15話「仕打ち」
「………」
まず部屋に入ると彼女の瞳の色と同じ色の淡いライトグリーンのドレスが目を惹き、ハーフアップに纏められたサラサラの茶髪は彼女の華奢な首筋や骨格を美しく魅せている。
シルバーで揃えられたアクセサリーとパンプスも煌びやかでありながらも貴族令嬢としての上品さを感じさせ、派手すぎないふんわりと施された化粧は、彼女の控えめであるが整っている顔立ちをより美しく引き立てた。
ロレーヌ家で顔を合わせた時とは別人である姿に思わず息を飲む。
「……部屋はどうだ?不自由はないか?」
彼女が着飾ったことをまず褒めるべきなのに、あまりに魅力的である彼女に緊張し、他に言葉が出てこなかった。
「ええ。何も不自由がなく過ごすことが出来ています」
「そうか」
「……」
間が空いてしまう。
こういう時、女性とは何を話せばいいのだろう。騎士団は男ばかりの職場であるし、社交界にも顔を出すことはあまり無かったので女性との関わり方が分からない。
「……すまない。余り女性と話すことに慣れていなくて、だな」
「本当ですか?ルタ様は女性に慣れていそうですが」
「慣れては……いない。女性との関係が全くないという訳では無いが……」
「……ふふ。そこは少し見栄を張るんで……すみません失礼しました。今の発言は取り消させて下さい」
そして初めて見た大人になってからの彼女の微笑む顔。暗い顔ばかりしていた彼女が冗談を言ってくれたことが素直に嬉しかった。
「いや、取り消さなくていい。素のままのケイでいて欲しい」
婚約者──という事は生涯を共にするパートナーになるということだ。
彼女には気を使って欲しくない。素のままでいて欲しい。
「………」
笑ったかと思うと静かになる彼女を不思議に思い様子を伺うと少し涙ぐんでいる様に見える。
「──ケイ?どうしたんだ?」
「名前……呼んでくださったと思いまして」
なんと。自分の名前を呼ばれただけで涙が出るなんて。
家では名前を呼ばれていなかったのか?ロレーヌ家での彼女の扱いを見ていると、婚約者からのラインハルト侯からも酷い扱いを受けていたのかもしれない。
「……どうしてそんな事で涙が出る?」
ラインハルト侯と彼女の間に何があったのか。噂なんて不確かなものよりも当事者本人の口から聞きたかった。
「……こんなことを言いたくはないが、ラインハルト侯は横暴で自分勝手な騎士だ。突然婚約を破棄したと聞いたが何があったんだ?」
彼女の瞳から零れた雫を指ですくいながら彼女に問う。
「……るっ、ルタ様。私は大丈夫ですから……」
「じゃあ今目から溢れているこれはなんだ?」
「あ、汗です……」
突然涙が出てしまうほどに心が追い詰められているのに誤魔化す彼女が少し不謹慎ではあるが可愛らしく感じる。
「無理するな。私達はこれから夫婦になる間柄だぞ。私には何でも話して欲しい」
「実は──」
ケイはゆっくりと、少しずつ話し始めた。
幼き頃より妹のロージュと比較され、地味だ地味だと言い続けられていたこと。
ラインハルト侯はケイを“お前“と呼び名前で呼んだことが無いこと。
一緒に出かける約束は全てすっぽかされていたこと。
この国では婚約者同士であれば毎年送り合う誕生日プレゼントを一方的に送り続け、ラインハルト侯からは受け取ったことがないこと。
年頃の婚約者同士でありながら1度も男女の関係に至らなかったが、それを大切にされているが故と思っていたこと。
そして──。
ある日突然妹のロージュとの不貞関係を告白され、ロージュが妊娠した為責任を取りたく婚約を破棄すると言われたこと。
不貞関係について両親は妹やラインハルト侯を咎めることは無く姉なのだから許してあげなさいとまで言われてしまったこと。
──彼女の受けた扱いはとても酷いものだった。有数侯爵家のロレーヌ家の令嬢とは思えないほどの仕打ち。
ラインハルト侯もだが、ロレーヌ家も中々問題がありそうだった。
「ラインハルト侯……。彼のことは同じ騎士としてよく知っている。その仕事ぶりもとても尊敬出来るものではなかった。しかし、婚約者にそこまでの仕打ちをしていたとは許せない。……今まで辛かっただろう」
きっと彼女が受けた仕打ちは今語っただけではないのだろう。自分と別れてからの間にいくつもの、数え切れないほどの仕打ちを受けていなければここまで追い込まれてはいないだろう。
ふつふつと心に怒りの感情が湧き上がってきたが、それよりも目の前で悲しそうな瞳を俯かせている彼女の傷ついた心を癒し慰めたい。
しかし過去に出会ってるとはいえ、自分の事をケイが覚えているかどうか確かではないので自分の言葉が彼女を直ぐに癒すことが出来るとは思わなかった。
ケイの小さい頭を撫でる。
今の自分が彼女に言葉をかける以外に出来る、精一杯の表現。
何故今彼女の頭を撫でたかと言えば、小さい頃に辛いことや悲しいことがあって落ち込んだ時はこうして母が頭を優しく撫でてくれた。そうすると心のモヤッとした物が少しだけ軽くなったような気がしたことを思い出したからだ。
「出会ったばかりで信じられないとは思うが私はケイを心から守り抜きたいと思っている。決して前の男が抱かせたような気持ちにはさせない。誓ってもいい」
──この言葉に嘘はない。
幼い頃に抱いた気持ちは、大人になった彼女を見ても変わりはしなかった。むしろ辛い境遇にいた彼女を見て、小さな恋心が燃え上がり彼女が自分の事を鬱陶しいと思うくらいに愛したいとさえ思った。
「……ルタ様。お気持ちはとても嬉しいのですが、私たちはつい最近出会ったばかりです。何故そこまで私にして下さるのですか?」
覚悟はしていたが、その言葉に少しだけ胸がチクリと痛む。
やはりケイは自分を覚えていなかった。
少しだけショックではあったが、十年も前の友達だし自分の見た目も少年から青年へ成長している。名前も彼女の認識では“クロ“だ。覚えていないだろうとは思っていた。
「……これを見てほしい」
彼女にあの時の傷を見せれば思い出すかもしれない。
ロレーヌ領の森で大型の魔物に襲われた時の傷。
彼女にとっては思い出したくない記憶かもしれないが……。
ボタンを1つずつ外し始めると何故か困惑するケイを他所にシャツを脱いだ。
「──この傷、見覚えはないか?」
そう言いながら古傷を指差すと彼女は目を開き何かを思い出したような顔をした。




