕也達の姿は無い。
丸腰の花音は自分の足で歩かなくてはいけないので、出来るだけ女軍の支配地域に入り込んでから別れる予定だ。
ただ、平地を走っていてはレーダーに引っかかるし肉眼でも遠くから見つかるので、険しい山間を進んだ。時折跳ねて浮遊装置で吸収しがたい程の振動が起こるが、俺の首に両手を回した花音はずっと幸せそうな顔をしている。
「あのね、法次。前に言った事を撤回するよ」
「前に言った事?」
「ほら、私に殺されてってあれだよ。やっぱりさ、最後まで諦めなければ、良いことがあるかもしれないでしょ?」
「もちろんそうだ。確率から言っても…」
「私も今回諦めようかなって思ったんだけど、法次にもう一度会いたいと思ったから頑張って逃げて隠れたんだ。ならさっ! 良い事あったし!」
「……そう言えばお前、殺すと宣言しながら以前俺と戦った時、わざと心臓をはずしただろう?」
「あっ! ……わかっちゃってた?」
「おかげで、俺は生きながらえて良い事があった」
「でもさ、実は他にも……」
「渓谷の罠の時だろ? あの後、恐らく上官に…」
「超怒られちゃったっ!」
俺を見つめながら笑う花音の額に、ふっと息を吹きかけてみた。……やはりあった。子供の頃のあの傷が。
花音は、夢想システムに操られていても、ぎりぎりの所で俺を見失わなかった。
初めは、俺達が部隊を二つに割って女軍の拠点を攻めた時だ。山を攻めた部隊は大部隊に待ち伏せに遭い壊滅的打撃を受けた。平地を攻めた俺達が遭ったのは、紫天使ただ一人。妙な話である。
恐らく、花音を初めとする精鋭部隊が平地の向こうの渓谷に配備されており、そこが怪しいと睨んで進軍する感の良い部隊を殲滅しようと待ち構えていたのだ。
だが、俺の部隊が現れた事を感じ取った花音は、適当な理由をつけて仲間と共に山側へ援軍に行ったと思われる。それに一人納得出来なかった沙織は渓谷に残った。これが、ショルダーハートが遅れて戦場に現れた理由だと俺は考えた。
もう一つ。俺が花音の攻撃で、一週間学校を休んだ時だ。あの怪我を負わされる瞬間、俺の鋭敏な感覚は、自分の心臓が貫かれた様を俺の脳裏に浮かび上がらせた。だが、花音の剣は俺の左わき腹をえぐっただけ。これは、花音が意図して外した以外考えられない。
俺は、花音の頑張りによって生かされている。
「ここで良いよ。ありがとう法次……」
山深い場所だった。花音の言葉で俺は速度を緩める。
「まだ十キロはあるぞ。歩くの大変だろ?」
「これ以上近づいちゃうと、法次がみつかっちゃうよぉ」
「そうは言っても……。分かった、次の山のふもとで別れよう」
俺の言葉を聞き、花音は「別れたくないとか言えないものかね」と、ぶつぶつ言いながらむくれている。自分でここまでで良いと言ったのに、本当に読めない奴だ。
そんな花音を見つめながら走っていると、頬を染めていた花音はあっと口を開けた。俺の耳も同時に後方からの音を捉える。
この高周波の音、浮遊装置だ! 間違いない!
俺は左に逸れ、より険しい尾根を登る。すると、その浮遊装置はぴたりと付いて来る。
これ以上追われると、俺はそいつと女軍に挟み撃ちになってしまう。俺は浮遊装置を止めて、近くにあった岩の陰に花音を隠した。そして、追跡者を待つ。
すぐに、戦闘服に身を包んだ男が現れた。刀銃を携え、覚えのある特殊なゴーグルを顔に付けている。
「よぉ法次ぃ。山登りが趣味だっけ?」
「お前こそ、いつから俺のファンになったんだ裕也。そんなものまで引っ張り出してきて」
裕也の装備しているのは温度感知ゴーグルだ。生物などの熱を数キロ先からでも感知できる。主に行方不明になった部隊員の捜索に用いられ、戦闘に使われる事は一切無い。なぜなら、機械兵は機動装甲によって体温を外に漏らす事が無いし、機械兵の特殊なエネルギーも温度感知ゴーグルでは捉えられない。
つまり、裕也は俺を探していた事になる。
「ああ……これね。昨日、ショルダーハートを諦めて一旦基地へ戻ったんだ。すると正人の奴が『法次君はショルダーハートを探しに行ったまま帰って来ないんですけど、会いませんでしたか?』と、来たもんだ。ピンと来た俺は、夢想世界には行かずに温度感知ゴーグルで一晩中お前を探していた訳」
そこで裕也は、温度感知ゴーグルを顔から外して続ける。
「なぁ法次。さっきは熱量が二人分あったんだよなぁ。でも、今は一人だ。けどよぉ、変なんだよなぁ。お前の後ろの岩の周辺に、人が動いたように漂う熱量が感知できる」
そこまで言うと、裕也は目をくっと開けて俺の背筋も凍るほど恐ろしい顔をして叫ぶ。
「後ろにいる奴! 出て来い!」
花音は、こわごわと顔を出してきた。だが、裕也の形相を見て、すぐに頭を引っ込める。
「ほぉ~。前田花音か……。お前が……ショルダーハートだったのか……。いつから知ってたんだ? 法次よぉ」
「最初っからだ」
「……はぁ?」
「女子が編入してきた初日。その時すでに、花音がショルダーハートだと知っていた」
「ま…マジかお前。なら、もしかして紫天使が沙織だって事も最初から……俺がウィルス作る前から気づいてたんじゃねーだろうなぁ! 分かってて、それでも敵が一人減るから良いとほくそ笑んでたんじゃねーだろうなぁ!!」
「違う! それは前言った通り、ウィルスで沙織が体調を崩してから気がついたんだ!」
「信用出来るかっ!」
裕也は刀銃を構えた。その刀身がオレンジに光を放つ。
「待て! 裕也! 話を…」
[ガキンッ]
俺と裕也の刀銃が交差し、弾け飛んだ俺達は浮遊装置を滑らし距離をとった。
「へぇ……法次、抵抗する気満々だねぇ。お前がやっている事は、十分死罪に値するぞ。軍法会議を省くために刑を下す仲間に抵抗するのか?」
「裕也聞くんだ! 花音はシステムの罠をかいくぐり、正気に…」
「言い訳してんじゃねぇ!」
[ガインッ!]
俺は裕也の刀銃を受けた。裕也はそれでも何度も、何度も振り下ろしてくる。俺はそれに耐えながらいると、後ろに崖が迫ってくるのを感じた。
[ガキンッ]
「うっ……」
気を取られた一瞬に、俺の刀銃は弾き飛ばされた。そこに嬉々として裕也が迫ってくる。
「法次ぃぃ!」
[Unlock]
俺は裕也の刀銃をかわした。裕也は、垂直、水平、袈裟型と、何度も刀銃を振る。しかし、スローモーションのように見える俺はそれを全て紙一重の所で避ける。
「逃げてんじゃねぇ! 大人しく切られろ!」
更に裕也は振る。振る。振る。だが俺は、その全てをかわし続ける。
「法次ぃぃ! よ…避けるなぁぁぁ」
裕也の目から涙が溢れた。そのまま顔をくしゃくしゃにしながら刀銃を振り続ける。
「沙織ぃ! 返せ! 沙織を……返せぇ!」
もう裕也の剣撃は、正規の物では無かった。無茶苦茶に、がむしゃらに、子供のように刀銃を右に左に振っていた。
裕也……
奴は、俺が花音を助けた事などどうでも良いのだろう。狂ったように機械兵を殺していた裕也だったが、本当に憎かったのは沙織を斬った俺だったのだ。だが、俺がそうした理由も理解してくれた。その葛藤の中で、裕也は純粋な結晶であるが故に壊れてしまった。
そんな裕也が俺の命を欲している。この、大して重くも無い命は、ここで裕也のために使うべきなのだろうか。裕也の気が晴れるなら、少しでも奴の魂を癒せるならば、ここで俺は喰われる道を選択すべきと言うことなのか。
……それも、良いかもしれない。
俺の命も近いうちに失われるだろう。なら……斬られる事で裕也が浮かばれるなら、奴の魂が笑えるなら……くれてやっても……
「法次ぃ! 沙織の……仇っ! 死ねぇぇ!」
俺は、動きを止めて、裕也の刀銃を、見つめる。それは、ゆっくりと、俺の首に、向かってくる。
[バシュッ!]
何かが発射された音がした。そして、裕也の刀銃は俺に当たる事無く空を斬る。
「うぉぉぉぉ! 浮遊装置がぁぁぁ!」
裕也の足元から煙が吹いていた。浮かんだ体は回転を始め、そのまま崖に向かって進んで行く。
「違う裕也! 片方が壊れた場合、吹かすんじゃなくて出力を弱めるんだっ!」
「ほっ…法次ぃ! たすけ……」
「裕也ぁ!」
裕也は崖の向こうに消えた。慌てて俺はそこまで行って下を見るが、奴の姿は見えなかった。崖の高さは100メートル以上で、掴むものもまったく無い絶壁だった。
息を呑む俺の後ろに、足音が近づく。
「ご…ごめんなさい……。法次を……助けたくて……」
「花音……」
花音は、ごとりと手に持っていたものを落とした。青く光っていた俺の刀銃は、次第に光を失っていく。
「……良いんだ花音。仕方が無かった。これが奴の運命だったんだ……」
俺は俯いて泣く花音を抱きしめた。
俺が沙織を殺したから、裕也は俺を殺す。そうなれば、次は花音が裕也を殺しに行ったかもしれない。
この男と女を戦わせると言う筋書きを書いた奴、そいつは絶対に許さない。残ったこの俺の命、裕也の分まで全てを叩きつけて消滅させてやる。
俺はそう誓った。
裕也が消えた後、時計を見ると午前四時を過ぎていた。つまり、現実世界が始まっており、この辺り一体は女軍の支配地域なので山を降りれば見つかってしまう。この尾根まではそうそう見回りには来ないと思うが……。
「もう一泊しちゃえばいいんじゃない?」
花音は、そう俺に勧めてくる。ジャケット一枚の下は裸のくせに強気な奴だ。
腰の装備パックを調べて見ると、携帯食料はまだ十分あるのだが、どうやら水が足りない。まあここは山なので探せば湧き水くらいありそうだが……。
「あれっ? ね~法次……。あの山……見覚えない?」
花音が指差している山を見ると、確かに三つの山が連なったような『W』型の山頂は記憶にある。
「あれは確か……子供の頃……」
「法次と遊んだ時によく見たよね? もしかして、この辺りって私達が育ったコミュニティの近くなんじゃない?」
俺もそうだと思った。
俺と花音が育ったコミュニティの場所だが、正確には覚えていない。あまり気にも留めなかったこの事だが、良く考えれば記憶力が強化されている俺と花音が忘れてしまっているのは不自然だ。もしかすると意図的に記憶に残らないように手が打たれていた気がする。まあ、隠れ住む中立コミュニティなので当然とも言えるが。
「行ってみようよ法次! まさか戻ってきたからって追い出されないだろうし!」
そう言いながら、花音は俺の胸に飛び込んできた。そして、早く担げと目で急かして来る。
「……そうだな。久しぶりに親父の顔を見てやるか。水もあるだろうし」
俺が浮遊装置を吹かすと、花音は俺の頬に口付けをし、進行方向を指差した。
「行けぇ! 法次号!」
「はいはい。ぶぃんぶぃんっと」
俺達は、一つ山向こうの谷間を目指した。
近づくにつれ、記憶が鮮明になってきた。
確かにこの谷の形、周囲の山々、なんて言うか……雰囲気、俺達が遊んだ場所だ。もちろん、地下に続く施設の入り口も分かる。
花音を降ろし、茂みの中に足を踏み入れる。当時と同じ、本物に良く似せた人工の草木だった。
「あれぇ?」
「……おかしいな」
扉はあった。だが、長期間使われていないかのように、砂埃や土をひどく被っている。カモフラージュではない、どう見ても自然の力で何年もかけて隠された様子だ。
俺達は扉を開けて中に入った。降りたところにあるパネルを触ると、施設全体に明かりが点る。
……誰もいなかった。空気も、なんだかカビ臭い。
「女軍が攻めてきたから逃げ出しちゃったのかなぁ?」
「妙だ。それよりも前にこの施設を放棄した気がする」
花音達が日本に攻め入って来たのが約半年前だ。たった六ヶ月で扉の外にあれだけ土が積もり、施設内の空気がこんなにも淀むだろうか……?
俺達は静かな通路を歩き、二人の家が合った区域に来た。花音の方は消されていたが、俺の『神志那』の姓は扉横のパネルに書かれたままだった。扉を開けて見ると、俺の記憶通りの部屋があった。目を閉じれば、幼い俺と親父が生活している姿が思い出される。だが、もちろん親父はこの部屋にいない。
「ねー法次ぃ。私の家の名前は消えてるけど、中はそのままだよぉ。ねー法次ぃ」
しつこく名前を呼ぶので、俺は隣の花音の家に入る。中では、花音が桃色のベッドで寝転び、足をばたつかせていた。
「確か、家族が増える予定も無いので、そのままにしておいたんだったと思う」
「法次ぃ、たまに私のベッドに匂いを嗅ぎに来てたんじゃないでしょうね~?」
「なぜだ? まったく意味が……」
花音はベッドで起き上がり、頬をぱんぱんにして俺を見ている。……まったく意味が分からないな。
その後、花音は自分の部屋の小物を一つ一つ手にとって、優しい目で見つめている。時折、笑ったりもする。俺が近づくと、花音は笑顔のまま俺に話しをして来た。
「これね、パパが作ったのよ。手作り」
「手作り? これが?」
見事な木彫りのウサギだった。てっきり、3Dスキャナーで加工したものかと思ったが。
「私がウサギさんを飼いたいって言ったら、飼うのは可哀想だからって、これを作ってくれたの。半月もかかったんだよっ!」
花音は、本当に嬉しかったのだと分かる表情をしている。
花音の父親は、確かに優しかった。そして思慮深く、物事の道理を日常的に俺にも説いてくれた。よく喋るだけの俺の親父とは違うなと、当時の俺は辟易したものだ。
だが、花音の父親は……花音の手によって……殺され……
木彫りのウサギを漠然と見ていると、そのウサギの体に一滴の水が落ちた。二つ、三つと増えた時、俺は花音が涙を流しているのを見つけた。
「パパ……死んでた……」
「死んでいた?」
俺は聞き返した。当然だ。『死んでいた』は変だ。それなら病死などの自然死か、事故死、または第三者による殺人が該当してくる。
「あのね、帰ったら……パパ死んでたの……。私のせいだ……。私が殺した……」
「花音、ゆっくり、詳しく話をしてみろ」
俺は花音の肩を抱いて、指で涙をぬぐってあげた。
俯き、しばらく黙っていた花音は、濡れた瞳を俺に向ける。
「山奥に二人で住んでたんだけど……、突然……パパは引っ越すって言ったの。急いで準備していたら、パパは水を汲みに行くことを私に頼んだ」
「花音に、一人で? ……それで?」
花音は当時の事を思い出したのか、両腕で俺に強く抱き付いてから話を続ける。
「ゆっくり……ゆっくりってパパは言ったの。だから……お水を汲んで、お花を見てから帰ったの。そしたら……パパは穴だらけになって……。私を気遣ってゆっくりって言ったのに、本当に私がなかなか帰らないから……パパは女軍に見つかって……」
俺が花音の髪を撫でると、彼女は俺の胸に顔をうずめた。
「そのまま……女軍に接収されたのか?」
少し間が空いた。そして、花音は首を横に振ってから顔を上げる。
「三日後……くらいかな。パパをお墓に埋めて、しばらく小屋に一人で住んでいたら機械兵が現れて……」
「そう……か……。だが、父親が死んだのは花音のせいでは無い。もちろん、女軍が悪い訳でもない」
「戦争……だもんね……。でも、私がもっと早く帰っていれば……私のせいで……」
花音は、またぽろぽろと泣き始めた。
……しかし、この話は妙だ。
どうして、あの聡明な花音の父親が、女軍が迫っていると言うのに花音を遠ざけるように一人で水汲みに行かせたんだ? 二人で小屋にいるところを見つかったとしても、花音は女なので安全だ。なのに、なぜ手元から放した? まるで、花音の命も危うかったかのようだ。
そして、もし女軍が花音の父親を殺したとしたら、その後は仲間がいないかすぐに山狩りをしたはずだ。だが、花音が見つかったのは三日後。なぜそんなに時間がかかった?
では、迫っていた敵は男軍だったとしたらどうだ? ……ありえない。それなら確かに花音は危機だが、父親が殺される理由が無くなる。
不思議だ。花音の記憶違いはありえないし、父を殺したと認める花音が嘘をつく理由は無い。この話の虫食い部分を埋める答えとは……?
ひとまず、花音を更に傷つける事の無いように、疑問は俺の胸に仕舞った。すると、その胸で花音が何やら鼻を動かしている。
「何をしている?」
聞くと、顔を上げた花音は口を横に開いて言う。
「匂い嗅いでるの」
「……なぜだ?」
すると、花音は軽くため息をつく。
「法次は嗅ぎたくならないの? 私のは気にならないの?」
まったく意味が理解出来ないが、俺は机上よりも現場との事で花音の髪に鼻を付ける。
「うん……。汗の匂いだな。やはり丸一日シャワーを浴びていないと…」
「がぶぅっ!」
その時、俺の胸の先に強烈な痛みが走った。見ると、花音が俺のシャツ越しに噛み付いている。
「いっ……痛いぞ花音! 何をしているっ!」
「デリカシーって言葉を教えているのよっ! がぶぅ!」
痛みで花音を突き放す事が出来ず、しばらく苦悶の表情で身もだえしていた俺だったが、もう無理だという時に花音はようやく離れた。その顔は、いつもの笑顔に戻っていた。良かった……と、言いたい所だが、あと二秒遅かったら俺は泣いてしまっていたかもしれない……。
笑顔の花音は、俺の目を見ながら更に口を横に開いて言う。
「でもさ法次、私は法次と二度と会えないと思っていた。それが……この広い戦場で、お互い敵同士でも会うことが出来た。これは偶然なんかじゃなくて、もう奇跡なんじゃないっ?」
俺も花音と同じ事を考えたことがある。しかし……
「花音、それよりも誰かが俺達の存在を知っていて、わざと二人を出会わせようとした可能性の方が…」
俺はその瞬間、歯を見せながら俺の胸に噛み付こうとする花音の体を遠ざけた。更に二度、三度と花音の攻撃をかわす。
すると花音はそのまま部屋を出て行き、通路で首を左右に振っている。
「昔の事を思い出したら、法次のお父さんとか、皆に会いたくなったなぁ。どこ行ったんだろう?」
「書置きでも残して置いてくれればな……。情報を……。そうだな、あそこに行ってみるか」
「そだね!」
俺と花音は、制御室へ行ってみる事にした。施設は全てその端末で管理されていたので、何か手がかりが残っているかもしれない。
中に入ると、制御室には昔の記憶のそのままに、いくつもの箱型機械が並んでいた。その一つのスイッチを俺が押すと、連動して全ての電源が入り、空中に無数のモニターが現れた。
「ここの蓄電池も生きているんだね」
花音はそのことを不思議そうにしているが、俺にはもっと大きな疑問が浮かんでいた。それは、この部屋にあるコンピューターなのだが、子供の頃は気が付かなかったが最新なのだ。数年前からあるこれが、今の俺の基地よりも先を行っているとは……?
俺はモニターに手を触れ操作する。すると、ある時期で記録はぷっつりと切れていた。
「俺がここを出て……翌年に閉められている。花音がいなくなってから二年後だ」
「私がいなくなっての二年間に浮気しなかったでしょうねぇ! 海の向こうに住んでいた時、それだけが心配で……」
「ウワキ?」
「なっ…何でもない!」
花音は妙な知識を持っている。学校で女が読んでいた雑誌と言う薄べったい本と関係あるのだろうか? まあ、とりあえず俺はデータを読み進める。
「最後に何度もアクセスされているのが……ここだ。この施設。場所は、北関東でも最北の地域だな」
「そこは……確か女軍の進行目標から外れていたよ。何も無い場所だって感じだったかな?」
女軍の兵士として最前線で戦っていた花音であり、地図など一瞬で覚えてしまう花音だ。言う事は確かだろう。
とりあえず俺は、メモリーチップを取り出して、その情報を保存して置くことにした。
「えぇぇ? そのくらい覚えられないのぉ?」
花音は、口を三角形にして俺を見ている。冷や汗が流れた。
「いやっ……念のためにだな……」
「同じ遺伝子強化をされている人間として、信じられなぁーい!」
お…覚えられるんだが、確実性を増すために……。これは俺の性分で……。しかし言い訳がましいので口をつぐみ、花音に罵倒されながらチップにデータをコピーした。
その他にも気になるデータはあった。
俺や花音、その他の遺伝子強化された人間全てのデータが残っており、細やかな運動データまであった。いつ測られたのかまったく記憶に無い。
そして、なぜか男軍の浮遊装置の情報や、刀銃の情報、更には、女軍の機動装甲の情報も揃っていた。現物は基地から発見出来なかったのだが、一体に何に使用していたのだろうか?
まだまだ調べ足りない俺だったが、花音が「遊ぼう」とぶーぶー言い出した。無視を決め込んでみたら、俺の大事な刀銃を持って逃げ出した。そこから鬼ごっこが始まり、日が暮れる時間まで遊んでいた。
二度目の夢想時間が来ると、すぐに俺は花音を女軍に送り届け、踵を返して自陣へ戻った。
花音の「二人っきりで、ここで暮らそうよ」との提案にはひどく揺れたが、まだ世界は気になる事が多く残っているし、あの基地も安全とは限らない。
だが、もし世界に平和が訪れたら……、男と女が憎しみ合わない世界がやってきたら……、花音と一緒に暮らそうかと思う。
四番隊隊長、笹柿裕也は、遺体未発見のまま戦死とされた。
探せば裕也の体が見つかる場所を俺は知っているのだが、今は正人にも言えない。あの粗末な墓で奴が満足してくれれば良いのだが。