怒られた姫は子供に出会った
「駄目ですね。しばらくは。」
その日のこの国の文化についての勉強の時間中、小金はきっぱりとそう言った。
「ねえ、本当に1時間でもいいのよ。御供でもつけてくれたらいいじゃない。せっかく異国に来たのだから、少しくらいは外に出たって…。」
「駄目です。奥方様はまだこの国のことを知らなすぎます。例え供の者がついても、一人攫われることや、理不尽に危害を加えられることはあるんですよ。そういったものから運良く逃げられた場合、どこに助けを求めたらいいのかすら、まだ分かっていませんよね。」
そう言われると、正論過ぎて言葉も出ない。
「それに、直に結婚式に向けての礼儀作法の練習や、衣装合わせで忙しくなるので、それどころじゃなくなりますよ。」
意外だった。ああ言ったからには式も挙げないのだろうと思っていたので、つい呆けた顔になってしまう。
「え?式は挙げるの?」
私が素直にそう口にすると、小金が口の両端だけあげて形ばかりの笑顔を作った。
「式を挙げないつもりだったのですか?」
「だって、カナリ様が言ったのよ?私に妻としての役割を期待しないという意味の事を。そうだ、貴方もあの場に居たわよね。初対面だと思っていたけれど。」
小金が少し考え事をするように目線を下に下げた。そして真っ直ぐ私を見て言った。
「国の為に尽くせと、あの方は最後に仰ったはずです。」
そう言って、開いていた本を閉じた。
「はっきり言いましょう。貴方を娶ったのは、歴史ある大国レナンとの友好関係を結ぶためです。」
それは私も分かっていた。カレンの話によると1番目の姉も2番目の姉もそういった理由で既に他国に嫁いでいる。姫というのはそういうものなのだと理解していた。
「大国の仲間入りがしたいのですよ。対等に扱われないと出来ない事があるのです。今この国は例えばレナンにどう思われているか、貴方もそれくらいはお分かりでしょう?」
私は首を横に振った。本当に知らない。塔の中では私が欲しいと思う本しか与えられなかったから。私の反応を見た小金は、一瞬無表情になり、すぐに馬鹿にしたように口の端を歪めた。
「自国のことも知らない?やはり、何も知らない箱入り娘を押し付けられたのか。我が国は。本当に馬鹿にされているのだな。」
今まで聞いたことのない小金の口調に緊張する。何か小金を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
「露葉の話ではあんたは魔法も使えないらしいな。どうりでレナンの王も言葉を濁すはずだ。綺麗なだけか。勘弁してくれ。」
そう言って小金が部屋から出て行こうとするので、私は引き留めようと立ち上がった。何故小金が怒っているのか見当もつかない。だからそれを聞きたかった。小金は部屋の入口付近で立ち止まったが、私と会話をするためではなかった。
「式は挙げる。他国にレナンとの友好関係があるのだとしっかり認識させる為だ。せいぜい口を閉じて美しく着飾れ。それがあんたの最初で最後の仕事だ。…あのお方も、お可哀想に。」
そう一方的に毒づいて小金はそのまま部屋から出て行った。
彼はそれから私の部屋に来なくなった。
しかし、彼の言う通り、すぐに礼儀作法の勉強やら何やらで忙しくなったので、彼に会いに行く余裕すらなかった。
◆◆◆
「凄いですね。何枚重ね着するんですか?この着物。」
そういってカレンが私の横に立ってジロジロと興味深げに眺めている。この衣装合わせの時間、カレンにやることはないのだが、暇をやってもカレンはここに居る方が楽しそうだと婚礼衣装やアクセサリーの類を眺めていた。
「何枚なのか分からないけれど、凄く重い。これに冠ものせるらしいわ。私当日歩けるのかしら。」
「歩けるかではなく、歩くのです。決して転んではなりませんよ。」
着付けをしてくれている年老いた女中の口調は若干厳しいが、最近こんな人ばかりなので、特に気にもならない。全員が全員こんな感じなので、何やら知らない所で悪い噂が広まっていそうだ。露葉は言葉を濁すばかりで教えてくれないが、私は小金が寄り付かなくなったことが原因なのではないかと思っている。
「ねえ、この簪についているギザギザした形の飾りは何?」
あまり、普段着で見かけない形なので、私はなんとなく気になった。
「こちらは雷をモチーフにしたものです。雷は昔から魔を払うものという意味があって、こういった儀式ではよく縁起物として使われます。」
意外だった。雷が縁起がいいだなんて。
「雷が縁起物なの?」
思わずそう聞くと、女中は少し怒ったみたいで、眉間に皺を寄せて私に聞いてきた。
「何かおかしいですか?」
「いいえ。気を悪くさせたならごめんなさい。ただ驚いただけ。」
雷が喜ばれる世界もあるのね。もしかして魔法の事、言ったほうが良かったのかしら。一瞬そんなことも思ったが、すぐに心の中の私が否定する。あれを実際に見て、怯えないなんて無理だろう。私はやはり言わないでおくのが正解だと結論付けて雷の簪を元の場所に置いた。
「今日はここまでになります。夕食までの時間はどうぞゆったりとお寛ぎ下さい。」
そう言って、女中が障子を閉めた。
「カレン、少し庭を眺めてきてもいいかしら。一人で考え事がしたいの。」
そう言って私は四角い箱の蓋を開けた。中に入っているのは下駄。それを手に取り、部屋の出入り口に向かう。おそらく本来こういったものは下女かカレンに預けて外に行くときに出して貰うものなのだろうが、塔で暮らした私はある程度のことは自分でやってきた。だからなんとなく自分でできることは自分でやってしまう。そのほうが心情的に楽なのだ。カレンもそれを分かっていて自由にさせてくれている。
「承知致しました。城内なので何もないとは思うのですが、お気を付けて。」
カレンはここに来たばかりの頃は私を一人にすることはなかったが、最近はこうして私が自由に過ごす時間もくれるようになった。生活に慣れてきたのもあるが、カレンも少しここの人達を信用し始めているみたいだ。
私の部屋を出て、一つ目の角を右に曲がり、二つ目の角を左に曲がった所にあるこの庭は最近の私のお気に入りだ。カコーンッ、カコーンッと鹿威しが独特の音を立てる。私は廊下から、外に出る為の二段程しか段のない石段の上で下駄を履いた。そして、ジャリジャリと砂を踏みしめながらゆっくりと歩く。歩くのにはブーツがいいのだが、こうして少し外に出るのにはこの下駄は便利だ。私は池の前で身を屈める。池の中には黒や赤、もしくは模様のようにどちらの色も入っている鯉がいっぱいいる。私の傍に寄ってきて口をパクパクと開ける様子に癒される。今まで塔から見える生き物と言えば鳥くらいだったので、魚は新鮮だ。いつか魚の機械も造ってみたいなと思っていると、足に何かが当たった。
「ボール?小さめで可愛い。それに綺麗だわ。この糸は貼り付けてあるのかしら?」
それを手にとってそんな独り言を言っていると、
「それ、僕の。」
と高い声がした。声の方を見ると、まず小さな手の平が見えた。それを辿っていくと、そこには黒髪の幼い男の子が居た。金色の瞳は真っ直ぐにこちらに向けられている。私はボールを返して欲しいのだと推測して、両手でボールを渡した。
「どうぞ。」
というと、子供は、
「ありがと。」
と言って笑う。その可愛らしさに微笑むと、子供の手が私の耳の脇の髪を掴んだ。
「きらきら。」
そう言いながら、その子供は私の髪を上下に振った。遊んでいるのだな、可愛いなとそのままにさせていると、今度は透き通るような女性の声がした。