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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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4.彼方へ 過去より(2)


 雲でなく日の入りによって暗夜が訪れてなお、雨音はまだ止まない。すでに封鎖したテントの中で、寝袋は二人分。しかし入っているのは、ノアの側だけ。

 イブキはまだ起きていて、銃のメンテナンスだ。出来るだけ音を立てないように、静かに。


「?……♪」


 ささやかに問いかけたビィへ、そっと微笑を返す。だが程なく手入れが終わった後も寝つく気配はなく、時折、携帯端末で地形やら予定ルートやらを確認しながら、じっと聞き耳を立てた。


 雨でなく、音楽に。


「……なに聴いてんだ?」


「あ、ごめん。起こした?」


「寝られねえだけだよ。マカロニ食いすぎた」


 のそりと起き上がりながら、ノアは欠伸を付け足した。夕食のメニューである。イブキの感性だけでは不安だと、自前で別の保存食を用意していた。そのひとつが、少し前に食べたマカロニ・チーズ。


「そんで、お前は? ラジオか?」


 イブキの片耳にはイヤホンが刺さっている。もう片方は用心のため外していたのだが、そこから音が漏れたのだろう。テントという閉鎖空間。雨は続いているにせよ、耳を澄ませばメロディも届く。


「聞いてみる?」


 といって、イヤホンを外した。大きくなりすぎないよう、デバイスの音量を調節。やがて流れ出した二重奏の旋律は、ピアノとヴァイオリンだった。


「クラシックってやつだよな? よくわからねえけど」


「ん、三人のジプシーって曲」


「ふぅん……戦後暦には消えた文化か」


 虚しさを乗せてノアが言う。


 現在の戦後暦において、新しく作られた音のは存在しなかった。いや音楽に限らず、絵や映像など、創作そのものが失われて久しい。むろんそういった活動を行なう個人や団体はいる。だが世間一般に広める術がないのだ。

 野生兵器に追われる世で、芸術を嗜む余裕はない。数少ないの創り手たちは、この時代だからこそと創作の必要性を説くだろうが、客の側に理解を求められる状況ではなかった。


 ただ、何事にも例外はある。


「違うよ」


「違うって、何が?」


「これは戦後暦の録音。っていうか私が録ったの。一曲だけ、演奏してくれたから」


「演奏ったって、そんな場所……」


 半ばでノアの言葉が途切れたのは、思い当たる噂があったためだろう。


「イブキ、お前の出身って……」


「旧ラスベガス、フィルハーモニーって呼ばれてた」


 一瞬、ノアはイブキでなくビィに視線を投げた。人工知性搭載の飛行ドローン。この機種にしては珍しいと思いながら、しかしそれ以上は考えずにいた。

 今ようやく辻褄が合う。


「機械楽団か……!」


 有名な、都市伝説と言えばいいだろうか。楽団街フィルハーモニーという街の存在は、まことしやかに囁かれるフィクションのはずだった。

 そこは地上最後の音楽の街。観衆のいない楽団の居場所。


 そして今は地図のどこにもありはしない、空白地帯。


「やっぱ知ってんだ?」


「そりゃお前……だって、野生兵器の音楽団だろ? 人間が寄りつかないのに、ずっと演奏してるって言う。でもあの街は……」


「ん、もう消えちゃった。復興軍が来てね」


 寂しげに微笑みながら、けれどイブキはあっさりと口にした。

 最後の世界大戦後、アメリカ政府が完全に消えたわけではない。瓦解してガーディアンセルのような傭兵組織に取り込まれた部署もあれば、独自に存続し、今なお活動を続ける集団も。


 その中で最大規模の武力を誇るのが、西海岸に本拠を置く軍組織。アメリカ復興軍である。彼等は野生兵器の存在を一切認めず、生産ラインを含む完全駆除を目的としていた。誇大妄想を掲げた旧時代の残党、とは世間で囁かれる陰口だが、面と向かって述べるものはいない。

 何しろ海軍第8艦隊を中心として、陸・空・海兵隊の残存兵力を吸収。今なお八割以上の稼働率を誇る、戦後暦唯一の空母機動部隊なのだから。


「怖かったよ。いきなりヘリボーンで押し寄せてきて。生き残ったのは私とビィだけ。……ね?」


「~♪」


 穏やかなやり取りを前に、ノアだけは絶句した。無理もない。焦燥で寝つけない夜、世間話として軽々しく話す内容ではないだろう。


「ま、あの人たちにとっては許せなかったんじゃないかな」


「じゃないかなって、お前……そんな簡単に……」


「だってそうでしょ? 口実って単純なもんだし。あいつがやってることはむかつく、殴ってやろう、とかさ。復興軍の野生兵器嫌いは有名なんだから。相手は呑気に演奏してる。自分たちが手放した文化を、自分たちから占領した土地で。そうなったら、そりゃ……ね。手が出ちゃうよね」


 明け透けに述べるイブキは、そうしながら左手で義手の付け根を握った。

 今は機械に置き換わった右手にはしる、鈍い痛み。幻肢痛か、あるいは心の傷だったか。彼女自身にも定かでない。


「……恨んでんじゃないのか?」


 ようやくしてノアが紡げたのは、そんな疑問だった。


「ん?」


「復興軍をさ。お前もビィも」


「どうかな。どう?」


 相棒に尋ねてみると、


「?~♪」


 きょとんとした様子の音色が、リピートされる旋律に混じった。


「考えたことない、だって」


 イブキが補足する。


「じゃあ、お前は?」


「私もおんなじ。恨むってより、怖い……が強いかな。そもそも私、元復興軍だし」


「……は?」


 今夜だけで何度、ノアは言葉を失うだろう。こういうことを平然と口にするのがイブキの恐ろしいところであり、食事よりずっと明確な短所に違いない。


「元? いや、あり得ねえだろ。だってお前……」


「あんまり覚えてないんだけどね。あの組織って、どうやってメンバー募ってるか知ってる?」


「そりゃ……徴兵だとか志願だとか、いろいろだろ? ガーディアンセルやクロスポイントにも募兵所あるんだし。それから……おい嘘だろ」


 思い当たり、少女を凝視した。デバイスの薄明りの中で、応じるのは照れたような笑み。


「そ。戦後の復興のために温存されて、コールドスリープされてた軍人。私もさ、その一人なんだって」


「……」


 いよいよノアの表情が動かなくなった。ぽかんと口を開けたまま、固まってしまう。


「ノア? おーい」


 呼びかけ続けること、数十秒。


「……なんで」


「お。どした?」


「……なんで俺の周りは、二〇〇歳のババアしかいねえんだ」


「ひどいなっ! 加味しないでよ、覚えてないんだからっ!」


 一息に怒鳴る。事実上、間違っていないのがイブキにはつらいところだ。


「逆にお前はなんで覚えてねえんだよ。それこそ痴呆じゃねえか」


「違うっての! ……まあ、それはさ」


 しばらくごにょごにょと言い淀んでいたイブキが、やっと口を開いた時。頬が僅かに赤らんでいた。


「軍に合流するより先に、迎えに来てくれた人がいたんだよ。……その人と暮らしてたんだけどね」


 喋る内に紅潮はかき消え、後半を語る頃には、イブキは両膝を抱きかかえる。

 むべなるかな、ノアがまた別のニュアンスで目を疑ってしまう。あの不敵な微笑も、秘めたる自信も、緑がかった碧眼へ常にある勝ち気な輝きすら、そこにはない。目の前で、弱々しく不安に押しつぶされそうになっている少女が、どうしても今しがたまでいたイブキに重ならなかった。


 いや、ひょっとするとこれが本来の彼女だろうか。


「……いなくなっちゃったんだ」


 程なくして、所在なさげに紡ぐ。顔を伏せたまま。


「その、一緒に暮らしてたやつか?」


「……ん。いつも通りだったんだけど、さ。急にね」


 今もはっきりと刻まれている一言を、そのまま口に出す。


『あなたじゃなかった』


 先ほど怖かったと評した復興軍の襲撃より、もっとずっと恐ろしい言葉だったに違いない。むしろこの記憶があるからこそ、それ以外の出来事をああも気楽に語れたのだ。


「それは……お前じゃなかったって、どういう意味で?」


「……わからない」


 慎重に言葉を選んだノアへ、ぼんやりと言う。


 二人っきりで過ごした、その人。短く艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ、眼鏡をかけた面差し。イブキより少し年上だった彼女の、最後に聞いた言葉は痛みと共に残り続けている。唯一残された、たった一言の意味もわからないまま。

 ひょっとしたら、この少女が録音した音楽を度々聴くのは、その痛みを忘れたいからなのか。折に触れて耳朶に囁く、誰より大切な人の拒絶を。


「変だよね。こんなにつらいって思うのに、また会いたいなんて。自分でも未練がましいっていうか、なんていうか。あの人は……ミツバは、今も無事でいるのかなって。そんな心配ばっかしちゃうんだから」


 自嘲を浮かべたイブキに、ノアは何も言えなかった。ビィですら、ただ黙して相棒を見つめる。


「ごめん。こんな話したいわけじゃなかったのに」


「いや、俺は……」


 暗がりでもわかった。から元気で笑う目尻には、まだ涙のあとがある。だから何も言えない。


 すると、


「ダメだな、雨の夜は。気持ちが下向いちゃう。……ん、よしっ! 切り替えよ!」


「うわっ!?」


「!~♪」


 突然、イブキは自分の頬を叩いた。両手で。左手はともかく、右手でもだ。

 ノアたちの反応も当然である。戦闘用の義手で己の顔を叩くなど正気の沙汰ではない。頬骨どころか、下手をすれば顔面全体が複雑骨折している。


「お、おい! 平気か!?」


「ん、大丈夫! ……口ん中ちょっと切ったかも」


「当たり前だ、バカ!」


「ははっ、でも元気出たからっ」


 無邪気で強引な笑顔。思わず、ノアはビィに引きつった表情を向けてしまう。


「お前の相棒、ぶっとんでるな」


「~♪」


「そりゃ元からこうだろうが……ん?」


 いつの間にか、ビープ音と会話が成立していた。


「おおー、やったじゃん。ちゃんと聞き取れてる」


 聞き取れる? いいや違う。これは毒されてるというやつだ。――そんなツッコミは胸に留めた。


「……もう何でもいい。俺、寝直すからな」


「あ、待って」


 寝袋に戻ろうとした矢先、イブキが引き留める。確かに普段の調子だ。


「言いたかったのはこういう話じゃなくて。戦前生まれだから、なんて括りも違う気するけど」


「なんだよ」


「嬉しかったと思うよ。ノアが、会いに来てくれるって約束してくれたこと。なんとなくだけど、わかるんだ。だからきっと大丈夫」


「……ああ」


 ぼそりと応じ、寝袋に。イブキとは逆方向、ちょうど背を向ける形に動きながら、ノアは付け足す。


「頼りにしてるよ。……ミツバってやつはどうか知らないけど、俺はお前らでよかった」


 背中越しに語られる少年の本心。伝法な物言いが、イブキの胸の奥、まだ凍り付いたままの部分を氷解させる。じわりとした暖かみ。

 同じ熱量をミナコも持っていた。そして二人にとって育ての親である、黒い義手を作った老夫婦も。人の気質とは、こうして受け継がれてゆくのか。


「……ん、ありがと。ねえ?」


「なんだ?」


 出し抜けの質問。


「そのお姫様、名前は?」


「あ? ……ああ、言ってなかったな。エマだよ」


「エマ。エマかぁ。優しい感じ」


「そうだろ。おやすみ」


 何度か舌の上で転がした末のイメージは、ひょっとすると的を射ていた。その名の語源は、とある古い言語なのだと彼等に知る由はない。

 元々は宇宙を意味する。それが長じて、いつしか別の意味も加わった。


 イブキが口にした、まさにその言葉である。


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