58話「傷つけられた婚約者」
「──んだよ、来たのかケイ。まあいい。手間が省けた」
開けた所へと出ると、両手を枷で拘束され地面に横たわるルタ様とその前に佇むラインハルト様の姿があった。
「どういう……事ですか」
思いもしない状況に声が震える。
ルタ様はぐったりしていて、身体の至る所から出血している。呼吸は浅く、ぱっと見ただけでは息をしているのかどうかも分からない。
一緒に居た新兵達は黒装束を纏う者達に拳銃を突き付けられ声を出さずに泣いていたり、歯を食いしばっている。
何が起きたか分からない──が、今すぐにでもルタ様を癒す必要がある事だけは分かる。
「ヒー……ッ──」
「──黙れ!!!!! 魔法を使ったら直ぐにルタと新兵を殺す!!!!」
ラインハルト様は怒鳴り、詠唱を遮る。
「ラインハルト様!何故ですか!! ルタ様は致命的な怪我を負っている様にしか見えません!! このままではルタ様が……!!」
焦りのあまり、ラインハルト様をフォルクング様と呼んでしまったがどうでもいい。
「ゴタゴタ煩いな。言わなきゃ状況が分からないのか? 」
「え…?」
「俺様がやったんだよ!! そんな事もお前は分からねぇのか!! 二人揃って阿呆だな!! 」
「………っ!!」
そういってラインハルト様は横たわるルタ様の頭を掴み上げ、彼の頭に銃口を向けた。
──理解が追いつかない。何故ラインハルト様はルタ様を傷つける必要があるのだろう。
爵位は同じでもクラレンス家は王からの信頼も厚くフォルクング家の格上だし、ルタ様を傷付けても何のメリットもないはず。寧ろクラレンス家と婚約をした私の妹であるロージュの婚約者という立場で何かと利益になる事の方が多いはずなのに。
「何でこんなことしてるのかって言いたそうだな? そんなの決まってるだろ、昔からコイツが気に食わなかったんだよ。今日の筋書きはこうだ。ルタ=クラレンスとケイ=ロレーヌは凶悪な魔物に殺害され遺体も残らなかった。哀れな新兵は無惨な姿で見つかり第2騎士団とクラレンス領土の民は皆でルタの死を嘆きました……と。この辺りは後で火をつけるから髪の毛一本の証拠だって残すつもりはない。街の火災だってバレなかったろ? 」
「は……」
”気に食わなかった”。
それだけで第3騎士団の何も知らない兵を巻き込み、人をここまで傷付ける事が許されるのか。それにこの男は今、『街の火災だってバレなかった』と言ったか。
やはりあれはラインハルト様…ラインハルトの仕業だったのか。
あの火災で沢山の人が傷付き、アンの妹であるリンは死にかけた。リンは見た目こそは明るく振舞っているが、アンによると夜に魘されている事が多いらしい。
「ガキが一人死にかけたらしいが…まぁ運が良かったな、はは」
怒りもあるが、己の哀れな行いを全く反省する気の無い男に言葉が見つからない。
ここまで私の前でペラペラと話す様子を見るに、この男は私とルタ様を無事に返すつもりは無いのだろう。
「あー、ケイ。お前もこのまま連れて行くからな」
「……や……め…ろ。彼らに……ケイに……手を出すな」
「ああ? 俺様に命令すんじゃねぇ!!!」
バシンッとラインハルトはルタ様の頬を強く叩いた。
「……おっと、顔は不味い。傷になると売る時に困るからな」
状況として現在、ラインハルトが私達と敵対しているのは分かった。
(私だけで戦う?)
……マーシュは居ない。私の使える魔法だけでこの状況を何とか出来るとは思えない。何かしようとする間にルタ様は傷付けられ、新兵達は殺されてしまうだろう。しかし何もしなければルタ様は危険な状態だし、此方にマーシュ達が追いつく頃にはラインハルトは証拠隠滅を行い、引き上げてしまうかもしれない。
私は黙ってこの男に従うことしか出来ないのか。
(………いや、考えよう。考えることは出来る)
『顔は不味い。治癒魔法でも治らない傷になると売る時に困るからな』
あの発言とルタ様をここまで痛めつけても彼の顔に大きな傷がないのは、ここでは殺さずに奴隷として商品にしようとしているからだろう。
この国に奴隷制度は無いが他国では未だに奴隷は一般的な国が多いと聞く。武器の輸出等で外国との繋がりが強いフォルクング家なら武器の輸出と共に上手いこと奴隷も輸出出来てしまうだろう。
……よし。
まずは出血によって生命の危険があるルタ様の治療が出来るように交渉する。ラインハルトもルタ様が死んでしまっては自身の目的を100パーセントには果たせないはず。
ルタ様を癒した上でマーシュ達が追い付くまで時間を稼げれば何とかなるかもしれない。
彼は傲慢な性格だ。散々虐げ見下してきた私が下手に出れば……。
「……フォルクング様、私は貴方様に全て従います。なのでお願いです。ルタ様はその手枷により魔力も底を尽きかけておりますし癒したとて抵抗は出来ないはず。なので私にまず彼を治療させて頂けませんか。見たところ出血も多量ですしこのままでは生命の危険があります。……ルタ様の命が尽きては貴方様の目的も果たせないはずです」
ラインハルトはルタ様を見て暫く沈黙した後、答える。
「……ふん。いいだろう。ルタ、抵抗したらケイと兵達がどうなるか分かってるな」
よかった。とりあえず彼を癒す事が出来そうだ。ラインハルトはまさか私が出し抜こうとしているなんて思いもしないのだろう。
ルタ様は下を俯いたままぐったりしていて返答がない。生命力の源である魔力を限界まで吸い取られ、更にはこの出血だ。意識を失ったのだろう。
「はは、流石にコイツでも意識が持たなかったか。いいぞケイ。癒せ」
「ありがとうございます」
そう言うとラインハルトはルタ様を乱暴に地面に投げつける。
……治癒魔法を使用する許可が出た。
ラインハルトは私が妙な真似をして逃げ出そうとしているとは微塵も思っていないらしい。ラインハルトの読みは正しく、確かに今の所逃げ出す手立ては立てられていない。マーシュ達が早く追い付く事を祈ることしか出来ない。
……それでも、ルタ様の傷を癒す事が許されたのは大きい。
ゆっくりとルタ様へ近づく。
ぼろぼろのルタ様。もう虫の息だ。よく見ると切り傷だけではなく、手足には銃で撃たれた様な傷もある。普段抑えていても周辺に魔力が溢れてしまう彼からは、ほんの少しだけしか魔力を感じる事が出来ない。この手枷に埋め込まれた黒い魔石が魔力を吸い取っている様だ。
「……っ」
彼の手に触れると多量の出血の為かもう冷たくなってきている。
生命の源である魔力が吸い取られ枯渇し、この出血量。普通の上級魔法では失った血液までは回復することは出来ない。リンの髪までをも再生した火災時の様に特異な効果を発動出来なければ、ルタ様は助からないかもしれない。
「……ルタ様」
胸が苦しい。皆を守るためにここまで抵抗せず拷問に耐え続けたであろう彼の気持ちを考えると今にでも涙が溢れてきそうだった。
彼の優しさに付け込んだラインハルトが許せない。怒りと悲しみで心がぐちゃぐちゃになりそうだった。
しかし、治癒魔法に必要なのは悲しみや憎悪よりも人を癒したい、助けたいという気持ちだ。
ラインハルトの事は後でいい。今はルタ様の事だけを考えよう。
ルタ様から注がれた優しさや愛情を思い出すと自然と心が落ち着き温かくなる。
……呼吸を整える。
もう、大丈夫。
今なら魔法を使える。
膝を着き、目を閉じ祈るように両手を組む。
私の全魔力を使ってもいい、全力で魔力を込めて。
『──ヒーリングスト』