ルートの遺言
「ルート16、ってどこだ……」
ハンドルを握る手が、一層固くなる。袋小路に潜り込んだら最後、車もろともお陀仏だ。燃料ランプが悲鳴を上げ続けるのも見慣れてきた頃である。
誠士は、訳も分からぬ荒野に、ただひたすら自動車を走らせていた。一切れのメモ書きをフロントに貼り付け、奇跡の道標を求めて放浪しているのだ。
首だけ賞金男になり、早一日。埃を被らせていた罰が、こんな時に訪れるとは。物を大切にしろ、という幼少期の教えが、土壇場になって絶対神に思えてくる。
組織は、その気になれば空から機関銃でも乱射できる。民間人を舞う塵にしてでも、掟破りの者を逃がしはしないだろう。高速道路をみすみす誠士に明け渡しているのは、ドキュメンタリーの尺を満たす為としか考えられない。
手のひらで泳がされていると感じつつも、誠士はボロ車に鞭を打つよりなかった。車を停めたら最期、コンクリートを枕にして討ち死にである。
高速道路16番。英語に直すと、ルート16。生き残りを賭けた、唯一の綱だ。血の池から這い上がり、釈迦に殴り込みをかけられるのか。はたまた、焦らすだけ焦らされてから釜で煮られるのか。
……香織は、無事なんだろうか……。
常日頃から昼夜を共にしてきた相棒、香織。強盗から乱れ撃ち、逃げ足の速さまで天下一品だ。少々物事を複雑化させる瑕はあるが、タッグを組むのに申し分ない人材である。ハローワークにのこのこやって来る有象無象とは比べ物にならない。
別れ際、彼女から手渡されたメッセージ。それが、「ルート16」だった。必死から起死回生の一発を探る、彼女なりの作戦が盛り込まれた文面、に違いない。
……この状況から抜け出せる保険なんて、どこにあるのか……。
無策に道路を爆走していても、時間だけが経過していく。燃料切れに怯えながら、命の輝きを見せつけることすら叶わず逃亡しているだけ。
せめて爆発炎上を起こし、派手にニュースで名を轟かそう……。誠士の思考回路は、枠を外れて数時浮いていた。
些細な集中力の減衰が、高速運転では致命傷。普段使いしない彼は、そんな常識も抜け落ちてしまっていた。
意識が裏返ったゼロコンマ数秒。ガードレールが、みるみる内に誠士へと迫っていた。
ブレーキを目いっぱい踏み込むが、間に合うはずがない。
黒板を引っ搔いた騒音を三日月に放射しながら、進行方向が回転した。誠士の運命を表すかのように、速度メーターの元気が無くなる。
崖下墜落の大惨事こそ逃れたが、逆走の格好になった車は、ボタンを押しても反応しなかった。アクセルも、ブレーキも、装飾品と化していた。
対向車が、目前にやって来る。大型トラックのフロントガラスの向こうに、口角を上げた輩を捉える。人間は悪魔に勝ると言うが、なるほど醜悪な顔であった。
もはや、これまで。登りきれたかもしれない垂らされし綱を自ら放してしまった男に、これ以上の機会はない。
果たせなかった、香織からの伝言。
『ROOT 16』
自作英単語帳が、異変を知らせている。もう手遅れという段階になって初めて、誠士は己のミスに気付いた。
……ルートって、平方根のことか……。
ルート16、すなわち『4』。残されたのは『死』だけだったのだ。今頃、香織も別の世界で誠士を待っているだろう。
金属の擦れ合う音。座席と前方部に挟まれる下半身。
全てを悟った乾き笑いと一緒に、誠士は闇へと吞まれていった。