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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳

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6.アンブッシュ 一夜明け(7)


 長い夜が明ける。雲がなく、気の遠くなるほど広がる蒼穹の中。日差しを降らす太陽は、昨晩の内に起きた地上の喧噪などまるで知る由もなく、知ろうともせず。たとえその夜の勝者が逆転してもなお、そんな些末事は気にかけもせずに、やはり空へ昇っていたに違いない。


 無慈悲で平等な、星々の中心にある天体として。

 だがそんな天体に対し、地上の人々にも物申す権利はある。無関心は一方通行ではないと。陽の昇りや降りや陰り。そんな世界の出来事に、いつまでも関心は寄せていられない。


 特に顕著なのは、この地上に目的地がある者だ。


「おっ、帰ってきた」


 戦闘後、当初の地点に車両を戻したガーディアンセル所属の訓練部隊。その野営地に近づいてくるエンジン音を耳にした時、ノアは装甲車の下に潜り込んでいた。

 取り組んでいた作業を手早く済ませ、這い出る。時刻はまもなく午前八時。早朝を過ぎて徐々に高くなりつつある日差しの下を、一台のバギーが向かってきていた。野営地の手前で減速。徐行して本来の所有者たるノアの前に停車すると、運転席からイブキが言う。


「バッチリ! 傷ひとつないよ」


「~♪」


 相乗りしていたビィまではしゃぐ。


「そりゃいい。他の連中は?」


「もうちょい調べるってさ」


 少し前、少女と飛行ドローンはアートらと共に野営地を出た。目的はバギーの回収と周辺警戒。

 昨夜の戦いで倒したバリスティック・ドローンは、合計二〇機。偵察機のセンサーに光学迷彩特有の電磁場は捉えられず、おそらくはこれが総計だろうと思われた。


 だが上空偵察の結果を鵜吞みにするほど、傭兵たちは甘くない。倒した数は小隊として半端だし、夜の騒ぎに釣られ別の野生兵器が迫っている可能性もあった。そのパトロールに、イブキも自分たちの目的のため同行したわけだ。


「朝からよくやるよ。ま、安全に直結してんだから当然か」


「ノアだって働いてるじゃん。まだ寝てていいのに」


 返事はバギーから降りながら。


「眠れねえんだ、頭が疲れすぎちまって」


 少年は正直に打ち明ける。初めて経験する戦闘。殺傷範囲で目にする無人兵器。諸々のストレスで心身ともに参っているのに、目を瞑れば恐怖が蘇って寝つけない。軽度の睡眠障害だ。


 この症状を予想していたのはシカゴである。昨晩は彼にもらった睡眠導入剤で、なんとか眠れた。

 それでも起きてから落ち着きがなく、かといってパトロールへついて行くわけにもいかず。仕方ないので装甲車の整備を手伝っていた次第。


「手持ち無沙汰だから機械いじりって、やっぱ家族だねぇ」


 思い出すのは、イブキに黒い右手を与えてくれた老夫婦。ノアの育ての親である彼らも、やはりと言うべきか、やることが無くなれば趣味の義肢を制作するタイプだった。特に旦那の方がそっくりで、実は内蔵スタン・ナックルもそんな趣味があればこそ実現した代物だ。


「一緒くたにすんなよ。だいたい、車両関係は専門外だしな。定期点検に毛が生えたようなもんさ」


「んなことないでしょー。現に助かってんだし」


「でもな。比べても仕方ねえし、ひがんでるつもりもねえけどさ。これがあいつなら、朝飯ついでにバラして組んでを済ませちまうんだぜ?」


 あいつ。ミナコのことだ。若くして交易都市で整備ドッグを取り仕切る女傑。分野が違う、とは人に言われるまでもあるまい。その程度のことはノアも弁えており、一方で共に育ったから割り切れない。


「そうは言っても、ミナコさんだって苦手なことあるでしょ」


「たとえば?」


「ドンパチと義手の修理」


 これを持ち出されてはノアの詰みだ。笑うしかないし、実際に笑った。


「そりゃそうだ。……ぷっ」


「ふふっ」


 期せずして二人は吹き出す。昨晩、待ち伏せ攻撃の決行直前の時には重苦しかったノアの表情が、今は共に破顔していた。憑き物が落ちたかのように清々しい面持ち。

 何か踏ん切りがついたのだろうか。実戦の緊張が、この少年にわだかまっていたものを断ち切ったのかもしれない。そうだったらいいと思いながら、イブキは一緒になって笑った。


「そういや、お前の方は?」


 ひとしきりの後、ノアが訊く。すると途端にごにょごにょとはぐらかすイブキである。


「あー、いやまあそのぉー……軽傷?」


「なんで疑問符だよ。ビィ、診断聞いたか?」


「~♪」


 ビープ音が応じる。もちろん、と。


「ちょっ! 待って待って! ホント平気で……!」


「ほぉーう」


 真後ろからの声に、少女がぎくりと固まった。誰であるかは明らかだ。相変わらず、ガタイと装備に似合わない忍び足。こんな相手は一人しかいない。


「平気だとは知らなかった。察するに、俺の診察は誤診だったか?」


 ずばりシカゴは言う。例によって淡泊かつ間延びした物言い。


「で、でもさぁ! ほら、今は痛くないし……」


「鎮痛剤作った医薬品メーカーに礼を言え。面倒な折り方しやがって。治すにしても、他は圧迫固定くらいしか出来んだろうが」


 ずばずばと医者よろしく述べるシカゴだったが、この男、実は本当に軍医でもあるのだ。応急処置程度ならアートやトレンチにも心得はある。しかしシカゴの場合、より高度な専門医療が可能だ。ざっくり言うなら、今ここで外科手術を行なえるほど。

 他二名の教官に比肩する実力を持ちながら、基本的に後方支援を担当するのもこれが理由。この男以外は撃たれても治せるが、この男が撃たれたら治せる者がいない。


「ってことは、なんだぁ? イブキ、お前……骨が折れてんのか?」


 やり取りから状況を把握し、ようやくノアが訊く。応じたのはむろん、そっぽを向く少女ではなく主治医である。


「昼に撃たれて、夜には崖から落ちて、直後にバリスティック・ドローンと殴り合いして。そりゃ折れる。人間なら最低限のマナーとして骨折しとくべきだ」


「どんなマナーよ」


 イブキのツッコミは無視。


「左の第六肋骨は確実だ。第七は不全骨折……ひび入ってるだけかもしれんが。肺や心臓、血管への損傷が見られないのは悪運の強さだな。どのみち、さっさと帰還して医者に行け」


「それはダメ」


 場の雰囲気を掴まれていたイブキだが、この一点に関してだけきっぱり告げる。


「……あのなぁ。そりゃ死ぬような怪我じゃないが、治るもんも治らんぞ」


「わかってる。だけど、もうすぐなんだよ。ここで引き返したら、きっと私が後悔する。いつかじゃないんだよ。今あの場所にたどり着くことに意味がある。そんな気がする」


 直感か、それとも妄執か。どちらもあり得るし、この少女のまっすぐ過ぎる眼差しからは判別などできない。


「出直すってのは恥じゃないんだがな。名誉の負傷で戦略的撤退だ。ストロングにも礼言われたろ」


 昨夜、イブキが助けた傭兵だ。幸いにも大した怪我はなく夜を乗り切り、今もアートたちと哨戒に出ている。帰還直後、何度となく頭を下げられた。


「そうかもだけど……私たち、戦争してるわけじゃないからさ」


 無邪気な微笑みに、思い出した照れ笑いを少々加え、イブキは続けた。


「銃は持つし、火の粉は払う。でも戦争してるんじゃない。夢を叶えたいだけなんだもんね。だからこれは撤退とかそんな大袈裟なもんじゃなくて、私の意地だったりワガママだったり、ただそれだけ」


「気の持ちようで、通せるか? お前らは?」


 質問がノアたちを向く。


「言い出したのは俺だし、そっち方面は素人だからな。専門家がやれるっつうなら任せるさ」


「~♪」


 少年とドローン、どちらも腹を括っている。


「……護衛が護衛ならクライアントもクライアントか」


 辟易した様子で肩を竦めるシカゴだったが、その口元は楽しそうにしているのがイブキにも見える。そもそも一連の苦言は、彼なりの親心だったろう。

 ガーディアンセルに登録された傭兵が、正規の手続きで雇われている。昨夜の協力は一時的であり同じ部隊として旅するわけではない。バリスティック・ドローンの迎撃という共通目的が達せられた以上、本来の旅にシカゴたちが口を出せる権利はないし、だからこそイブキも詳細を伏せていた。


 むろん少女は、元教官の提案を迷惑とは思わない。

 理解していても言いたくなる、そんな生き方をしている自覚はあった。ありがたいと胸裏に思う。相変わらずだな、とも。一見すると無愛想に見えるシカゴだが、実はアート以上に世話焼きなのだ。


「いつ頃、発つんだった?」


「もらった荷物積んで、アートが戻ったらすぐだね」


 イブキのバイクは完全に壊れており、修復不可能。ここからはバギーに相乗りしながらの道のりだ。

 協力報酬だった物資についてはすでに話がついている。責任者たるアートを待たねばならないのは、この部隊が私兵でなくガーディアンセルの正規部門に属する訓練チームであるため。借りたライフル、食べた食料、飲んだ水。正式にはどれもが傭兵を束ねる組織の備品なのだ。


 ところが、


「ちゃんと受け渡しの記録やっとかないと、私までうるさく言われそう……ってのは建前として」


「なんだ?」


「お別れくらい、しっかり言いたいじゃん。次いつ会えるかわからないんだから」


 場合によっては今生の別れとなるかもしれない。この場の全員が思いつつ、しかし声とする代わりに気安い笑みを浮かべた。いつどこで果てるともしれない戦後暦。一寸先は闇なれど、死が決定事項ではないのだ。


 久しぶり。元気だった?

 そういう挨拶を交わす未来を信じるくらいには、互いに希望を抱いていい。


「あ、そうだ。記録で思い出した。あれどうなった? バリスティック・ドローンの……」


「メモリならトレンチが調べてる。お前がぶっ壊したのはリーダー機で間違いないらしい。もっとも、派手に撃たれてるせいで手間取ってるけどな。詳細がわかるのはいつになるやら」


「あ、あはは……」


 派手に撃ち抜いた張本人は、引きつった顔を逸らして笑う。


「気になるのか?」


「んー、ちょっとね。結局どこから来たんだろ、って」


 曖昧にはぐらかすイブキは、首を傾げるようにふと視線を投げた。その先にはノアがいる。


「なんだ?」


「や、別に」


 戦闘後に抱いた違和感。機械兵は意図してノアを攻撃しなかったのではないか。その疑問は誰にも打ち明けていない。ビィにさえも。

 言ったところでノアの立場が悪くなるほど、シカゴたちは浅慮でない。かといって、そもそもが現状だと確証のない憶測に過ぎず、無用に波風を立てるのは憚られた。


「戦時中、休眠モードにあった機体が、なんらかの原因で起動。だが当時の作戦指示は破損してる」


「ん?」


 不意にシカゴが言う。


「その状態で作戦行動に移れば、彷徨う機械兵の完成だ。確率としては低くない」


「じゃあ、あれは偶然の産物だってのか?」


 と、これはノア。返答はかぶりを振りつつ、


「わからんさ。だが何が起きてもおかしくないのが、この世の厄介なところでな。当たろうが外れだろうが憶測を立てられるってのは、それだけでまだマシな部類なんだよ」


 戦後暦だから、と付け足す必要はあるまい。カオスは戦前から続く歴史なのだ。最後の世界大戦を経たことで、それがより顕著に見えるようになっただけ。何よりそんな大仰に捉えようとしなくとも、混沌というならイブキたちの素性がそれだ。


 傭兵として生計を立てる、戦前生まれの少女。

 知性どころか、明らかに人格すら感じられる飛行ドローン。

 空の向こうの亡霊だけを友とし、ひたむきに宇宙を目指す少年。


 一般的に定義されるところの、いわゆるまともなチームには程遠い彼らだ。二〇〇年前の機械兵と希少価値でも張り合える。

 そしてそんなことよりも、だ。


「悪いことばっか起きるわけでもない。でしょ?」


 屈託のない笑みを浮かべ、イブキは締めくくった。深刻になりきらない空気。ただそこに居合わすだけで肩が軽くなる、この少女が人好きする所以だろう。


「そういうことにしておけ。ああ、出発前にテントまで顔出せよ。暴れてもいいように固定してやる」


 怪我のことだ。やはり面倒見がいい。


「暴れる前提なのはどうよ」


「違うのか?」


「時と場合によるんですぅー」


 イブキが舌を出して睨む。むろん迫力はない。昨夜、バリスティック・ドローンと一対一で格闘戦を繰り広げた傭兵の面影は、出で立ちくらいだ。


「っつうかさ」


 二人のやり取りに、ふとノアが切り出した。


「当然ってか、まあそうなんだろうけど……気にしねえんだ?」


「んえ? 何を?」


 意図するところが読めず首を傾げたイブキに対し、シカゴは唖然と口を開ける。


「これが脱いだところで、何をどうすりゃ興奮できんだ?」


「ああ、気にするってそういう……失礼じゃない!?」


 イブキが噛みつくのも無理はない。彼女の負傷箇所は肋骨。当然ながら圧迫固定は野戦服の下に巻いているわけで、診察にも処置にも上半身は脱ぐしかなかった。

 すぐ察せなかったのは職業柄より、むしろイブキの無頓着ぶりを示している。こういった警戒心は無きに等しいどころか、眼中にない。


 一見すると無邪気と受け取れなくもなかった。ただし一歩引いた目線で見たのなら、年頃の少女として異常な欠落にも映る。戦争をしているわけでないと言いつつも、戦闘が日常茶飯事な傭兵を生業にするがゆえ、自然と削がれていった倫理観か。

 何しろ命がかかっている。羞恥心の優先度は高くあるまい。


 だからといってシカゴの物言いは、些か辛辣に過ぎたのだが。


「悪かった。次はもっと歳食ってから骨折してこい。そうしたら相手してやる」


「こんの……ッ!」


「お、落ち着けって」


 言い出した手前、いくらか気まずそうにノアがなだめた。こういう話題を後先考えず口走る辺り、根が素直な少年の、コミュニケーション不足から来るデリカシーの無さだ。


「なんにせよ暴れるなよ。結局のところ、それが一番だ」


 シカゴが踵を返した。昨夜の戦闘で死者おらず、重傷者で言えばイブキがトップ。ただし主力部隊の半数は何かしらの怪我を負い、今も療養中だ。軍医としての仕事はまだまだ残っている。


 と、


「そういや結局、お前らどこ向かうんだ?」


 出し抜けの質問に、イブキはまずノアを見て、それからビィとも視線を交わす。目的地くらいなら打ち明けてもいいだろう。少年とドローンは、どちらもそんな眼差しを投げた。

 だから少女も、正直に応じる。


「コロラド・スプリングスの先だよ。旧アメリカ宇宙軍司令部――シャイアン・マウンテン」


*お知らせ

ストック切れてしまったので、しばらく更新が止まります…!

少しの間、お待ちいただけますと幸いです…!

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