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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
7/31

2.交易都市 星を探す丘(3)

 目覚めてからしばらく。今がいつだったか、ノアには一瞬わからなくなった。数秒前まで見ていた夢という過去の記憶が、起きてもまだしがみついてきた。


「……畜生」


 まさに眠りの世界で最後に呟いていた台詞を、寝ぼけ眼のまま吐き捨てる。そうせざるを得ないくらい、あの夢は思い出をなぞりすぎていた。


 過去なのだ。

 夜な夜な抜け出しては街の外へと繰り出していたこと。放棄された基地局に入り浸っていたこと。エマという、無線越しにしかやり取りできない友人がいたこと。

 全てがノアの実体験であり、あの夢は脚色されていない記憶そのものだった。

 今振り返ってみても後悔は尽きない。

 なぜ一人で直せるなどと思い上がっていたのか。心の奥では持ち合わせていた半人前の自覚を、どうしてあの頃、認めることが出来なかったのだろう。


 あの晩以来、エマとの交信手段は断たれたままだ。朝まで過ごし、夜明けと共に見て回った通信設備は、すでに修復不可能なほど壊れていた。


「……起きるか」


 思い悩んでいても仕方ない。唯一の救いがあるとすれば、エマとの会話が途切れた夜をきっかけに、本気の決意を定められたことだ。

 老夫婦に鍛えられ、技術を磨き、知識を広げ。現在は街でも多少の名が通っている。


 丘の上の残骸に住む、偏屈で無愛想な少年メカニック。

 そう、ノアは宣言通りに独立し、今もまだ街を見下ろす丘陵の先に住んでいた。壊れた電波塔が目印の無線基地局。中は片付けられ、工房を兼ねた店となっている。この裏手に新しく建てた小屋が、ノアの生活空間だ。


「朝メシ、どうすっかな」


 貯水タンクの蛇口から直接水を出して顔を洗うと、食料が尽きていたのを思い出す。急ぎの仕事はないため、今日、買い出しに行くつもりだった。

 けれどあんな夢を見た後だと、なんとなく動く気がしない。眩い早朝の日差し、水が滴る頬へと、夜気から抜け切らない肌寒い風を浴びてもまだ。陰鬱な倦怠感が背中から覆いかぶさって来た。

 しかし、そういう時こそ胃袋に何か詰め込むべきだろう。金も家も食料品店もあるのに、飢えるのはごめんだ。


 小屋に戻って財布を取る。そのまますぐ引き返して、基地局の前に停めたバギーに滑り込んだ。鍵すらかけずに不用心なようで、しかし小屋にあるのは生活用品だけ。店は昨夜からずっと施錠してある上、押し入ろうとする無作法な輩は自動ターレットに撃たれる。

 伊達に街の外で暮らしているわけではない。


「さてと……」


 スイッチを押し込み、動力始動。エンジン・キーは最初からない。この2シートの簡素な車体は、元が軍用規格のオフロードである。この丘に店を構えた折、ノアよりも数年先に独り立ちした姉弟子から餞別として送られた車両だ。

 そもそもがシンプルかつ信頼性の高い車種なのだが、エンジンと足回りにかなり手が入っている。


『行きたいとこへ行けるようにね。あんた、昔っから落ち着きないからさ』


 ハンドルを握る度、男勝りな口調を思い出す。その姉弟子は今でも街に暮らしているのだが、年に一度、顔を合わせるかどうかという程度だ。

 ついでなのだから、久しぶりに様子でも見に行こうか。いや、今は遠征中だと聞いた気がする。ならばわざわざ訪ねるほどもあるまい。

 そんなことを思いながら、ノアはバギーを走らせる。以前は皮肉げに嘲った街を目指し。


 二〇〇年前、コロラド州と呼ばれていた地域。その東部へ広がる平原地帯に生まれた、名もない街。散逸する各居住地のちょうど中心部にあったことで、二〇〇年の間にこの一帯でも最大の交易拠点へと変貌した。今ではかつて誰かの使った端的な呼び名が、通称として定着している。

 戦後の交易都市――クロスポイント、と。


「よお、ノア。買い出しか?」


 最寄りのゲートに乗り入れるや否や、顔馴染みの警備兵が助手席側から覗き込む。スリングから吊るされた突撃銃は、二〇インチの銃身に多目的ランチャーを備えた迎撃仕様。


「ついでに朝メシだよ。ブラッド、あんたも来るか?」

「こっちは夜勤明けだぞ。あと三十分したら、家帰って寝るとこだ。間が悪いやつだよ」

「なんだよ、奢らせるつもりだったのに」


 ひと回り年上の彼は、ノアの数少ない友人だ。非番の時には用事もなく店に来て、街での出来事を聞かせてくれる。向こうにしてみれば、ノアは目を離せない弟分なのかもしれない。


「で、どのパーキング?」


 アイドリング状態のバギーに乗ったまま、欠伸混じりにノアが訊いた。

 街の中は原則として車両の使用が禁止される。これはクロスポイントだけのルールではない。いつ何時、野生兵器が襲来するかもわからない時代だ。警備チームが即応できるよう、移動を妨げない配慮である。

 住人であれ旅人であれ、自前の車両は公共パーキングに停めておくのが基本。なのだが、


「ちょっと待てよ。おっと、こいつは……そういやそうか」


 タブレット端末を操作していたブラッドが、しばらくしてなんとも言えない風に顔をしかめた。


「ノア、お前ってホントに間が悪いな。こっちのエリアは昨日で満車だ」

「……冗談だろ」


 たまにこういう事態もある。

 交易都市の異名を冠するだけあって、クロスポイントは人の往来が激しい。特に夜は野生兵器の危険性が跳ね上がるため、完全武装した傭兵さえ滅多なことでは街を出ないのだ。

 要するに、運が悪いと翌朝まで駐車スペースが空かないのである。


「他のゲートに回るしかねえか。二番か四番なら空きがあるだろ?」


 現在位置は三番ゲート。あえて名前を出さなかった一番ゲートは、街の正反対になってしまう。そこまで遠回りするのは、さすがに面倒だ。

 するとブラッドは大仰に肩を竦める。


「まあ待てって。心配すんな。俺らの横に停めていいからよ」


 警備チームには専用のパーキングがあてがわれている。公共にしたら今回のようなケースで防御に支障をきたすのだから、当然の処置か。


「……金取らないよな?」

「安くしとくさ。――本気にすんなって。行けよ。ロージーんとこか?」

「他で食えるほど稼いでねえ」


 とは、行きつけの食堂、もとい屋台の店主だ。朝から晩まで、行けばとりあえず腹を満たせる。


「もうちょっとばかし、お前も愛想よくすりゃいいのになぁ」

「ジジイの仕込みさ」


 返した後で、振り払ったはずの夢が蘇る。エマと最後に話した時、こんなやり取りをしていたように思う。


「そういや……」


 と、ブラッド。


「ん?」

「それで思い出した。昨日戻ったぜ、お前の姉さん。そのじいさんのとこからよ」

「へえ、早いな。ガーディアンセルからだろ? 明日かと思った」


 やっぱり顔を出すべきか。いや面倒だ。先頃浮かんだ今日のスケジュールを怠惰の二文字で却下しつつ、ノアは姉の旅先の名を反芻した。


 ガーディアンセル。別名を傭兵街とも。


 クロスポイントが交易している街のひとつで、その名が示す通り、住民の七割が何かしらの傭兵という異色の街だ。あるいは成り立ちを知っていれば、多少は納得できただろうか。

 元々、ガーディアンセルとは戦前に存在した企業の名だ。民間軍事会社として知られたその企業は、最後の世界大戦中に本社と周辺施設を無人兵器から守り抜いた。しかも本社ビルに傷ひとつ付けず。

 以来、社名は地名へと転じ、各地から集まった民兵や義勇兵らが訓練を受け、傭兵となる歴史が続いている。フリーランスもいれば、どこかの街に雇われる者まで様々だ。

 実はブラッドを始めとするクロスポイント警備チームの半数も、以前はガーディアンセル出身の傭兵だった。食料や技術の代わりに、武力を売り物にする。戦後暦という現代では欠かせない存在だ。


「夜のうちに着いたのさ。状況次第だけどな。出るならともかく、入るとなりゃ夜営より防衛圏まで走った方が安全なのさ」

「自慢かぁ? クロスポイント警備チームなめんなっつう」


 少年のせせら笑いに、得意顔で返す。


「そうとも。そのおかげで、ガラクタ置き場に一人暮らししても安全なんだ」

「よく言うぜ」

「言わせろよ」


 軽く応じてから、ブラッドは神妙な面持ちになった。


「実際のとこ、賭けではあるがな。俺らの射程に入ったからって、野生兵器が尻尾巻くわけでもねえ。よっぽどいい護衛だったんだろ。こう、ちっこいのを連れて帰ってきてよ」

「ちっこいの? あいつ、ジジイの真似してガキでも拾って来たのか?」

「いやそうじゃねえって。護衛の話だよ、護衛の。ちっこい傭兵だ。サポート・ドローン連れてる嬢ちゃんでな。歳は……お前と大差ないんじゃねえか?」

「そりゃ大したもんだな」


 いつもと変わらない様子で告げるノアの言葉には、しかし皮肉げな要素が欠けていた。率直な賞賛なのだ。

 傭兵街から来たのなら、あの街の住民だろう。姉弟子が身分保証もされていない傭兵を雇うとは思えないし、ガーディアンセルで正規の身分登録が出来るのは十五歳から。もちろん、普通はどこかのチームで下働きをするものだ。

 それがすでに独立し、あまつさえあの女の信頼まで勝ち取っているというのなら、言葉通り大したものなのだ。街の外に居を構えているとはいえ、クロスポイントの防衛圏にいるノアとはわけが違う。むろん職業からして異なるのだから、嫉妬するところでもなかった。

 だからこその賞賛である。


 一方、


「ん? つーことは、なんだ? パーキング満車になってんのは、あいつのせいか?」

「察しがいいじゃねえか」


 彼女らがのんびり来てくれたら、こうして話し込む必要もなかったわけだ。別で借りれるのだから解決したも同然なのだが。

 独立前は何かとノアの先手を打ってきた姉弟子だ。こんなところでも出し抜かれた気分になる。


「気に入らねぇよな。……まあいいか。入るぜ」


 ブラッドが離れるのを待って、バギーが唸る。

 今は互いに別々の生活があるのだから。腹を立てても仕方ないし、今の目的は腹を満たしことだ。いかつい装甲車両の隣に停車し、エンジン・オフ。

 独立前から代わり映えしない故郷。すでに人の往来も出来ているクロスポイントの朝は、料理の匂いに混じり電気工具の騒音が響く。


 いつになっても雑多な景観だ。宿も工場も商店も。まともに店舗として並んでいるものがあれば、テントを張っただけの屋台まで。いや前者でさえ並び方にまとまりがない。

 モーニングセット二割引を謳って呼び込むレストランの隣では、野生兵器をバラしてきたのか、大量のジャンク品を扱う中古ショップが建ち、傭兵らしきサイボーグの一団がどちらに入るか迷っている。

 基本的に警備チーム専用となる車道を挟んだ、反対の路地。そちらはまた別の傭兵が銃器専門店のショーウィンドウを眺めているものの、とうの店主は隣接したバーで昨夜から飲んだくれ、今はというと酒場の軒先にいびきをかく始末。


 要するに無法地帯だ。統一性の欠片すらない。こんな調子で防壁の内側に営みを作っている人々は、総人口を五万とも六万とも言われている。

 何しろ交易都市の名を冠するだけあって、入れ替わりが激しい。地上はまだいい方で、地下街まで足を伸ばせば、都市管理局への届け出すら出ていない違法取引の温床だ。そうしたお目こぼしすら含めれば、桁がひとつ増えるだろう。そんな風に囁かれている。


 ロージーの店は、そんなクロスポイントの小さな屋台だ。

 三番ゲートから徒歩十分。管理局お墨付き、食料プラントから直送を宣伝文句にしているものの、実際にはクズ肉や不出来な食材を、安く仕入れているだけだ。

 物は言いよう、とはノアを含めた常連客の言い草。それでもとりあえず食あたりは起こさないし、値段相応の量と味なので文句はない。先述の一言は親しみの部類だ。

 特にこの少年の場合、店主とは独立前からの付き合いだ。


「ノア、いい肉入ったぜ」


 スツールに腰を下ろすなり得意げなロージーへ、ノアは眉根をよせる。


「バグ・ミートは嫌いなんだって。チャーメンでいいよ。成型肉でな」

「相変わらず贅沢だな、お前は」


 戦前の食料プラント技術によって、一応の食料事情は安定している。畜産物の変化はあるにせよ。

 牛や豚、鶏肉などは高級品。一般的に食される肉といえば、もっぱらバグ・ミート、すなわち昆虫食である。むろん野生の虫を捕まえるのではなくて、遺伝子改良された食肉用の昆虫だ。これを加工し、見た目は昔ながらの食品と大差ない状態で流通させている。

 もちろん、だからと言って全員が慣れているわけではない。食卓に並んでいるのが、どんな色をした芋虫のソーセージなのか……と。想像してしまう人間は一定数いる。

 ノアもそのうちの一人で、ロージーが言うところの贅沢な人種。


「嫌なもんは嫌なんだよ」


 ぼやきながら、まず出されたグラスにピッチャーで水を注ぐ。一杯飲み干してから、欠伸をひとつ。やがてこじんまりとした野外食堂から、香ばしい匂いが漂い始めた。


 そんな頃。


「お腹空いたぁ……」

「~♪」


 少女の声と、ビープ音がひとつ。右隣のスツールに座った客を、ノアはなんとなしに横目で見た。


「仕方ないじゃん。この後、ちゃんと直しに行くって」

「?~♪」

「あのね、ビィだってバッテリーなきゃ飛べないでしょ? そういうもんなの」


 それは二人組と称していいのだろうか。黒い薄手のコートを羽織った、金髪の少女。うなじの辺りから細長いローポニーが伸びている。ほんの一瞬、同性かと勘違いしかける顔立ちは、まさに精悍と呼ぶべきものだ。

 彼女の頭の辺りでは、ホバリングする一機のドローン。遠隔操作ではなさそうだ。自律的すぎるし、どういうわけか少女と会話が成り立っている。人工知性搭載の機体か。このタイプには珍しい。普通は人型のドローンに搭載されるものだし、何より人工知性があるなら言語化ソフトも積むはずだ。咄嗟の意思疎通が問題になる。

 特に、この二人組のような職種だと。


 どう見ても新人の傭兵。雰囲気がどうだとか、そういった話ではない。どちらも武装しているのだ。少女の方はスリングで銃を――これも珍しいモデルで、リボルビング・ショットガンを背負っているし、ドローンは下部に短機関銃を搭載済み。

 こんな出で立ちで、傭兵以外の仕事はあるまい。新人と付け足したのは、年齢が性別よりも判断しやすかったため。

 ノアと同年代。どう見ても十代後半だ。大方、どこかの傭兵団に属する見習いだろう。


『変なやつら』


 諸々を総合した感想を、ノアは胸の奥に独りごちる。

 少女が注文を始めたのはその時だ。


「塩ラーメンの、えっと……麺硬めのスープ少なめで。トッピングってどんなの?」

「今日のおすすめは肉団子だな。いいのが入ってんだ」


 げっ、と鳴りかける声を、ノアはなんとか押し殺した。


「っていうと、バグ・ミート?」

「嬢ちゃんも苦手なクチか?」

「全然っ! じゃあそれ二つと……うん、リッチにいこう! 生卵も追加で!」

「あいよ。こっちはおまけだ。相棒に繋いでやりな」


 注文に気を良くしたらしい。ロージーが充電ケーブルを渡す。小型ドローン向けの汎用規格。


「やった、ありがとっ! ビィ、おいで」

「~♪」


 少女が座り位置をずらすと、ドローンは器用にも彼女の膝へ着地した。パチリと音がしてケーブルに接続。時折、満足げなビープ音が小さく鳴る。

 なるほど、これは相棒と呼ぶのがしっくり来た。


「ほれ、お前の分だ」

「んあ? あ、ああ……」


 少女とドローンという奇妙なコンビに、束の間奪われていた意識を料理に呼び戻された。

 単に変わっているから、だけではない。ブラッドから聞いた話を思い出したのだ。ドローンを連れたノアと同年代の傭兵。

 まさかな、と。かぶりを振り食べ始める。合成麺と成型肉、それにクズ野菜を炒めた朝食。油っぽいところが少年の空腹にはよく効いた。


 そうして食べ進めていると、


「はいよ。塩ラーメン、麺硬めスープ少なめ、肉団子入りな。卵は生でよかったんだったか?」

「ありがと! 今日は豪華だぁ……! いただきますっ!」


 一瞬、ノアはまた横目で彼女を眺め、そのまま自分の目を疑った。

 ドローンを膝に載せたまま、少女はまず左で生卵を割って麺に落とすと……そこから持ち替えた箸でぐちゃぐちゃにかき回し、ずずずっ、と一気にすすり始める。

 スープだか卵だか最早わからない絡め方をした麺に、昆虫肉までほぐして口いっぱいに頬張る横顔。いくら無愛想で知られたノアでも、人の食事にケチをつける趣味はないのだが、今回ばかりは思わず声に出た。


「うわ……」

「ん?」


 即座に反応する少女。無垢な輝きを宿す、緑がかった碧眼がノアを見た。視線が交錯する直前、少年が慌てて目を逸らしたのは言わずもがな。


「あ、いや悪い。変わった食い方……するもんだなぁ、って」


 語彙力を総動員して、バツの悪さを誤魔化してみる。


 しかし、


「美味いよ?」


 少女の方はそもそも気にした風もなく、きょとんとして首を傾げた。


「ああ、うん……そうかい。そうみたいだな」

「食べる?」

「いやいらねえよ」


 早口に付け足す。

 妙なのと関わってしまった。昆虫肉だけならまだしも、卵を生でいく輩と気が合うはずがないのだ。百歩譲ってマズくないとしても、食事と呼ぶには見た目のグロテスクがノアの許容範囲を超えている。


「ごちそうさん」


 さっさと平らげて金を払う。


「美味しいんだけどなぁ」

「~♪」


 踵を返した少年の背後で、誰ともない呟きにビープ音が応じた。相槌か否定か、やはり判別不能。

 あんな食べ方をするくらいなら、一生を保存食で過ごした方がまだいい。味も見た目もそっけないにせよ、生卵だの昆虫肉だのは入っていない。

 ノアにとってはむしろそちらが重要であり、食事を終えた今、向かう先もまさに携帯食の買い出しだった。


 ロージーの店からしばらく歩き、馴染みの業者を回る。水と食料、栄養剤を注文しながら露店を巡り、掘り出し物でも見つからないかと眺めては、そうそうあるはずもなく、また別の店舗へ。今度は日用品を発注し、支払いを済ませた。


「全部届けさせればいいのね?」


 これは最後に立ち寄った雑貨店の、看板娘を自称している幼馴染。昼まで店番を、その後は最寄りの学校に通っている。いずれは食料プラントで働くことを目指している彼女は、ノアと同じく昆虫肉嫌いの偏食家だ。

 将来の目標も、虫以外の安くてまともなタンパク源を研究するためだという。


「ああ。明日の昼頃でな」


 頻繁に家と街とを何度も往復するのは面倒なので、ノアは一度におよそひと月分を買い込むのが常だ。それだけの量ともなれば、バギーでの運送は不可能。そこで街の運送業者に頼み、丘の上まで届けてもらう手筈だ。

 問題は配達までの食事だが、それもこの店で済むだろう。


「キャロル、ついでにこれくれ」

「また冷凍ピザ? よく飽きないね」

「楽なんだよ」


 電子レンジさえあれば作れる、格安メニュー。もっとも、戦前の人類が見たら果たしてこれをピザと呼べたかどうか。クリスピー生地にケチャップと合成チーズを載せ、気持ち程度のバジル・ソースをまぶしただけの代物だ。

 それを三食分。今日の昼から明日の朝まで、ノアはこれで乗り切るつもりでいる。


「まともなもの買えば?」

「じゃあさっさと卒業して、俺にも買えるプラント肉でも作ってくれ」

「あんたってホントに励ますのが得意よね。世捨て人のクセに。……そういえばさ」

「なんだよ」


 憎まれ口の応酬を経て、ふと真面目な顔になった幼馴染は言う。


「あんた、まだ追っかけてるの?」

「……何の話だか」

「幽霊。他にないでしょ、あんたはさ」


 その単語が意味する存在は、明白だ。この世ならざる幽霊。今朝もその夢を見たばかりだ。丘の上の廃墟で、ノアと言葉を交わしていた亡霊である。


「……ちゃんと名前があんだよ。第一、幽霊じゃねえし」

「同じようなものよ。いつまで意地張って、あんなとこに住んで、星ばっかり見てるつもり? 向こうだって成仏したんじゃないの?」


 独立して以来、見知った人々から時折この話をされる。ブラッド、ロージー、そして今レジの向こうにいる幼馴染のキャロルなど。

 夜な夜な街から抜け出したノアと、彼が壊れた無線基地局で話していた存在の噂話は、いくらかの尾ひれがついて噂となった。曰く、この少年はあの丘で幽霊と言葉を交わし、今もまだ取り憑かれているのだと。

 もちろん本物の幽霊だとは考える者はいない。要するに比喩だ。どこかの土地の顔も知らない少女と言葉を話し、通信手段が壊れた今もその幻影を追っている。見えないからこそ、理想が重なったに違いない。向こうはとっくに、自分の生活へ戻っているだろう――と。

 ノア自身、わざわざ事細かに説明しようとしないため、すっかり世捨て人と言われていた。


「わかるもんかよ」


 伝法に言い放って、支払いを終える。三食分の冷凍食を抱えたノアは、まだ何か言いたげな幼馴染には背を向け、パーキングを目指した。

 成仏していればいい。出来るものなら。

 あの丘で出会った存在が、果たしてどういう素性なのか。知っているのはノアだけで、キャロルたちに話すつもりもない。

 ただし折に触れて街で情報を探るため、この少年が底に秘めている目的を、彼等は察しているのだ。

 いつまで星を見ているのか。幼馴染の放った言葉が物語っている。


 バギーに戻り、ゲートへ向かい、そこにはもうブラッドの姿はなかった。あれから二時間ほど経っている。今頃は自宅のベッドだろう。

 ちらほらとクロスポイントを出てゆく車両の中に紛れ、警備を引き継いだ初老の兵士と二言ほどの挨拶を交わし、ノアは再び丘の上へと戻ってゆく。

 急ぎの仕事はないが、そろそろまた情報が欲しい。明日辺り、またブラッドを尋ねてみようか。街の出入りを見張っているだけあって、あの友人は中々の情報通だ。傭兵同士でしか語られない事情にも明るい。

 そんなことを考えながら自宅に戻った、矢先である。


「ん?」


 廃墟もとい作業場の前に、どこか見覚えのある影が二つ。片方はドアの横、壁に背を預けた姿勢で佇み、もう片方はその頭上をホバリングしている。

 少年めいた精悍な顔立ちの少女と、相棒の飛行ドローン。

 こちらの存在には、きっとエンジン音を聞いて察していたに違いない。停車させたバギーからノアが下りると、少女は片頬で親しみのある笑みを浮かべた。


「ハァイ、さっきぶり」


 日差しに煌めく、緑がかった碧眼。丘を吹き抜けた風に、黒いコートの裾がはためく。

 これがイブキという名の少女の瞳を、ノアが初めて正面から見た瞬間だった。


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