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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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4.彼方へ 晴れのち(3)


 二日目の朝。内側からテントを開く頃、夜通し頭上に居座っていた雨雲は、ようやく見切りをつけ彼方へと去っていた。


「いい天気だぁーっ!」


「!~♪」


 まだ空気の涼しい早朝。テンションの高い声とビープ音が、荒野の片隅に響き渡った。


 一方、


「おぉい……うるせえよ、朝っぱらから」


 こちらは対照的に眠たげな声で、のそのそとノアが出てくる。実際に朝は低血圧だ。それでも努力の片鱗が窺えて、片手で二人分のマグカップを器用に持っていた。湯気が立つ二人分のコーヒー。


「だって見てみなよ! めっちゃ晴れてる!」


 確かにいい天気だ。単に快晴というだけではない。つい先頃まで続いて雨で、まだ水気が残っている。そこに東の空より差す陽光が乱反射して、殺風景な荒れ野のそこかしこを煌めかせた。やや冷えた風が通り過ぎる度、鼻腔から胸まで爽やかな心地が駆け抜けるのだから。

 過酷な戦後暦の時代であろうと、自然は時折、こんな風景を見せてくれる。淀んだ雨の暗夜の後、胸がすくような風景を。


 こんないい日に、旅をしないのはもったいない。


「そりゃわかったけど、朝飯くらいは食うからな。ほら」


「ありがと。わかってるって。……にっが!」


 受け取ったコーヒーを一口やった途端、爽やかさはイブキを離れた。


「これブラックでしょ!」


「普通そうだろ。お前、飲んでたんじゃないのか?」


「私のは砂糖四、ミルク四、コーヒー二……!」


「それでもコーヒーって言うかね」


 ノアが言い捨てる。一瞬の既視感の後、イブキはすぐ思い出した。


「やっぱ姉弟だよねぇ」


「は?」


「なんでもないよー。うへぇ、口ん中まだ苦い……」


 しれっと言いながらテントに戻り、安い売りしていた砂糖もどきと人工ミルクを探すイブキである。ノアのコメントは、ミナコの反応そのままだったとは言わないでおく。

 ついでに食料を取り出して、全員で朝食に。メニューはむろん、昨日の昼食と同じ。ドリンクが飲み水かコーヒーかの違いだ。


「……昨日の話だけどさ」


 途中でイブキが言う。すると、


「覚えてねえ」


「……ん、そっか」


 呆気なく一蹴された少女は、しかし片頬にいつもの笑みを浮かべる。不敵で自信を秘めた微笑。


 結局、どちらもそれ以上の追求はないまま食事は終わり、片付けに移った。一晩凌いだシート類は表面に水滴が残らないよう、きっちりと拭き取る。経年劣化は避けられないが、酸性雨にやられて赤外線防御に支障が出るのは防ぎたい。

 再びエンジン音が響く頃には、太陽がもう少しだけ高い位置に昇っていた。


 バイクとバギー。搭乗員は二名と一機。長距離移動の最小単位にも及ばない彼等は、初日と違って順調に距離を稼いだ。

 途中、飛行型の野生兵器が接近したものの、幸いなことに非常事態……すなわち交戦に入ることなくやり過ごせた。先んじて敵の存在に気付いたビィの偵察と、回避を決定したイブキの状況判断の賜物だろう。


 それからマシンを走らせ、日暮れ前には今日の目標にしていたエリアへ到着。だが設営も終え食事を取る頃、ノアの面差しへ僅かな疲労が窺えた。


「平気?」


「ああ、まあ」


 生返事が返る。慣れない旅よりも、初めて野生兵器と接敵しかけた緊張が残っていたのだろう、とはイブキの予想。その日は着替えと簡単な水拭きを、交代でテントに出入りしながら済ませた後、早めに就寝する。


 そして三日目の朝。


「ノア、調子は?」


「……生きてる、眠い」


 例によって欠伸混じりにぼやきながらも、昨夜より顔色がいい。そのまま歯磨きしていると、


「今どの辺りだ?」


「半分……は盛りすぎかな? 三分の一ってところ。思ったよりペース落ちなかったね」


 一旦、イブキは口をゆすぐ。


「明日には結構近づいてるよ。あくまで順調なら、だけど」


「ああ。期待しとかないでおこう」


 相変わらずの保存食に、イブキは特製コーヒー、ノアはインスタントのポタージュを併せて飲んだ。出発前に給油を挟んでから、エンジン始動。二台とも快調な唸りを発してくれる。


「んじゃあ、今日も行きますかぁ」


 出立したイブキたちは、午前の内に小規模の局所砂漠へ入った。所々に金属片が散らばる、戦場跡。無人兵器と思しき残骸があれば、原形を留めないほどひしゃげた装輪装甲車まで。そのいずれもが物言わず砂中へ埋もれゆくまま、風化への道を辿っていた。


『これ、最後の世界大戦の時のか?』


 無線で語りかけたノアへ、


「たぶん戦後暦だよ。劣化しててわかりにくいけど、ほらあれ」


 左手を放し、人差し指で残骸のひとつを示す。


 酸性雨にやられたのだろう。完全にサビついたそれは、一見すると野生兵器のようで、しかし違う。バラバラに吹き飛んだパーツの形状には、ノアも覚えがある。原形を留めていたら、すぐ思い出したに違いない。


 クロスポイントで圧倒された、とある兵器のことを。


『エクソスケルトンか……? クラークテックで売ってた……』


「二世代くらい前のモデルだね」


 ゾっとする気配は、無線越しでもわかる。ショーケースの中に佇んでいた、あの巨大な強化外骨格。その絶対的な存在感は、畏敬の念と共に、人の底力をノアに刻み込んだ。


 こういう力を生み出し、操れるのだから、いずれは人間が反撃できる日が来る。復興軍でなくとも、この時代を生きていればこそ、大なり小なり野生兵器の脅威にそんな未来を望むのは道理だろう。ましてやノアの場合はつい昨日、野生兵器との遭遇戦に陥りかけたばかりなのだ。

 そんな力の象徴が無残に破壊され、誰に知られることなく辺境に朽ちている。人と野生兵器とは、こんなにも隔絶して隣り合っているのか。


 と、


「離脱できたんだ」


 イブキが呟く。


『なんだ?』


「あの壊れ方はやられたんじゃないよ。緊急脱出の仕様。エクソスケルトンは個人運用を考えてないし、さっき見た装甲車と同じ部隊だと思う。最初に装甲車が攻撃受けて、エクソスケルトンが援護に。撃退した後、被弾か動作不良かで外せなくなったから、強制解除でパーツ剥がして仲間と撤収した」


『……そう上手くいくもんか?』


 希望的観測に過ぎるだろう、とノアの口調は告げていた。しかしイブキは別の方角を指さす。


「あっちに野生兵器の残骸あるでしょ? 飛行型が二機、どっちもワイバーン」


『昨日のやつか』


 今も自動生産が続く、野生兵器の一種。無人の簡易攻撃ヘリとでもいうべきそれは、三〇ミリ径の対物チェーンガンを搭載している。


「私たちが見たのは単独の野生だったけど、再生産されてる型は二機一組で動くように設定されてるから。あのエクソスケルトン、直撃食らった感じはなかったし、上手く撃退したんだよ、きっと」


 そうであればいい、とノアは考え、イブキもまた話しながら信じた。

 結局のところ仮説の域を出ない。残骸はいずれも関連がなく、それぞれ別のタイミングで別の相手と戦い果てた可能性は充分ある。


 しかしせめて、このくらいの希望は持ちたいものだ。戦後暦を生き抜いている人間には、野生兵器という忌むべき過去を清算できるくらい強いのだと。

 そんな想いを秘めながら、局所砂漠を走破する。


 砂地が終わり、動輪が剥き出しの岩盤を踏み始めたのは、およそ一時間後のことだった。そろそろ正午に近づいている。どこかで休憩して食事にすべきだろうか。

 イブキが思案を巡らせながら走っていた時だ。彼女にとって懐かしい悪臭が、不意に空気へ混じる。


『なんだ、この匂い。ガソリンみたいな、焦げた感じの』


「近づいた証拠」


『は?』


「コロラド・スプリングスに。まだ先だけど、あそこのクレーター、風向き次第でここまで匂うんだよ。ほら見えてきた」


 地平線の先。徐々に景色が変わってゆく。いや、正確には現れてゆく。


『冗談だろ……』


 ノアの声には怯えが混じった。


 遠くそびえる巨大な山々。かつてロッキー山脈と言われていた荘厳な佇まいに圧倒された、のではない。それどころか、今あの山にそんな感慨を抱く者がいるはずもなかった。湧き上がる感情があるとすれば、ひとつだけ。


 圧倒的な恐怖。先ほど局所砂漠で出会った戦場跡など生ぬるい。本当に異様な光景を前にした時、人はただただ無力を痛感するしかないのだ。


「ああなったのは、最後の世界大戦の時だって言われてる。……ホント、ろくでもないよ」


 イブキですら嫌悪を吐き捨てた。ビィまでも不安そうに音色を囁く。

 あの巨大な山脈が、ぽっかりと半ばで抉れ、異形の姿を成しているのだから。イブキの知る伝承が真実ならば、それすら人の所業となる。果たして二〇〇年前の戦争とは、いかなる地獄なのだろう。気候を変え、砂漠を刻み、山脈すら抉ってしまう破壊の応酬。


 文明の滅びた所以が、遠く、しかし眼前に広がっていた。


「平気?」


『あ、ああ……』


 呂律が回っていない。さすがに堪える風景だ。


「一旦休もうか」


『いや……いや大丈夫だ。さっさと行こう』


 抉れた山脈の狂気を見ながらでは、何を食べても吐いてしまう。ノアの返事はそう告げていた。


「了解」


 とだけ応じ、イブキはバイクを走らせる。多少スピード落としたバギーに合わせ、緩やかな減速を加えて。

 だが、それから程なくのことである。


「……ちょっと止まる。ビィ、ノアの援護」


 予定していた雑木林を抜け、視界が開けた矢先のこと。唐突にイブキは言い、もう数メートルほど走って愛車を止めた。そして地面に降り立つなり、おもむろにショットガンを手繰り寄せる。


「どうしたんだ?」


 応じる代わりにゴーグルを外す。緑がかった碧眼はじっと辺りを見回した。

 障害物はほぼない。大小様々な赤い岩が点在する程度。正面と左側面、どちらも二〇〇メートルほど先では地表が盛り上がって坂を成し、再び雑木林を作っている。イブキたちのいる地点は、その空白地帯だ。何かしらの存在がいればすぐわかる。特に野生兵器なら、潜めるほどの岩石はない。


 逆に言えば、こちらの姿も見えてしまうわけだが。


「……」


 風が流れた。黒いコートの裾が静かにはためく。


 ショットガンのシリンダーを開き、装填中の弾を確認した。散弾二発、徹甲スラッグが三発。基本としている組み合わせ。機動力があっても脆い飛行型には前者、より堅牢な地上ドローンには後者で対応する。

 しかし、現状には適さないらしい。周辺にじっと睨みを効かせながら、イブキは弾薬を取り換えた。赤く塗装された散弾二発を抜き、代わりに黄色をした特殊弾を装填。


 イブキが携行するショットガン用の弾は、全部で四種類。この内、二種類はあまり使う機会がない。青色の照明弾と、黄色のフラグ弾……すなわち炸裂弾である。着弾と同時に爆発し、周囲に爆風と鉄片を飛ばす破片榴弾。貫通力はないため装甲目標への効果は薄いが、スラッグ弾と異なり距離が開いても効果は薄れない。


 要するに、これを使うのはこちらの間合いが届かない場合だ。制圧効果の高い榴弾で牽制しながら、懐まで飛び込む。

 そういう事態を予期しているのか。装填を終えたイブキは周囲に目を凝らし、動こうとしない。


「……妙な感じ」


 と、イブキは独りごちた。

 肌がひりつく感覚。何者かに見られている。こちらはキルゾーンに踏み込んでいて、あちらはすでに銃口を据えている。そんな想像が容易に出来る、奇妙な不安感だ。さながら、喉首めがけじわじわと這い上がってくるような、不可視の殺意。


「ビィ、正面の雑木林。何か見える?」

「……♪」


 返答はノー。飛行型だけあって、ビィのセンサー精度はかなり高い。単純な可視範囲なら人間よりずっと上だ。さらに暗視や感熱モードも備わっている。

 その目にさえ何も映らないということは、杞憂なのか。


 巨大な山脈をなぶった狂気の残滓。あの光景にあてられ疲弊した神経が、無作為に警戒心を呼び起こしただけなのか。


「ふぅ……」


 軽い吐息をひとつ。イブキは背後を振り返って苦笑しかけた。


「ごめん、たぶん勘違い――」


 刹那、表情が固まる。


 風に乗り、遠くから妙な音色が聞こえた気がする。くぐもったような、押し殺したような。一度は収まりかけた危機感を再度呼び起こすには、どこか脅威度の低い音が。

 次いで、ひゅるるる……と、いやに甲高い響きが届く。鳥の鳴き声に聞こえなくもない。無人兵器さえ拒むクレーターの瘴気が漂うこの地に、野生の鳥類が舞い戻っているのなら。


 そしてそれは、間違いなくイブキたちへ近づいている。


「――伏せてッ!」


 発射地点を確認する暇などない。かろうじて発した怒号は、何より先にノアたちへ伝わった。視界の端に逃げる仲間の姿を確認しながら、自らもまた地面へ伏せる。

 直後だ。


 四〇ミリ径の榴弾が飛来、無人のバイクを直撃した。


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