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薬草臭いと婚約破棄されたけど幼馴染が趣味も丸ごと愛してくれました

作者: 大森サンジ


「フレイユ、君との婚約は破棄しよう」


 婚約して2年、愛し……というほどではないが情はある、そんな関係性の婚約者ロキソール伯爵令息からの言葉は私を多少なりとも困惑させた。

 伯爵令嬢として、きちんと、ロキソールのことは立ててきたつもりだ。

 一緒にパーティーに出れば少し後ろを静々と歩き、柔らかな微笑みを絶やさないよう努力して。

 帰宅して顔がピクピクするのをマッサージでほぐしたことだって一度や二度ではない。

 でも。


「理由は……聞くのも野暮でしょうか」


 婚約者の隣で可愛らしい笑みを浮かべている令嬢は、男性の隣に立つにはあまりにも距離が近い。

 そして婚約者も、それが日常であるかのようにその距離感を受け入れている。

 私と庭園デートするときだって間に人ふたり分は距離をあけているくせに。


「まあ、そういうことだな。次の婚約者はこのコペニア子爵令嬢にしてもらおうと思っている。彼女は君と違って可愛くて素晴らしい女性だからな」


 素晴らしい。

 伯爵である婚約者のお父様と、伯爵である私の父が政治的なもろもろを考え、「素晴らしい」と考えて結んだ私たちの婚約は、ロキソールにとって「素晴らしい」ものではなかったと断言する彼に頭が痛くなる。

 たとえ思っていても言葉に出して良いことと悪いことがあるだろうに。

 黙り込む私に追撃するようにロキソールが言葉を重ねる。


「フレイユ、君は薬草臭いし、犬には嫌われるし、贈り物のセンスはないし、家の仕事だなんだと小難しいことばかり言うし、本当にかわいげがない。うちが伝統的に狩猟犬コンクールの優勝者である家だとは知っているだろう? それなのに犬たちに好かれるような態度をとるわけでもないし、その怠慢さにはほとほと嫌気がさす」


 ロキソールがコペニア子爵令嬢の手を優しく握り、まるで宝物を眺めるかのようなまなざしを彼女に向ける。


「コペニアはいつも良い匂いがするし、犬たちはよく懐いている。それに、母上にと用意してくれたウィゴンの果実茶は香り高く、母上も大喜びだった。おまえからの臭い塗り薬と違ってな」


 私が犬に嫌われる自覚はあった。

 それは、私の実家である伯爵家が製薬師としても活動する家だからだ。

 森に入る人たちが野犬や猪と言った獣に襲われないようにする、野獣除けの塗り薬の製造や改良は主に私の担当だ。

 洗濯したての衣類を着ても湯あみをしても消しきれない、獣除けの薬のにおいをまとった私がロキソールの犬たちに嫌われるのは当然と言えた。

 でも、季節の変わり目に必ず咳の発作を出されるロキソールのお母様に贈った薬が歓迎されていないことまでは知らなかった。

 パーティーでお会いするロキソールのお母様は「いつもお気遣いありがとう」と言っていたからてっきり喜んでいてくれたものと思っていたのに。

 言いたいことはたくさんあるけれど、なんとか冷静に言葉を紡ぐ。

 

「ロキソール様、あの薬は眠る前に塗ると夜の咳を抑えることができるのでお贈りしていたのです。それに、ウィゴンは身体を冷やして咳を悪化させるため避けるべきだと何度もお伝えしていたはずです」


「ほらまた! 小難しい面倒なことばかり言う。可愛いものを愛で慈しむコペニアとは大違いだな。可愛らしい言葉の一つも発せられないなんて」


 ロキソールがため息をつく。


「もういい、おまえと話すことはもうない。私はコペニアとデートをするからおまえはさっさと帰るといい。婚約は破棄だ」


「……かしこまりました」


 取り付く島もなかった。

 私はたった今「元」婚約者になったらしいロキソールにできる限り丁寧な礼をする。

 さようならロキソール様。

 もう会うこともないのでしょう。

 顔を上げた私の目に、コペニア子爵令嬢のにんまりとした笑みが飛び込んできた。


 「ご愁傷様」 


 コペニア子爵令嬢の高い声が響く。

 伯爵家より家格が下の子爵家の令嬢が伯爵家の長男を奪い取ったのだ。

 その優越感たっぷりの顔は「可愛くて素晴らしい」とはいえないように思うけれど、まあ、仕方がない。

 私はくるりと踵を返し、庭園のわきで控えている家の馬車へと向かった。

 端で待機していた侍女がいつもどおり何も言わずについてくる。

 こういうときくらい慰めてくれたっていいのにな、と思った。




 ロキソールとの婚約の終了が確定したのは、間もなくのことだった。

 コペニア子爵令嬢はすでにロキソールのお母様のお気に入りだったし、ロキソールのお父様は貴族社会の中で珍しく妻を溺愛している人だった。

 ロキソールのお母様が望めば、格下の令嬢との新たな婚約も滞りなく結ばれることだろう。

 私と違って。


「フレイユ、おまえは婚約破棄された令嬢として、まあ、傷がついたわけだ。今後まともな婚約は望めないから、自分で相手を探すか、家を出て庶民のように商会でもやるといい」


 お父様が数年ぶりに「食事を一緒に」と言ってきたと思えば、食事が始まって早々これである。

 要するに、廃嫡ではないが家としては面倒を見られない、ということだろう。

 婚約破棄された娘の末路なんてこんなものだ。

 たとえ、婚約破棄された理由が家の仕事のせいであっても。

 理不尽だ。


「ところで、最近改良したという薬についてだが、作成方法は全て記録してあるだろうね、速やかにテオドールに渡しておくように」


「テオ兄さまにですか」


「おまえが持っていても無駄なものだろう。テオドールは次期伯爵だからな、この家のために情報を有効に活用する練習にもなるだろう」


 私とテオ兄さまとの仲は正直言って悪い。

 テオ兄さまはなんというか、雑なのだ。

 必要な工程を無視して作業して「こんな細かくやらなくても出来上がる」「無駄な工程を増やすな」と言う。

 テオ兄さまの作った薬はすぐに傷むし、効きにばらつきがある。

 薬の質が一定でないのは家の信用にかかわるという私の主張はいつも無視されていた。


「でも、テオ兄さまは」


 そのときだった。

 執事が静かにお父様に近づき、何ごとかをお父様にささやいた。


「スミス商会長? というとロマイス侯爵家の次男坊か。薬草の納品は今日ではないだろう」


 お父様の回答が自然と耳に入ってくる。

 ロマイス侯爵家の次男。

 それは隣領の幼馴染のクラインを意味していた。

 私が婚約してからはめっきり会うこともなくなって、でも、誕生日のプレゼントは欠かさず贈ってくれた人。

 もしかしたら私が婚約破棄されたことを聞いてお見舞いの品でも届けてくれたんだろうか。

 次の瞬間だった。


「失礼いたします」


 部屋に入ってきたのはクラインその人で。


「お嬢様であるフレイユ令嬢への婚約の申込みに参りました」


 両手にいっぱいの花……じゃないわね、流通価格がつかないほど貴重な薬草を抱えたクラインは、いつもの作業着とは違ってほぼ正装に近い略礼装で身を包んでいた。


「これはほんのご挨拶です」


 クラインがお父様に薬草の束を渡す。

 お父様の目の色が変わった。


「執務室に移動しよう」


 お父様が立ち上がる。

 クラインが私の方をちらりと見て、軽くうなずき笑顔を見せた。

 大丈夫だよ、というように。




 翌日、私はクラインと家の庭を散歩していた。


「間に合ってよかった。フレイユのことだから、長い間お世話になりましたとか言って家を飛び出しやしないかとひやひやしたんだよ」


 段差の手前でクラインが私に手を差し出す。

 私はちょっともったいぶってクラインの左手に右手を重ねた。


「婚約破棄されたって聞いたとき、ほんとにあの坊ちゃんは馬鹿だなあって思ったんだよ。こんなに可愛いものが好きで、それでも家のために頑張っているフレイユのどこを見ていたんだってね」


 目の前を蝶が飛んでいく。

 蝶を目で追う振りをしてクラインの顔を見ると、クラインと目が合った。

 嬉しそうな表情に、こんな顔を人に向けられるのは2年ぶりだろうかと少しだけ悲しさが胸をよぎった。


「覚えてる? 俺が小さいころ、虫よけの薬を塗ってくれたでしょ。森に入るのに刺されたら大変って。初めて作ったから効くかどうかわからないけどって」


「恥ずかしいわ。今から思えば本当に、出来が悪くて。最初から家の薬をお渡しすればよかったのに私ったら」


「俺のためにわざわざ作って、フレイユ自ら一生懸命塗ってくれた。あのとき塗ってもらった腕と脚、刺されずに済んだんだよ」


 クラインがきゅっと私の手を握る。

 ドキドキして、でも、嫌じゃない。


「俺が熱を出したときは熱冷ましの薬をくれた。一緒につけてくれた犬のぬいぐるみ、忘れてないよ。甘い花の匂いがして、熱に浮かされた一人きりの夜もずっとそばにいてくれた」


 甘い匂いの花、嗅ぐだけで楽しい気持ちになる香りの草。

 そういったものは家では無価値とされた。

 薬効のない草や花になんの意味があるのかと。

 同様に、可愛いものも無駄だと一蹴された。

 目立った効果のないものは全て必要のないもので、私はいつも、自分の部屋でこっそり楽しむしかなかった。

 動物に嫌われるさみしさを埋めるように作った手作りのぬいぐるみも、中に仕込んだ乾燥させた良い匂いのする花々も。


「無駄だとは、思われませんの。ぬいぐるみなど何の……役にも立たないでしょう」


 お父様やお母様、お兄様、次女、教育係……いろんな人から言われ続けた言葉を口に出す。

 それにクラインは「どうして」と返した。


「あのおとぼけフェイスのぬいぐるみは心が弱ったときの助けになった。良い匂いがするぬいぐるみなんて初めてだったし、フレイユはきっと、まじめすぎる君の家を面白い商品であふれさせてくれるってあのとき感じたんだよ」


 胸の奥と目の奥がつんと熱くなる。

 なんとなく雲の動きを見ています、というように空を見上げる。

 そうでないと何かがこぼれ落ちてしまいそうだった。


「ねえフレイユ、俺と結婚してくれないかな」


 クラインが私の手を両手で包み込む。

 そんなの、そんなの。

 私だってロキソールとの婚約さえなければ。


「ぬいぐるみを、作り続けても構いませんの」


「いいね、家をぬいぐるみであふれさせよう」


「本当は、本物の犬と、子犬と、触れ合いたいのです」


「君が薬づくりが好きなら止めないけど、動物に優しい薬草や良い匂いがするものだったら、犬とも仲良くなれるんじゃないか。君はこんなにも犬が好きなんだから」


「薬効のない無駄な物を作ってしまいますわ」


「気づいていないのか? 可愛いものや良い匂いの物には意味がある。俺の商会を使って流通させよう。君の良さをみんなにわかってもらおう」


「でも」


 言いつのろうとする私を、クラインが強いまなざしで制止する。


「君が、君の家族や元婚約者を見返したいなら俺は協力を惜しまない。俺は君を幸せにしたい。それじゃダメなの?」


 ダメじゃ、ない。


「フレイユ、結婚してください」


 真剣なまなざしで言うクライン。私の答えは一つだった。


「はい、喜んで」



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