第十話 悲過世界1
しばらく経った。
俺達の中隊は、新基地に移動した後はなりを潜めている。もちろん他の基地にいる中隊の中では女軍と小競り合いをしているところはあるだろうが、ここ最近はどこも大規模な作戦が行われていない。
中隊長も何かと忙しいらしく、時折通信で定時指示をしてくるだけで重要な指令は無いようだ。学校に例えるなら、自習といったところか。中隊長は大隊長と顔を合わせる事が出来たのだろうか?
学校と言えば、みんな相変わらずで相変わらずだ。
裕也の奴なんか、朝教室に入ってきて一番に挨拶をするのが沙織だ。そして一通りにこやかに話をしてから、忘れた頃に俺に挨拶をする。正人は正人で、休憩時間の間中ずっと美樹とファッション雑誌と言う物を二人で読んでいる。
俺はどうしているのかって? 今は昼休みで、それを眺めているところだ。
「法次は一人ぼっちだね。さみしい?」
「お前こそ」
空いていた俺の前の席に勢い良く座った花音は、頬杖をついて笑っている。
クラスに女達が編入してきた頃は花音と話をするのが心苦しかった俺だったが、今は当然気兼ねなど要らない。微塵も必要ない。
……だが、やはりもう一歩踏み込めない。他愛も無い話で日暮れまであっという間だった子供の頃と違い、何かしら間を空けないように話題を探してしまう。
「特定の人は作らないわけ?」
「だから、お前こそ」
「私は作らないんだよ」
「俺もだ」
「どうして?」
「どうしてってお前……」
俺は言いようの無い感覚に襲われた。言葉では表現しにくい、この心のつっかえは何だろうか? 戦場に出る前に、自分はこの戦闘で死ぬのではないかと言う予感がした時に似た感じだ。
不安。それか。
花音も俺のように特定の相手を作らないのは、戦場で仲良くなった相手を殺してしまうかもしれないと思うからに違いない。
「あいつら、現実世界で出会ったらどうするんだろうな? ……俺達のように」
「それは……」
花音は視線を落として顔を曇らせた。
戦場では、男達はマスクで顔を覆っており、女達も鉄仮面で素顔が見えない。もし、相手が知り合いだったと知る時は、相手の顔を確認出来た時は……片方が屍になっている可能性が高い。
俺と花音は、まだお互いを死に至らしめていない。だからこそ悩んでいるとも言えるが、相手を殺してしまった後の苦悩とは、いかほどの大きさになるのだろうか。
花音も何かを考えていたようだったが、また明るい顔に戻って俺を見た。
「でも良かった! 法次は一人ぼっちでも平気そうで!」
「どうしてだ?」
「えっと……ほら、あの……法次は暗いから、相手がかわいそうだなって……」
「はぁ……? 暗いってのは別に否定しないが……」
「ずっと一人でいてね! 恋……」
「コイ?」
「恋……、と…特定……の相手を作らないでね!」
「? ……分かった」
花音は何を言いかけたんだ? コイ…? 俺の語彙の中に、コイから始まる『特定』に類する言葉は無いが……。
まあとりあえず、これが平和と言う物なのかと思える日常だった。
訓練場で汗を流す毎日より、高校へ通って笑う日々の方が自然な気さえした。
だが……俺は知らなかった。
現実世界と夢想世界のギャップが広がるにつれ、その揺り返しの反動が大きくなるのだと。
ある日、俺は基地の自室で部隊状況をチェックしていた。これでも一応小隊長なので、我が小隊員の活動状況、具体的には施設や武器の使用頻度を把握しておかなければならない。中隊長に何か尋ねられた時、知らない分からないでは通らない。
すると、以前には無かった変化に気づいた。
ここ一ヶ月間、裕也や正人が頻繁に高度機械研究室や化学研究室、生体研究室に出入りしているのだ。学校や訓練時間を除く、自由時間ほぼ全てを費やしている。つまり、俺と顔を合わせていない時はずっとどこかしらの研究室に入り浸りのようだ。
研究室は学校の保健室とは違い、ふかふかの枕や寝心地の良いベッドがある休憩室からは程遠い部屋なので遊びでは無いだろう。
個人的な研究らしく、二人が何をしているかは記録されていない。もちろん軍規違反などでは無く、兵士は各々の能力を伸ばすため、軍事指令以外でも研究室が空いていれば使用可能となっている。
高度機械研究室、それは文字通り高性能なコンピューター端末が置いてある研究室であり、実は裕也の専門分野である。そして人体の修復や構造を扱う生体研究室は、正人の専門であり、近似分野の化学研究室も正人なら出入りしても不思議は無いが……。
だが、二人して専門以外の研究室にも足を踏み入れている。使用時間が裕也と正人で重なっているので、協力して何かをしているのは間違いなさそうだが……?
俺は、普段はもちろんしないが、現在二人がどこにいるのか施設地図に表示させてみた。すると、やはり今も研究室にいる。もちろん二人共々だ。
使用頻度が高すぎる、との理由で、俺は裕也達がいる高度機械研究室に向かって見ることにした。自由に使えると言っても、あまり特定の部隊員が占領して居座り続けるのは好ましくない。……との隊長的説明が出来るが、ただ気になっただけだ。
昼間基地で顔を合わせ、夜間は学校で会っているから二十四時間知っている気になっていたが……人には側面って物があるんだなと俺に思わせる。
なら、女でなくとも、人なら二重人格と思わしき部分が大なり小なりあるのかもしれない。それを抑圧している男、解放している女。女は進化の過程でそう変化してしまったのだろうか? なら女の攻撃的変化も説明出来るし、花音の豹変も理解出来る。
俺は基地通路を歩いていると思い出した。この一ヶ月間、裕也や正人と自由時間に通路ですれ違った事がある。二人は、とても隠し事をしている様子は無く、ごく自然に挨拶をしてきたはずだ。
なのに、高度機械研究室の扉を開けた俺を見て裕也は酷く驚いた。
「おわぁ!! な…なんだよ法次! ……珍しい!」
二人して大型端末の前にいたようで、裕也の声で正人も振り返る。
「法次君の事です。そろそろ僕達のしている事を察知しても不思議じゃないです」
「法次は地獄耳だからなぁ。すげーだろ! って、俺から言いたかったのに」
裕也が顔をしかめ、それを正人は笑っている。
……杞憂だったか。俺が気にしすぎたようだ。
「まあ言いかぁ。もう完成だしな?」
裕也がそう言うと、正人は頷いた。すると裕也はそばの端末に指を滑らし、俺の顔の前にモニタースクリーンを浮かび上がらせる。
「俺と正人の合作。画期的だろ?」
「ほとんど裕也君が作ったんじゃないですか。僕は脳の構造について少し教えただけで……」
二人はお互いを称えあっているが、俺には二人の研究成果らしきものがまったく読み取れない。モニターに表示されているのは、難解な数式とプログラムらしき機械文字、そして何かの構造を示す多角形の図、それが数百ページ続いている。
「お前ら、俺の専門が遺伝子工学ってのを忘れてないか?」
俺がモニターを押すと、空中を滑って裕也の頭に当たって止まった。裕也はそれを水平にし、人差し指の上で回しながら俺に言う。
「一言で言うと……ウィルスだな」
「ウィルス? コンピューターウィルスか?」
「なんだ、分かってんじゃねーの」
ウィルスと言えば主に二種類、もう一つは人体に影響する微細菌だ。一応俺の専門は遺伝子工学なので、先ほど見せられた情報ではそちらでない事だけは判断出来た。
しかし……化学兵器にしてもコンピューターウィルスにしても、今の時代どちらも研究され尽くして有効な物は数十年と姿を見せていないはずだが……?
裕也は、操作をするとスクリーンに人間の遺伝子情報を表示させる。これは俺の専門なので有機塩基類の種類までよく分かるのだが、当然遺伝子を見ただけでは誰の物か判断は出来ない。
「これは……?」
「紫天使のだぜ。この間、俺が腕を切った時に刀銃の刃に付いた血液から採取したんだ」
なるほど。それであの後しばらく、裕也は自分の刀銃を備品庫に戻さなかった訳か。
しかし紫天使の遺伝子を採取……と言えば、俺なら複製を作る事しか思い浮かばないが、ここからコンピューターウィルスにどう辿りつくのか……?
「さぁ~て、本日は、裕也様の講義でもさせていただきますかぁ」
「なにをドヤ顔しているんですか裕也君……」
普段俺から戦術の稚拙さを指摘されている裕也だが、ここぞとばかりに鼻を膨らませている。正人もそれを見て呆れ顔だが、その出来たウィルスには自信があるのかまんざらでもない表情だ。
鼻息荒い裕也が説明を始める。
「ウィルスが廃れた理由の一つは、自己進化するファイヤーウォールが開発されたためだが、この鉄壁の壁に穴が無いわけじゃない。本当に穴が無ければ、必要な情報も通れないからな!」
「そこを……通すのか?」
俺が聞くと、裕也はがくっと体を崩した。そして肩をすくめながら顔を上げる。
「そうだけど、そんな単純簡単に言うなよ法次ぃ~。ここが苦労した部分なんだからさぁ……。あのな、」
「簡単に言うと、攻撃じゃない情報を作って通す訳です。偽装でなく、本当に攻撃では無いウィルスを」
正人が裕也の前にずいっと出て俺に言う。そんな正人の頭を裕也は後ろから一発叩いた。
「良いとこ取るんじゃねーよぉ! ……もう言うこと無くなっちゃったぜ。ううん……ええっと……、この間、法次言ってたろ? 夢想世界の女は温厚だけど、学校が終わり現実世界と切り替わる時間に豹変するって?」
「ああ。言ったな」
花音と名前を出した訳じゃないが、その時間に攻撃的に急変する何かがあるようだと部隊員には伝えてある。女が気に入り始めた裕也と正人は、妙に納得をしていた。
「だからよ、俺と正人は、それは誰かの手によるものだと仮定してみた。要するに、脳にある種の刺激が人為的に加えられたんじゃないかって」
「精神疾患は、ホルモンのバランス崩壊が原因の場合もありますんで」
裕也と正人はそこで肩を組み、なぜだか横に揺れながら俺を見ている。
「んでよ、正人が言うには興奮物質はアドレナリンやエンドルフィンなど無数にあるけど、脳の検体が無いのでもちろん特定は難しい。だから究明はやめて、その人為的に女達に加えられる刺激の方を、増大させてやったらどうなるかな? ……てよ。こっから先は正人の得意分野だな」
裕也が肩を叩くと正人は話し始める。
「人為的に刺激が加えられているとすると、それはいつか? どのような手段か? ですけど、夢想と現実が切り替わる少し前なら就寝中ですよね。寝ている体に薬物を注射するなら、そんな事は覚醒中にすれば良い。と、言う事はですね、やはり夢想システムを介して何かしらの刺激を脳に与えられている……と考えるのが自然です」
正人がそこで裕也の肩を叩くと、裕也が再度鼻を膨らませた。
「誰がそんな事をするんだってのは置いておいて、それは本来人間には害になるプログラムだ。有害を無理に無害として誰かが先にプログラムしてあるため、そこを突くのは比較的簡単…いやっ! 俺だから簡単だぜ!」
……そう言えば正人から聞いた事がある。コンピューター分野での裕也の成績はずば抜けていたと。あながち、裕也だから作るのが可能だったのは冗談で無いかもしれない。
「女達の攻撃的変化を更に増大させる……。つまり、パンクさせるのか?」
俺が言うと、裕也は目を見開いて指差してきた。
「まさにそれっ! ……また良い所言われちゃったよぉ」
「夢想システムにウィルスを混入、女達のネットワーク全体に感染させ、全ての女達の精神を崩壊させる。そうだと言うのか?」
俺は花音の事が気にかかったが、裕也は首を横に振る。
「いぃ~や、それはこの天才裕也様でも無理。蜘蛛の巣状に感染させるプログラムなんて、例え害の無い物だとしてもファイヤーウォールにすぐに検知されちゃうぜ。そこで最初の紫天使の話に戻る訳。遺伝子から判明した生体特性を辿り、自動探索型ウィルスにて奴を叩く! どう?」
裕也は俺の前に来ると、鼻の穴だけを広げて見せてくる。俺はしばらく何の事だと悩んだ後、
「たいしたものだ」
と褒めると、裕也の奴は頬を赤くしてにんまりと笑った。
裕也は「成功する確率は低いけど」と言う反面、これで健太郎と弘明の敵を討てるかもと大はしゃぎだ。正人と二人して、肩を組みながら片足を交互に上げるダンスを始めている。
しかし、分かっているのだろうか? 紫天使、それはお前たちが仲良くしている沙織や美樹かもしれないんだぞ。それを伝えようか迷ったが、結局自分のように苦悩する奴を増やしたくないため俺は言えなかった。
そのせいで、俺達は後で地獄を見る事となる。