虚しい対面
「そなたの縁談が決まった。急ぎ支度せよ。」
何年かぶりに顔を見た父王は、私を数段高い場所にある玉座から見下ろしてそう言った。奇跡が起きたのだと思った。
夫となる方はどんな方なのだろうか。やはり私を愛してくれる方が、この世に一人くらいはいるのだと万物に感謝し、胸躍らせていた。
しかし、その考えは早々に打ち砕かれた。
「先に言っておくが、余はお主に一切触れる気はない。生涯だ。我が国の為に尽くせ。」
初めて会った結婚相手は、細い棒を編んで作ったカーテンのようなものの奥に居て、顔も見せずにそう言った。
そのまま立ち去ろうとする気配がしたので、引き留めるように口を開いた。
「お待ち下さい。子供は?それを望まれているのだと思っていたのですが…。」
服の裾を引きずるような音が止まった。
「世継ぎは弟の子供をもう次代の君主として教育しておる。お主が気に掛けることは何もない。」
私は俯いた。父王はこの話を知っていたのだろうか。だから私だったのだろうか。私の心情に何の配慮もせずに彼は言った。
「無遠慮に余の話に口を挟むなど、やはり異国の人間を妻に迎えるものではないな。」
そう言って、彼は立ち去ったのだろう。また服を引きずるような音がした。
涙は出なかった。そんなに都合の良い話が、私に降ってくるはずはないと、自分でもどこか思っていたから。
◆◆◆
「しかし、酷すぎる話ですね。まあ、政略結婚なのは明らかでしたけど。」
そう言いながらカレンは私のドレスを黒いハンガーラックのようなものに掛けていく。それは、艶のある棒を縦と横に組んで台の上に取り付けたような不思議な形をしている。
「でもドレスを掛ける場所ってここで合っているのかしら。この国の人達って服をどこに収納しているの?もしかしてあの箱みたいな所に入れているのかしら。」
そう言ってカレンはちらりと艶のある大きな木の箱を見た。真っ黒なそれは、引き出しが幾つも付いていておそらく収納に使うのだということは分かるのだが、その使い方がさっぱり分からない。
右端についている手で回すハンドルのようなものは、何に使うのだろうか?歯車も前面に多数付いているが、おそらくそれは装飾だろう。
「本当に、何もかも分からない場所だわ。カレンのくれたこの魔道具だけが頼りね。少なくとも言葉は分かる。多分少し変な翻訳の所もあると思うけど。」
そう言いながら私は耳のピアスに触れた。私の瞳の色と同じ紫色の魔石が一粒ついたシンプルなピアス。この魔道具は異国の言葉を自国の言葉に変換して私の脳に伝え、私の言葉も異国の言葉に変換する。結婚祝いだと言って、カレンがプレゼントしてくれた。
「言葉は良いとしても、普通メイドが付いているからって一人もあっち側から使用人を出さないなんてないですよ。ほんっとにクソ。クソ野郎。」
「カレン、誰に聞かれているか分からないわ。過激な物言いは止めましょう。」
私は彼女をそう諫めた。ここには私達の味方が一人もいないのは明らかなので、カレンにまで居なくなられては困る。
「だって本当のことじゃないですか!ついでに王様だって酷すぎますよ!あんな塔に何年も閉じ込めたかと思えば、こんな結婚させて!しかもこんな言葉すら違うよく知らない国に身一つで放り出すなんてっ!」
「身一つじゃないわ。貴方がいるもの。ありがとう、カレン。一緒に来てくれて。」
本当にカレンには感謝している。彼女は何も言わないが、彼女だって、こんなに文化の違う国にくるのは仕事とはいえ、嫌だっただろうから。
「そ、そんなんだから、こんな目に合うんですよ!レイチェル様は怒っていいんですよ!どうせここには王家の人達はいないんですから!!」
そう言われても怒り方もとうに忘れてしまった。私は自分の下着をたたみながらそう思っていた。物心付いたときから、私が会う人間といえば、カレンだけ。
ずっと、王宮の片隅にぽつんと建っている物寂しい石造りの塔が私の住居だった。そうなったきっかけは、私が使うことができる魔法が雷の魔法だったから。初めて魔法を使った日、ぱっくりと二つに割れて焼け焦げた大きな木を見て、皆悲鳴を上げた。
その木を中心に庭の草も燃え、水魔法が使える私の3番目の兄が慌てて消化した。数分前まで優しく私を抱きあげてくれていた母は人ではないものを見るように私を見た。私はすぐに兵士に塔に連れて行かれた。指示したのは父だった。
「でも、レイチェル様の話から推測すると、少なくともレイチェル様が魔法を使えることは知らないんですかね。レナン国の王族が魔法を使うことが出来るのは有名な話だと思っていたんですけど。」
「私もそれ目当てだと思っていたから、子供の話は驚いたわ。父は何と言ってこの縁談を受けたのかしら?」
父王は私に何も言わなかった。最後まであの人は私に興味を抱かなかった。薄々自分でも分かっていたけれど。
「でも、こんなに何も期待されていないのならば、外には自由に出ることが出来るかもしれないわね。ねえ、あの船見た?流れに逆らって動いていたわ。キンサ国のことは蒸気機関車と言うものの存在を本で読んだことがあるのだけれど、それと同じ原理で動いているのかしら。」
「外に出てはなりませぬ。」
突然鈴の鳴るようなよく通る女性の声が聞こえて、カレンと二人、声のした方に顔を向けた。横にスライドさせて開閉されるその扉はいつの間にか開いていて、小柄な女性がちょこんと足を折りたたんで座っていた。
その女性は座ったまま平伏した。おそらく彼らの礼儀作法の一つなのだろうと思った。顔を上げた彼女は無表情に言った。
「奥方様はこの国の国主の伴侶となられる方。そう易々と庶民のように勝手に外に出られては困ります。」
「はあ?じゃあ出られるように何か配慮しなさいよねえ。あんたんとこの王様は一生涯うちの姫様を放っておく宣言してんのよお?それで外にも出さないとか、外交問題になるわよお?」
そこまで言うと、少女はバツの悪い顔をして憎々し気にカレンを睨んだ。
「やめなさい。露葉。彼女の言う通りだよ。外出に関しては追々何か手を打とう。」
そう言って、露葉の肩に添えるように手を置いて顔を覗かせたのは男性。ひょろりと背が高く、長いダークブラウンの髪を緩く結ったどこか柔和な雰囲気を纏った人だった。
左目はおそらく義眼。義眼には機械的な要素はないのだが、ウィンウィンと機械特有の音がするので、体にも何か機械仕掛けのものが仕込まれているのかもしれなかった。手袋をしているし、ブーツも履いているので、どのようなものかはわからなかった。
「初めまして。私は滝小金。貴方の教育係…と言ったところでしょうか。ある程度のこの国の歴史等をお教え致します。ほら、露葉。お前も。」
そう促されて露葉はちらりとこちらを見て、おずおずと話し始めた。
「明宮露葉と申します。身の周りのお世話を任されました。何卒宜しくお願い致します。」
「ああ、良かった。実は使い方が分からないものが多くて困っていたの。よろしくね、露葉。」
そう言って微笑むと露葉はじっとこちらを凝視したので、思わず首を傾げてしまう。
「ふふ、子供は素直だね。」
そう言って小金は露葉の頭を撫でてすぐ様払いのけられていた。