5.抉れた山の裾野で 急襲(1)
攻撃された。誰に、ではなく、なぜ、も無用。爆風に炙られながらイブキの脳裏を駆け抜けたのは、ひたすら事実だ。
榴弾であるのは間違いない。詳細は後で探れる。
とにかく敵は、まず第一に車両を狙った。ならば次に照準を向ける先は、ひとつしかない。
「ノア!」
弾かれたような勢いで、一挙にイブキが駆けた。恐るべき瞬発力。伊達にフリーの傭兵として生き延びていない。
さらに空いた左手で発煙弾を掴むと、犬歯にピンを引っかけ一気に外す。ノアたちとバギーの間に投げ込みながら、自分は燃え盛る愛車を見向きもせず少年のもとへ。
「来て! ビィ、エアカバー!」
混乱しているのか、ノアは言葉を返さなかったが、それでもイブキの腕を握り返す。
雑木林に駆け込むか? いや間に合わない。むしろ前進した方が早い。左手前には、身を隠すのに充分な岩がある。
「走るよ!」
鋭く告げて駆け出した矢先、ビィがサブマシンガンを放った。一連射した途端、数メートルほど先の空に火の手が上がる。
第二射の迎撃に成功。この隙を狙う他ない。
立ち込めつつある白煙の中から抜け出し、先陣を切る少女は正面の木々めがけてショットガンを撃ち込む。安定翼のついたフラグ弾。射程には充分だが、発砲からワンテンポ遅れに起きた小爆発にどれほどの効果があるか。
数歩先から土煙が立ち昇り、二人へ迫る。銃撃。地表を滑らせるようにフルオートで撃ち込まれる凶弾は、次の瞬間、イブキたちの針路と交錯しようとしていた。
「チッ……!」
舌打ちと共にイブキが動く。生身の左腕一本で思い切りノアの腕を引くや否や、当て身の要領で岩陰へ突き飛ばした。そして自身もまた飛び込む、と同時に胸の辺りへ鈍痛がはしる。
撃たれた。
はっきりと自覚する間も、苦悶を発する暇さえない。ただ衝撃に息を詰まらせながら、あとは重力に任せて接地した。そこでようやく痛みにうめく。
「ぐっ、くぅ……っ! ノア、撃たれてない!?」
問いながら胸元を一瞥。
ちょうど右胸の辺りが一カ所、アーマー表面が裂けている。剥き出しになった抗弾プレートには、凶器たる銃弾がめり込んだままだ。つまり貫通はしていない。胸骨にひびくらいは入ったかもしれないが、ひとまずは痛覚だけ。それなら脳内を駆け巡るアドレナリンが誤魔化してくれる。
シリンダーを開き、ショットガンを再装填。空薬莢のみならず未発砲のスラッグまで捨て、五発全てを炸裂弾で埋めた。他の弾薬では、どのみち届かない。
「ノア!」
「あ、ああ、無事だ……!」
ようやくの返答。舌のもつれは仕方がない。一瞥したところ外傷は見当たらなかった。そこでビィも駆け込んでくる。
「お前こそ撃たれてんじゃねえのかよ!?」
「平気、プレートに当たった……!」
その言葉に、ノアの視線がイブキの防弾アーマーへ向けられた。銃弾が食い込んだままの生々しい傷。続く声がたどたどしいのは、湧き上がる恐怖を無理やり抑えたからだろう。
「ど、どっから撃たれてんだ!?」
「真正面、雑木林の中。ちょっとやばいな……」
言う間にも銃弾が岩を削り、耳障りな着弾音を奏でる。何者が相手にせよ、戦術は成功していた。
敵はまずこちらの車両を狙い、離脱の足を奪った。幸いにしてバギーは無事なようだが、絶望的に距離がある。さらにイブキたちが岩陰に隠れた今、制圧射撃で釘付けにしている。絶え間なく襲う弾丸に応戦すら難しい。
まずいところで出くわすものだ。思わず、イブキは自身の不運を呪いたくなる。こんな場所で、この無人兵器に待ち伏せされるなど。
「本当に場所合ってんのか!? だって銃声が」
「そういうやつらだから」
事も無げにイブキが返す。どこか冷淡な物言いが、むしろノアの混乱を奪い去った。
「目星ついてんのか……?」
「たぶんね。ビィのセンサーに引っかからない上、発砲音がせず、銃は亜音速でソニックブームを起こさない。……二人共、頭上げないでよ。あそこにいるのはXB3、たぶんD型」
「XB……なんだ?」
ノアには聞き慣れない単語だ。本職の傭兵ですら、その機体名は耳馴染みがなく、遭遇する確率はさらに低い。
だからイブキの声に震えが混じった理由も、まだ理解できていなかった。
「バリスティック・ドローン。人型の、無人兵器。この辺りじゃほとんど見かけないはずなんだけど」
「……やばいのか?」
「私だったら、ワイバーン二機とやり合う方がマシかな」
引きつった冷笑でイブキが述べると、そこでようやく窮地に陥ったという現実味が増す。
「XB3自体は、前モデルのXB2をコストダウンした機体なんだけどね。どっちも戦前の機体。やろうと思えば戦い用のある相手だけど、このD型だけは別。徹底的にステルス化した特殊作戦仕様。武装は光学迷彩とサイレンス・カービン。……っと、四〇ミリもあるんだった」
バイクを破壊した最初の一撃だ。愛車だった残骸は、まだ炎を上げ続けている。燃料へ引火したにしても、火の粘り方が違う。元から燃焼剤を用いている焼夷榴弾か。
「サイレンス・カービンってのは……サウンド・サプレッサーってことか?」
銃口部分に装着し、発砲音を抑えるパーツの存在は珍しくない。クロスポイントの警備チームでも、使っているものは多かった。
隠密行動ではなく、むしろ射手を保護する目的で。銃声を軽減させるということは、鼓膜への負担も減るわけだ。場合によって犯罪にも対応する警備チームは、反響しやすい市街地戦での難聴対策として採用している。
しかし、この敵は似て非なるものだった。
「いや、銃じゃなく弾が違うんだよ。銃弾そのものが音を出さないよう設計されてる専用弾。亜音速だから無人兵器への効果は薄いけど、人間には充分」
言いながら、少女はふと胸元を見やる。埋まっている弾丸は、おそらく重金属弾頭の徹甲弾。同じクラスのライフル弾に比べて威力が劣るにせよ、れっきとした対装甲用の弾丸で間違いないのだ。
防げたのは幸運だ。あるいは日々の研鑽を止まない、クラークテックの開発スタッフたちに感謝するところか。むろん、もう一度試したくはない。
すると、
「待て、おかしいだろ。戦前の機体ってことは、前線に出ばってたのは同じ無人兵器のはずじゃねえか。なのに弾が効かねえってのは……」
「だからさ。無人兵器の破壊が目的じゃないってことだよ」
そこまで言われて、ようやくノアも察する。
光学迷彩、静音性を高めた武器。まず車両を狙うという、明らかに人の行動を読んだ戦術。つまりあの機体は――。
「……人間狩り専用ってわけか」
「そういうこと。だから顔出さないでよ」
そうは言うものの、ここに居ても解決しないことくらいはイブキも理解している。岩で銃弾は防げても、あの焼夷榴弾を使われたらその限りでない。曲射で頭上から撃ち込まれた場合、全員が一瞬でバイクのようになる。
先ほどはかろうじて迎撃できたが、そこに望みを託すべきか。
「ビィ、一応聞くね。もし二発以上の四〇ミリ撃たれたら、カバーできる?」
「……♪」
どこか申し訳なさそうにビープ音が鳴る。
「気にすんなよ、ビィ。一発防げるだけで大したもんなんだ」
ノアが励ました。すっかり意思疎通が出来ている。
一方でイブキはというと、目まぐるしく思考を回していた。どうするべきだ? どう動くのが正解だ?
敵の数は不明。複数いるのは間違いない。XB3は、部隊での運用を前提にしている。分隊ないしは小隊規模。バリスティック・ドローンの編成は、軍の定める歩兵のそれと同数。なら最低でも十数機がここにいる。
性能はどうだろう。向こうが装備しているのは亜音速弾。発射から着弾までは、通常弾より遥かに遅い。この状況で撃退は不可能だし、とすれば優先するのはクライアントの安全。上手くタイミングを合わせて囮になれば、ノアだけでも……もし可能ならビィを援護につけて逃がしたい。
いや、それも難しいとイブキは内心かぶりを振る。
思い返すのは先ほどの被弾だ。こちらの針路上へ、置くようにして土埃を巻き上げた着弾。あれは紛れもなく未来位置予測能力を示している。ターゲットの速度、距離、進行方向から命中時の地点を即座に割り出し、射撃するわけだ。
考えてみれば最初から亜音速弾を想定した機体である。飛翔速度の不利を打ち消すため、その手の演算処理能力が強化されていて当然だった。
加えて複数いるのだから、陽動を買って出ても意味がない。こちらの実数が知られている。個別に対処されるだけだ。
煙幕も同様。イブキが使っている発煙手榴弾は野生兵器用。微量の金属粒子を含み、レーダーを攪乱する。赤外線も遮るので、煙越しにこちらを補足できなくなるだろう。
ただし見えないというだけで実在はする。数に物を言わせた制圧射撃を取られたら一網打尽だし、焼夷榴弾の乱射となったらいよいよ成す術がない。
「……ごめん。引き返しとくべきだった」
岩陰に向かった、最初の判断だ。謝ってすむものではないし、それ以前に、背後の木々までは距離があった。無理に身を翻したとして、今頃は無事だったかどうか。どちらかが撃たれていた可能性こそ大きい。まだ残っているバギーから救急キットを取ろうとして、そこでまた狙撃されていたはず。
当然、イブキにもそれくらいのことはわかっていた。わかっていたが、謝罪せずにはいられないのだ。
この旅の間に親しくなったにせよ、イブキとビィは、ノアに雇われている身。手伝いたいのは本音であっても、ボランティアではないのだ。帰還後には相応の報酬を受け取る手筈だし、だからこそ旅の安全面において、イブキは全責任を負う立場にある。
ただし、そこはやはりノアだ。
「そーゆーのやめろよ。マジっぽく聞こえる」
すでに調子を取り戻した少年は、冗談めかして言ってのけた。冷や汗を垂らしながら、だ。
イブキの頬が緩む。そして苦い笑みを浮かべて初めて、ずっと食いしばり続けていた奥歯の痛みに気付く。
笑みを忘れたらダメだ。たとえどんなに絶望的な状況でも。それは自分のスタンスではない。そう独りごちた途端、腹が据わった。
シリンダーを開き弾薬交換。フラグ弾を三発、散弾に置き換える。徹甲スラッグに次いで使用頻度が多い実包だ。主な用途は対空迎撃。飛行ドローンや砲弾などを撃ち落とす。ガーディアンセルからクロスポイントへ向かう旅路、スタッグ・ビートルの対人ミサイルを防いだのもこれだ。
「ビィ、エアカバーよろしく。私の方は出来る限りでいいから。ノアを最優先でね」
「?~♪」
ドローンのカメラアイには、心なしか今までと別の不安が浮かんだ。これはノアの双眸にも言える。
「どうする気だ?」
「片付けてくるから待ってて」
「バカ言え!」
一蹴。少年の怒号が飛んだ。
「お前が言ったんだろ、連中はマンハントが専門だってな。そんな簡単にやれる相手か!」
「他に手がないよ。お手上げ。……これ以外はね」
ぽつりとイブキが呟くと、ノアは何も言えなくなってしまう。これはさすがにズルい物言いだったと。そんな反省を込め、彼女は苦笑を挟んで続けた。
「ここは岩場だし、向こうは亜音速弾。スモークもあるから、上手く動けば隠れながら進める。あの手の無人兵器にしちゃ装甲は薄いんだし、徹甲スラッグの射程まで近づけたら勝ち目はある。だから、んな顔しないで」
いつも通り、片頬に浮かぶ不敵な微笑。それを取り戻したのはノアなのだと、彼自身は知る由もない。そして一方で、戦闘面の知識に乏しい少年でも、彼女の論は無茶が過ぎるとはわかっていた。
一対一ならともかく相手は集団。分が悪い。亜音速弾のスピードも通常弾より比較的遅いというだけなのだから、見て避けられるわけでもなかった。おまけに距離が近づくほど、着弾が早まる。
なのに、他の策はない。
今ここでノアが賭けられるのは、イブキの微笑だけ。
「畜生。……おい、俺はろくに援護できねえぞ。サブマシンガンはバギーん中だ」
「クライアントに銃撃たせらんないよ。ビィ、しっかり守ってあげてね」
「……♪」
寂しげにビープ音が鳴った。出し抜けに笑みを返すと、イブキは発煙弾を掴む。
「そんじゃ、やりますか」
ピンに指がかかった。身を屈めたまま、タイミングをはかる。最低でも五〇メートル圏内まで肉薄できればいい。まだ断続的に続く射撃の中、意を決して投擲モーションへ入った。
刹那。
「――ッ!?」
銃声は突然、左手側の林から放たれた。
伏兵か?
違う。抜き身の破裂音、サイレンス・カービンではありえない。しかも発砲はひとつでなく複数の、突撃銃と軽機関銃とが織り交ぜる合奏で、その全てが正面方向の雑木林に撃ち込まれる。
『そこの連中、聞こえるか!?』
間髪入れず無線ががなった。突如として現れた第三グループの人間に違いない。
交信はガーディアンセルの規定する非常用周波数。主として遭難時に用いるチャンネルを利用し、イブキたちに呼びかけていた。
『援護してやる、一分で来い!』
手加減なしの全力射撃。それ以上は弾薬が持たないという意味だろう。
イブキたちが互いに顔を見合わす。その瞬間には、すでに結論が出ていた。
「走るよ!」
「おう!」
投げかけていたスモークを正面方向に放る。気休め程度にはなるはずだ。助け船の視界も遮ってしまうが、どのみち敵を目視しているわけでもない。
そして二人と一機が飛び出した。間髪入れず亜音速弾が掠めるものの、敵は新たに出現したより脅威度の高い獲物に気を取られるあまり、反応が遅れる。着弾はいずれもイブキたちの数歩後ろで地面を抉った。
およそ二〇〇メートル。一気に駆け抜ける。近づくにつれハッキリと、木を盾に攻撃を行なう兵士たちの輪郭が露わになった。アサルトライフルを持つ者が四人に、地に伏せて軽機関銃を連射する者が二人。総勢六名からなる戦闘チーム。
「ノア、あと少し!」
アーマーベストの慣れない重さのせいか。やや遅れ気味になった少年の腕を掴み、イブキは味方のもとへと滑り込んだ。
到着を確認するなり、リーダー格らしき男が告げる。
「後退するぞ、スモーク展開! ガンナー、射撃は絶やすな!」
先ほど無線で呼びかけた人物と同じ声。
チームは即座に従い、軽機関銃の援護を受けながら発煙弾を投下。充分に煙幕が焚かれたところでようやく後ろに下がる。明らかに訓練された動き。
ひとしきり離れてサイレンス・カービンの弾もやって来なくなった頃、指揮官の男が言った。
「グレイベア、こちらウルフパック、救出完了。そっちに戻る。……それで、だ」
前半は別の仲間に、後半はイブキたちを見て、首を傾げながらだ。
その男はブラウンの口ひげをたっぷり蓄え、くたびれた砂色の野球帽をかぶっていた。
「お前、こんなとこで何してる?」
気安い、というより見知ったような口調。さらにその質問はイブキたちに、というよりイブキ個人へ向けられていた。
「お仕事に決まってんじゃん。そっちは?」
「仕事ついでの寄り道だ。久しぶりだな、イブキ、ビィも」
「助かったよ。ありがと、教官」
「~♪」
人好きする少女の微笑に、ドローンが発したはしゃぎがちなビープ音。ガーディアンセルのベテラン傭兵アートは、相好を崩して彼等に応じた。




