15
魔王が消滅した後、数年かけて魔物や魔族は根絶された。
これにより、地球は人間の一強支配となった。
しかし、人間は愚かなもので平和を享受せず、同族間、すなわち人間同士で殺し合い、戦争を繰り広げた。
人間による平和は確立されようとしたが、かなわず数千年の時が過ぎた。その間、人間は魔法をより高度なものにしようと努力を重ねた。それにより、数々の魔法が発明されたが、一度失われた古代魔法は復元できなかった。もはや、その存在さえ否定されつつあった。まともな文献も残っていなかったからである。
グリモア・クレーター、かつてレイルが残した傷跡が紫色に輝く地で、二つの国家が血みどろの戦いを繰り広げていた。大国のエリディアン帝国と、それに抗う小国ルミナリス。その争いは、ルミナリスが開発した新魔法を帝国が要求し、小国がそれを拒んだことから始まった。エリディアン帝国は、この拒否を宣戦布告と見なし、侵攻を開始したのだ。
この混迷の時代に、国家間の争いに巻き込まれた一人の若者がいた。彼の名はリリック・リリス。
薄闇に包まれた陣営で、リリックは重い瞼を開いた。昨夜の魔法攻撃で小隊の半分が失われ、大地にはおぞましい魔力の残滓が紫色に瞬いている。指揮官からは「敵の魔法陣を破壊せよ」という命令が下されたが、具体的な作戦は皆無だった。不満を押し殺し、歩兵たちは剣を握り、初級火球の呪文を唱える準備を進める。
戦場へ突入した瞬間、天空から敵の雷撃魔法が降り注ぎ、前方の部隊が瞬く間に黒焦げとなった。恐怖に足がすくむ。しかし、地を這う仲間の悲鳴が、麻痺した意識を引き戻した。リリックが放った火球は、敵の結界に虚しく弾かれ、何の効力も発揮しない。すぐ隣で、仲間が巨大なゴーレムに踏み潰され、鮮血が飛び散る。絶望が全身を覆う中、隣の歩兵が簡易治癒魔法でリリックの傷を塞ぎ、「死ぬなよ」と力なく励ました。
グリモア・クレーターの戦場は、もはや秩序も戦術も意味をなさぬ混沌と化していた。敵の精鋭魔導部隊が放った雷撃は、まるで神の裁きのように地上を焼き、塹壕も肉体も区別なく灰へと変えた。リリックの小隊は、十数分前には確かにそこにいたはずなのに、今や彼の周囲にはただ赤黒い泥と、焦げた金属と、虚ろな眼差しだけが散らばっていた。
「……死ぬなよ。」
隣で傷を癒してくれた歩兵の言葉は、まるで別れの言葉のようだった。
その直後、彼の頭は無残にも爆裂する魔弾に吹き飛ばされ、顔のない屍となって崩れ落ちた。
リリックは思考を止め、ただ逃げた。
「戦術的撤退だ……これは、逃げじゃない……!」
自分にそう言い聞かせながら、彼は瓦礫の山を超え、砕けた戦車の影をすり抜け、そして死体の山を踏み越えていった。
ただ、生き延びるために。
やがて、彼の足は滑った。
崖だ。魔力によって削られ、鋭く切り立ったグリモア・クレーターの縁。彼は叫ぶ間もなく、身を翻すこともできず、急斜面を転げ落ちていく。
岩に体を打ちつけ、切り裂かれ、血を撒き散らしながら、ただ、落ちた。
痛みが、思考よりも先に走る。だが、命だけは消えていなかった。どれだけ転がったか分からない。
視界が歪み、世界が紫色の揺らめきに包まれたその時。
ふと、下方から――光が差し込んでいた。
それはあまりに不自然で、死地には似つかわしくないほど清浄な輝きだった。
濃い紫の大地の裂け目、その中心にわずかに空いた“穴”。そこから、柔らかな金色の光が溢れ出していた。
「……あれは……何だ……?」
血にまみれ、服は破れ、片脚はまともに動かない。それでも、リリックは這うようにして穴へと近づいた。
顔を近づけ、暗闇の奥を覗き込んだ瞬間
地面が、崩れた。
足元の土が砕け、重力が彼を引きずり込む。叫びも出せぬまま、彼の身体は宙を舞い、奈落の闇へと投げ込まれた。
真っ逆さまに落ちていく中、視界の端で光が彼を包む。
まるで、大地そのものが、彼を選んだかのように――
その光は、古代の詠唱のような声を含み、優しく、しかし絶対的な力でリリックの身体を包み込んだ。
意識が、途切れていく。
「……誰か……」
その言葉すら呟けず、彼の意識は闇と光の狭間に溶けていった。
リリック・リリスが次に目覚めたのは、軍の医療テントの中だった。彼の目に映る自らの体は、信じられないほどに回復していた。昨夜の激戦で負った深い傷は、まるでその存在をなかったかのように、まっさらな肌へと戻っている。驚きを隠せないまま、リリックは完全に回復したと判断され、上官から再び前線への出撃を命じられた。
以前、仲間が全滅した際のトラウマが脳裏をよぎる。しかし、上官の命令に逆らえば、自らの命まで危うくなることは明らかだった。重い足を引きずりながらも、リリックは再び地獄のような前線へと足を踏み出した。
戦場は、前回と何一つ変わらない地獄絵図だった。敵兵である魔法使いの容赦ない攻撃を避け、ただひたすら逃げ惑う。その瞬間、彼の脳裏に、敵が放つ魔法の仕組みが瞬時に理解されたかのように思えた。
まさか、そんなはずはない。自分の武器など、この戦場では無に等しい。だが、胸の奥底で渦巻く衝動に突き動かされるように、リリックは敵の魔法使いの真似をして手をかざした。そして、ただひたすらに雷が出るようにと祈る。
次の瞬間、彼の掌から放たれたのは、天地を揺るがすほどの凄まじい雷鳴だった。
それは、空気を引き裂く稲妻の奔流。彼の指先から迸った青白い光は、一瞬にして目の前の敵魔法使いを飲み込み、周囲の地面を黒焦げに変えた。その威力は、つい先ほどまで敵が放っていた雷魔法の何十倍にも達するものだった。突然の出来事に、周囲の敵兵たちは動きを止め、その顔には戦慄と困惑が浮かび上がっていた。「ありえない」「バカな……!」といった言葉が、彼らの唇から漏れ出す。まるで、雷神が降臨したかのような圧倒的な力。リリックの脳裏に、かつてないほどの鮮烈なイメージが焼き付いた。それは、自らが雷を操る覚醒の瞬間だった。