第81話 織野々鶴愛という女
春風。
春に吹くおだやかな風のこと……。そんな風が、織野々鶴愛の頬を撫でた。
桜が舞い落ちる年、2025年。
まだ幼かった彼女は、とある人物の目の前に立っていた。
目の前の男は、タバコの煙を肺の奥まで吸い、その風味をしっかりと堪能してから吐き出す。
目の周りのシワを見ても、その白く伸ばされた髭を見ても、明らかに老人であることは間違いない。
そんな老人が、口を開いた。
「あれから、何年経った?」
「……およそ、4年かと」
「まだ4年か……」
老人は、タバコの火を消して、上を向く。
桜の花びらが、彼の目の前を落ちる。それを手を広げて掴み、じっと見つめる。
鶴愛はそんな老人の奥……とある一室に気付いた。その視線を見て、老人は微笑む。
「気になるか、儂の孫が」
「……いえ、ほんとに……託されるのかな、と」
「儂も歳じゃ。それに……」
少し躊躇った後に口を重々しく開いた。
「鬼円は、儂よりも強くなる」
「……國網様、よりもでありんすか?」
老人……否、國網は頷いた。
國網は立ち上がり、部屋を歩き始め、とある刀を手に持った。
その刀は、國網に掴まれた瞬間、大きな光を放った。淡い白い光。見たものの目を焦がしてしまいそうな綺麗な光が溢れ出る。
國網はその刀を見て、目を細める。そして、その刀の柄に手を当てた。
「國網様!」
鶴愛の叫び声と同時に、國網の手から刀が弾き飛ばされる。
國網の手からは煙が上がっていた。皮膚がただれている訳でもなく、刀を持っただけで、手が焼かれたのだ。
「やはり、もう持つことは出来んか……」
國網は悔しそうに呟き、拳を作る。
煙を振り払い、刀を元の場所へと戻す。その刀は、淡い光を放って消えていく。
國網は、そうしてまた、縁側……鶴愛の目の前に座る。
「見ての通りじゃ。もう抜くことも出来ない」
「……わざわざ見せなくても、分かっておりんす。言葉でも、理解できんす」
鶴愛は言う。
鶴愛の言葉に國網は苦笑する。そこまで淡々と言われるとは思っていなかったからだ。
とはいえ、彼女の言葉は事実。
「あぁ、悔しいのぉ……1人、倒せただけとは……」
「……1人だけでも戦力を減らせたのは大きいでござりんす! それに、これからも仲間を増やせれば!」
「鶴愛」
國網のひと言で鶴愛が黙る。
國網のひと言の意味は、言わなくてもわかるからだ。
……この事を他人に話しては行けない、と。
「……奴らのやってることは、もしかしたら……世界すらも壊すかもしれないでありんすよ? それなのに、私たちだけで倒すだなんて……」
「だから、託すのじゃ」
國網の強い目の光が彼女を見つめる。
鶴愛はその言葉に再び黙り込む。
「鬼円だけでない、他の能力者達はきっと……奴らを倒してくれる」
「……ほんとう、でしょうか……」
國網でも、1人しか倒せない。
そんな強敵たちが団結して行動しているのだ。倒せるとは到底思えない。
鶴愛の中ではその考えがこびり付いて離れなかった。
「大丈夫じゃ」
たったひと言が呟かれる。
鶴愛は國網の言葉に顔を上げる。國網は優しい笑みを浮かべている。
「儂らは、負けないぞ」
その言葉に、どれほど助けられたことか。
鶴愛は、その言葉にずっと助けられてきていた。だからこそ、こう微笑むのだ。
「はい」
◇◆◇
(…………っ、気絶……してやした。今は、何時でありんすかね……? 香蔵さんにも、色々伝えねえと行けねえのに……)
鶴愛が目を覚ますと、立ち上がる。
その後、ズルっと体が落ちた。鶴愛はまだ霞む瞳で、自身の腕を見つめる。
「……あ」
小さなつぶやき。
それは、自身の無くなった右腕を見つめて吐かれた。
途端に、鶴愛を襲う痛み。鶴愛はズキズキと痛む頭や右腕に目を細めつつ、立ち上がる。
木に寄っかかり、息を吐く。
雨が止み、月が落ちかけている。もうそろそろ、陽射しが日本を照らすはずなのだ。
「……っ、歩け……織野々鶴愛……!」
ひたすらに、ただひたすらに1つの目的地を目指して。
鶴愛が歩き始め、目的地が見える。
……鬼円邸。そこには、鬼円だけでなく、春乃と快弦、そして……香蔵と狸吉もいた。
鶴愛を知ってる、そして鶴愛が大好きな、仲間たちがそこにいる。
「……みな、さん……っ、私……」
手を伸ばす。
そんな人達が霞のように消えていく。その姿に、鶴愛は困惑する。
なぜ、なぜ……消えていく? 目の前にあるのは、確かに鬼円邸。そこで、気付いた。
「……そっか、こんなところに……ある方が……おかしい……」
「ピンポンピンポンピンポーーンッ! 大正解〜っ!」
鶴愛は再び目を擦り、目を開ける。
そこは、森の中。そして、目の前には敵である……アクゼリュス。
鶴愛は自身の流れる血を見て気付く。
「毒で、ありんすか……」
「おおっ、そこまで気付く? まぁ分かりやすいけどね」
どんどんと変色して行く血を指先ですくって呟く。
ゴホッと咳き込めば、血が口から吐き出される。
鶴愛は遠のいていく自分の意識を抑えながら、何とか出来ないものかと考え込む。
「…ぁ……」
一言、そう声を絞りあげる。
指先を動かす。そんな鶴愛を見て、首を傾げるアクゼリュス。
「なんか思いついたのか?」
そう聞くも、黙って指先を動かす鶴愛。
そして、何かをやり終えたのか、鶴愛はふふっと笑みを浮かべる。
アクゼリュスを見つめる鶴愛の目は、死んでいなかった。むしろ、炎が宿っていた。
「私たちが、勝ちんすから」
「……あっそ」
アクゼリュスが鎌を振り上げる。
鶴愛は目を瞑る。
(あぁ、良うござりんした……生きてて、生きてこれて……)
たったそれだけ。
たったそれだけを思い浮かべて、けれども……。
(けど、香蔵さんの……花嫁姿、見たかったでありんすね…)
無慈悲な攻撃が振り落とされた。




