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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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7.彼女の故郷 闇の中へ(3)

 シャイアン・マウンテン空軍基地。最後の世界大戦前に遡っても、これほど特異な施設は稀だ。


 標高三〇〇〇メートルを誇る山の内部。穿たれたトンネルは出入り口から無限永久の闇を思わせ、実際には一,六キロにおよぶ。その半ばに来ると、巨大な扉が横合いに立ちふさがるのだ。

 先に広がるのは花崗岩に覆われた地下空間。十数棟の施設に加え、燃料保管や発電設備を備える旧時代の軍事基地。目に映る景観は、さながら一つの都市であるという。


 そして、そんな絶対的と思しき地下基地の陥落は、有り体に言って凄惨を極めた。


「直接の原因になったのは、化学兵器だったらしい」


 まさに旧基地へと続くトンネルに向き合い、ノアは言う。エンジンを止めたバギーを路肩に、傍らで装備を確認するイブキに向けて。


「まず電力系が破壊された。どうやったのかは知らないけどな。基地内の機能が停止して、その時点で入ることも出ることも不可能になった地下に、VXガスが投入された」


 悪名高い化学兵器のひとつ。いわゆる毒ガスに分類されるそれは、触れただけでも死に至る。最も効率的な死をもたらすことを目的に作られた、悪魔の兵器。気体という特性上、シャイアン基地のような閉鎖空間での威力は言わずもがな。


「多く見積もっても一時間はもたなかった。……ってのは、復興軍からガーディアンセルに伝えられてる、戦後の調査記録だっけ」


 引き継いだイブキに、ノアが首肯を返した。


「電力が途絶えてるなら防護扉も、換気システムだって動きゃしない。……どうしようもないよな」


 二〇〇年前、このトンネルの先でこだましただろう無数の断末魔は想像に難くない。抉れた山脈を吹き抜ける風の音色が、ノアには成す術なく息絶えた魂の断片に聞こえた。


「気をつけてよ? 立地やら手間やらあれこれあって、結局は当の復興軍も匙投げてんだから。記録通りなら、まだ汚染されまくってる」

「ああ、わかってるよ。わかっちゃいるんだが……それ、ホントに効くんだよな?」


 不安げな視線はイブキの手元へ注がれた。スプレー缶が二本。

 汚染地帯ということなら、戦後暦において珍しくはない。この地下基地のみならず、クレーターを抱えた旧コロラド・スプリングスもそうだし、雨粒すらも戦前とは比較にならない毒性を秘めているのだ。

 野生兵器に等しく、汚染とは旧時代の爪痕であり、現代においては日常である。むろん程度の差こそあれど。


 そうした地域に踏み込む時、理想では防護服を着込んでおきたい。だが維持費やメンテナンス性、重量から来る動きにくさを考えたら、常備は困難だ。特に装備の限られるフリーランスの傭兵なら尚更だろう。

 こういった事情に対処すべく作られたのが、いまイブキの持っている防護スプレーだ。効果としては単純で、体表に付着し汚染物質から保護する。少数チームでも運用しやすい手軽さが広く普及する理由なのだが、肝心の効果は……。


「ずっと潜ってるわけじゃないんだし。短時間なら充分」

「具体的には?」

「カタログ・スペックは三時間だけど、んー……いいとこ二時間くらい?」

「ほぉー…本当に具体的だな。ああ、まあいいや」


 護衛のこういう無頓着には慣れたものだ。皮肉で締めくくったノアが一本受け取ると、二人は交互に吹きつける。

 つん、と鼻につく薬品臭は最初こそあったが、すぐわからなくなった。感触もほぼ水と変わらない。やや服の生地が硬くなり、地肌には薄めた接着剤をつけているような微かな違和感を覚える程度。


 すると、


「はい、これも」


 続けて少女が差し出したのはガスマスク。ゴーグル一体のパノラマ型。保護スプレーを使おうとも、呼吸器はまた別の話だ。


「着け方わかる?」

「ああ。……うん、いいぞ。思ったより息苦しくない」


 くぐもった声でノアは言う。返事は肉声よりも、むしろヘッドセットを介して届いた。


「走ったりしなければね。無線、大丈夫?」

「よく聞こえる」


 ガスマスクの構造上、声がくぐもってしまうのは仕方ない。そのため無線機は双方向モードに設定。常にチーム内で会話が届くようにしてある。


「そんじゃー行くとしますかぁー。私の後ろにいて。銃は……」

「安全装置かけて、引き金に指をかけない、だろ?」


 ノアがスリングで吊るす短機関銃は護身用。ただしこれは人手不足のせいで、イブキにしてみれば武装させたくないのが本音だろうし、ノアも理解している。慣れない人間が武器を持つのは怖い。


「そういうこと。ビィ、今からそっち向かうよ」

『~♪』


 無線にビープ音を乗せる相棒は、トンネル内で待機中。周辺索敵は済んでいるが、何しろ電力の途絶えた地下空間。どこに何が潜んでいるともしれない。

 先導するイブキにしても足取りは慎重だ。防弾アーマーにクリップで止めた小型ライトの、闇色の深さに対してはいささか心もとない灯りを頼りに、じりじりと歩を進める。黒い右手には散弾銃を、もう片手に持った端末は環境探査用スキャナーだ。


「さすがに、この辺はまだ平気だね」


 一部で崩落したトンネルの瓦礫を避けつつ、イブキが呟いた。スキャナーは反応なし。


「軍の連中、入り口は開けっ放しで帰った、っつうけど……毒ガスって漏れないもんか?」

「んなこと無いと思うよ。単にこっちまで届いてないか、それとも……ほら」


 イブキはあご先、もといガスマスクのフィルター先で、いつも着ているコートの裾を示した。赤外線対策が取られた薄い防塵の上着は、追い風により揺れていた。


「漏れてる分は反対側に流れてんじゃない? こっち側は、木とかちゃんと生えてたし」

「なるほどな。じゃあ復興軍が調査をやめたってのは……っと。毒ガスより、これのせいかね」


 瓦礫は先ほど避けた分だけではない。経年劣化か、二〇〇年前の被害か。ライトに浮かび上がったトンネル内部は、場所によって土砂が流れ込み、固まっている。人間や小型ドローンならともかく、大型車両はまず通り抜けられまい。どうしてもと言うなら重機がいる。


「実際のとこ、復興軍って言っても、ほとんど艦隊みたいなもんだからね。わざわざ内陸部まで動員して調べるには、時間もコストもかかりすぎるんでしょ」

「ああ……言われてみりゃ、この辺りで見かけないもんな」


 コロラド州で活動する復興軍といえば、都市部での募兵所がせいぜい。主要拠点と呼べるものはなく、軍事行動が必要な場合、ガーディアンセルの傭兵などに外部委託するのが基本だ。

 そんな組織なのだから、本拠から遠く離れたロッキー山脈で、気長な発掘作業を行なうわけにもいかないだろう。もっとも今回の場合、ノアたちはそうした事情に救われている。もしシャイアン基地が復興軍の手に渡っていたら、こんなふうに訪れることは出来まい。


「逆に言えば、手つかずの遺跡だかんね。さぁーて、鬼が出るか蛇が出るか……」

「あんましビビらすなよ」


 ガスマスクの向こう、ノアの頬が引きつった。こうしたイブキの言動は、実力に裏打ちされた余裕なのかと思いかけ、すぐかぶりを振った。いやいや買いかぶりだ、単に彼女の性分だろう。仕事だなんだを抜きにして、結局のところこいつは、こういう冒険が好きなのだ。

 そうした気質は、なにも少女に限った話ではない。彼女の相棒もまた然り。ほどなく合流した飛行ドローンときたら、左右に機体を振ってビープ音をかき鳴らすのだから。


「またえらいはしゃぎようだな。油断しないでくれよ?」

「!~♪」


 ホバリングから三六〇度の後転を披露したビィに、ノアは苦笑するしかなかった。

 その隣に浮かび上がる、巨大な塊へ気付くまでは。


「これか……」


 絶句した少年の先を、イブキが引き継ぐ。


「高さ三,五メートル、厚さ一,二メートル。重量に至っては二五トン。核爆発にも耐えるシャイアン基地の防護扉……っていうか、ここまで来ると防護壁だよね」


 その絶対的な質量が、小型ライトの光を受けて佇んでいる。光量より範囲を優先した広域照射にしているのに、全貌は照らしきれない。たとえ日差しの下であろうと圧倒的な存在感を放ったであろう扉は、瓦礫まみれのトンネルという閉鎖空間にあって、ことさら息苦しく、あるいは単に質量だけで畏怖の念すら抱かせた。


 復興軍は技官と発電機を持ち込み、この扉を半分まで開いた。そして結局は前述の通り、調査を打ち切ったというわけだ。撤収時、化学兵器の漏洩を理解していただろうに、扉を密閉しなかったのはなぜだろう。

 発電機の容量不足か。防護扉にまつわる技術的な不具合か。あるいは別の要因だろうか。

 ほの暗い大口を開けて待ち構えるに、そこまで考えを巡らせ一歩踏み出した直後。おそらく第三の問題こそ史実なのだと、ノアは身をもって思い知った。


「うおっ!?」

「ノア!」


 ずるりと滑った足下につられ、そのまま体勢を崩した少年を、ギリギリのところでイブキの左腕が捕まえる。咄嗟に放り捨てたスキャナーが音を立てた。まるで見えないベアリング・ボールに足を取られたかのような形。実際、ノアを転ばせた要因は似て非なるものだ。


「あっぶな……! 平気?」

「あ、ああ、悪い……! なんだ、これ。……薬莢か?」


 彼は体勢を戻しながら、予想外のアクシデントにもつれ気味の舌で何とか答える。さながら風鈴よろしく足下で鳴った、軽やかな金属音。

 ビィが飛んできて、地面を照らした。確かに薬莢だ。それも防護扉の隙間から続く、おびただしい量の戦いの残滓である。


「……M61A3」


 屈みこんだイブキが、拾い上げた薬莢をしげしげと眺めつつ呟く。黒い義手の上、空薬莢はまた音を立てた。


「わかるか?」

「ん。規格自体は、よくある三〇八口径の徹甲弾だけど……民間に出回ってるのは、T99って刻印されてるから。これは復興軍の制式弾薬」


 言いながら放り捨てた薬莢は、すぐ近くで同胞とぶつかり暗闇の中へ跳ね消える。少女の視線はすでに地下基地の、防護扉の隙間に注がれていた。


「撤収中に戦闘が起きて、撃退したならドアも閉めてるだろうけど。その余裕がなかったんなら、私たちの問題は……」

「そいつが復興軍を、基地の外から襲ったのか、それとも中か」


 先を紡いだノアへと、イブキは僅かにおとがいを引いて応じる。ただし振り向きはしないのだから、おおよその推察は出来ているのだろう。スキャナーを拾うと、右手はショットガンを手繰り寄せた。


「軍がどのくらいの部隊を入れてたにせよ、この規模のトンネルだもんね。外から野生兵器が探知できるとは思えないし、これだけ撃ってるのにスクラップが見当たらない。第一、考えてみれば妙な話じゃん。扉を開けてすぐ、電源設備の復旧すらせず帰る……ってのはさ。私たちだって、直近の目標はそこなんだし」


 シャイアン基地陥落の原因は前述の通り、電力系の損傷と化学兵器の投入。つまり、その他の設備については最低限の経年劣化に過ぎないはずなのだ。

 イブキたちはそう睨んだ。おそらく復興軍も同じだろう。そこが活路だと見ている。通電を再開させて換気と除染が実行できれば、限られた活動時間を大幅に伸ばせるはずだ、と。先人にこの策を実現できなかったのは、銃を使わざるを得ない脅威が、横槍でなく待ち伏せの形であったせいではないか。


「……やっぱりかぁ。きついな」


 そろりと歩を進めたイブキが、基地内へと銃口を巡らし、すぐ独りごちた。放棄されて久しい無人の基地。しかし人が息絶えてもなお守っていたのだろう、機械兵の残骸を目にして。

 ことさら語気に苦々しさが宿ったのは、眼前の景色が集団墓地の形相であるからだ。


「イブキ?」

「大丈夫、敵は見当たらない。見当たらないけど……もし吐いたらさ。すぐ中止して戻るよ」

「何言って……おい、クソ」


 少女の後ろから覗き込んだノアの、後半が目撃してしまった第一声だ。

 地下基地に閉じ込められたまま死んだ、二〇〇年前の亡骸。むろん例外なく白骨化しているその中に、無機質な金属の四肢も混じっている。復興軍に撃破された機体だ。それらが、まだ所々で機能している非常灯の、あるかなきなの赤い明滅に照らされていた。


 地獄があるとするなら、間違いなくこの場所だろう。折り重なった無縁仏が、最奥へ向かい連なる有り様は、伝え聞くしかない最後の世界大戦という歴史をまざまざ見せつける。

 スキャナーは空気中の毒素を警告していた。数値は致死量。もしマスクが破損すれば、一瞬にして彼らの側に引きずり込まれるだろう。


「平気? ……ノア?」

「あ、ああ。悪い、こういうのは……慣れないとな」

「慣れる必要ないよ。時計合わせしよう」


 どこかぴしゃりと言い放ったところに、内心が透けていた。ビィがいるにせよ、単独で各地を回れる実力を備えた傭兵。そんなイブキでさえ、ここまでの光景は目にしたことがない。


「目安は一時間。限界まで潜っても九〇分で離脱するよ。それまでにコントロール・ルームと電源設備を見つけて、可能なら換気システムを復旧させる。……ってことで、いい?」

「ああ。最長九〇分、マッピング優先」


 ノアが首肯で応じた。今回の旅で全てを完了させなくてもいい。気持ちは逸るにせよ、こんな廃墟を探る時の鉄則は、急いては事を仕損じる。少年もその辺りは承知していた。


「よし。んじゃあ……三、二、一……今!」


 各自の腕時計にアラームをセット。無機質な仲間は、小さくビープ音を鳴らし内蔵タイマーの起動を知らせた。


「離れないでね」


 肩越しに振り向けた少女へ頷く。ここから宇宙を目指すのだ。この九〇分の間に、死臭の満ちた地の底より。

 短機関銃のグリップを心なしか強く握り直し、ノアは足を踏み出した。

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