5.こゆるぎさんはこんわくする①
「ありがとうございましたー」
軽く頭を下げて、ドアを閉じる。
配達員から受け取ったものを片手に、重い足取りで自室へと戻った。
――まただ。
再配達を依頼して、届けられたのは『国立遺伝子適合センター』からの、見覚えのある封書だった。
「……今度はなに……?」
ごくりと息を呑む。
背筋がひやりとした。
――この封筒を受け取ったのは、二度目だ。
凪沙は一度目のことを思い返し、何だか不穏なものを感じた。
◇ ◇ ◇
一度目は、春。
社会人二年目になったばかりの頃。
年度末の業務を終えて一息ついたかと思うと、新年度の準備に慌ただしくしていたときのこと。
(姉さんが昔、よく晩酌しながら仕事の愚痴をこぼしていたなあ――気持ちがわかるかも……)
と、普段飲まないアルコールを片手に、S:yncの曲をかけて、推しの歌声に癒されつつ。
携帯でニュースを流し読みしていた、ある日のことだった。
『遺伝子適性マッチングシステム《GeneLink》本格導入』という見出しの記事。少子化対策の一環として、数年前に試験的に始められたその施策が本格的に開始された――という文字を読んだ所で、呼び鈴が鳴った。
愛用している、S:yncのライブ限定Tシャツ――保存用はもう一着ある――を着て玄関に向かうと、配達員に「本人受取指定のため、身分証明書の提示をお願いします」と言われた。
怪訝に思いながら身分証を見せれば、「確認できました」と一通の手紙のようなものを渡される。
ご苦労さまです、と配達員を見送り。
手にしたものに眉をひそめた。
「なに……これ……?」
白――というより、乳白色の厚手の封筒だった。どことなく高級感のある見た目に反して、赤字で『重要書類在中』、『本人受取限定』と記され、端には小さく、『本人以外開封禁止』とまでご丁寧に印字されている。
明らかに普通ではない。
赤字が並び、一瞬身に覚えのない督促かと思った。
宛名は間違いなく自分だ。
差出人は、『国立遺伝子適合センター』。
「って、どこ……? あれ、そういえばさっき……」
携帯の画面を再度見る。
先程読んでいた記事に、マッチングシステム担当機関の名前が載っていた。
更に、対象となる人物には、その『国立遺伝子適合センター』より本人受取の書類が届くため、確認するようにとも書かれている。
「えー……?」
頬が引き攣る。
そのまま、遺伝子マッチングシステムの内容についての記事に寄せられた、賛否両論のコメントを目にした。
システムの概要としては、犯罪の抑制や事件解決の為に国民から集めた遺伝子――数年前に導入されたものだが、それも未だに人権侵害ではないかと論争にあがる――を元に、相性を測定し、男女の出会いの場を提供するという、いわば国家レベルのマッチングパーティーだ。
占いのような感覚で相性が合えばいいじゃないかという人もいれば、遺伝子の相性だなんてブリーダーのようだと唾棄する人もいる。
別に必ず結婚しなければいけないわけでもないし、悪用されず、当人達が良ければ利用してもいいのではないか――というのが、元々は凪沙のぼんやりした考えだった。
まあ当分は優秀な人材から主に選出されていくそうだし、自分にはまだ関係ないことだ、と思ってもいた。
恋人も配偶者もいないが、結婚を考えたこともなく、一生独身でもいい、と。
何しろ彼女は重度のアイドルオタク。結婚相手のこの趣味を理解してくれる人は、そうそういないだろう。
推し活は彼女の人生の一部で、光。
これからも、これまでも、AKIのファンでいることを辞めるつもりはなかった。
そこに来たのがまさかの――マッチングシステムを統括している国立機関からの手紙だった。
「……これ、本物かな……」
検索した所、国の広報を発見する。
『詐欺に注意』という知らせに、見分け方が書かれていた。
本物は裏面の封緘に偽造防止のホログラム入シールが貼られており、センターの正しい連絡先が記載されているとのこと。
おそるおそる封筒をひっくり返すと、記された特徴とそっくり同じだった。
「……本物かー……」
詐欺には遭いたくないけれど、本物でも気鬱だ。
ため息をつきながら開封する。
中に書かれた文字を目で追って。
「特例……高適合値……?」
嘘でしょ、と呆然とした。
* * * * * *
【適合結果通知】
小動 凪沙 様
このたび、本年三月より施行された「遺伝子適合診断事業《GeneLink》」におきまして、貴殿の検査データより、特例に該当する高適合値が確認されました。
つきましては、検査結果の詳細説明と今後の手続きに関する面談を下記日程にて実施いたします。
尚、相手候補者の個人情報については、プライバシー保護の観点から、来訪時にのみ開示されます。
——————————
日時:XXXX年4月X日 午後2時15分
場所:国立遺伝子適合センター 適合管理課
持参物:本人確認書類、本通知
——————————
本通知は重要書類のため、第三者の開封・譲渡は禁止されております。
※指定日時にご都合がつかない場合は、同封の案内よりご連絡ください。
国立遺伝子適合センター
適合管理課 XXXX-XXX-XXXX
* * * * * *
通知内容を何度も読み返して、頭を抱えた。
「――どういうこと〜!?」
ちょうど休みが取れる日程であることがもう、何だか癪に障る。
「特例って何……私平凡な一般人ですけど……!?」
ひい、と得体のしれない恐怖に思わず我が身を抱きしめた。
結局、国の召集なら致し方あるまい……嫌だったら断ればいい……と気に進まないまま、当日赴いた所、何故か場所を移すと告げられ。
移動した先は、某有名芸能事務所で――まさかの推しと遺伝子マッチングしたのだと教えられたのだった。
◇ ◇ ◇
未だに、マッチング相手が推しだなんて、夢じゃないかと疑っている。
だって、現実味が無さすぎるのだ。
先日のイベントの名残でふわふわした気持ちだったのに、二度目の手紙にじわりと不穏な気配を感じた。
一通目とそっくり同じ外観だ。
何だか心臓の音がいつもより大きく聴こえる気がする。
震える手で、おそるおそる開封して――
「……わぁ……」
* * * * * *
【再面談通知】
小動 凪沙 様
先日は適合面談にご来訪いただき、ありがとうございました。
当日は体調不良により、十分な説明を行うことができなかったため、改めて下記日程にて再面談の機会を設けさせていただきます。
——————————
日時:XXXX年7月X日 午後2時15分
場所:国立遺伝子適合センター 別館
(来訪後、担当職員がご案内します)
持参物:本人確認書類・本通知
——————————
本件は適合制度上「優先度A」に該当しており、一定期間内での手続き説明が必要となります。
ご多忙のところ恐れ入りますが、指定日時での来訪をお願いいたします。
なお当日は、
・適合制度の適用可否
・今後取り得る選択肢
・関連する生活支援制度
についての説明もあわせて実施いたします。
※本通知は重要書類につき、第三者の開封・譲渡は禁止されています。
日程変更をご希望の場合は、同封の案内よりご連絡ください。
国立遺伝子適合センター
適合管理課 XXXX-XXX-XXXX
* * * * * *
「…………またかぁ〜」
深い深いため息が出た。
優先度Aとは――基準はわからないけど、かなりレアケースのようだ。
やっぱり、適合率があれほど高いのは珍しいことなのかもしれない。
「行くしかないんだろうけどさ……」
あくまでお願いの形をとってはいるものの、放っておけば何度でも通知が来そうな気がする。
一般市民の凪沙には、国の機関の呼び出しをブッチする度胸もない。
もう一度伺うしかないな、とスケジュールを確認するのだった。
頬杖をついて、先日のイベントの戦利品を眺める。
片手で推しを模したぬいぐるみをツンツンとつつく。
――つぶらな瞳に、じいっと見透かされているようで、何だか落ち着かない。
いつもなら抱きしめる所だが、くるりとひっくり返した。
「……まさか自分がとは思わなかったからなぁ……」
祭壇を見上げれば、イベントのチケットと推しの笑顔が眩しい。
マッチング相手が推しだったのが、夢じゃなければ――
「……もう一回、断るしかないかぁ……」
99.98%という、異常なまでの相性の良さ。
――嬉しく思う気持ちが、なかったわけではないけれど。
推しと結婚。
そんなの妄想の中では考えたことはあっても、実際に起こるなんて思う人は少ないだろう。
現実に起こる問題しか浮かばないし、うまくやっていける気がしない。
自分は、アイドルと釣り合う人間ではない。
「――やっぱり、アキがマッチング相手なわけないよね。……私の妄想の可能性の方が高い……」
誰に言うわけでもなく、呟く。
これまでのことが全て夢なら、本来のマッチング相手の人とは、気が合いそうかだけで気軽に判断出来そうな気もする。
AKI直筆の手紙は忘れてるだけで、何かの特典とか。
詐欺とか。
はたまた自作自演――さすがに自分が怖い……。
(病院行くべき……?)
いやでも、推しと遺伝子マッチングしたんです、なんて言ったら入院待ったなしな気がする……と青ざめた。
誰に、何と相談すればいいのか。
ふと思いついて、AIに色々ぼかして尋ねてみた。
現実か、精神的に疲れているかどちらかだと励ましてくれた。
……いやまあ、そう答えるしかないだろう……。
なんかごめん、という気持ちになった。
そんなこんなで悶々と過ごしている内に、日々はあっという間に過ぎていった。
二度目に訪れた、国立遺伝子適合センター。
「…………」
立派な建物を見あげていると、頬を汗が伝う。
緊張で、暑いのに寒いような、変な気分だ。
ハンカチで汗を拭いながら、止まった足を見下ろし。
「……断るって決めたのに。何に迷ってるんだろ……」
既に目的地を前にして、数分が経過していた。
熱中症になる前に中に入らなければ。
――凪沙は意を決して、足を踏み出した。




