第十四話 別消世界1
俺の中隊同様、どの中隊も撤退の連続だった。つまり、男軍の領地は削られ続けていて、東アジアでは最後の砦となった日本も近いうちに失う事になるかもしれない。もちろんそうなれば、海に囲まれて逃げ出す場所の無い俺達は全て殺されるだろう。
学校では、男子の殆どが休んでいた。夢想世界に入る事をせず、寝る間も惜しんで現実世界で訓練をしている。もちろん命令違反だが、俺を始め各隊長は何も言わない。
ただ、夜は不可侵との条約を破る事は絶対に無い。もし男側から破れば、ただでさえ数の上で不利なのに、昼も夜も攻めてこられて殲滅される時期を早めてしまうだけだ。
女は女で、絶対的優位なので破る必要性が無い。このままでも勝利は目前なのに、自ら破って奇襲により被害を増やす理由が無いからだ。
夢想世界は、この絶妙なバランスで成り立っている。ただ、それも俺達が絶滅すれば終わりとなるのだが……。
「沙織殺しの法次、ちょっと来てくれない?」
花音が席に座っていた俺に声をかけてきた。沙織を殺した俺は、女子達からずっとこう呼ばれている。
俺達は廊下を歩いて突き当たりに来た。よく考えれば、沙織が死んでから花音とまともに話をするのは初めてかもしれない。
「法次、男軍と女軍の緊張が高まってきているよね」
「ああ……そうだな。近いうちに大きな戦いがあるだろう」
「あのね、法次。それが始まってすぐ、夢想世界で連絡を取り合って、現実世界で落ち合わない? そこで……私に殺されて欲しいの」
「……お前の親友である沙織を俺が殺したからか?」
しかし、花音は首をぶんぶんと横に振った。そして、俺の目をじっと見る。
「私の知らない所で法次が死んで欲しくないの。出来れば……私の前で。出来れば……私の手で」
俺は花音が昔してくれた、カマキリの話を思い出した。「私に喰われて欲しいの」、そう言う雌に、雄は自分の首を差し出すのかもしれない。
「……それも良いが。なんせタイミングが難しい。俺はぎりぎりまで小隊員を守らなければならない」
「絶対だよ! でも……殺される前に、私として欲しい事があるの……」
「死ぬ前にか? 俺が死ぬのに、俺の願いではなく、お前の願いを叶えるのか? なかなか自己中な……。まあ良い。何だ?」
「女の子はこんななのっ! あのね、法次どうせ知らないと思うけど、キスって分かる?」
「きす? 食用の魚か? スズキ目キス科の魚で、主に海岸付近の砂底で生活を…」
「はいはい」
花音は手をひらひらと動かして俺の言葉を遮り、話を続ける。
「最後の時には……私と唇を重ねて欲しいの」
「唇を? 前にもそんな事を言ってたな。それにどんな意味が……?」
「良いから! 女の子は幸せな時にそれをしたいのっ!」
「俺を殺すのに幸せを感じるのか? 少し怖いが……まあ最後だし、良いだろう」
「ちがっ……ちょっと違うけど、頭の固い法次はそう思っていても良いよ!」
花音は悲しいような嬉しいような感情の入り混じった表情をしている。それにしても、やはりまだ夢想システムの影響は排除していないようで、俺を殺したくてたまらないのだと見える。
それから半月ほど経った頃、大戦が始まった。
細かい戦略など無視して、女軍が怒涛の勢いで押し寄せてきた。それに対し、男は徹底抗戦。まさに力と力の押し合い。迫撃砲が飛び交い、女軍は空爆も開始した。だが、レーダーの効かない世界なので、最後は歩兵と歩兵の血生臭いぶつかり合いとなる。
背水の陣とはよく言った物で、男軍はかなり善戦をしていた。俺の小隊も、補充兵が来る間も無く四人で戦いに駆り出される。そして、疲労は最高潮に達していた。
戦いが終わるとすぐに部屋に戻って眠る男達が増え、夢想世界の出席率も上がる。だが、その夢想世界の授業中でも男達は眠ってしまうほど疲労困憊だった。そんな男達を見る女子の目は、少し哀れみを帯びているように感じたのは俺の錯覚だろうか?
そして今日もまた、俺達は戦う。
「疲れましたねー」
日暮れ、俺達が体を引きずって基地へ戻っていく途中、現ムードメーカーな正人はそう言って笑う。すると俺や畑山、木部も満身創痍ながら笑顔を作って見せた。
「しかし大丈夫ですかぁ? 畑山さん……」
正人が畑山の銃創が付いた足に触れると、畑山は「痛ぇ!」と叫んだ。その隣で、肩を貸している木部が心配そうに言う。
「畑山副隊長、法次隊長の言う事を聞かないからであります。あの場面では隊長の指示通りに回りこんでいさえすれば…」
「木部ぇ。俺より法次が好きになったのかぁ?」
「そうではありませんが、法次隊長の命令は最善手です。それはこの前に、自分共々命を救ってもらったときに確信したではありませんか? 畑山副隊長もだからこそ、法次隊長を、隊長だと認めて…」
「それは……そうだったな。さっきは少し俺が前に出すぎた。悪い、法次」
片手で拝んで見せた畑山に俺は手を振る。今日も誰も死ななかったのが最高だ。
[ガサガサ]
その時、そばの茂みが揺れた。俺達はすぐさま刀銃を構える。もうとっくに戦闘域を出たはずだが……?
茂みから出てきたのは、刀銃を携えた同じ戦闘服を着た男だった。
「……なんだ、十五番隊か」
そう言ったのは、確か裕也のとこの四番隊の隊員だ。奴は何かを探すように首を振り、浮遊装置で走る俺に並びながら聞いてきた。
「ショルダーハートを見なかったか?」
「ショルダーハート?!」
「ああ、俺達が追い詰めたんだ。さすがにここまでは来てないか……」
そうして、身を翻して北に向かおうとする男に俺は尋ねる。
「追い詰めたって、手傷を負わせたのか?」
「手傷どころか重症だ。裕也隊長がプラズマ砲を直撃させた。奴の機動装甲はもう満足に働かないはずだ。あと一歩だったのに……くそっ」
舌打ちをすると、そいつは浮遊装置を唸らせて行ってしまった。
まさか……花音が? 裕也の奴、それほど強くなっていたのか……。
最小出力でホバーを走らせていた俺だったが、左手パネルを操作して出力を上げる。すぐに足元から粉塵が巻き上がった。
「手伝いに行くんですか?」
正人がそう言いながら自分の浮遊装置出力を上げようとする。だが、俺はそれを止めた。
「どうせ見つからないだろう。俺は聞いた手前、代表として協力してくる。お前らは基地へ帰っていてくれ」
「了解でーす」
正人がわざとらしく敬礼をすると、畑山と木部も深いため息を付きながら体を基地へと向けた。今日はそれほどみんな疲れきっていた。
俺は浮遊装置の最高速度で戦闘域に戻る。
停戦時間が迫っているためか、戦場には誰の姿も無かった。
炎を上げる木々の間を抜け、俺は花音を探した。
この時期、日が暮れれば氷点下になりかねない。花音の機動装甲は攻撃を受けて壊れている可能性が高く、温度調節が出来なければ凍死するだろう。
「駄目だ。こんな広い場所で見つけるのは不可能だ。……一人ではな」
俺は浮遊装置を止めて、耳を澄ました。静かになった戦場で、浮遊装置の音が遠くでかすかに聞こえる。数は五つ、裕也の小隊員達だ。
俺は地面にこの辺りの地図を書き、小枝で音が聞こえる場所の印をつける。しばらく奴らの捜索ルートを辿っていると、死角と成り得る場所がある事に気がついた。
花音なら、俺と同じく浮遊装置の音と方角を聞き分けられるはずだ。俺は、裕也達の探索圏外であるその渓谷へ向かった。
崖になっている場所で俺は浮遊装置を止め、下を覗く。茶色い山肌が広範囲に見え、かすかに小川のせせらぎが聞こえてくる。
「ここは……冷えるぞ花音」
俺は歩いて斜面を下りた。浮遊装置を使わずとも、木の枝やつるを握れば安全に進める。それに、俺以外にもここを寸前に下りた奴がいる。そいつが削り取った道を辿ると、山肌に開いた横穴を見つけた。俺はその穴に躊躇無く飛び込む。
「花音!」
「ほ…法次?」
俺のライトで照らされた穴の中では、壁にもたれて座っている機械兵が一人いた。頭部の赤い光も消えており、機動装甲のいたるところが熱によって変形している。だが、その焼け焦げた鎧の肩には、僅かに桃色の塗料が残っている。
「ガトリング砲を下ろせ。どうせその溶けた砲身では水も出ないぞ」
「懐かしいね。昔、水鉄砲作って遊んだね!」
花音は腕を下ろし、鎧の中でふぅっとため息をついた。
「私を殺しに来たの? 私が法次を殺す予定だったのになぁ……」
花音は、機動装甲こそ溶けたり焼けたりして破損しているが、体には怪我をしていないようだった。裕也達が考えるよりも、機械兵の装甲は厚かったらしい。
「早まるな。時刻計が壊れているんだろうが、これを見ろ」
俺は左腕のパネルを見せる。時計は、午後八時を過ぎていた。
「停戦時間かぁ。賞金首が目の前にいるのに……律儀に守るの?」
「俺の性格を忘れたのか?」
「待ち合わせ場所の近くで五分前に身を隠し、一秒の遅れも無く姿を現す変人!」
「正解だ」
俺がマスクを外して隣に座ると、花音も息苦しかったのか頭部装甲を外した。そして、花音は大きな目を見せながら俺に聞いてくる。
「あの……法次……。さ…寒くない?」
「別に。戦闘服に温度調節機能があるからな。貸してやろうか? 装甲を全部取れよ」
そう言うと、花音はなぜか顔を真っ赤にした。
「ぬ……脱げないのよ……」
「なぜだ? 手伝ってやろうか?」
俺が胸の装甲に手をかけて引き剥がそうとすると、花音は声を荒げた。
「きゃぁぁ! エッチ!」
「はぁ?」
「私は感覚を鋭敏にするために、下は何も着てないのぉ! 裸なの! すっぽんぽんなの!」
「そうなのか? 機動装甲について詳しく知らないものですまない」
「ううん……。いつもは下着だけは身につけているんだけど、最近は戦いが激しいから本気を出しちゃってて……」
「本気と言えば、お前がこれほどまでやられるなんて珍しいな。裕也はそれほど強くなっていたのか?」
「う……。そうじゃないの。動きで裕也君って分かっちゃったから……沙織を思い出して、ちゃんと戦えなくて……」
「ちゃんと……戦えない?」
引っかかった。花音は以前、戦闘中に俺と分かっても、戦いを続けたはずだ。なのに、今は裕也と知った途端、戦意を喪失しただと?
「まさか……花音……、俺の言ったことを実行しているのか?」
「うん……。夢想システムは最後の三十分止めた。そうしたら、一日中気分がすっきりした。ずっと法次の事を考えていられるようになったの!」
「俺?」
「えっ……えへへ……」
花音は笑っているが、寒いのか歯がカチカチと鳴っている。
俺は手に持っていた刀銃でふと閃き、最小出力の熱剣モードにして目の前の岩に突き刺した。ぼんやりとオレンジに輝く刀銃からは熱が発せられ、すぐに穴の中が暖かくなってきた。
「わぁ、暖かいし綺麗! 法次達の武器にこんな使い方あったんだね!」
「まあ……やったのは多分俺が初めてだろうけどな。厳寒のこの二月、助かったな」
「法次、知ってる? もうすぐバレンタインなんだよ」
「ばれんたいん?」
「ホント、男って昔のデータとか見ないのね! あのね、手作りチョコって言って、チョコレートを溶かして、その熱くて柔らかくなったチョコを……って、あっつぃ!」
花音は突然叫び、身をよじった。
「熱い熱い! 鎧が熱いぃ!」
よく見ると、装甲がちりちりと熱剣で焼かれている。
「いや……花音、これが最小出力だから……。これ以上刀銃を外に出したら、穴の外に光が漏れて裕也達に発見されるかもしれないぞ……」
「でも熱くて死んじゃうぅ!」
「お前、無駄に体がでかいから……」
肉厚の機械兵の装甲のせいで、花音の体はずいぶんと俺より熱剣に近い。
「ちょっと! 脱ぐ脱ぐぬぐぅ! これぬぐぅ! 法次、顔逸らしててよっ!」
ガシャガシャと装甲が外れていく音の後、俺が差し出した手から戦闘ジャケットが凄い勢いで奪い取られた。
「はぁ~熱かった。法次、この粗大ごみを捨ててきてよ」
花音は白く綺麗な足で、狭い穴の中でこれが邪魔だと機動装甲を何度も蹴っている。
「お前の鎧だろ? だが、こんなもの身につけなくて良い日が来るといいよな」
「それなら、これみたいに黒一色じゃなくて、綺麗な服を着て法次に見せてあげるのになぁ……」
「ああ、楽しみにしている」
「……法次」
横を向くと、すぐ目の前に花音の顔があった。
俺達は、自然と唇を重ねる。