休憩地
身支度と荷物のまとめを済ませて、1階の朝食会場へ降りた。
バイキング形式で、宿泊客の姿はまばらだった。
奥の窓際に1人席を取って、トレイにパンと飲み物を並べる。
窓の外では大阪の朝の光が、薄く広がり始めていた。
席に着いた瞬間、襟元のシオが殻の縁から鼻先だけ出して、パンの匂いをしばらく嗅いでいた。
1度だけ前足でつついて、何も起きないことに納得したのか、また殻の中に引っ込む。
「シオ、食べるか?」
基本あのカルシウム謎液を主食としているシオだが、食という部分ではどういう生態なのか全くわかっていない。
色々と問い合わせたり調べてたりするのだが、俺みたいなテイマーはレアで他のケースについて情報自体がなかなか集まっていない状況であった。
シオは興味なさそうに、ぷいっ、とパンに背を向けながら周囲を伺っていた。
多分そっちの方が興味あるんだろう。
食事を終えて立ち上がると、シオは襟元に戻ってきて肩の少し下に身体を沈めた。
いつもならもう少し首元を覗くような動きが入るのに、今朝はそれもない。
ロビーを抜けて外に出ると、玄関先に御堂の車がもう停まっていた。
「おはようございます」
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
◇
仮選別場の空気は、昨日より少しだけ張っている気がした。
ベルトコンベアの動きは前日と同じで、岸部と瀬川がいつも通りの位置に立つ。
東野は確認表を開き、御堂はその隣で搬入順の表に目を落としている。
昨日と同じテンポで午前の鑑定を進める。
同型痕は混じっていたが、流れを止めるほどの汚染状況ではなく、御堂と東野に短く伝えた程度で済んだ。
襟元のシオも、殻の縁をごく弱く揺らしただけで姿勢を低く戻していた。
午前の終わりが見えてきた頃、御堂のもとに別ラインの連絡が入った。
短い受け答えのあと、御堂の眉が一度寄った。
通話口を手で軽く遮断するように塞ぎ、しばらく相手の声に耳を傾けている。
「……ええ、状況は分かりました。少し時間ください」
スマホを耳から離さないまま、御堂が小さく息を吐く。
どこかから入った要請に対して、すぐに人を出せない事情があるらしい。
通話を一度区切ってから、御堂はこちらに視線を寄越した。
「真壁さん、すみません。休憩地の方から至急の事前鑑定依頼が入ってまして」
休憩地、というのがこの大阪湾岸ダンジョンのどこを指すかが、咄嗟には出てこなかった。
御堂が手短に補ってくれる。
上層と中層の境目に、補給地がある。
砦のような構造で、商業施設も入っていて、下層へ潜るクランや上位探索者が事前の補給と休憩に使う場所。大阪ではここをダンジョン街と呼ぶ人間も多いらしい。
御堂の通話相手は、その休憩地に詰めている管理側の人間だという。
要件は1つ。刀系の珍しいドロップが1点、様子がおかしいので、動かす前に事前鑑定をかけたいとのことだった。
天城フロンティアは国内でも屈指の超大型クランで、それはこのダンジョン内のヒエラルキーという意味でもトップに位置する存在でもある。
そういうレベルのクランはダンジョン内で国と連携して活動することも多く、今回も現地に詰めている管理局の人間に相談を持ち掛けられたそうだ。
「本来なら振り分けチームが行く案件です。ただ、今ちょうど中層帰還中で、電波の届きづらいエリアに入ってます。1時間や2時間では、確実に連絡は取れません」
御堂は通話口を塞いだまま、しばらく動かなかった。
仮選別場の業務はまだ終わっていない。筋を通すなら、振り分けチームが戻ってくるのを待つのが本来だ。ただ、それで動かしていい刀かどうかは、今届いた話の感触からして怪しい。
「行きましょうか」
声に出すと、御堂と東野の手が同時に止まった。
御堂は通話口を完全に押さえたまま、こちらをしばらく見てから、ようやく口を開いた。
「真壁さんに動いていただけるなら、こちらとしてはありがたい話です。ただ、仮選別場の方を岸部に渡せるか、その確認だけさせてください」
御堂は岸部を呼び寄せて、搬入順の表と保留トレーの位置を口頭で渡した。
続いて東野に視線を投げ、ベルト側の継続判断と東京照合の窓口を残してもらう確認を取る。
最後に端末を切り替え、中層バックアップチームへ短く一報を入れた。
段取りは、ものの数分で組み上がっていった。
「では、こちらで動きます」
通話の向こうの相手にそう伝えると、御堂はようやくスマホを耳から離した。
「真壁さん、行きましょう」
◇
仮選別場を出ると、上層の入り口は東京で何度も通ったものと同じ洞窟系の地形だった。
壁の岩肌の色合いも、空気の湿り気も、どこか馴染みがある。違うのは、すれ違う探索者の話し声に、関西の抑揚が混ざっていることくらいだった。
帯同してくれた中層バックアップチームは、4人組だった。
先頭と最後尾に2人ずつ配して、俺と御堂を真ん中に挟む。
動きには無駄がなく、互いの位置取りに慣れが見えた。
しばらく進むと、洞窟の壁の質感が少しずつ変わっていった。
ごつごつとした岩肌に、丸みを帯びた石灰質の層が混ざり始める。やがて天井から逆さに垂れた細い柱が見え、足元の岩棚の隙間にうっすらと水が溜まりだした。鍾乳洞だ。
「ここから少し、観光のお客さんが入る区間です」
御堂が前を向いたまま教えてくれた。
言われてみれば、岩壁の窪みに簡単な案内板と、足元を照らす常夜灯が並んで設置されている。
下層へ潜る探索者の通り道と、ダンジョンツアーの団体客が回る道とが、ここで部分的に重なっているらしい。
東京ダンジョンとの違いは、下層域までのルートの細さだそうだ。
大きさは比べるまでも無いが、細かく枝分かれしているのがここ大阪湾岸ダンジョンの特徴で、トラップなどそういういやらしさが目立つ。
今から行く休憩地までは通常ルート(下り)でおよそ4時間程度で、距離としてはさほどではない。
だが、道中の幅が細い場所が多く、これがエレベーターや大型重機での搬送を阻む要因となっており、いまでも昔ながらのスタイルでもある人力での輸送が行われているそうだ。
通路を抜けたところで、急に視界が開けた。
天井が高くなり、奥の方に小さな水場が見える。地下の湖というほど大きくはなく、池に近い。水面に天井から垂れた鍾乳石の影が落ちて、不思議と静かな景色を作っていた。
シオが襟元から首だけ伸ばして、その水場をしばらく眺めていた。
何をするでもなく、また姿勢を低く戻す。
◇
水場の脇を回り込んで、さらに進む。
空気の流れが先に変わった。
岩の匂いに、人の気配の匂いが重なってくる。料理の匂い、油の匂い、それから金属を扱う場所特有の匂い。
通路の先に、石と木材を組み合わせた門構えが見えた。
砦と呼ばれる通り、ぱっと見はただの拠点ではなく、防御を意識した造りになっている。だが内側に踏み込んだ瞬間、印象は別物になった。
通路の両脇に露店が並んでいる。
補給用の食料、ポーション類、簡易な装備の修理屋、刃物研ぎ、薬草の取扱所。奥には看板を出した小さな飯屋まである。
下層へ潜るクランの大柄な男たちが、食事をかきこみながら誰かと段取りの話をしていた。
「『街』と呼びたくなる気持ち、分かりました」
漏らすと、御堂が小さく笑った。
「初見はだいたい同じ反応されます」
案内役は、商業区画の入口の少し奥で待っていた管理側の若い男だった。
簡単な挨拶のあと、すぐ歩き出す。
人通りの少ない側の通路を抜けて、控え室のような小さな区画に入った。
机が1つ、椅子が2脚。机の上に、布でくるまれた長物が1振り、置かれている。
「これです」
案内役が布を片側だけ持ち上げた。
刀身の半分が、灯りに鈍く反応する。鍔の意匠は、市場でよく回るような量産品ではなかった。
刃の方に視線を移した瞬間、足元の空気が、わずかに重く感じた。
鑑定スキルはまだ呼んでいない。
それなのに、視界に入れただけで、こちらの呼吸の幅が一段細くなる感覚があった。
襟元のシオが、姿勢を一度起こしてから、またすぐに低く沈めた。
今日2回目の、ごく弱い反応だった。
「これは……」
言葉の続きが、咄嗟には出てこなかった。
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