第6章
その時、ザラのタブレットが光った。「返信が来た」。画面には、「JUMAR91」というユーザーからのメッセージが表示されていた。「Let's meet immediately. Where?(すぐに会おう。場所は?)」。
ザラは顔を上げた。
「本名はない。すぐ会いたいと」
二人は男と会うために食堂へ向かった。広い食堂は、多くの人々で賑わっている。ザラは周囲を警戒しながら、待ち合わせの相手を探す。やがて、一人の男がザラのテーブルに近づいてきた。彼は以前、イリーナがバッグを渡していた相手だった。ザラは男の目を鋭く見つめる。
男は焦ったように周囲を見回した。「警備が捜してる」。ザラは冷静に問い詰める。「息子はどこ?」。男は口ごもる。ザラの目は怒りに燃え上がっていた。
「バッグをくれたら教える」
男はバッグを要求した。ザラは迷うことなく、男の要求に応じるフリをした。しかし、それはザラの巧みな罠だった。
ザラは冷徹な目で男を見つめ、確信した。
「知らないのね」
男はジョシュの誘拐とは無関係だったのだ。
「ウソをついているのが分かる」
ザラの失望は大きかった。ジョシュの誘拐と薬物取引が関係していると思っていたのに、振り出しに戻ってしまったのだ。
ザラは男に、バッグと引き換えに、雇い主へのアクセス権限のあるカードキーの交換を提案した。男は戸惑うが、ザラの目に宿る決意に抗うことはできなかった。
「ここで20分待って。それから落ち合おう」男はそう言うと、具体的な場所を告げた。「廊下の奥の男子トイレで」。
ザラとイリーナは、食堂の男から指示された男子トイレへと向かった。廊下の奥に位置するその場所は、薄暗く、人気がない。
トイレの入口で、待ち合わせの男が立っていた。「遅いぞ。こっちへ」。男は不機嫌そうにザラたちを促した。ザラは警戒しながら男に近づくと、男は一枚の紙とキーカードを差し出した。
「配置図とキーカードだ」
ザラは受け取った配置図を広げた。そこには、領事館の内部構造が詳細に描かれている。彼女は目を凝らし、ある場所を指さした。
「これは?」
男は渋々答えた。
「ジョシュの失踪にドノヴァンは関与してる?」
ザラは、核心に迫る問いをぶつけた。男は顔を歪め、沈黙する。イリーナが信じられないという表情で口を開いた。
「本当にCIAが子供を誘拐したと?」
男は苦々しい顔で頷いた。
イリーナは驚きを隠せない。CIAが子供を誘拐するとは、にわかには信じがたいことだった。しかし、ザラはすでに確信していた。この領事館に渦巻く陰謀の背後には、国家規模の組織が関わっているのだと。
ザラは配置図とキーカードを握りしめ、イリーナに目を向けた。
「必ずジョシュを見つける」
ザラの目には、揺るぎない決意が宿っていた。イリーナも、その強い意志に感化されたかのように、静かに頷いた。
ザラとイリーナは、食堂の男から手に入れたキーカードを使い、キンチ警備長のオフィスへと忍び込んだ。広々としたオフィスには、大きな窓から光が差し込み、アメリカ国旗が立てられている。ザラはドノヴァンのパソコンに向かい、手がかりを探し始めた。
イリーナが素早くシステムファイルを調べていく。
「システムファイルを調べる」
画面には、「Extensions」「Frameworks」「Library」といったフォルダ名が並んでいた。やがて、イリーナは一つのファイルを見つけた。それは、ザラの「精神病の治療報告書」だった。そこには、「PTBS nach Afghanistan-Einsatz(アフガニスタン派遣後のPTSD)」「massive Flashbacks mit psychotisch anmutenden dissoziativem Verdacht(精神病性解離行動を伴う大規模なフラッシュバック)」といった記載があった。ザラは顔を曇らせ、己の過去が公にされていることに動揺を覚える。
さらに、あるメールが見つかった。差出人はドノヴァンで、件名はサラ・ウルフに関する契約書だった。
「あなたのデータは転送されてる」
イリーナが読み上げる。メールには、ザラの専門知識と経験が作戦に不可欠であること、そしてドノヴァンが彼女を強く推薦したことが書かれていた。
「ドノヴァンがお膳立てを」
ザラは、ドノヴァンが自分のアメリカでの雇用主であり、今回の事件にも深く関わっていることを確信した。
「それじゃあ、エリック・キンチを調べよう」
ザラは、キンチのパソコンに目を向けた。イリーナが素早く操作し、キンチのプロフィールを表示させる。「Eric Kynch Senior Regional Security Officer」と表示されている。
「スクロールダウンして」
ザラは指示を出す。キンチの経歴を辿っていくうちに、二人は驚くべき真実にたどり着いた。
キンチのプロフィールには、彼がアフガニスタンでの軍事顧問としての経歴を持ち、2015年には地域安全保障の専門家として昇進していることが記されていた。
「そしてキンチが情報を売ったスパイだったことを知ります」。
ザラはさらに、キンチのメールボックスを開いた。そこには、エラル・ギュネイという記者からのメールがあった。件名は「シアナホテル、イスラマバード」と書かれており、動画ファイルが添付されていた。
「私のメールを…」ザラは驚きを隠せない。
彼女は動画を再生する。画面に映し出されたのは、シアナホテルのロビーらしき場所で、一人の男が座っている映像だった。ザラの心臓が激しく脈打つ。
「この映像は?」
イリーナが尋ねる。
「私たちの派遣に関係してる」
ザラは、夫の死の真実がこの映像にあると確信した。
その時、キンチのオフィスから電話が鳴った。ザラは受話器を取り、冷静に相手の言葉に耳を傾ける。
「誰に電話を?」イリーナが怪訝な顔で尋ねる。
「新しい情報によると…」ザラは受話器を握りしめ、相手の言葉に集中した。
「一人はエリック・キンチ」
ザラはキンチの裏切りを確信する。
「あなたたちへの奇襲に、彼が加担したと」
その言葉に、ザラの顔に怒りが明確に浮かんだ。キンチは、夫が命を落とした任務の奇襲に加担していたのだ。つまり、夫の死は事故ではなく、キンチによる裏切りが原因だった。ザラの瞳に、復讐の炎が燃え盛った。
ザラは受話器を置くと、キンチのPCに向き直った。彼女は、この領事館に隠された全ての真実を暴き、ジョシュを取り戻すと共に、夫の仇を討つことを心に誓った。イリーナもまた、ザラの背中からその強い決意を感じ取っていた。二人は、これから始まる激しい戦いに、静かに覚悟を決めた。




