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BLACK HAND -宇宙幽泳-  作者: 木山京
宇宙幽泳
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4.彼方へ 曇りのち(1)

 本来なら広がっているべき蒼穹を、その日は生憎、灰色に淀んだ雲が一面に広がるばかりで陽の光もかげりが強い。薄暗い荒野の片隅で響く二機のエンジン音だけが、天候に抗うがごとく響き渡った。先導するバイクと、その轍を追うオフロードバギー。搭乗者はむろんイブキたち。


 天文薄明をやや過ぎた早朝に交易都市クロスポイントを発った彼等の旅の風向きは、順風満々のそれでなかった。

 朝から走り続け、そろそろ昼前へ差しかかるというのに、どんよりした空気に流れる気配はない。気分的にも状況的にも、あまり歓迎できない雰囲気だ。


「ノア、平気?」


 双方向無線の呼びかけに、返答はすぐやってきた。


『ああ。どうした?』


「右手に岩場があるでしょ? あそこで休憩しよう」


『まだ走れるぜ』


「無理は禁物。ペース崩したツケは、あとで来るよ」


 それ以上の異論はなかった。程なくして岩場にたどり着いた二台は、だがエンジンは切らずにアイドリング状態で停止する。

 どちらの車両も、今までよりいくらかシルエットが大きい。詰め込んだ荷物のせいだ。特にイブキのバイクは、車体後部に日用品やらテントを積み、両側面へ、それぞれ飲料水と燃料の入った防弾タンクを固定している。ミナコたちを警護した時より、ずっと鈍重だ。


「待ってて、見てくる。ビィ、ノアの援護」


「~♪」


 降りるなり矢継ぎ早に指示した少女は、ショットガンを手に周辺をひと回り。野生兵器が万が一にでも潜伏していたら、イブキが対処している間にビィがノアを先導して離脱。出発前から、そんな手筈を打ち合わせていた。

 今のところ、ひとまず杞憂で終わったらしい。あらかた調べて安全を確認したイブキが、車両へと踵を返す。


「おっけ。お昼食べよっか」


 その一言を告げたところで、ようやくエンジン音が止んだ。

 昼食のメニューはブロック状をした保存食。プロテインバーのような見た目で、味はほとんどない。これを一本だけ。イブキ特有の食に対する無頓着かと思いきや、一応ちゃんと理由がある。


「ひでえ味だな。これ、ホントに腹が膨れるのか?」


「膨れたらダメなんだって」


 バギーの中で不満を漏らす同世代のクライアントは、片眉をひそめて続きを聞いた。


「撃たれた時ってさ、銃弾だけじゃなくて衝撃波も伝わるわけよ。ソニックブームってやつ。お腹ん中に食べたり飲んだりしたものが溜まってると、それだけ威力が強まるし怪我もデカくなる。内側から爆ぜたような感じかな。だから満腹はやめた方がいいの」


「……ご説明どうも。おかげで食欲も収まった」


 想像してしまったらしい。アーマーベストに包まれた自分の腹を、ノアは不安そうにさする。


「大丈夫だよ。これ完全食だから、物足りなくても餓死はしないよ」


「違うんだよなぁ。……で、それは何見てんだ?」


 イブキはバギーのフロントに腰を下ろしながら、右手でバーを、左手で携帯端末を操っていた。義手だと力加減が難しいという。端末自体は立てた片足をスタンド代わりに固定。器用なものだ。


「この辺のマップ」


「つうと、ガーディアンセルからの?」


「プラス自前で補正したやつ。ビィのおかげだね」


「!~♪」


 誇らしげな音色を奏でたドローンは、ずっとバイクの指定席にいた反動なのか、二人の近くを自由気ままに飛び回る。


「はいはい、助かってるってば」


 呆れ混じりに笑ってみせると、緑がかった碧眼は再びディスプレイを眺める。


 旅の必需品である地図。そのマップデータは、傭兵街ガーディアンセルから無料で配布されていた。年に数回、偵察ドローンを飛ばして上空から地形情報を読み取り、そこに登録傭兵たちからの情報を追加して、地形のみならず野生兵器の分布状況を付け足してゆく。

 ただし、これらはあくまでおおよそでしかなく、基本的に個人で情報を足してゆくのがセオリーだ。イブキの場合、ビィの存在が助けになっていた。おかげでより詳細な空撮データを反映できる。


「ちょっと迷ってさ。空の感じ、あんまり良くないでしょ? 様子見しながら走るか、それとも早めに野営しちゃうか……」


 雨雲の話だ。この時代、地図は作れても天気予報はない。気象衛星というテクノロジーは、最後の世界大戦で失われたままである。


「ああ、それで雨宿り出来そうな場所か」


「そういうこと。さぁーて、どうしたもんかなぁ」


 くすんだ空を恨めしそうに見上げる少女へ、


「出発して半日だってのに、締まらねえな」


「そんなもんだよ。んー……」


 ノアに応じてから、イブキはふと鼻を鳴らす。というより、空気の匂いを嗅いだ。


「やっぱあと一時間ってとこかな」


「匂いで天気がわかるかぁ?」


「慣れだよ、慣れ。よしっ」


 勢いよく車体から飛び降りる。アーマーこそノアより小型のプレートキャリアだが、武器・弾薬その他の合計重量は大差あるまい。むしろイブキの方が重いくらいだ。そんな事情を感じさせない、身軽な挙動だった。


「出発か?」


「その逆。ここで設営しちゃおう」


「マジかよ」


「雲の感じが厚いし、風向きもよくない。結構降るかもね。ギリギリまで走って雨ん中でテント張るより、きっちり遮蔽しちゃった方が安全だよ」


「理屈はわかるんだけどな」


 雇い主の声には落胆の色が滲む。ノアにしてみれば、念願叶ってようやく出立した直後のトラブルだ。出鼻をくじかれた心持ちだろう。


 当然、イブキも気付いている。


「夢は逃げないよ」


 これは彼女の才能だ。

 護衛対象の不安を正しく汲み取り、的確な言葉で寄り添える。気質も相まって意外に交渉上手。何よりイブキの場合、静かな自信を秘める口調が相手の心を解きほぐす。本人はまったく意識していないため、やはり天性の素質だろう。


「……了解。任せる」


 渋々ながら承諾したノアも、胸の内ではしっかり納得している。

 方針は決定。周辺への警戒をビィに任せると、二人は車両を岩陰に移し、次いでテントを広げる。どちらも同じモデル。連結すると、そこそこのスペースが出来上がった。


「荷物は待ってて。先にこれ撒いてくる」


 といって、イブキは棒状の物体を携える。長さはおよそ五〇センチほど。よく見ると均等に切れ目がついていた。


「なんだそれ?」


「ん? モーションセンサ―。パッシブ・レーダーもついてるんだけど、コスパ悪いのが悩みだよねぇ」


 そうは言うものの、この手のセンサーでは最安値だ。アーマーなどと違い、細々とした消耗品にはあまり予算をかけたくない。ただし毎度買い揃えると結果的に出費が増える。いっそニ、三回使える充電式に乗り換えようかと思うものの、総合したコストにあまり差がないので、なんとなくユーザーを続けていた。

 切り離したセンサーは周囲の五カ所、ちょうど岩をテントの背にして半円を描くように投げ置く。


 それから水と食料、必要な雑貨をテントの中へ移し、車両にカモフラージュ・ネットをかける。剥き出しの地面にぽつりぽつりと水滴で忍び寄ったのは、ちょうどその頃だ。


「ビィ、おいで!」


「~♪」


 頭上へ呼びかけると、小型ドローンはすさまじいスピードで急降下。地面スレスレでふわりと浮き上がり、イブキたちに先んじてテントへ滑り込んだ。飛行ドローンならではの見事な離れ業。


「へぇ! あいつ、やるなぁ」


「あんまりおだてないで。すぐ調子乗るんだから」


 関心しきりのノアに、どこかうんざりした調子でイブキは言いながら、相棒に続きテントをくぐる。

 袖傘で足りるほどだった水滴が小雨に変わり、そこからさらに勢いを増して本降りとなったのは、対赤外線シートの内側に駆けてから数分とない頃だった。陽もほとんど覆い隠す、黒雨の形相。昼の内に設営を選んだことが功を奏した。


「マジで降るとは……」


「褒めていいんですよ、クライアントさん?」


 あまり似合っていない少女の丁寧語へ、


「ビィ、さっきのすごかったぜ」


「!~♪」


「なんでそっちよ!」


 さらりと流す辺り、ノアもだいぶわかってきている。というより、案外ノアとビィで相性がいいのかもしれない。何しろ機械屋と無人兵器だ。


「はぁ……まあいいけど。コーヒー飲む?」


「いいのか?」


 とは、昼食時の話に基づく疑問だろう。あまり腹に入れるべきではない。そう言ったのはイブキだ。

 ただし今は状況が違う。


「他にすることもないからね。しばらく止みそうにないし」


 後半は開けっ放しの出入り口から外を眺め、独り言よろしくこぼす少女である。雨量は増す気配があっても弱まる様子は見せず、まだ数時間は空に居座りそうだった。


「この天気なら、野生兵器も動かないよ」


 電気ケトルを用意しながら、イブキは言う。

 最後の世界大戦がもたらした後遺症のひとつに、この雨がある。毒性の強い酸性雨。触れた瞬間に肌は溶け金属は焼ける――などということはないのだが、それでも腐食は免れない。人も機械も、可能な限り雨から隠れてやり過ごす。


「あのセンサー、ちゃんと動くんだよな?」


「防水だよ。平気」


「……そうだな」


 囁くようにノアが言った。問いかけたものの、最初からセンサーを気にしていないのは明らかだった。彼の眼差しはバギーを向いている。雨対策を兼ねたカモフラージュ・ネットに覆われる、自身の愛車に。


 焦るよね、と。これは声にせず、イブキは呟く。

 夢を叶えるべく街を出て、意気揚々と荒野を駆け、一日と経たず雨で足止めだ。幸先がいい、とはお世辞にも言えない。その横顔を眺めるだけで、焦燥は痛いほど伝わる。


 その証拠に、


「ノア」


「あ? ……ああ」


 彼はコーヒーが入ったことにも気づかなかった。


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