5幕 お家帰りたい
「サークルの新入生歓迎会に行ってみないかい? 今日の夕方からなんだけど」
五月も最終週に突入した梅雨直前のあくる日、一限と二限の隙間時間で洞木はそんなことを口にした。
サークルかぁ。確かに大学生活で青春を語るに外せないのがサークル活動だ。俺の通うこの大学にも種々様々なサークルが存在していて、四月の入学したばっかの頃なんてそこら中でビラ配りをしていた。
「今更じゃないですか? もうすぐ六月ですよ?」
教室を移動しながら洞木の言葉に敬語で返した。今日は女装しているのである。
横に並んで歩く洞木は俺の方を見ると柔らかく笑みを浮かべる。相変わらずイケメンなんだよなぁ。これで美少女っていうんだから世の中ホント分からない。何も分かんない。赤ちゃんになりそう。バブー。
「まあね。でも辛うじてやっているところを掲示板で見つけたんだ。参加費無料で、駅の近くにある居酒屋でやるらしいよ」
「へー。因みに何のサークルで?」
「総合スポーツ……だったかな。何か、色んなスポーツをやるサークルらしいよ」
テニサーとかじゃないなら何よりだ。偏見かも知れないけどテニサーには良い印象がない、主にネットのせいで。少し安心した。
……とは言えスポーツ系のサークルなんだよなぁ。自慢じゃないけど俺の身体能力はあまり高くない。50mは9秒台、高校時代の体育の評価は10段階中4。我ながら成績に影響するレベルの運動音痴で凹みそうになる。
それに総合スポーツってなんなんだって話もある。活動目的が曖昧なサークルは飲み目的のサークルの可能性があるのだ。その辺が少し怖いのかもしれない……けどまあ新歓に行くくらいなら大丈夫なのか?
「あの、洞木さんってスポーツとか興味あるんですね」
「……あんまりかな。興味ないね」
「そんな気障に言われましても……じゃあ何で誘ったんですか?」
何だかテニヌをやってる人間みたいな返答に思わず疑問をリターンエースすると洞木は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「いやさ……まだ僕は新歓とか行ったことないんだ」
「ないんですか?」
「その、事情もあるし……君もそうだろ」
「まあそうですけど」
意外かと言われると意外ではないかもしれない。見た目はともかく洞木は男装してるんだから、そりゃグループの中に自分から突っ込んでいくのは厳しいだろう。バレるリスクがある以上あまり深入りできないし。
俺は洞木とは事情は違う。別に年中女装しようとは思ってないからね。サークルはちょっと興味あったけど行く勇気が出なかっただけである。うわ、情けなっ。
「サークルって言うよりは新歓に行ってみたいんだ。新歓ってなんか大学生っぽいイベントだろう?」
「へー」
「それに新歓って一年生の時しか行けないだろう。いや、行けなくはないんだろうけど上級生になったら行きずらいのは間違いないだろうし……ってホント興味無さそうだね」
「いやだって。私とスポーツって陰と陽、N極とS極、iOSとandroidくらいの距離がありますよ? 天敵にどう興味を持てと?」
「最後のはなんか違う気がするな……」
洞木は苦笑いを浮かべる。
間違ったことは俺、言ってないぞ? オタク系サークルとかもうちょっとインドア系のサークルならともかく、こんな燦々と輝く陽サークルに入ったら紫外線で焼かれて死んでしまう。肉体が灰燼に帰してしまう。気分は太陽の下に出た吸血鬼だ。
「でも天敵と言うなら孫子もこう言うじゃないか。敵を知り己を知れば百戦危うからずってさ」
「尊師?」
「知らないのかい?」
「……ああ、孫子ですね。中国春秋時代の有名な兵法書の方ですね」
「そうだけど……それ以外にあるの?」
洞木は凄い不思議そうに首を傾げて、純真にそう問いかけた。なんか、本当にごめん。ネットミームに汚染されてて本当にごめん。そうだよな、孫子って言ったら普通そっちだよな。何だか凄い死にたくなってきた。マジつらたん。
「全くその通りです。敵を知り己を知れば百戦危うからず……ですか。でも私、別に戦う予定とか無いんですよね」
「良いじゃないか。新歓に参加するだけだよ?」
「一人で行ってくださいよ。そんな中に放り込まれたら私溶けますよ?」
「大丈夫だって、いざとなったら僕が守るから」
絶対そのセリフ言うの俺と洞木なら逆だと思う。いや、傍から見たら合ってるのか? 俺は美少女で洞木はイケメンだし……微妙に複雑だ。
「頼むよ。僕一人じゃ色々と不安なんだ」
「まあ……そうですねえ……じゃあ昼ごはん奢ってください」
「それでいいのかい? ありがとう二千翔」
本当は嫌だけど、ただ同じ大学生として気持ちは分かるんだよなぁ。俺はもうこの時点で正統派大学生っぽい青春は諦めてるけど、洞木だってそういうドラマとか小説みたいにサークルでバシバシ騒いで友人と集まってみたいな大学生活に憧れてるのだろう。洞木も事情は俺と似てるから完全には難しいが、それでも触りくらいは体験できる。
一応友人として、まあ、その一生に一度の経験を手伝ってやっても良いかな。などと親愛と同情心が半々くらいでブレンドされた結果、洞木の添え物として新歓に行くことを俺は渋々了承した。
─── ─── ───
新歓は午後六時、最寄り駅集合らしい。本日は講義がそこそこ詰まっている日だったため、三限までは学校にて缶詰。それが終わると家に帰って暇を潰す。空いた時間は1時間くらいだがこうやって気軽に帰れるのは近場に下宿する学生の特権だろう。そういう学生って友人の溜まり場になるとか聞くけど……まあ、俺はそういうのに興味とか無いし? 別に憧れも羨ましいとかも無いし? これぽっちも感情揺るがんし?
ネットサーフィンしながら時間を潰すと中途半端な空き時間はすぐに流れて午後5時半。そろそろ行くかぁとかなり重い腰を持ち上げる。
鏡で女装を確認する。うん、やっぱり俺は可愛い。好きになりそうだ。正確にはもう好きなのかもしれない。我ながら自己愛強すぎるけどこの見た目なら当然の帰結だと胸を張って言える。
俺は財布とスマホ以外手ぶらで鍵を閉めて駅へ向かう。駅から我が家は五分ほどの好立地、すぐに駅ビルの近くに辿り着く。一応集合場所は改札前だった気がするけど……。
「あ、二千翔。来たんだ」
少々の不安を抱えつつ夕方で込み合った改札前に足を踏み入れると洞木が笑顔で手を小さく振った。たったこれだけのモーションで俺の不安を雲散霧消とするんだからイケメンという生き物は恐ろしい。正確には美少女だけども。
洞木は見たところ授業終わりに直接来たといった風貌で、俺に気付くまでは手持ち無沙汰だったみたいでスマホを右手に握り締めていた。周囲には同じくサークルの新歓に参加するらしき大学生がちらほらと見えたが、超然的なコミュ力を持った洞木でも初対面の人間と積極的に打ち解けようと思うわけじゃないらしい。
洞木は王子様スマイルを口元に湛えながらスマホを仕舞う。
「はい、遥々来ましたよ」
「遥々って……二千翔の家ここから近いよね」
「家から五分は私にとって小旅行と同じですから」
「じゃあ大学までは一泊二日の旅行……?」
そう言いながらも納得がいかないのか首を傾げた。そりゃ分からんでしょうね、インドア系引きこもりオタクの気持ちは!
「にしてもまだ時間がありますね……ちょっと早く来すぎましたか?」
「そうかもしれないけど……まあ、僕にとっては君と話せるだけで値千金。30分前に来た価値あったよ」
「あのそういうの止めません? 勘違いされますから」
「君となら僕は構わないよ」
「だからそういうの! やめましょうよ!」
楽しそうに言いやがる洞木に釘を刺すが全く聞き入る様子はない。完全に分かってて言ってるよこの人。勝手にボーイミーツガール的なエチュードやっちゃってるよこの人。言っておくけど実際の性別的には合ってるけど第三者が見たら言うセリフ反対なんだからな! 恋愛ADVならそういう言葉は女の子が言うの! ……アレ、なら正解なのか?
混乱してきた俺を差し置いて洞木は目をチラリと周囲に滑らせる。時間が近づいているからか、徐々に大学生の姿が増えてきている。グループで話しているのは恐らく上級生だろう。で、孤立して時を待ち侘びている人の大部分が新入生と。
「それにしても、もしここにいる若者っぽい人達全員そうならかなり参加者多いですね。40人……50人くらいいそうじゃないですか?」
「さっき調べたんだけどサークルの構成メンバーは120人くらいいるらしいよ。かなり大規模サークルっぽいよね」
「うわぁ……私の嫌いなものその3じゃないですか……」
「その3?」
「メチャメチャな人混みです。インドア人は人混みを見ると嘔吐、運が悪いとアナフィラキシー症状を起こしてその場で心停止をしてしまうので繊細な取り扱いが必要なんですよ」
「そんなアレルギー持ちみたいに言われても……」
因みにその1は無意味な外出、その2は女装バレである。どれも俺が忌避してならないものだ。
「ホント守ってくださいよ私のこと。頼みますからね。変な人に絡まれたら頼りますからね」
「何か女子みたいだね……」
「私は女の子ですよなに言ってるんですか」
胡乱な目つきで洞木は俺をジッと見る。ガワだけならどっからどう見ても360度美少女なのに何だその目つきは。もっと崇拝すべきだろ。俺は美少女だぞ。
いつも通りの適当な雑談をしていると、時計の長針と短針が一直線になった。
「えっと、アンキューブの新歓はここに集まってくださいー!」
近くで屯していたグループから一人がそう声を張り上げる。上級生だろう。常夜灯に群がる蛾みたいにぞろぞろと集まり始め、俺と洞木もそれに倣って集団に交じる。
というかこのサークルの名前、アンキューブっていうんだな。何となく車種を思い出す。なんだっけ、キューブといえば日産だったか。俺の実家の車がそうなのに何故かぼんやりとしか分からないのは多分車に興味が無いからだろう。
幹事の上級生から名前と学籍番号を書くように求められる。勿論ここで保月二千翔なんて書こうものなら「アレ、こいつウチの語学のクラスにいたよな? ならもしかして……女装変態オタク!?」と遺憾ながら勘繰られてしまうので適当な偽名を書くことにする。
と、忘れないように洞木にも話を通さないと。ちょいちょいと手招きして俺と同じく記入を終えた洞木を呼ぶと、端っこで小声で言う。
「洞木くん、私の名前は鬼灯一花です」
「……あー、何かと思えば。偽名ってことかい。了解」
すぐさま察した洞木はコクリと頷いた。対人能力A+は伊達じゃない。
「良い名前だね。それなら僕も呼び間違えもなさそうだ」
保月二千翔と鬼灯一花。母音は一緒だから非常に呼びやすいハズだ。
洞木は少し感心したのか、何度か俺の偽名を口にする。知らない人が見たら想い人の名前を繰り返しているように見えるから即座に止めて欲しい行為だ。
「あれ、洞木くんはそういうのないんですか?」
「僕はに……一花と違って容姿を大きく変えてないからね。洞木周って名前も男女どっちか分からないだろ? 素の姿だから別に問題ないのさ」
「あーそうですね。もしかして健康診断とかは……」
「あはは、姫様のご想像の通り。勿論ブッチさ。もし書類が必要なら後から病院行ってもらえばいいからね。自費負担だけどまあ、それは仕方のない事さ」
「誰が姫様ですか? ああ?」
「いやいや、僕からは姫様に見えるよマドモアゼル」
コイツ……! 自分も貴公子然とした表面引っ提げてるくせに何揶揄ってやがる……!
井戸端会議をしてる間にも全員の記入が終わったらしく、バラバラと人の流れが動き始める。慌てて俺と洞木もその最後尾を追い始めた。
「そういえば聞いてなかったんですけど新歓はどこでやるんですか?」
「近場の居酒屋だってさ。あ、ところで一花って二浪してたりする?」
「ぶっとばすぞ」
唐突に何てこと言い出すんだこのイケメン。いや美少女。
「そうだよね。もし二浪なら合法的に飲酒できるなぁって思ったんだけど、僕と同じだね」
「むしろどう頭を捻ったら脈絡も無く二浪だと思うんですか。軽く名誉棄損ですよ。訴えますからね」
「はは、許してよ。もし君がお酒飲めたらって思ったら不安だったんだ。自分だけ素面なのは友人として寂しいからね」
分からなくはないが、それで二浪かどうか聞いてくるのもどうかと思うんだ。もしかしたら洞木周という女の子は想像以上に天然なのかもしれない。
ちょっと会話している間にも新歓会場の居酒屋へ到着したみたいで、上級生の案内に従って俺と洞木は店の中へと入る。駅集合だったのもあって本当に駅近な立地の居酒屋だったらしい。
人生で初めて居酒屋に入った俺は好奇心から店内をキョロキョロと確認してしまう。鼻腔を揺るがす強いアルコールの匂い、品の無い喧噪感、それに負けじとオーダーを繰り返す店員の力強い姿。数秒で俺は理解した。間違いない。ここは俺に相応しい場所じゃない。俺がこの場所で酒を飲むのはサッカー選手が仁和寺で竜王戦に挑むのと同じだ。適材適所、十人十色。人には人の長所と短所があって、それを大事にすべきだ。そして俺が一番輝けるステージは……まあ自室のパソコンの前。
つまり、この時点でもう俺は家に帰りたくなっていた。お家帰りたい。
「君はこっち! そこの君は……空いてるからそっち!」
は、はあ。
ベルトコンベヤーに乗った不良品を弾くみたいに上級生の指示によって下級生が流れ作業で席へと仕分けられる。内心で溜息を吐きつつ靴を脱ぐと八人掛けの座敷席に詰めて座る。残念ながら洞木とはここで分断されてしまった。
非常に億劫ながら、自己防衛のために一応確認してみる。
8人掛けのこの席は俺を含めて男3人、女5人。少々男女比が偏っているけど他の人からすれば俺も女の子に見えるからもっと酷いと思う。更にリーダーシップを取れるような人間はこの席には居ないみたいで、先に座っていた上級生まで無言でスマホを弄っている。もう嫌な予感しかしない。
全部の席に飲み物と食べ物が配膳されたのを確認してサークル長が音頭を取った。ああ、言葉が右から左に流れてくなぁ……全然興味ないやこの話。スマホ弄って良いですかね。いくらなんでも目立つからダメか。
ぼーっとジョッキに入ったビールの泡を見つめていると周囲から大きな声が上がった。前口上がやっと終わったか。早く帰りたい。
「あの、自己紹介しましょう! 言い出しっぺの俺から時計回りで行きます!」
すると盛り上がった周りの雰囲気に感化されたのか、今の今まで黙りこくってスマホを確認していた上級生の男がそんなことを宣った。めんどくさ。
聞き流しながら俺は相槌を打つふりをして飲み物を口にする。当然だが俺は未成年なのでドリンクはコーラだ。だって二浪してねえから! 俺、現役だから!
ふと先程の名誉棄損が頭に浮かんで、今は別の席で持ち前のコミュ力でワイワイしてるだろう洞木に抗議のテレパシーを送っていると俺の番が回ってきた。この瞬間だけ空白が訪れる。今日が過ぎたら一生関わらないサークルだろうけど、万が一のため真面目にやっておくか。
「えー、鬼灯一花です。趣味は読書とネットサーフィンとインドア気味で、そんな自分を変えたいと思ってスポーツ系のサークルに興味を持ちました。あまり運動は得意ではありませんがよろしくお願いします」
それとなく頭を下げるとパチパチと疎らな拍手で迎えられる。ふむ、そこそこ信憑性のある話を作れたんじゃないだろうか。捏造だけど。
全員の自己紹介が終わると適当な話題で会話が活発になり始める。適当というのも俺は積極的に話に参加する気がないので殆ど話を聞いていないのだ。偶に話を振らても「えー、そうかもです」とか「はい、思います」とか「なるほどーですね」とか雑に返答してたら周囲の面子も「あ、こいつ全く会話する気ないんだな」と気付いたみたいで数分ほどで話題を振られることもなくなった。有難い限りだ。
ところで、ここだけでも8人と大人数の席なため全員が1つの会話に参加するのはかなり難しい。居酒屋という特性上、位置が離れていると声が聞こえづらく、加えて全員が参加できる話題というのも限られている。
俺の席は壁側の奥から三つ目。その俺がニコニコと黙っているせいで被害に遭っている人間がいた。
そう、俺の隣。奥から四つ目に座る女の子だ。俺がウォールマリアとなって外界との交信を断絶しているせいで彼女は席の会話に全く入れていなかった。不意に目を遣る。
下を俯くことによって重力で垂れた日本人らしい黒い前髪は揃えたようにパツンと切られ、髪の長さ的にセミロングというのだろうか。顔の輪郭は幼く身体も大きくない。ぱっと見は俺より少し小さいくらいの身長で、何だか周りの女の子はどっちもデカいから新鮮だ。
最初のうちは必要な犠牲として目を瞑っていたのだが、段々と罪悪感が育ってきたのか居心地悪そうにちょびちょびと食事を抓む隣人に憐憫の心を持ち始めていた。
……ちょっと話しかけてみるか。
次話は11日17時です。
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