2.交易都市 三人のジプシー(4)
時は少し遡る。
丘の上に住む少年が目を覚ます、少し前。クロスポイントの三番ゲートから程近い安宿で、イブキは目覚めると共に伸びをした。
「ビィ、朝だぞー? 起きなぁ?」
「……♪」
「っとに朝弱いよねぇ。ふわぁ……」
弱々しいビープ音に欠伸を加えて応じると、イブキはベッドの隅で寝静まる相棒を苦笑する。
野戦服の上下という、さすがに身軽な恰好だ。一晩寝泊まりするだけの部屋に、ショットガンは壁に立てかけ、防弾アーマーなどはコートと一緒に椅子を占領させている。
それでも一応、枕元にホルスターごと拳銃を置いているのは、傭兵としての習慣だろう。
「私、シャワー浴びてるからね。起きなよ?」
髪紐をほどくと、まとまっていたローポニーが散らばる。それから野戦服の右腕をまくって、あの黒い義手をあらわにした。
前腕のちょうど半ば辺りから、生身の腕と置き換わっている機械の手。接合部に左の繊手でもって触れると、カチャカチャ鳴らし取り外す。
「やっぱ壊れてるよねぇ……」
切り離した自分の右手をしげしげと眺める、というのは義手ならではの光景だろう。接続を失い力なく垂れさがった機械の指は、僅かに歪んで見える。
スタッグ・ビートル二機と戦って被害はこれだけなのだから、普通なら賞賛してやりたいところだ。しかし、それも永久に自画自賛していられない。局所砂漠での迎撃戦は、もう二日前の出来事なのだから。
「お姉さんに聞くかぁ」
考えても仕方ない。見つめていれば修理が終わるというなら、話は別だが。義手をベッドに。一緒に持ってきたトランクから着替えを引っ張り出すと、そのままシャワールームへと向かった。
数日ぶりのシャワーを頭から浴びる。
昨夜はチェックインして荷物と装備を置くなり、食事も忘れて眠りこけた。質素だが寝袋よりもずっと快適なベッドの感触で緩みきった脳みそが、降り注ぐ熱いシャワーに覚めてゆく。
しっかり払っているのだからと、お湯だけでなく備えつけのシャンプーまでたっぷり使い、同じ要領で身体も洗うとようやく部屋に戻った。
「ふぃー……さっぱりしたぁ」
「?~♪」
ほとんど同じ野戦服に着替えたイブキを、快活なビープ音が出迎える。すっかり目覚めたビィが、部屋の中でふわりと飛び上がった。
「無駄じゃないんだってば。飲むだけが水じゃないんだから……うわっぷ」
「~♪」
相棒はイブキの頭上をホバリングして、生乾きの髪に風を送る。回転翼を利用したドライヤーは、ともすれば戦闘以上にビィの得意分野である。排熱を利用して温度調節もお手の物。一応は戦闘用なのに、こんな芸ばかり覚えるのはいかがなものか、とはたまにイブキが思うぼやきだ。
「先に言ってほしいんですけど!?」
「?……♪」
「あ、すぐそういうことを……はいはい、感謝してますっ、してますよっ」
いったいどんな弱みを突かれたのやら。イブキ以外にはまずわからないビープ音に少しむくれると、再び髪紐を結んでベッドに腰かけた。
黒い右手を再び装着。普段よりぎこちなさのある動きに少し苦戦しつつ、拳銃を取って分解した。念入りにクリーニングを済ませたら組み上げ、今度は左脇にぶら下がるようショルダー・ホルスターを固定した。
続けてショットガン。これもシリンダーを外し、丁寧に磨く。
手盛り無沙汰なビィが部屋の中を飛び回り、たまに電子音を鳴らした。それとは別に響いている低い音色は、脱衣所に置かれた洗濯機。おそらくイブキの同業者たちの要望に応えたのだろう。このクラスの宿にしては珍しく、大容量かつ乾燥機能つきのモデルだ。おかげで数日分の洗濯物を、一気に洗える。
「よし、完了っと」
武器のメンテナンスを終えたイブキが、勢いよく立ち上がるなり、残りの装備を身につけた。
アーマー、プロテクター、ショートブーツに、その他もろもろ。貴重品までざっと確認し終えた彼女は最後にコートを羽織った。
チェックイン当初とほぼ同じ出で立ち。違うのはさっぱりした面差しと、薄いブロンドをした髪の艶だろう。
「ビィ、行くよ」
「~♪」
「わかってるって。最初はミナコさんのとこ。いろいろ済ませるのは、その後ね」
部屋を出て、きっちりと施錠する。宿は明日までの料金を支払い済みだ。洗濯機は勝手に止まってくれるし、盗まれて困るものは残してない。
意気揚々と出発するイブキに、ビィが続く。
まず向かったのは、公共パーキングに隣接した整備ドッグ。
クロスポイントを統括する都市管理局、その直属となっている工場だ。担当するのは主に民間車両なのだが、ここで言う民間とは警備チーム以外の所有物であり、つまるところ街を行き来する傭兵の装甲車両が大半だ。
都市部での戦闘まで考慮する警備兵のそれと異なり、野戦仕様のこれらは火力も装甲も桁が違う。戦車砲を積んだ大型の装輪装甲車があれば、強引に重機関銃と対戦車ミサイルを詰め込んだ手製の装甲車両という代物まで鎮座する。
だがこの整備ドッグでもっとも凶悪な存在は、それらを整備する作業員たちで間違いない。
朝も早いのに騒音が満ち、それらに負けじと罵声が飛び交う。支払いを渋る輩がいればスパナ片手に眼光をぎらつかせる、現場叩き上げのメカニック集団。機械油の中から生まれて来たような彼等が相手では、強面の傭兵すら怯んでしまう。
ここは彼等の城であり、彼等の戦場。よそ者が支配者に逆らうなど、到底無理な話である。
そんな中へと飛び込んできた快活な声は、聞き用によって場違いだったかもしれない。
「おはよっ、ヒューイさんっ」
部品の検品中だったらしい若い男が、イブキの声に振り向いた。
「ああ、イブキか。おはよう。早いな」
「先に寄ろうと思ってさ。そっちも、もう仕事してんだ?」
「姐さんは休みって言葉を知らないんだよ」
そう言って、ドローンを連れた少女に肩を竦める。
ヒューイ。傭兵街ガーディアンセルから、この交易都市クロスポイントまで。数日間の旅を共にした昨日までの護衛対象は、どこか辟易とした様子を浮かべた。帰着したのも束の間、朝が来たらすぐ仕事なのだから、こうなってしまうのも無理はない。
むしろこうした本音を出せる程度には打ち解けた、と考えるべきだろう。
「ご愁傷さま。ミナコさんもいるの?」
「そりゃいるさ。――姐さん! 客っすよ!」
「わかってるよ、ちょいと待ちなっ!」
返事は二人と一機の真後ろから。正確には、背後に置かれた車両の下から響いた。
サスペンションでもいじっていたらしい。程なく姿を見せたミナコは工具を持ちつつ、額の汗を軍手越しに拭ってみせた。早速、機械油が顔につく。
綺麗なのに、と思う反面で、これこそがミナコらしい、ともイブキは胸裏に呟いた。多少の汚れなどものともしない美貌、なのではない。逆にこういう生活感のあるからこそ、この女性は少女の眼差しにかっこよく映るのだ。
「あんたも早起きだね、イブキ。ちゃんと休めてるのかい?」
「それ、ミナコさんが言う?」
互いに牽制し合ったかと思いきや、どちらからともなくハイタッチが決まる。イブキの頭上を飛ぶビィですら、嬉しそうにビープ音を奏でた。
同性というだけでなく、似た者同士でもあるのだろう。姉御肌の整備員と、まだ幼さの残るフリーの傭兵。旅の途中でも、単なる仕事付き合い以上の接し方が出来た。
「やっぱ右手は調子悪いのかい?」
ミナコが即座に言い当てる。ハイタッチに物騒な義手は使えないとして、僅かにぎこちない指の動きを見抜いたのだ。
「少しだけ。なんか食べたら直してくるよ」
「うちで直してやれりゃいいんだけどね。あたしも他の連中も、そういうのはからっきしだから。っと、報酬払ってやらにゃ。マネーカードは?」
「ん、よろしく」
と言って、一枚のカードを渡した。
傭兵稼業は金銭の出入りが激しい。武器・弾薬に車両のコストなど。実入りが多い分、出て行く額も相当だ。そのため現金のやり取りでなく、管理しやすい電子マネーでの受け渡しが基本だ。口座を管理し保証するのは傭兵街ガーディアンセル、もといそこの都市管理局である。
カードを受け取ったミナコが事務所へ向かい、しばらくして戻って来た。今しがたと異なり、電子タバコを吸いながら。
「はいよ。確認するかい?」
「後で見よっかな。桁ひとつ多かったら得だし」
「ハッ、言うねえ。また頼むよ」
タバコを挟んだ指で、耳の後ろを掻く。ミナコの癖だ。
「イブキ、あんたまだしばらくはいるんだろ?」
「次の仕事決まってないからね。右手も直さなきゃだし。あ、この辺って美味しいお店ある?」
「あー、そうさねぇ……」
「ロージーんとこでいいんじゃないっすか? バグ・ミート食えるんなら」
考え込んだミナコを、ヒューイが引き継いだ。
「そりゃそうか。ここから近いし、なんたって安い」
「バーガーショップ?」
「いんや、中華さ。基本的にはね。ラーメンでも食ってきな。寝起きには食いごたえあるのが一番だ」
道順を教わり、頷く。
「じゃあそこにしよっかな。あ、私のバイクだけど……」
「預かっとくよ。ヒューイに整備させるから、気にせず休んどいで」
「……俺かよ」
ぼやいたヒューイを睨んで黙らせ、ミナコは続ける。睨まれた方はそそくさと仕事に戻った。
「それと右手だけどね、もうアテは決まってんのかい?」
「ぜーんぜん。それも聞こうと思ってさ」
交易都市クロスポイントの名は知っていたが、実はイブキ、訪れるのは初めてなのだ。こうした問題を片付けるには、土地勘のある現地の住民を頼った方が確実である。
「そんならちょっと歩くけどね、腕のいいやつのがいるよ。街の外に電波塔があったろ?」
「あの壊れてるようなの?」
「そ。メシ食ったら行ってみな。あたしの名前出せば断らないさ」
「どんな人?」
首を傾げたイブキに、
「姐さんの弟分だよ。ちょっと……つうか、だいぶ……」
「無愛想だねぇ」
ヒューイの言い淀んだ先を、あっさりミナコは告げた。
「えぇ……? それ、ホントに大丈夫?」
「ああ、腕は保証するよ。義手だのなんだのは得意分野なのさ」
この女性がここまで言うなら、信用していいのだろう。口を揃えて語られる人物像が気にかかったものの。
「そんじゃ、ちょっと行ってみようかな。ビィもいいよね?」
「~♪」
ビープ音を鳴らし、宙を一回転。わかりやすく肯定する。
そうして二人の元クライアントに別れを告げると、イブキとビィは街中に繰り出した。まず教えてもらったロージーの店へ。
そこで一人の少年と短く言葉を交わしつつ、朝食を平らげ三番ゲートに。
ちょうど夜勤明けで帰ろうとしていた警備兵に事情を話すと、ブラッドというその男はどことなく面白がるような表情で頷き、少女とドローンを通した。
『あいつ、ホントに間が悪いな』
という独り言をこぼしながら。
「風、気持ちいいねぇ」
「!~♪」
「こらこら、ダメだって。あんまり高く飛ぶと、間違って撃たれるよ」
文字通り羽を伸ばせる気分なのか。上昇しかけるビィに釘を刺しながら、丘を歩く。
程なくして辿り着いた電波塔の真下には、確かに生活の痕跡があった。施錠された無線基地局と、裏手にある簡素な小屋。どちらも人影はなく、代わりについ最近刻まれたと思しきタイヤ痕があるだけ。
「……入れ違いだったかな?」
状況を整理すると、まず間違いなくそうなる。他所に引っ越したならミナコたちの耳に入っているはずだし、あの警備兵ブラッドも何かしら言ったはずだ。
いや、そういえばブラッドは間が悪いと呟いていた。あれはここの住民に対する台詞だったらしい。
「?……♪」
「だね。待ってみよっか。あんまり遠くに行っちゃダメだよ」
早速辺りを飛び回り始めたビィに言い、イブキは廃墟に寄りかかる。穏やかな風の吹き抜ける、丘の上の家。こういうところに居を構えるのは、いったいどんな人物だろう。
ふとイブキはポケットを探り、手のひらサイズの携帯デバイスを取り出した。無線機としても使う汎用機器。片耳へイヤホンを押し込むと、しばらく操作した後、メロディが聞こえてくる。
喧噪から離れたこの場所で、なぜか音楽が欲しくなったのだ。
ピアノとヴァイオリンの二重奏。題を、三人のジプシー。
このデバイスに唯一録音されたこの曲が、果たして今ふさわしいかはイブキにもわからなかった。ただ聞きたくなった。これを演奏した人々を思い出して。
そうしてふと、義手の付け根が疼いた気がする。
風と、メロディと、少し離れたところで聞こえるビープ音。ほんの少し漂う機械油の匂い。イブキはじっと目蓋を閉じて、静かに聞き入る。
そんな風に待ち、どれくらいの時間が経っただろう。
「……ビィ」
微かに聞こえたエンジン音。相棒は少女の呼びかけにすぐさま応じ、戻って来た。こちらもイヤホンを外し、デバイスをしまう。
やがて現れたのは一台のバギーと、見覚えのある少年だ。
「ハァイ、さっきぶり」
片頬で笑うイブキと頭上に控えたビィとを見比べ、少年は眉をひそめる。
ミナコの弟分――ノアという彼との、これが二度目の邂逅だった。