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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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1.セプテンバー 虚空のどこかで(1)


 暗闇に光が舞う。

 太陽に反射して煌めく無数の金属片は、その昔、スペース・デブリと呼ばれた。

 かつて行われていた宇宙開発の、あるいは文明の名残りを、人知れず物語る残骸群。大気圏へと落ちるほどでなく、かといって惑星のしがらみから抜け出すことも出来ないまま、ひたすらに星のふちを周回し続ける金属たち。

 総数など知る由もない。文明の全盛期であった頃すら把握できていなかったし、気に留める人間はいなかった。

 打ち上げた者たちからは、とうの昔に忘れ去られ、彼等が滅び去ってなお、ただただ軌道を巡る。未だ稼働状態の人工衛星などが、それらの中でやはり物言わず地上を睥睨し続ける。

 生ける者のいない、真空の闇。


 そのはずの空間へ――白い人影がひとつ、動いた。

 デブリの群れに紛れた小さな衛星。その外装に。分厚い宇宙服を着た何者かが、ソーラーパネルをいじっている。船外作業、慣れた手つきは、実際そうなのだろう。手元のデバイスで何かの数値を見ながら、配線を繋ぐ。バイザー部分がスモークになっているため、表情はわからなかった。

 これが終わると、今度はまた別の衛星めがけて跳んだ。無重力の宇宙空間。僅かに角度が狂っただけで帰り道を失いかねない。

 さすがに危険性は理解しているようで、無骨なバックパックからは一本のケーブルが伸びている。ホームへ繋がる命綱だ。

 そうして辿り着いたのは、アンテナの付いたデブリ。およそ稼働状態には見えないそれの角度を、今回もまたデバイス頼りに微調整する。


 しかし果たしてどんな意味が……いや、どれほどの意味があるのだろう。

 宇宙のゴミ捨て場にて、たった一人。スクラップ同然の設備を修理する。人間であろうメカニックの挙動は、けれど、ひどく機械的だった。突き動かすのは義務か責務か、でなければ単なる習慣かもしれない。ここに浮かぶ無機物たち同様に、出て行くことも帰ることも叶わず、ルーチンワークを繰り返しているだけなのか。


 と――。


 孤独な船外作業は終わりを迎えたらしい。アンテナから離れて命綱をたぐる。ふわりと着地したのは、デブリ群の中にあって珍しく破損が見当たらないものだった。

 宇宙ステーションにしては小さすぎる。ひと一人を収めるには充分だろうが、それだけだ。母機から一定範囲内で活動する、汎用ポッドの類だろう。球体の中央、出入り口を兼ねた隔壁が開く。

 当然というべきか、飾り気のない空間。壁や天井の区別なく機材が配置されているのは、無重力ならではだ。むろんインテリアと称すには殺風景が過ぎる。

 他に人影は見当たらない。先述した母機らしきステーションも付近にない。ならばこの作業員はやはり孤立しているのだ。気密ロックが作動し、再び閉鎖されたポッドの中、その足が簡易ベッドを目指し――途中、コンソールをパチリと弾く。


 まずノイズがはしった。

 ソーラーパネルから通信アンテナへとワイヤレス給電が行なわれ、受信した電波をポッド内まで届ける。それは英語を、東海岸風のアクセントで口にした。


『……お聴きいただいてるのはラジオ・グレームレイク。次のリクエストは第七五歩兵連隊にいる勇敢な伍長から。バーティ、君の無事を祈るよ。アース・ウィンド&ファイアーで、セプテンバー』


 メロディが始まる。軽快に吹き鳴らされた音色に導かれ、歌声が響き始めた。気の遠くなるほど古ぼけた過去に生まれ、褪せることなく奏でられる音楽。

 その陽気なリズムに誘われ、ヘルメットは外れた。

 くすんだ銀色が宙へ揺れる。元は艶のある黒髪だったろうか。それが長すぎる宇宙の時間に色を吸い取られ、しかし、だからこそ異形めいた美しさを秘める、そんな銀髪の女。

 若い。幼いと言ってもいい。要するに少女だ。空の向こうに天使というものが実在したなら、きっとこういう姿であろうと。銀色の髪、端正なれど生気の薄い顔立ち、眼差しは焦点が定まらない。何もかもが完成された造形美であり、すなわち人間のようでいて人間ではありえなかった。


 音楽は続く。

 永遠の夜闇に捨て置かれた身ならば、かえって孤独感を強めてしまいそうな曲調。だというのに彼女は踊った。

 トンっ、と床を鳴らして宙に舞い、宇宙服を脱ぎ捨てる。露わになったのは上下一体型のアーマースーツ。スレンダーな肢体をくっきりと浮き上がせた、彼女にとってアンダーウェアの類だろうか。

 もっとも、遠目に見れば裸体と区別できるか怪しいものだ。首から上の素顔も、露出している肘から先の両腕も。彼女の肌は、純白のスーツに負けず劣らず白い。そして船外作業中に負ったのか。どちらの腕にも傷が窺えた。僅かに剥がれた皮膚より金属質の無機質なボディを覗かせるそれが、人間で言うどの程度の損傷なのかは不明にせよ。

 ヘルメットと宇宙服が無重力の中で触れ合う。合間を縫ってゆるりと跳んだ少女は、簡易ベッドに似た設備に近づき、一本のケーブルを引き出した。繊手に摘ままれたコネクタが、うなじの接続部へ差し込まれる。

 小さな電子音。少女でなく、ポッドの側が発したものだ。


 ID照合、接続を承認。有線方式による充電を始めると共に、自己診断プログラムが起動した。華奢な体躯の不調を洗い出す、人間にとっての定期健診。むろん、不安要素が見つかったところで施せる手はたかが知れている。

 そうする間にも彼女は舞った。

 独りきりの機内は、さながら観衆のいない舞台に等しい。

 ケーブルの尾を曳き、上下を入れ替え、左右に跳ぶ。慣性に任せ泳ぐように。指先を伸ばす様は、まるでこの世で真に自由な存在であるかのごとく……。


 だが右手を伸ばしきった次の一瞬、彼女の動きはふと止まる。無感情だったブルーの瞳が、唐突に感情を浮かべた。

 双眸に映ったものは、それもまた青だった。上下左右の概念が薄いポッド内で、こちらが下方なのだと言葉なく伝える光景。

 はめ込まれた舷窓の向こうに、ひとつの惑星が鎮座している。デブリ群の中心点。この静止軌道を形成している、そもそもの発端だ。恐ろしいほど鮮やかで、眩暈がするほど壮大な青い星。無数の生命を抱えたかの惑星は、無数の死も抱え続けた。生まれては消え、それは生物として至極当然な連鎖だろう。


 では、命のない無機物はどうなるのか。

 手を伸ばせば届きそうな星。昼夜の存在しない彼女の世界の、眼前へ常に在り続ける惑星。少女はそこで作られ、そこからやって来たのだ。生ける者のないこの空間で活動するために。

 戻ってみたい、と彼女は願った。音として出力はせず呟いた。せめてポッドや他の衛星たちと同じような、単なる作業機械であったならと、もしもを想う。空想する人型の機械。彼女を作った酔狂な学者たちなら、少なからず好奇心をくすぐられただろう。感情を備えた無機物にとって、ここで過ごした時はあまりに長い。

 やがて彼女はまぶたを閉じ、鼻歌を口ずさむ。帰れない場所から届くメロディをなぞる音程。


 次の瞬間、知らない声が少女を呼んだ。


『誰かいるのか?』


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