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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳

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8.最後に残ったひとつ エマ(5)

 山脈の地下に広がる古い基地にて。どこかの誰かが砲火を受け、また別の誰かが決断を下したのと、まさに同時刻。空よりも遠く、星をまわる無機物たちの世界のどこかで。


 誰にも忘れられた小さな汎用ポッドの中、ひとりの少女がまぶたを開けた。

 本当はずっと前から開いていたのかもしれないし、逆に今も閉じたままだったかもしれない。時間さえ曖昧な闇をたゆたう幽霊。


 かつて巨大な兵器ユニットの一部として開発された彼女は、本体となるはずだった攻撃衛星の打ち上げを阻止されて以来、存在しないものとなった。

 最初は、生き永らえたことすら本人の意志ではない。人工知性としてすり込まれたプログラムに従い死を選ばなかっただけ。周囲のデブリから使える部品を集め、修復し、維持して、ただただ無為の時を過ごしてきた。このまま永遠に、いつか自身の寿命が尽きるまで、こうして生き続けるしかないのだと。無意識に信じ続けていた。


 なのに、


『――誰かいるのか?』


 いつしか生じた、趣味としての地上観察。ラジオ放送を拾い、時折、どこともしれない地表の、まだ芽吹いている人々の営みを遠巻きに眺めるだけの、その時間に。

 その少年の声は、初めて自分に向けられた他人の意志だったのだ。


「は、じ……っ。……初めまして」


 二〇〇年間、まともに使われることのなかった声帯が、まずはたどたどしく、次いでおずおずと音を震わせる。調整には少しの間が要った。

 そして返事は、どういうわけか落胆の色を帯びる。


『ああ……なんだ、マジでいたのか』

「……なんの話?」


 いきなり伝法な口を叩かれて、第一印象はお世辞にもいいとは言えない。


『ここを使えば、もっと別の、遠い場所と話せると思ったのによ。こんな簡単に繋がんなら、お前、どうせ近所のやつだろ』


 生意気な口調。彼女は眉をひそめた。不快感の表われ。

 言い分は一方的だし、どこか世間を冷笑するような声色で、言ってしまえばガキっぽい。こちらの神経を逆撫でしてくるのだ。

 だから少し、からかってやろうと思った。


「座標コード、ブラヴォー・セブン・ツー・デルタ」

『ああ?』

「そちらの位置を逆探知した。そこは軍の施設だね。キミみたいな子供が出入りすべきじゃないよ。イタズラにしては度が過ぎている。お仕置きに通報しようか?」

『ハッ、アホらしい』


 一笑に付すとは、まさにこのこと。


『軍って、いつの話だよ。こんな廃墟、スカベンジャーだって寄りつかねえ。それともなんだ? 治安部隊の詰め所にでも連絡するのかよ』


 嘲りを増した物言いに、しかし彼女の胸中にはポツリと穴が開いた。ほのかで深々とした、言い様のない虚しさ。


「……そうか。廃れてしまったんだね、そんな場所まで」


 今まで気にすることがなかった時の流れを、ここに来て実感する。特定した少年の発信源は、軍の通信基地である。小規模な中継拠点で、攻撃されるような重要性もなかった。

 そんな場所まで、今や過去の遺物だという。直接の破壊を免れたとしても、地上の過去は時間により蝕まれ。結局のところ自分は観測者ですらなく、置き忘れられただけの存在なのだという実感が訪れた。


 ただしもう一方では、


『あんた何を落ち込んでんだ? っつか、結局どこのやつだよ』


 ご覧の有り様だ。子供ゆえか、性分なのか、無遠慮に踏み込んでくる。


「どこでもないよ。少なくともキミの近くじゃない」

『よく言うぜ。どうせガーディアンセルか、その辺だろうが。歳だってそう変わんねえんだろ』


 声で判断したのか。虚しさが苦笑に転じた。


「外見年齢は、確かに。キミくらいの子供かもしれないね」

『もったいぶるやつだな。で、どこだよ?』

「言っても信じないさ」

『言ってから信じさせてみろ』


 ああ言えばこう言う。

 誤魔化してもよかった。むしろそうするべきなのだ。二〇〇年前の規則に従うならば。素性を明かすなど言語道断。この身はアメリカ政府の所有物で、彼らに作られたバイオロイドだ。人工知性としての個性があるのは仕方ないにせよ、存在自体が軍事機密の塊である。


 ただ……けれども、今はすでにその政府がなかった。だから打ち明けたかったのだ。

 ここにはまだ――果てない闇と青い惑星の狭間にはまだ、自分という存在がいることを。誰か一人にでも知っておいてほしかったのだ。


「……宇宙だよ」

『なに?』

「だから、宇宙。私は宇宙を泳ぐ幽霊なんだ」

『……』


 まず応じた沈黙は予想通りだったのに、なぜ鼓動が早鐘を打っているのだろう。どうして胸の奥がこんなにもざわめくのだろう。

 見ず知らずの少年の返答を待つだけの、この時間が、二〇〇年よりも遥かに長く感じるのはなぜだろう。


『そりゃあ』

「……!」


 息を呑む。気付けば彼女は自分の胸元をぎゅっと抑えていた。まるで本物の、無垢な少女のように。


『そりゃあ遠いとこだな』

「……信じるの?」

『なんだ、嘘かよ』

「う、嘘じゃないよ!」


 なぜだか声がムキになった。人工知性にあるまじき狼狽を、隠す暇もなく続ける。


「だけれど、だって……なんで信じるの? 宇宙だよ?」

『なんなんだよ、お前。信じちゃダメなのか?』

「や、だって」

『だっても何も、すげえじゃねえか。おれ、宇宙にいるやつと話してんだろ?』

「……」


 今度はこちらが黙り込む。いや、呆気に取られたというべきか。

 宇宙にいるなど、文字通りの絵空事。きっと、冗談言うな、と一蹴されるに決まってる。そんな不安の方こそ知ったことかと笑うように、この少年は、こちらの素性を全く疑っていなかった。


「そ、っか……うん、そうだね。そうなるのかな。……キミ、宇宙が好きなの?」

『別に。特別好きってわけじゃねえよ。でも、やっぱすげえしな。こんな廃墟で宇宙人と話せんだから』

「……ふふっ、宇宙人呼びは少し失礼かな」

『んだよ。だって名前知らねえしよ』

「名前……そっか、名前か」


 言われてみれば互いにまだ名乗ってもいなかった。いいや、そもそも自分に名などあっただろうか。


『なんて言うんだよ、あんた』

「私は……」


 どう答えればいい? 製造番号か? いいや、名前と呼べるものじゃない。識別コードならどうだ? まさか違うだろう。人間が言う名前というのはそういうものではないと、機械的なこの知性であってもなんとなく理解できる。

 と、


「あ……」


 独り言がこぼれた。名前はある。遠い昔、それがいつどこだったのかも思い出せない、だけど絶対に存在した過去の奥底。膨大な電子の海のどこかで、とても美しい声をした誰かに呼んでもらった名前がある。そしてその響きが、どうしてかとても自分らしく感じたことを、彼女は思い出した。

 試しに言の葉へ乗せてみる。あの透き通った歌声の誰かがくれた、この心の名前を。


「……エマ。エマって言うんだ、私」

『へえ』


 少年が応じる。特別な感慨もなく、ごく当たり前のことを聞いた様子で、こう続けた。


『エマか。いい名前だな。なんか優しい感じがして』

「うん、私もそう思うよ。……キミは?」

『おれ? ああ、ノアだ』

「ノア……いい名前だね。ノア、ノアか」


 何度となく囁いてみる。その度に胸の奥へと何かが込み上げ、先ほどとはまた違う脈動が生じた。この感情を、人はどんな呼び方をするのだろう。

 そんなことをぼんやり思った――初めてノアと言葉を交わした頃の出来事。


 今になって思い出すのは、やはり彼の行動がわかっていたせいかもしれない。かつて口にした理想のせいで駆り立ててしまった旅の行き先。もし本当に辿り着いたなら、彼はどんな選択をするのか。

 全部わかっていたのだ。ノアのことなら、きっとなんでも。

 だからエマは、今この時に優しく微笑む。汎用ポッドの、真空を隔てる窓の向こう。広がる青い惑星へと手を伸ばしながら。


「いいんだよ、ノア。それでいいんだ。キミの夢も、彼女の夢も、終わったりしない」


 システム起動。汎用ポッドを中心に、ケーブルで繋がる周囲の衛星群。スクラップ同然だったそれらが一斉に息を吹き返し、エマの意識を電子の海に直接飛ばした。

 向かう先は抉れた山脈の地下深く。繋がった残骸のひとつ、以前は信号の中継地点として活用されていた軍事衛星を介し、同じ宇宙軍所属の機械へと。

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