第5章
ザラは、しばらくして手足を縛られた状態で目を覚ました。顔には殴られた痕があり、唇が切れて血が滲んでいる。意識が朦朧とする中、彼女の視界にキンチ警備長とその隣に立つ女性の姿が映った。
「ウォルフさん」
キンチの隣の女性が声をかけた。彼女は総領事のデボラ・アレンだった。キンチは彼女にタブレットを見せて何かを説明している。
「お母様から連絡が」
デボラはザラに告げた。彼女の母親は、ザラの精神状態を心配しているようだった。
「フラッシュバックや妄想を伴うと」
デボラは、ザラが精神安定剤を服用していることを示唆する。
ザラは必死に反論した。
「午後、息子が姿を消したの」
彼女はジョシュが誘拐された事実を訴える。しかし、デボラは冷徹な目でザラを見つめ、首を横に振った。
「2人の男が侵入した痕跡もありません」
彼女は、ザラの主張には根拠がないと言い放った。ザラの心臓が締め付けられる。誰も信じてくれない。
ザラはさらに訴える。
「クスリを見つけた」
彼女はイリーナのバッグから見つけた薬物のことを話そうとする。しかし、デボラはザラの言葉をさえぎった。
「それは関係ない」
ザラは絶望に打ちひしがれた。彼女の息子は誘拐され、自分は狂人扱いされている。誰にも助けてもらえない。しかし、その絶望の淵から、新たな決意が湧き上がってきた。
「息子を見つけなきゃ」
ザラの目には、まだ諦めないという強い光が宿っていた。
「監視カメラの映像を見せて」
ザラは震える声で要求した。キンチがタブレットを操作し、領事館の入口の映像をザラに見せる。そこには、ザラの姿しか映っていなかった。ジョシュの姿はどこにもない。ザラの顔に絶望の色が広がる。
デボラが静かに語り始めた。
「心理学者に聞きました」
彼女はザラの病歴を知っているかのように、冷静に言葉を紡ぐ。
「トラウマ経験を拒否しようと、脳が錯覚を起こすことがあると」
デボラは、ザラの主張がすべて妄想であるかのように語り、ザラを精神病患者だと決めつける。
「関係者たちはザラを精神病患者だと判断します」
ザラは必死に反論した。
「今日は息子と一緒に来た。妄想なんかじゃない」
彼女は真実を叫ぶが、その声は虚しく響くだけだった。デボラはザラの言葉に耳を傾けようとしない。
「息子と一緒に来たの」
ザラは涙を流しながら、懇願するように言った。だが、デボラの表情は変わらない。彼女はザラの言葉を信じようとはしなかった。
ザラは、絶望と怒りに打ち震えた。彼らは、最初からザラの言葉を信じるつもりなどなかったのだ。この領事館全体が、巨大な陰謀の渦中にあり、ジョシュはその犠牲になっている。ザラの体は縛られているが、彼女の心は決して屈しない。彼女は、自らの手で、この不条理を打ち破ることを誓う。
「バンドをほどいて」
ザラは最後の力を振り絞ってそう懇願する。だが、デボラとキンチは無言でザラを見つめるだけだった。ザラは、この監獄から脱出し、息子を救い出すことを心に固く誓うのだった。
その時、部屋のドアが開き、キンチ警備長が入ってきた。彼はザラを嘲笑うかのように見下ろす。
「後で看護師に確認を」
キンチはザラが錯乱していると信じ切っているようだった。彼は去っていった。ザラは、再び一人になった。
諦めてはいけない。ザラは自らの手で拘束を解こうともがく。その時、再びドアが開き、イリーナが看護師の格好をして現れた。彼女はザラの拘束を解き始めた。
「あなたは正しい」
イリーナはザラに告げた。彼女は何かを決意したような表情だった。
「でも監視カメラを見たら、私は完全に一人だった」
ザラは疑念を口にする。監視カメラの映像には、ジョシュの姿が映っていなかったのだ。
イリーナはザラを見つめ、頷いた。彼女は、ザラが真実を語っていることを知っていた。そして、この領事館に隠された闇の深さも。
ザラはベッドから起き上がった。彼女の体は傷ついていたが、その目には強い光が宿っていた。彼女は部屋を見回した。窓。廊下にはカメラがある。唯一の脱出経路は窓しかなかった。ザラは迷うことなく窓へと向かい、よじ登る。イリーナもそれに続いた。
ザラとイリーナは、領事館の内部から無事脱出し、外に出た。しかし、警備チームはザラの脱走に気づいていた。一人の海兵隊員が、彼女が脱走した部屋のドアを開け、舌打ちをする。「クソッ」。
一方、ザラとイリーナは、周囲の人混みに紛れて建物の中へ移動した。二人は、これからどうすべきかを話し合っていた。ザラはイリーナの持つバッグに目をやる。
「バッグの持ち主を探そう。唯一の手がかりだわ」
イリーナは頷く。
「いい計画ね」
ザラは、ジョシュがこのバッグのせいで誘拐されたのだと確信していた。
二人はカフェのような場所にたどり着き、話し合いを続けた。
「なぜアメリカに行くの?」イリーナがザラに尋ねた。
ザラは目を伏せ、小さく答える。
「大手警備会社から仕事をもらった」
その言葉に、イリーナは何かを察したように頷いた。
その間、ザラは自身のタブレットを操作し、バッグの持ち主と接触を試みていた。オンラインの落とし物掲示板に、青いジムバッグが見つかったというメッセージを投稿する。「Blue gym bag found. Whoever...」。ザラは、このバッグが真実を明らかにする鍵になると信じていた。
ザラはイリーナに感謝の言葉を述べた。「ありがとう」。二人の間には、信頼関係が芽生え始めていた。
しかし、領事館の警備員たちが、彼らの後を追っている。
「警備員よ」イリーナが警戒する。
ザラは周囲を見回し、人混みの中に警備員の姿を確認した。彼らは、ザラを捕らえるために、執拗に追ってくるだろう。ザラは、再び激しい戦いが始まることを予感していた。だが、今回は一人ではない。イリーナという新たな仲間と共に、ザラはジョシュを取り戻すための戦いに挑むのだった。
ザラとイリーナは、領事館の屋上を移動していた。広大な屋上にはヘリポートがあり、周囲には複雑な構造物が立ち並んでいる。二人は人目につかないように、注意深く進んでいた。
カフェのような場所で一息つきながら、イリーナがザラに尋ねた。
「なぜアメリカに行くの?」
ザラは遠い目をして答える。
「元軍人の女性を募集してたから。大手警備会社から仕事をもらった」
彼女は、ジョシュとの新しい生活を夢見ていたことを明かした。
「ここ(ドイツ)ではもう限界だった。ジョシュとの時間がほとんどない」
疲労と焦燥が滲む声だった。




