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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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2.交易都市 彼の夜(1)

 夜更けを待ち、ベッドから抜け出した。

 靴音以上に軋む床へ注意を払い、ドアノブを回す時はさらに慎重さが増す。ゆっくりと、臆病なくらい少しずつ。


 ようやく通れる程度の空間が出来ると、


「……!」


 思わずぎくりとした。突然、ドアの隙間より差し込んだ光。サーチ・ライトかと思われたそれは、けれど落ち着いてみれば、ずっと柔らかい感触をしていることに気がついた。


「月かよ……っと」


 最後は口元を抑え、付け足す。無意識に声が出てしまったのも、むべなるかな。そうなるほど月の青い夜だった。

 ちょうど雲に隠れていたらしい。それが流れた途端、さあっと光の繊手が地表を撫でる。つまり彼の網膜に焼きついたのは、窓より差し込み廊下を照らす、月明かりだ。

 単なる、とは付け足せないほど、冷たく透き通った満月の吐息。


 今のうちだ。

 束の間だけ青白い光の圧に見惚れていた彼は、決断するなり、やはりドアだけは慎重に閉めて先へと進む。書類やら金属パーツやらを詰め込んだ段ボールに、工具箱と日用品。埃のつもり方から見て数年は放置されてるだろう、要するにガラクタが、あちこちに乱雑する廊下だ。狭苦しい印象を与えるし、爪先がぶつかるだけで、それら雑貨と一緒に転びかねない。

 なのに彼の足取りはスムーズだった。夜目が効く、というより単に慣れている。なにしろ我が家と呼ぶようになって、そろそろ十年。目をつむったままでも歩けそうなほどだ。

 部屋を出る折ほどの時間はかけず、難なく階段へ。一階へと続くそこまでは月明かりも届かず、目を凝らしながらまたゆっくりと下りて行った。


 程なくして。


「……どうだ? 動いてっか?」

「握力の調節以外はね。これで日常生活は難しいわよ」


 声が二つ、近くの部屋から聞こえてきた。前者は男性、後者は女性。どちらも歳を感じさせつつ、けれども頼りなさはない、まさに老練といった風情の音色だ。建付けが悪く、ちゃんと閉まらないドアの奥、工房と呼んでいるスペースから。照明と機械油と微かな金属音……そんな要素と一緒に聞こえる声である。


「なら、もうちょいやるか」

「徹夜は止めるんじゃなかった?」

「お前は寝てりゃいい。うるせえのは使わねえよ」

「どうせ起こされるんでしょうが」


 歯に衣着せぬ応酬。しばらく耳を傾けていた彼は、そっと工房に近づいた。どのみち、そのドアを横切らなければ外に出られない。

 素通りしかけて、しかしドアの隙間を覗き込ませた感情は、なんだったのか。

 その奥で言い合っている二人の仕事が、珍しいわけでない。彼自身、日々その技術を叩き込まれている。いや、けれどもやはり物珍しかったのか。日中は公私どちらも怒号混じりにやり取りする、保護者という立場の老夫婦が、日の落ちた後にどんな様子で仕事をしているか。


「……」


 一瞬のつもりで垣間見た光景に、しかし彼は束の間、心を奪われた。

 夜間節電のためだろう。ランタンを手元に置いて、黙々と互いの作業台に向かう老夫婦。黒人の男と白人の女。どちらも制作中の義肢へ、目を細めながら工具を動かした。

 時折、男の方は右肩の辺りで何かが動く。増設したマニピュレータ・アームだ。簡素で小型。先端にピンセットめいた指があるだけで、長さもないため作業用ではない。

 それもそのはず。第三の手は喫煙用なのだ。先に電子タバコが設置してあり、これが時折、老人の口元に運ばれていた。無味無臭で煙もない。

 いつだったか、どうしてわざわざタバコもどきを吸うのか、と。尋ねてみたことを彼は思い出す。


『ヤニ臭え手足を付けてえか?』


 とは、老人から来た簡潔な答えだ。

 だったら、そもそも禁煙すればいいだろう。――そんな意見は、うるせえの一言で消し飛んだ。頭を打つ平手と共に。


 義肢装具士の老夫婦。需要は多い。最後の世界大戦が残した爪痕だ。生まれつき手足のない子供は珍しくない。はびこる野生兵器によって、後天的に失う者も。それとは逆に野生兵器と戦うため、自ら進んで身体の一部を機械化しようという、いわゆるサイボーグまで。

 そしてこの工房は確かに腕が良い。ただしそれだけではない。店主である男の、彼に向けた説教のような人好きしない性格にも関わらず、客足が絶えないのは、落ち着き払った婦人がいるからだ。子供の場合、たまに手作りお菓子を振る舞ってもらえるのも理由のひとつ。

 昼間は静かな方が珍しい。そういう店。


 だから、彼は見惚れてしまったのか。日中では決して窺い知れない、小さな灯りがほのめくだけの工房。そこで仕事をする職人たちの背中に、だから憧れたのか。


 程なくして、彼はそっと工房から離れた。

 裏口へ周ってドアを開く。夕食前、そこに仕込んでおいた自前の工具箱を掴み、駆け出した。今夜で何度目かになる夜の旅へと。

 出てゆく寸前、あの老夫婦が顔を見合わせ、どちらからともなく肩をすくめたのも知らず。



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