― シュレディンガーのまつ毛 ―
風もない穏やかな午後。
空を支配した妹は、バルコニーでじっと自分のまつ毛を見つめていた。
お姉ちゃん:「また鏡の前でなにしてるの?」
妹:「……ねぇ、お姉ちゃん。私、気づいちゃったの」
お姉ちゃん:「いやな予感しかしない」
妹:「このまつ毛はね……飛んでいるのか、飛んでいないのか、観測するまで定まっていないのよ。」
お姉ちゃん:「……また変なこと言い出した。」
妹はノートを広げ、複雑な数式と毛の落書きを描きながら説明した。
妹:「もし私が目を閉じている間、このまつ毛が風に乗って漂っていたとしたら――
それは“飛んでいる状態”でもあり、“飛んでいない状態”でもある。
つまり私のまつ毛は、量子的重ね合わせにあるの!」
お姉ちゃん:「いや、それ、飛んでるんじゃないの?」
妹:「ちがうの! 観測されるまで結果は確定しないの!
だから私のまつ毛は、見られた瞬間に決まるのよ!!」
その理論を証明するため、妹はまつ毛観測実験を始めた。
執事:「……お嬢様方、屋敷の屋根で双眼鏡を覗くのはやめてください」
妹:「静かに! いま“観測者”を導入してるの!」
お姉ちゃん:「いやもう完全に訳が分からないわ……」
妹:「……見えた! あっ、でも見た瞬間に動きが止まった!
ほらね! 観測によって状態が崩壊したの!」
お姉ちゃん:「……それ多分、風が止んだだけ」
夜。妹は空を見上げながら語った。
妹:「でもね、お姉ちゃん。私、思うの。
この世界の“欲しい”も“あげたい”も、観測するまでは決まってないのかもしれない」
お姉ちゃん:「……つまり、欲望にも波動関数があると?」
妹:「そう。私が“欲しい”と観測した瞬間、世界が変わる。
でももし、私が観測しなければ――何も壊れない。」
お姉ちゃん:「……それ、ちょっと泣けるわ」
女神(遠くで紅茶を飲みながら):「あら、哲学が始まったわね。まつ毛から量子論に進化とは……人類もやるじゃない」
翌朝。
妹の姿が見えなかった。
お姉ちゃん:「妹? どこ行ったの?」
執事:「お嬢様……妹君の部屋に、これが」
机の上には一枚のメモ。
『私は観測されないために、まつ毛の波の中にいます。
見ようとしなければ、いつもそばにいる。
――妹より』
お姉ちゃん:「……観測できない妹って、なんか怖いのよね」
エピローグ ― 観測者の微笑み
夜。
お姉ちゃんがふと窓を開けると、風が優しく頬を撫でた。
その風の中に、かすかな声が響いた。
妹の声:「お姉ちゃん……いま、私を見た?」
お姉ちゃん:「ええ。……今、ちゃんと観測したわ」
その瞬間、夜空にふわりと金色のまつ毛が光った。
妹:「……じゃあ、今日は飛んでるってことにしてね」
お姉ちゃん:「うん。おやすみ、量子まつ毛」
風が止まり、まつ毛が星のようにきらめいた。
量子まつ毛編
――完。
まさかのまつ毛で4話使ってしまった。




