7.こゆるぎさんはとまどう
「……どうしよう……」
凪沙は携帯の画面とにらめっこしていた。
連絡先を交換してすぐ、『よろしく』と挨拶されたのは社交辞令だろうと、こちらからも無難に『よろしくお願いします』と一言返しただけだった。
どうせあちらはアイドル、仕事に追われていてそんなに連絡を取ることもないだろう、と。
それが、毎日ではないものの、一週間と空かずに連絡が来る。
『今日は暑くて撮影が午後になって、コーヒータイム。小動さんはコーヒーと紅茶、どっちが好き?』
――どっちも好きですけど甘めが良いです、AKIは無糖コーヒー派ですよね!
『メンバーの犬が可愛い。猫も好きだけど、どっちかというと俺は犬派かも。どっちが好き?』
――犬派なの知ってる! スタンプも犬多いの可愛い! どちらかといえば犬派です!
『誕生日いつ? 俺は11月』
――知ってます。毎年ケーキ作ってお祝いしてます! 実は私も一日違いだったり……。
『毎日暑いから、水分摂って体調気をつけて』
――ありがとうございますぅぅぅ!
……などなど。
流石に脊髄反射の返答とは違い、じっくり時間をおいて当たり障りのない答えを返してはいるものの、毎回変な汗をかきながら悩んでいる。
他にも、最近読んだ本、好きな音楽、休日の過ごし方、オススメの新作菓子――呆気に取られるほど普通の会話。
推し活で知っていたことと、新しく知ってしまった情報と。
困惑しながら返事を返す日々が、何日も続いていた。
流石に、夢じゃないのはわかってきた。
でも――やっぱり夢みたいだと思う。
ファンとして一線を超えている気がするけれど、良いのだろうか。
他のファンに対する裏切りでは、と考えると、たまに仕事帰りに背後が気になってしまう。
――過激なファンに制裁とかされないかな、とか。
他に誰が知るわけでもないので、完全に自意識過剰ではあるのだが。
そもそも、お見合いはしたけれど、こちらは一応断ったわけで……この関係は一体何だろう?
(知人? お見合い相手……ってこんな感じ? でもアイドルとファンだし……)
そもそも、AKIは自分のファンが結婚相手候補だったことが、嫌ではないのだろうか。と、結構重めなファンの自覚がある凪沙は困惑するばかりだ。
一念発起して、やっぱり適度な距離感を保とうと、返事を遅らせてみた。
もしかしたら、忙しさにかまけて連絡が来なくなったりしないだろうかと。
そうしたら、適度な間を空けて――
『大丈夫? 具合でも悪い?』
『既読ついてるし、何かあったわけじゃないなら安心した』
『良かったら、時間がある時に返事をくれると嬉しい』
『忙しいのかもしれないけど、体を壊さないように。――いつでもいいので、待ってる』
どこかさみしげなスタンプと共に、こちらを心配する素振りなんか見せられたらもう……何度も何度も返事をしかけては悩み、夢には捨てられた子犬のようなAKIが出てくるし、寝不足の日が続き。
『今度のドームツアーのチケット送るので、よかったら観に来てくれる?』
「さすがにそれはダメェー!!」
秒で返事をした。陥落した。
『他のファンの方に申し訳ないですし、ズルいと思うので申し出は有り難いのですが辞退します。自力で当てます! 申し込み済です!』
――すると、なんと着信があった。
紛れもなく、本人から。
「え!? あ……!」
焦って思わず受けてしまった。
『――もしもし?』
「……あ……」
『小動さん、元気にしてる?』
電話かけちゃってごめん、と謝られた。
「ハイ、大丈夫、デス……」
携帯から響いてくる推しの声、エグい。
耳元で聞いてたら破裂したかもしれない。頭が。
(あれ? 私の携帯、シチュエーションボイスなんて登録してあったっけ?)
と、脳がバグりかけながら。
カチコチの声で返すと、ふっと向こう側で空気がほどけたような、安堵の声がした。
『よかっ……たあー』
ずん、と罪悪感が胸を刺した。
そんなに、心配をかけてしまったなんて。返答しない間のメッセージも、とても気遣いにあふれていた。
「……あの、返事しなくて、すみませんでした……」
そもそもこれは国の事業から始まった関係だ。あちらから何か言われているのかもしれないし、真面目に相手をしてくれている人に取るべき態度ではなかった、と反省した。
推しを悲しませるなんて、ファンの鑑には程遠いわ! と脳内で天使に殴られた気分だ。むしろ自分で自分をぼこぼこにしたい。
『君が元気ならいいよ。安心した』
推しが神すぎて涙腺が緩む。
「――ほんとにすみませんでした。あの、ただのファンがこんなに連絡取ってていいのかなって思っちゃって……」
『そっか。悩ませちゃった? ごめんな』
「っアキ、さんが謝ることなんて一つもないです! 私がただ、ファンとしての境目を乗り越えたくなかっただけで……!」
『――うーん……。あのさあ、今頭下げてない? それは必要ない謝罪だから、取り敢えず頭あげて』
「っ……!」
机に置いた携帯に頭を下げていたら、AKIが言う。
推しはエスパーなのかと思い、反射的に身体を起こしていた。
……思い返せば、拝んだり謝ったり土下座したり、頭しか下げていない。それは察されて当然だ。
『俺が急に踏み込みすぎたのかも。ごめんね』
「い……っ、いいえ」
『でもさ、そもそもお見合いした時点で、ただのアイドルとファンじゃないよな』
固まった。
――そういえば、そうだ。でも……。
「たまたま遺伝子の相性が良いかもっていうだけで――特別扱いはよくないような……。他のファンの方にも、申し訳ないですし……」
『んん? でも俺にとっては、見合い相手って時点で特別だけど?』
「はっ……」
特別。特別。特別――……。
無意識に息を止めていた。危ない。
数度咳払いをして呼吸を整えて。
「げほっ、そ、それは……そう、ですが……」
『――あのさ、そういえば言いそびれてたことがあって』
何だろう、と一瞬身構える。
『改めてお願いしたいんだけど、友達から始めようよ。せっかく出来た縁だし』
「は、はい……?」
『ありがとう! これから友達としてよろしく。あ、ごめん時間だ。また連絡するから。――体調には気をつけて。じゃあ、また』
また、と柔らかい声で言って、AKIは通話を切った。
「え、ちょ……え?」
――友達? 私が、神(推し)と?
「さっきのは返事じゃないのに……!」
呆気に取られている内にさくっと畳み込まれてしまった。
「そもそもまず、って何? まず? 次の段階があるみたいな言い方――」
いや。まさかまさか――そんなわけ。
携帯を放り投げ、シーツの上を転がり、髪の毛をぐしゃぐしゃにして。
「あっ……つい!」
エアコンがついているはずなのに暑い! と、振り返った先で、鏡に映る自分が見えた。
――真っ赤だ。
「っもう〜!」
推しにそんな、思わせぶりなことを言われて落ち着けるわけないじゃないか! と凪沙は思わず抱き枕を揺さぶった。
プリントされた美しい微笑みの推しは、今より少しあどけなさがまだ残っている。
丸め込まれてしまった事実と、この先どうすれば良いのかという葛藤と。
ここ数日の罪悪感からは解放されたが、新たな悩みを抱えた凪沙はその晩、久々によく眠れはしたものの、眉間に深い皺を刻んでいた。
このところ顔を見ないように抱きしめていた抱き枕を、せめてもの罰と床に放り投げてから。
第二章 友達?パート始まります。
更新ゆっくりめになりますが、お付き合いいただけますと幸いです。
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