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山の夜は静かだった。風が針葉樹の梢を渡り、星々の囁きのような音を運ぶ。地上に立つルキウスは、その風さえも一切干渉できぬほど深く、自らの内側に没入していた。


彼は今、魔法を「使う」ことを捨てようとしていた。

古代魔法と現代魔法――過去と今を繋ぐ奔流の中に立ち、彼はその両方を己の内に飲み込み、解体し、再構築していた。


魔力を練ることも、詠唱を唱えることもせず。

ただ思考を巡らせ、空間の揺らぎと対話する。

それは、通常の術者にとっては空想の域にすら達しない、異端の試みだった。


その夜、彼はついに「入り抜ける」――境界の領域に片足を踏み入れることに成功した。

空気が震えた。星が、一瞬だけ滲んだ。

ルキウスの周囲に浮かぶ微細な粒子が、重力を失ったかのように漂い、形なき光となって弾けた。


法則創生者ロー・クリエイター――


ルキウスはまだ、完全にはその領域に至ってはいない。

彼が行っているのは、法則創生の“領域”に一時的に触れ、肉体と意識にその感覚を刻み込む訓練だった。

触れ、抜け、また触れ、抜ける。そのたびに、彼の身体は軋み、吐息の奥に苦味が滲んだ。


それでも彼は、止めなかった。

この力の先に、自らの探求の核心があると直感していた。


──そして、その姿を、影から見つめる少女がいた。


ミレイナ・セレスタは、木々の間に身を潜め、じっとその光景を見つめていた。

毎夜、彼女はルキウスの“修行”を影から見届けていた。

声をかけることもせず、近づくこともせず。ただ、見つめるだけ。


けれど、ある夜。彼女はふと気づいた。


自分の“存在”が、彼に気づかれていない。

あれほど敏感なルキウスが、気配にすら反応しないのだ。


彼女の姿が、気配が、魔力すらが、風に溶けていた。

否、無意識に、魔力を「消していた」。


それはまるで、彼の領域に触れようとする自らの“無力さ”を補うように、彼女の内に芽生えた“静の魔法”だった。

魔力を消す魔法。存在を希薄化させる魔法。誰にも教わっていない。けれど、感覚は確かだった。


ミレイナはそれを恐れなかった。

むしろ、その力によって“もっと近く”でルキウスを見ていられることに、奇妙な安堵すら覚えていた。


その夜、ルキウスは再び、領域に入りかけた。

空間が、わずかに「応え」始める。


風が止み、音が沈み、すべてが彼の意志の延長となる瞬間――


けれど、そのとき、彼の視線がふと、森の影を掠めた。


……何かがいる。


ルキウスは振り返らなかった。

ただ、静かに空間のゆらぎを感じ取った。


それは“敵意”ではなかった。

だが、“気配”は確かにあった。


その夜、訓練を終えたルキウスは、魔力の波が乱れた一点に視線を向け、ただ一言、呟いた。


「……セレスタ、君か」


返事はなかった。だが、木々の間にわずかに揺れた光は、答えを示していた。


彼女の名を、彼は初めて口にした。




ルキウスの言葉が夜の静寂に吸い込まれていく。その声には何の感情も込められていなかったが、ミレイナにとっては世界がひっくり返るほどの衝撃だった。彼が、自分の存在に気づいていた? まさか。これまで完璧に隠し通してきたはずなのに。心臓が跳ね上がり、呼吸が詰まる。その場から逃げ出したい衝動に駆られたが、足がすくんで動けない。

木々の影に身を潜めたミレイナの頬は、熱を帯びて赤く染まった。彼女の魔力消去の能力は、まだルキウスの完璧な探知を欺くほどではなかったのだ。あるいは、彼が「法則創生者」の領域に足を踏み入れつつあることで、その感知能力が常人のそれを遥かに凌駕するレベルに達していたのかもしれない。

ルキウスは、振り返ることなく、静かに森の影から離れていった。彼の中には、ミレイナがそこにいたことへの戸惑いや、彼女の「魔力消去」という特殊な能力への知的な興味が湧き上がっていた。しかし、今はそれよりも、自身が到達しようとしている「法則創生者」の領域の制御が最優先だった。誰にも気づかれぬよう、ひっそりと研究に没頭しようとしていた彼の計画に、予期せぬイレギュラーが生じた瞬間だった。

ミレイナは、その場に立ち尽くしていた。彼の最後の言葉が、ずっと耳の中で反響している。「……セレスタ、君か」。初めて彼が口にした自分の名前。それは、これまで一方的に見つめてきただけの関係に、わずかながらも「繋がり」が生まれた証だった。彼女の心には、恥ずかしさと同時に、これまで感じたことのない高揚感が満ちていた。そして、いつか彼に、もっと「認識」されたいという、淡い願いが芽生え始めた。


翌日、アストラル魔法学校の教室で、ルキウスはいつものように窓際の席に座り、教科書を開いていた。だが、彼の思考はすでに目の前の文字にはなく、昨夜のミレイナの「気配」について巡らせていた。彼女の持つ無意識の魔力消去能力は、彼の知る限り、既存の魔法理論では説明がつかない。それは、彼が追求する「法則」の新たな側面を示唆しているかのようだった。

授業が始まるチャイムが鳴り、生徒たちが席に着く中、ミレイナが教室に入ってきた。彼女の視線が、一瞬だけルキウスの席を捉え、すぐに逸らされた。昨夜の一件以来、彼女はルキウスの視線が自分に向くたびに、心臓が大きく跳ねるのを感じていた。

しかし、この日を境に、ルキウスとミレイナの関係には、微かな変化の兆しが見え始める。これまでのルキウスは、誰とも深く関わろうとはせず、自身の研究に没頭するばかりだった。しかし、ミレイナの特殊な能力は、彼の知的好奇心を強く刺激した。彼はミレイナを、自身の研究の新たなヒントを与えてくれる「存在」として、認識し始めたのだ。

放課後、ルキウスは図書館へと向かっていた。いつものように静かに文献を漁ろうと、書棚の間の通路を進んでいくと、奥のテーブルに座っているミレイナの姿を見つけた。彼女は、魔法の基礎理論書を広げ、真剣な表情で何かを書き写している。ルキウスは一瞬立ち止まったが、そのまま彼女に背を向けようとした。


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