第九話 元帰世界4
目を覚ました時、俺は水の中に沈められた状態で白い天井を見ていた。おそらく、新基地の医務室で細胞培養カプセルの中に入っているのだろう。手を動かして体を触ると、花音にえぐられた左わき腹は再生を終えて元通りになっていた。
部屋を見回すと、白衣を着た男の後姿がある。俺が透明なカプセルを内側から叩くと、気がついた男がパネルを操作し、上部の蓋が開く。俺は一杯に培養液で満たされたカプセルから外へ出た。
「どのくらい経った?」
「かなりの重症でしたよ。運び込まれてから一週間です」
答えた医療兵士に俺は礼を言い、そばに折りたたまれてあった軍服を身につけた。体は何の障害も感じず動く。損傷した骨や臓器は完全に修復されているようだ。
俺が医務室を出た所で、さっきの兵士から連絡を受けたのか裕也が勢い良く走ってきた。
「やっとお目覚めかよ法次! しかし、法次がそんなでかい怪我したのは初めてだよな! やっぱあの日は調子悪そうだったからか? でも、最後紫天使を仕留め損なう前は、バカみたいに復調してたよな?」
「そんな事より、弘明は?」
裕也の顔は緩みまくったものから一転し、眉間にしわを寄せながら首を振った。
弘明は、紫天使の振り下ろした鉄拳で脊柱ごと胴体の上部を破壊され、あの場所で息を引き取ったとの事だった。
怪我をしていた別部隊の三人の兵士は数日前に再生を終えたらしいが、連れて帰る術が無いほど粉微塵にされた二人の兵士には黙祷のみの弔いになったようだ。
「でもさぁ、もうちょっと頑張れないものかねぇ一番隊はさぁ」
「助けてもらったんだ。感謝しておけ」
俺は、新基地の兵器庫と訓練場の場所を確認するため、裕也の案内で廊下を歩く。
先日の交戦中に俺達の助太刀に入り、二人を失った部隊は一番隊だったらしい。この中隊で、四番隊と並んでエース部隊と言われる一番隊を軽くあしらったショルダーハートと紫天使はやはり機械兵の中でも抜きん出ている。
片方ずつなら何とかなったかもしれないが、今回の事で二人は同部隊の可能性が高いと分かる。いつから行動を共にしているのかは知らないが、以前の事を言っても仕方が無い。これからは、二人を同時に相手する事を想定した戦法を考える必要がある。
「ん? ……足りないな」
俺の部隊の武器収納庫には、刀銃が四本しかなかった。浮遊装置や戦闘服は五組ずつある。
「あ、そのうち戻しとくよ。俺の刀銃は、気になる所があって研究所に置いてあるんだ」
何でもないと手をひらひらさせながら裕也が言う。俺は少し引っかかったが、そのまま刀銃収納庫の扉に鍵をかけた。
刀銃にしても浮遊装置にしても、最新技術を使った秘密兵器と言う訳じゃないので管理はそれほど厳しくない。
ブラックボックス化された機械兵の制御装置は男軍が欲しがる所だが、刀銃の技術など女軍は必要ないだろう。それに代わる小型高性能なガトリング砲と、岩をも粉砕する鉄拳がある。アクセントとしては、拳から伸びるサーベルを使えば大木も軽々と切断するしな。
訓練場は前回の基地よりも若干狭いものだった。ただ、前のが少し大きすぎただけで、今回の広さが一般的だとも言える。大体学校のグラウンドの二倍程度の大きさの場所が地下に設けられている。
ふと目に入った時計の時間は午後八時前だった。俺は裕也に、俺の兵室を案内するように頼む。もちろん、学校に行くためだ。
「やっぱり……登校しちゃう? 法次は重症だったから、もう一日くらい休んだほうが……」
「何を言っている。俺は完調だ」
怪我した部分に何の憂いも無いことを示すために左腕を回してみた。そんな俺を見ようとせずに、視線をそよがす裕也が気になった。
「学校で何かあったのか?」
「いやぁ! ……もう、全然! 猛烈にいつも通りっ!」
そう言う裕也だが、なぜか頬の左側がひくひくと引きつっている。
夢想世界のプログラムに、重大な欠陥でも現れたのだろうか? いや、そんな事を隊長であり友人の俺に隠す必要は無いはずだ。
俺は、前回と同じような薄暗い兵室に案内されて、ベッドに横になった。
朝八時。俺はマンションを出ると通学路を歩いて学校へ向かう。夢想世界の空は青く、街路樹の枝にとまる小鳥はさえずっている。いつもと何も変化が無い。
校門をくぐる頃には他の生徒達の姿も見かける。皆、気の抜けたと言うか実にリラックスした顔をしている。現実世界のどこか曇った笑顔とは別次元のものだ。これも、まったく普段通りだ。
しかし、教室に足を踏み入れると俺は夢想世界に違和感を持った。現実世界の基地は引越しを終えたが、夢想世界の学校は以前とまったく同じなはずだ。だが、……何か違う。俺が入った瞬間、教室内が静まり返ったのも気になる。
「よお法次ぃ! 元気してたかぁ?」
「さっき会ったばかりだろ」
裕也の奴はやはり変だ。言動からすると、現実世界と夢想世界はまったく別で進行している……とでも考えたいのか、装いたいのか、逃避したいのか?
あからさまに教室全員が俺を意識している。なぜそう思うか? ちらちらと送ってくる視線で丸分かりだ。皆は居心地が悪そうにしているが、当然俺はクラスの人数倍分居心地が悪い。
裕也だけでなく、正人も床を見ながらエヘヘと気味悪く笑っている。それに、皆の位置関係も不思議だ。どうしていつものように男女で真っ二つに割れるのではなく、入り乱れた乱戦のような配置なんだ?
「法次、ちょっと」
そんな俺の腕を引っ張り、教室の外へ連れ出していくのは花音だった。驚く俺の耳に、「おーっと花音ちゃんがいったぁ」と裕也の声が聞こえる。何かのゲームなのか? ん? 女も交えてゲームだと?
廊下に出ると、花音は俺の体に視線を向けながら口を開く。
「法次、怪我は……平気?」
「……まあ、今の時代、即死じゃなければ治せるしな」
いつまでも俺の左わき腹を見ている花音に、俺は薄々答えが分かっている事を一応聞く。
「マスクで顔を覆っていたのに俺だと分かったのか?」
「分かるよ。動き方をもう覚えたもん」
「さすが花音だな」
「法次こそ、あの時ロックを外したでしょ?」
「外したんじゃない。外れたんだ。自分の意思で自由に出来るなら、健太郎や弘明を死なせはしなかった」
「一人増えたね。弘明……君か」
花音の瞳に後悔の色が浮かんでいる。
花音がやった訳では無いが、仲間がした事に責を感じているのか? 俺も現実世界と夢想世界の女子が結び付けられず、また、結びつけようとするからこそ現実世界の機械兵への攻撃を躊躇してしまうのだが、花音を初めとする女達は少し違う印象を受ける。まるで、彼女達は現実世界と夢想世界で別の人格、二重人格であるかのようだ。
だがそれよりも、俺は今一番気になっている事を花音に聞いてみる。
「それはそうと、裕也のあの態度は? クラスの他の奴らも様子がおかしいぞ。何があった?」
「ああ……あれねぇ……」
花音はほんの少しためらったそぶりだが、上目遣いに俺をしばらく眺め、間をとってから話し始める。
「法次って……厳しいの?」
「はぁ?」
何がだ? 何についてだ? それに、俺が何かに厳しかったとして、それがどんな関係があるんだ?
「法次が休み始めた日だったかな、体調が悪かった沙織に、裕也君が話しかけたのが始まり。それをきっかけにして男子と女子が仲良くなっちゃったって感じ。……かな」
「男と女が仲良く? まさか……、いや、それでか」
理由は後回しにするとして、皆の態度が不自然な事への謎は解けた。変わってしまった自分達の中に、時代錯誤な俺が混じったらそりゃ気を使うだろう。
花音が言う「厳しい」にも納得だ。俺は男子達の中でも抜きん出た少尉の階級であり、軍隊を象徴するような存在だった。自然とクラスのリーダー的存在にもなっており、俺の前では女子への対応を一掃と厳しくしていたのかもしれない。
「それで皆は右往左往している訳か……。参ったな」
公私混同、俺は夢想世界まで軍隊のノリを持ち込む気じゃなかったし、言ったことも無いはずだ。ただ、裕也と正人がいつも持ち上げてくるため、自然とそんな空気になっていた。その二人も女子と仲良くなった今となっては更に困っているのだろうが。
「特に裕也君が沙織に急接近でさ、見てよ」
「本当だな。目がこれでもかってくらい垂れ下がってるな」
花音と共に廊下からガラス越しに教室を眺めると、裕也の奴は明らかに挙動不審者の様子で体を前後に揺すりながら沙織と話をしている。……隙だらけだ。あれでは、すぐ狙撃されて死ぬぞ。
そのうちに皆が望まない担任がやってきて、俺と花音はため息でうるさい教室に戻った。
この日一日中、俺は男子の熱い視線を浴びて休憩時間のたびに行きたくもないトイレに行って時間を潰した。
「さぁーて、今日も女軍をぶっつぶすために体を鍛えようぜ!」
現実世界に戻っての裕也の第一声はそれだった。
苦悩する俺とは違い、他の奴らは夢想世界の女と現実世界の機械兵を綺麗に切り分けているのだろうか。例えば、機械兵は女達の遠隔操作で動いているロボットのように。
そうであったら俺も戦い易いが、中にはまぎれも無く女が入っており、斬れば血も出る。そして遠隔操作であったとしても、こちらに被害は出ている。許しがたい奴らだが、夢想世界の女を憎みきれないのは俺も裕也達も同じだ。
今ひとつ訓練に集中出来ない俺だったが、裕也達はいつもと同じように熱心に刀銃を振っている。迷いが無いようだが、もし、知り合いが目の前に敵として現れたらどうするつもりなのだろうか? クラスの女子が自分に銃口を向けた時、ためらわずに斬り捨てられるのだろうか?
そう、俺と奴らの違いは……そこにある。俺と花音はすでに相手を確認して戦っている。
……ん?
裕也がこちらを見てあっと口を開け、正人の肩を叩いた。そして二人は拳を握り、腰の後ろにその腕を回して軍の敬礼をした。突然俺に敬礼をする理由は無いだろうから、俺は後ろを振り返る。するとやはり、中隊長が訓練場に入ってきており、俺に向かって歩いてくる。
彼はそばまで来ると、裕也達に向かって手を上げて訓練をそのまま続けろと言い、俺の前で足を止めた。
「こんなところに姿を現すなんて珍しいですね。お呼びであれば伺いましたのに」
「いや、様子を見たかった。お前の部隊だけじゃなく、他の部隊員の士気などもな」
俺と中隊長は訓練場を眺めた。数多くの小隊が実践さながらの訓練をしているが、この間の防衛戦で五人そろっている部隊は稀だ。
「編成ですか?」
「さすが、察しが良いな」
「誰でも分かりますって」
人が減れば補充員が来るが、全二十部隊が総崩れになった今回は部隊編成が行われるだろう。具体的には部隊間移動や小隊同士を合併させる事が行われる。
「神志名少尉、君の小隊……」
「解散は構いませんが、俺は一桁部隊に移動する気は無いですよ」
「いや、君はどうせ動かないだろう。だから、補充兵を二人ほど入れる」
「それは……気を使わせてすみません」
「後で来る補充兵に指令書を持たせてあるので確認をしておいてくれ」
そう言って背を向けようとする中隊長を俺は呼び止める。
「中隊長。何か妙だと感じる事はありませんか?」
「妙? いつもの大隊長の作戦の事か?」
「いえ、この世界がです。男や女、それが存在する世界。何か……おかしい」
「抽象的だな少尉。具体的に話せ」
「まだ分かりませんが……。そうですね、俺達は、男達は……本当に女達と戦う必要があるのか……?」
「男にその気が無くとも、女から攻めてくるのでは仕方が無いだろう?」
「その攻めてくる部分ですが、夢想世界の女達から……想像がつき難い……とは思いませんか?」
「君の言うことが理解出来ない訳ではない。私の夢想世界に現れる女達も柔和であると言えよう。だが、現実世界で攻撃してくるのだからそれを排除するしかないだろう」
俺は言葉を濁して相槌を打つ。中隊長も裕也達と同じく、実際に夢想世界で会った女と戦っていないのだから現実感が無いのかもしれない。
「その話はともかく、前回の防衛戦での大隊長の作戦はどう感じた?」
聞いてくる中隊長に、俺は首を横に振ってみせた。それを見る中隊長は、無精ひげを摺りながら言う。
「防衛側が基地周辺に伏兵を置くなど初歩の戦術だ。当然女軍もその程度の罠に嵌るはずがない。さすがに私も大隊長の…………資質に疑いを持った」
最後の言葉は、中隊長は瞳を左右に動かしながら小声だった。
「なら意見をされては?」
「それが……出来ないんだ」
「出来ないとは? 少佐であり、中隊長であるあなたが、例え相手が将軍であるにしても大隊長に進言出来ないと?」
「指令はいつも一方通行なんだ。作戦は大隊長の映像で送られてくるだけで、相互通信している訳で無い。俺が意見を送信したとしても、返ってくるのは紋切り型の否定。人間味の無いものだ」
「直接対話は出来ないのですか?」
「ああ。大隊長の居場所は機密事項なので、中隊長の私には知らされていない」
「そんな……」
バカなと言いたがったが、さすがにそれは口に出さない。
中隊長は何度も小さく頷きながら再び背を向けようとしたが、体を止めて「待てよ」とつぶやいてから声を出す。
「会う手段が無い訳では……」
しかし、俺がじっと見ているのに気がついた中隊長は、「訓練を続けろ」と言って歩いて行った。
作戦を考えるのは大隊長以外に、規模は不明だが司令部も関与していると思う。だが、その司令部も現場指揮官である中隊長の意見を聞かないとは一体どういうつもりなのだろうか。まるで……、俺達が死んでも構わないかのようだ。
……雑兵の命など使い捨て。そう言うことか?
俺の命はともかく、裕也や正人の命まで駒のように粗末に扱われる事に苛立ちを覚えるが、小隊長である俺にはどうしようもない。中隊長がそろそろ痺れを切らしてきている感じだったので、あの人に期待するしかないか。
そんな事を考えていると、裕也達の騒ぐ声が聞こえてきた。見ると、別の男二人と揉めているようだ。模擬刀で殴りかかったりはしないが、裕也は憮然とした表情で相手の胸倉を掴んでいる。
「どうした? 二人とも」
俺は裕也と、背を向けている男の肩を叩く。するとそいつは振り返って肩をすくめた。
「刀銃の持ち方が悪いから矯正したらこれだよ」
「うるせーよ! 俺はこの握り方じゃねーと力が入らないんだよ! 大体、教えるのにいきなり模擬刀を叩き落してくる奴がいるかっつーの!」
確かに裕也の刀銃体術は独創性がある。だが、若さゆえの勘や本能で戦っていると言い換えることが出来、実際結果も残している。俺はそれを説明するよりも先に、裕也に掴みかかられている男の顔に驚いた。
「あんたは四番隊の……」
「畑山輝彦だ。よろしくな、隊長さん」
そう言って畑山は、俺にタブレットを差し出してきた。それには確かに四番隊と十五番隊の統合計画についての報告書が表示されている。
四番隊、隊長畑山。彼とは以前戦術会議で揉めた記憶がある。だが、わだかまりを持っている様子は一切無く、裕也にまだ胸倉を捕まれていると言うのに、顎に左手の人差し指と親指を添えて俺に決めポーズのような物を見せてくる。
「しかし……隊長クラスが俺の隊に編入?」
そんな話は聞いた事が無い。隊長になれば死ぬか更に上に昇級するまでずっと隊長だ。理由が書かれていないかと報告書を読み進める俺に、頭の上から低い声が響く。
「本当なら、四番隊に貴様らが入らなければならなかった。だが、四番隊自体が無くなったため、自分達が移動になった。しかし、それでも本来なら一桁部隊の我が隊長こそ、十五番隊の隊長になるべきであり……」
「話が長いぞ木部。どうせそのうち俺こそが隊長だと辞令が降りるさ」
畑山は、木部と呼んだ大男の話を遮った。
しかし……本当にでかい。木部は、身長が二メートル近くあるんじゃないだろうか。体格も筋肉質で肩幅が冗談みたいに張り出し、黒く塗りたくれば機械兵のようだ。こんな奴いたんだな……。
「四番隊が無くなったのか?」
「なんでも、四が縁起悪いんだってよ。前から中隊長は気に入らなかったらしくてさ、今回めでたく消滅さぁ。前々回の作戦でミスった俺達は何も言い返せなかった。まあ、タイミング悪かったな」
畑山は大げさに肩を上下させてため息をついた。以前の作戦会議では皮肉屋と言う印象だったが、歯に衣着せぬ妙に明るい奴だ。
報告書には四番隊が無くなった理由は記されていなかったが、中隊長が編成に少し通常の手順と違う考えを加えていたようだ。一桁ナンバーの部隊長が十五番隊の平隊員に格下げなど異例だ。少々作戦に失敗したからと言って、この処遇はありえない。
……恐らく、中隊長は俺と同じく大隊長の作戦に危機感を覚えており、それの対策の一手なのだろう。
「分かった。だが、これから同じ部隊員となるのに揉めないでくれ」
俺が裕也の腕に軽く手を乗せると、裕也はようやく腕を離した。すると、畑山は乱れた襟元を直しながらにやつく。
「やれやれ。ひよっこに剣技を教えるなと言う。中隊長に目をかけられているだけの二桁隊長は違うねぇ」
「んだとぉ!」
俺は何を言われても気にしないと言うのに、裕也が再び顔を真っ赤にして詰め寄った。しかし、畑山との間に木部が山のように立ちはだかる。
「本当の事を言ったまでだ。お前らと私達は違う。私と畑山隊長は、四番隊に席を置いて長らく、その戦力は一番隊をも凌ぐと言われていたし、自負していた。実際、戦果も…」
「話がなげーんだよ! このでかぶつ!」
裕也に話を遮られても、木部は気にせずぶつぶつと話を続けている。
そこに、成り行きを見守っていた正人が呆れながら裕也を止めに入る。
「裕也君、仮にも相手は元一桁部隊員です。腕に自信のある方達ですから仕方ないですよ。僕達の実力はこれからゆっくりと…」
「そっちの女男みたいなのは分かっているじゃないか。なぁ?」
畑山が木部の肩に手を乗せながらそう言って笑うと、真っ赤だった裕也の顔は見る間に青く変化した。そして俺と裕也がゆっくり振り返ると、やはり正人のどんぐりのようだった目が包丁のように鋭くなっていた。
おなじみだが、『男っぽくない』に含まれる言葉を言われると正人は激昂する。しかも、今回は『女男』など、まさに直結する言葉を言われてしまった。これは……俺と裕也も未知の領域だ。
「カス共、いま何を言った?」
正人は模擬刀を片手で担ぎ上げ、鬼のような形相をして裕也の前に出た。変貌に半歩下がった畑山だったが、木部は表情をまったく崩さないまま片手で模擬刀を頭の上にまで振り上げる。
「隊長に、模擬刀であろうと向ける事は許さん。模擬刀の素材でも一定のスピードと力があれば、角度によっては十分首を刎ねる事が可能で、お前達の低い技量でも万が一の可能性を考えれば脅威を…」
「がたがたうるさいんだよ。この、豚」
正人の言葉に、木部は初めて自分から言葉を切った。口からきりきりと歯の軋む音をさせながら畑山に言う。
「隊長、この女男を打ち倒す許可を」
「隊長、許可無くてもこの豚をスライスします」
正人は俺が何を言おうと当然始めるだろう。
後ろにいる畑山が頷いたのを感じたのだろう木部は、その瞬間に模擬刀を三メートルもの高さから振り下ろした。
[ガッ]
木部の模擬刀は地面を割った。その木部の右に正人は移動しており、背を向けた姿勢から後ろ回し蹴りを木部の右膝の裏っかわに入れた。木部は巨体を揺らして膝を曲げる。その低くなった頭に向かって、正人は模擬刀の狙いをつけた。
「終わりだ、豚」
「ふんっ!」
木部は右手で持っていた模擬刀を離し、その拳で地面を殴りつけて体勢を立て直した。同時に、左手で地面にめり込んでいた模擬刀を引き抜く。
水平に振られてくる木部の剣撃を見て、正人は相打ちでは体格的に分が悪いと踏んだのか、木部の頭に振り下ろしていた自分の模擬刀の軌道を変えた。
[ガキンッ]
両手で握った模擬刀を木部の刃に振り下ろした正人だが、片手の木部に弾き返された。吹っ飛ばされた正人は地面を二度転がるが、その勢いを殺さないまま跳ね上がって立て膝で着地をする。だが、その場所まで木部が巨体とは思えないスピードで迫り、正人が顔を上げた時には正面で木部が模擬刀を振り上げている。
「終わりだ、女男」
「はっ!」
[ガガガキンッ!!]
上から降ってくる重い一撃に対して、正人はその刀身に三連続の切り上げを一瞬で打ち込んだ。木部はよろめいて数歩下がり、正人は数メートル地面を後ろに滑る。
するとその時、畑山が動いた。
「そこまでにしておけ木部、そのうち俺の部下になる奴らだからな。使い物にならなくなっては、交代手続きが面倒だろ」
畑山は顔の横で手をひらひらとさせながら木部を止めた。木部は刀こそ納めたが、口を一文字にしてかなり不満の残っている表情だ。だが、それを口に出さないところを見ると畑山に完全に服しているのだろう。
しかし、正人の奴は刀を手にしたままずんずんと木部に向かって歩いていく。
「誰が勝手に豚舎に帰って良いと……」
「はいっ! 正人くん、髪が乱れてますよぉ~」
その正人の顔の前に、裕也が正人の鞄から取り出してきた手鏡を突き出した。すると正人は、はっと我に帰って手鏡を手にし、自分の顔をいろんな角度から眺め始める。
「実践でも無いのに汗をかいてしまいました。すぐにシャワーを浴びなければ……」
そしていそいそと身支度を終えると、何かを訴えるような目で俺に何度も視線を送ってくる。時間を確認するとまだ午後四時少し回ったところだったが、俺は今日の訓練をこれで切り上げることにした。
掴みどころの無い畑山と堅物の木部か。
元四番隊、副隊長であった木部の技量があれなら、隊長だった畑山も同等以上だと考えられる。これで俺の隊は、裕也、正人、畑山、木部と、俺を含む五人全員が隊長クラスの実力を持っているだろう。中隊長は戦力を集中させて、一体何を考えているのだろうか……