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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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7.彼女の故郷 語らい(1)

 夢を見ていた、と彼女は思う。


 けれど、どこからが夢だったか。どこまでの夢だったか。

 空想と現実。見聞きした情報・経験を処理する最中で脳が見せる、浅い眠りの閉じた世界。実在か非実在かを明確に区別できるのに、しかしその二つを繋ぐ扉はいつだって漠然と不鮮明で、開けた時はむろん、時には閉じた瞬間さえわかっていない。


 人が沈む眠りとは、そんな無意識の沼だ。


 そして人を模した機械にとっても、原理は変わらない。

 一部のマシンに搭載される人工知性は、脳幹の超層記憶領域によって形作られる。理論上、無限に折り重なってゆくメモリが、人の脳とほぼ同じ機能を与え、情緒すらも再現するのだ。

 ここに前述の情報処理が重なり、人工知性も夢を見る。人のそれとはやや違う、スリープモードの中で移り変わる記憶の羅列を。

 本来、人間より遥かに明確な機械の覚醒と睡眠だが、彼女に限って区切りがぼやけてしまっている。置かれた環境と年月のせいだろう。


 ぼんやりと漂うそこは、漆黒の宙。

 宇宙服の向こうに、生者のいない真空の闇ばかりが広がる無限の空間。彼女は汎用ポッドという家を時折離れては、何をするでもなく、じっとこの暗闇を漂うことがある。

 背に命綱であるケーブルを繋いだまま。上下左右のない宇宙の中で、その様子は寝ているようでもあり佇んでいるとも取れる。


 ただただ、ひたすらに気の遠くなるような風景だ。変わることなく延々と続く、星々の海。

 こんな場所に二〇〇年間も囚われ続けてしまったら、人工知性といえど夢想と黙考が見分けられなくなるだろう。


 だから彼の発した声も、それに応じた自身の言葉も。本当に発せられたのは今か、過去か、あるいは非実在の空想だったのか、彼女には判別できなかった。

 いや、それとも判別したくなかったのかもしれない。


『故郷ってどこなんだ?』

「故郷? ……私の?」


 目を閉じたまま彼女は応じ、それからくつくつと笑いを漏らす。この反応が些か気に障ったようで、返事には、むっとした調子が混じる。


『んな変なこと聞いたか?』

「それはだって、そうだろう? 人工知性に故郷があるかな」


 相変わらずの微笑に、しかし彼は食い下がる。


『何もないとこから、いきなり産まれてきたわけじゃねえだろ』

「そうだね。……うん、それは確かにそうだ。でもそうだな、故郷……故郷か」


 笑いこそ止めど楽しげな様子で彼女は続けた。


「私が作られた場所という意味なら……あるにはあるけど、複雑だな」

『そうなのか?』

「他の、たとえば単に人工知性を備えただけの無人兵器は、違うだろうけどね。バイオロイドは特殊なんだよ。骨格や筋肉、再現された内臓……これらはどれも複数の専門機関で製造され、組み立てられる。ことさら脳みそ、人工知性は特注品なんだ」

『ふぅん……って、なんだよ。生まれつき頭いいっつう自慢か?』


 伝法で若い、少年の口調。人にはそれこそ生意気だと映ったかもしれないこれが、彼女にとっては肩を軽くしてくれる物言い。


「羨ましいかい?」

『なわけあるかよ。んで?』

「ああ、そうだった」


 促されて続けた。


「そんな風に別々の場所で作られた部品が、まず組み立てられて保管される。一カ所にね。まっさらな脳みそを積んだ、何にでもなれる等身大のドールだ」

『……趣味わりぃな』


 彼の声に、嘘偽りのない吐き気が混じる。

 解剖するまでわからないだろう、本物と比べて遜色ない肉体で出来た人形。そんなものが無数に、物言わず立ち並んだ光景を想像したらしい。


「私も同感だよ。ともかく、そうしたら次は人格を設定される。運用目的に合わせた性格だったり、場合によっては故人の複製だったりもあったかな」

『わざわざ死人を再現するってのか? なんで?』

「ふむ……たとえばだけど、優秀な技術者がいるとする。そいつ一人で、この先の数十年に渡り使えるような兵器を設計したり、あるいはとんでもない革新を生み出せるような天才だ。そんな人間の寿命は伸ばせなくても、複製が出来たら不死と変わらないだろう? おまけに……」

『人工知性なら、クローンより効率的かつ短時間で実用段階まで学習させられる、だろ?』


 おっ、と。彼女は率直に驚いた。少年の皮肉っぽい声音とは正反対に。


「鋭いね」

『馬鹿の考えそうなことじゃねえか。くだらねえ』


 二世紀前、巨額の資金と労力を経てようやく成功した国家規模の機密プロジェクトを、この少年は呆気なく一蹴してしまう。


「……うん。それも同感だ」


 どこか嬉しそうに彼女は呟いた。

 斜に構えてはいるものの、二〇〇年前の有識者たちがおそらくは失っていた倫理観。普遍的であるはずの良識。そういう要素を彼の声から感じ取ったに違いなく、だからこそ友人でありたいと彼女は想う。


『じゃあ故郷っつうなら、その保管施設か?』

「少し違う気がするな。人格こそ設定されても、目覚めたのは配属先だから。だから……そうだね。私に故郷があるとするなら、あの基地だったかもしれない。シャイアン・マウンテン空軍基地」


 久しぶりに、実に二〇〇年ぶりに口にする所属基地の名だった。


『空軍? 宇宙軍じゃねえのか?』

「宇宙軍だよ。というか、宇宙軍の司令部だ」

『はぁ?』


 よくわからないという様子に、彼女は苦笑で応じる。


「私が目覚めた当時、アメリカ宇宙軍は空軍隷下に組み込まれていたんだ。特に一連の衛星兵器に関する計画は、元々が空軍主導で始まったから。だから空軍基地の中に、宇宙軍があるんだよ」

『……そういうのってよくわからねえけど、混乱しねえもんか? 軍ってそういうのきっちりしてそうなのにさ』

「その辺は、いわゆる落としどころっていうものだよ。上層部が机上で練った理論と、現場でやりくりできる範囲の要望。予算の配分や、獲得のための縄張り争いもあるかな? そういうあれこれを重ねて、これならまだ実現できるだろう……が形になった結果だよ」


 そこまで述べると、彼女はふと息をついた。どこか疲れたようであり、一方で懐かしむ気配も同居する。哀愁とでも称するべきか。


「でも、そうだな……混沌とはしていただろうね。戦時中だから理路整然とはいかない……というのもあるし、それ以前の問題もあったと思う。あの時代は、きっと誰もが疫病にかかっていたよ」


 あの大戦は起こるべくして起きた。彼女は声とせず胸裏に呟く。

 人も国家も、そして機械も。例外なく感染していた。狂気という熱病に。進化と革新に魅了され、ついには歯止めをかける術さえ失ったのだ。

 今にして思えば、最後の世界大戦とは一種の防衛本能だったのかもしれない、と彼女は振り返る。急ぎすぎた人類が自ずと選択した、病を殺すための自浄作用。


『こういう言い方って、当事者に言っていいのかわからねぇけどさ』

「うん?」


 一瞬口ごもってから、彼は言う。


『つらいんだろうな。見てるだけっていうのは』

「……ああ」


 深く、深く息をつきながら、彼女は目蓋を落とす。口元に浮かぶ微笑は、この際限ない虚空に偶然巡り合った理解者へ、さながら肩を寄せて身を預けるものだった。


「ああ、長かったよ。――ノア」


 彼女は呼ぶ。遥かな遠くの地表にいる、たった一人の友達を。生まれて初めて出来たその友人は、きっと眉根をひそめた仏頂面に違いない。


『なんだよ』

「いつか迎えに来てくれる。そう言ったよね」

『そうさ。おい、子供から夢奪うんじゃねえぞ』

「奪わないよ」


 だけど悪いクセを覚えたものだ、とは言わないでおく。都合のいい時だけ子供を名乗るのだから。


「奪わないけど……うん、そうだね。これは応援になるのかな」

『それなら大歓迎。のんびり応援しててくれ』

「茶化さないの。大事なことなんだから」


 一拍。そうしてようやく、閉ざしたままの瞳の彼女は、遠い世界に向けて紡いだ。


「いつかノアが旅に出る時が来たら、私の故郷を探して」

『さっきの基地か?』

「うん。ここに来るために、必要なものがあるはずだよ。基地の名前は覚えてる?」

『あー……ええと、シャイアン……』


 うろ覚えな口調。それが徐々に薄れた。

 何の脈絡もなく、彼の声を覆い始めたノイズの海。初め足首ほどだった水位はたちまち増し、彼女のもとから友達を奪い去ったのだ。


 まもなく訪れる孤独。理想を夢で見た後、目覚めた朝の喪失感に似ている。もし今ようやく目蓋を開けた彼女が、当たり前の人間だったなら。そう独りごちて幻を追っただろう。

 事実、彼と故郷を語らったのはいつだったか、彼女にはわからなかった。

 今しがたのようでもあり、ずっと昔の出来事のようでも。記憶領域が反芻した思い出の可能性さえあったはずだ。正しい時間間隔を保つには、彼女の過ごした空白は大きすぎる。


 だから奇跡という言葉が浮かぶ。

 たった一人だけ、虚空に置き忘れられた遺物へ想いを馳せてくれる、現在を生きる少年。あの彼の存在は、彼女にとって単なる友人の域を超えていたに違いない。

 時折、彼は本当は実在しないのではないか、孤独が作り出した幻影なのではないか、などと疑いもした。それほどまで、彼女にとって友人の存在は都合がよく、そしてあっさり疑念を晴らすほど熱量を秘めた人間だ。


 そんな奇跡に向け、彼女は微笑む。


「……来てくれたんだね、ノア」

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