2.交易都市 出発点(5)
「ストーカーか? それとも冷やかしか?」
開口一番、ノアは言い放つ。なるほど、これは確かに前評判通り、とイブキが片頬で笑った。
「間を取ってお客かな。ここに腕利きのメカニックがいるって聞いたんだけど」
「いねえよ」
と、少年がまたしてもそっけなく告げ、廃墟……いや作業場の鍵を開ける。取り付く島もない。
「?~♪」
不思議そうな電子音。人間にしてみたら小首を傾げたイメージか。相棒の反応に、イブキはにやりと唇の端を吊り上げる。
「そっか。じゃあ待たせてもらおっかな」
「……お前、よく人からウザいって言われるだろ」
あくまで引き下がらないイブキに、作業場の中から半ば辟易としてノアは言った。
「そっちは、よく人から無愛想って言われるでしょ。ミナコさんから聞いたよ?」
「ああ?」
ようやくまともな反応を引き出す。たとえ一握りの親しみさえなくとも、ノアに注意を向かせた。姉弟子の名前が出たことで、朝食の際に振り払った考えが蘇り、結びついたのだ。
ドローンを連れた、ちっこい傭兵。ガーディアンセルから来た、ミナコたちの護衛役。
「……お前かぁ?」
驚きではなく、落胆が尋ねた。
「ん? 何が?」
「あいつが雇ったっていう傭兵」
「ミナコさんのこと?」
「他にいるかよ」
ようやく噛み合う。
「ちょうど暇してたからね。お金も欲しかったし」
あっけからんと、まるで散歩に誘われたくらいの気軽さでイブキは語った。腕の立つ傭兵の人物像からは程遠い。もしくは実力があるから、こんな風に笑えるのか。
「……そうかよ。で、その傭兵が何の用だ?」
「これ直せるって聞いてさ」
「ああ?」
右手を外し、投げ渡した。すると一瞥した途端、少年の無愛想が増す。
「おい、なんだよこれ」
「私の右手」
「じゃねえよ。これ、ジジイの作ったやつだろ」
「ロスさん? 知ってるの?」
イブキが出した名は、彼女にとって恩人ともいえる義肢職人だ。肩に喫煙用のサブ・アームを増設した、浅黒い肌の老人。
「知ってるつうか、俺らの……一応、育ての親だよ。俺と、あいつのな」
微かにノアが言い淀んだのは、不意の郷愁を抱いたためか。
ロスという老人が夫婦でガーディアンセルに移り住んだのは、今から三年前。ちょうどノアが独立するきっかけともなった。
『一緒に来るか?』
『行かねえ』
移住を知らされた晩、いつもの調子で応じたノアは、その後にこう続ける。
『やりてえことがあるんだ』
珍しく強がりの含まれなかった少年の言葉に、老夫婦は顔を見合わせると、それから楽しそうに笑みを浮かべた。
『なら好きにしろ』
いくらかの工具を譲り受けた後、ノアと老夫婦はこの丘を訪れ、三人で最後の仕事を行なったのだ。廃墟の改装と、寝泊まりするための小屋の建築を。
「ジジイはどうしてる?」
「元気だよ。クリスティさんもね」
付け足したのは婦人の名前。
「んなこたぁわかってんだよ。また大戦が起きたって、あのジジババがくたばるか」
「ひどい言い草だなぁ。わかるけど」
老練で知られた夫婦である。戦っている様を見たことはないが、場合によっては二人で旅をすると本人たちから聞いた。それも護衛も連れずに。
少なくとも、並大抵のことでは死神すら近づけない。
「で、どう? やってくれる?」
「わかったよ。……つうか、ジジイが作ったんなら普通は壊れねえだろ。何したらこんななるんだ?」
「それは、まあ」
一瞬だけ迷った末、イブキは正直に打ち明ける。照れくさそうに、左手で頬を掻きつつ。
「スタッグ・ビートルを殴った後、装甲引っ剥がした……とかかな?」
「……はあ?」
口をぽかんと開けた少年の顔には、よく聞こえなかったと書いてあった。
スタッグ・ビートルの通称で呼ばれる自律戦車の存在は、当然ながらノアの知識にもある。現代に蔓延る野生兵器の中では、最もポピュラーな部類だ。だからと言って脅威が低いわけではない。
それを殴った?
装甲を引き剥がした?
「……ハッ、アホらしい」
しばらくしてノアが一笑に付したのは、少女の話を信じなかったからではない。むしろ、そのくらい手荒に扱わなければ、この黒い義手は壊れないのだとわかっていた。
アホらしいと称したのは、そんな戦い方をしたイブキに対して。言うまでもなく無茶もいいところ。一方なぜあの老人がこの少女に義手を作ったのか、理解できたように思う。
気に入られたのだろう。この施設の改装を始める前夜の、ノアと同じように。
「やるよ。とりあえずバラして、それからだ。口閉じて大人しく待ってろ」
「おっけ。ところでさ」
「俺の話、聞いてたか?」
口を閉じろと言った矢先である。
「まあまあ。ここって旧時代の施設でしょ? 最後の世界大戦前の」
「たぶんな」
電動ドライバーを操りながら、ノアが言う。
「なんでこんなとこに住んでんの?」
「俺の勝手だろ」
「ってことは、訊くのも私の勝手じゃない?」
「……チッ」
どうにも引き下がる気配がない。この少女、帰宅直後のやり取りからも、しぶとさは明らかだ。無遠慮なきらいがあるにせよ、それについてはノアの方が数段上。とやかく言えたものではない。
仕方なく少年は切り出す。
「五年前まではな、ここはまだ生きてたんだよ」
「経年劣化?」
「いや俺のミス。半人前のクセにあれこれいじって、直した気になって……それで完全に壊れちまってな。それっきりハリボテだよ」
「……じゃあ、どうして?」
ノアも自覚しないうちに沈んだ口調へ、果たしてイブキは何を感じ取ったのだろう。電波塔の周りを飛ぶビィを見上げながら、少年に尋ねる。ちょうど互いに背を向けながら。
だからノアは話せたのか。
「友達がいるんだよ。五年前まで、ここで話してた。そいつに会いに行きたいんだ」
「だったら」
「行きたくても行けねえんだ」
苦渋がにじむ声で遮り、少年は続ける。誰にも語ったことのない幽霊の素性を。
「二〇〇年前の戦争の時にな、攻撃衛星ってのが作られたんだと。宇宙空間から地上にドカドカ撃ち込む兵器だ。そいつの本体は打ち上げ前に壊されたけど、観測ユニットはもう上がってた」
「偵察衛星ってやつ? 無人の」
「いいや、有人ポッドだ。バイオロイドっていう、人間そっくりの機械を乗せた宇宙船だよ。その機械はな、俺やお前くらいの見た目をした女の子なんだとさ。乗せるのが小柄なら、ポッド自体も小型で済む……っつう理屈らしい」
「なるほどね。憧れのお姫様ってわけだ。男の子だねぇ」
「んな大層な相手じゃねえよ」
義手の外装を取りながら、ノアが続けた。
「あいつは……本当に、ただの友達だ。俺はこんな性格してるから、誰も寄ってこなくてよ。……だけどあいつは……俺でも普通に話せる、ただの友達なんだ」
「……うん」
「約束したんだよ。いつか、あいつのところまで行くって。宇宙まで行って、それからどうするかとか、あいつを地上に戻したいとか……そういうのも無いわけじゃないけどな。友達に会って、ただ話をしたい。それだけなんだ。……なんで俺、こんな話してんだか」
最後に足した苦笑は、どこか声が震えている。こうして自分の胸の内をさらけ出すのは、それこそ五年ぶりのことだ。
あれ以来、交信は何度となく試みている。クロスポイントの無線設備を借りもした。結果は言わずもがな。それが偶然であれ奇跡であれ、ノアと彼女とを繋いだのは唯一この忘れられた無線基地局だけだった。
「大切なんだね」
と、イブキが呟く。果たしてノアだけに向けた言葉だったのか。
それはここでないどこか、ここにいない誰かを探すかのように、あの緑がかった碧眼を細めている。
「友達だからな。……バラし終わったぞ。明日まで待ってくれれば、どうにか直せるだろ」
「ありがと。いくらかかる?」
「ああ、ちょっと待てよ。見積もりは……いや」
不意にノアは思いついた。いや正確には、もしかしたらと感じ取ったのだ。
「お前、傭兵なんだよな?」
「ん。一応ね。副業みたいなもんだけど」
「本業は?」
「流れ者。私も会いたい人がいるから。ずっと探してるんだけど……ま、居場所わかんないし、相棒とぶらぶらしてるだけだよ」
呼ばれたと思ったのか。ビィが下りてきて、イブキの顔を覗き込む。ドローンの複合センサーには、この少女が普段見せない寂しげなかげりが映っただろう。
ノアは言う。
「今はなんか依頼受けてんのか?」
「全然。流れてる真っ最中」
「そうか。……あのな。ここから西に行ったところに、古い軍事基地があるらしい。旧時代には、アメリカ宇宙軍の管轄だった場所だ」
いつか友達に聞いた二〇〇年前のおとぎ話。彼女を乗せたポッドが、宇宙に向けて放たれたという軍事基地のことを、ノアが忘れたことはなかった。
「もしかしたら使える機材や、他の打ち上げ施設の場所がわかるかもしれねえ。でも俺だけじゃ無理だ。俺はただのメカニックで、旅に慣れてないし、野生兵器とも戦えない」
「……それで?」
試すようなイブキの口調。なぜか彼女を思い出し、だからノアに決意をさせる。
欲しいのはきっかけだ。踏ん切りをつけるための原動力なのだ。それが今まさにノアの前へ現れた。一人の少女と、一機のドローンの姿で。
「……まだ名前聞いてなかったよな。ノアだ」
「イブキ。こっちはビィ」
戸口まで来た少年へ言葉を促すように、彼等はノアをじっと見つめた。
きっかけはもう掴んでいる。
「そっか。じゃあイブキ、質問だ。……ロケットを飛ばしたいって思ったこと、あるか?」
イブキが笑った。不敵で自信の満ちた微笑。
「五分前から思ってたとこ。会いに行こうよ。二〇〇年前のお姫様にさ」